2019年6月24日
独言居士の戯言(第100号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
衆参同時選挙は無さそう、参議院選挙の争点は「消費税」か???
夏至が終わり、いよいよ夏本番に向かっていく今日この頃なのだが、札幌の街は「リラ冷え」なのか、肌寒むさを感ずる時もしばしばである。
いよいよ参議院選挙、予定通り7月4日公示、21日投票日になりそうだ。一時噂されていた衆参同時選挙も、どうやら遠のいたようだが、解散権を乱用する日本の政治風土の下、何が起きても不思議ではないとはいえ、報道を見る限りどうやら確定的になりそうだ。
さて、その参議院選挙は何が争点になるのだろうか。もちろん、政治的な戦いは多数派をどちらが掌握するのか、与党なのか野党なのかという事にあるわけだが、政治においては「人」と「政策」が重要である。さらに付け加えるとしたら、政党の「理念に裏打ちされた統治能力」も大きな力を発揮するわけだが、国民にとってはどんな?政策?が公約されるのかが極めて重要だ。
山本太郎「れいわ新撰組」は、「消費税減税」で台風の目か!!!???
最近よく読む『週刊金曜日』の最新号(6月21日号)のコラム「風速計」で、同誌の編集人の一人である中島岳志東工大教授が、「参院選は消費税減税を掲げた闘いを!」と題して、新しく「れいわ新撰組」なる政治組織を立ち上げた山本太郎参議院議員を取り上げている。それは、野党が勝つためには「物語」が必要で、今のところその「物語」の設定に成功しているのは山本太郎だけだと見ているのだ。
渦中の山本議員は、「AERAdot.」6月19日号の山本太郎議員に聞く、というインタビュー記事にも登場し、れいわ新撰組の提起する「消費税廃止」について語っている。山本議員は「消費税廃止・減税」による格差是正と言うビジョンを打ち出し、野党側が一致している「消費税引き上げ反対」をさらに一歩乗り越えた主張を展開している。10人の参議院選挙候補を擁立すべく政治資金キャンペーンも繰り広げ、目標額3億円だが既に2億円近くにまで到達しているとのことだ。政党要件を確保して選挙戦に臨めるかどうか、予断は許さないものの、台風の目になりそうだと中島教授は予測している。(中島教授は既に「論座」(6月16日発信)において「山本太郎」議員を取り上げている。その中で、述べておられる事の一部を、自らの思いとして『週刊金曜日』に要約されているのかもしれない。)
消費税の徴収だけでなく、その使われ方も含めた総合的視野を
というのも、中島教授は、「野党が選挙に勝つための選択肢は、消費税減税を掲げること以外にはないと私は思う。税金は体力のあるところから取るのが原則だ。中間層が縮小する現状に、消費税と言う税制はマッチしていない。野党は、『消費税減税』を訴えることで『争点』と『物語』を設定すべきである」(3頁)と提起している。
要は、逆進性のある消費税引き上げは緊縮政策であり、今必要なのは財政拡大による積極財政を通じて国民生活の安定や格差を縮小していくべきだ、という主張なのだろう。そこには、アメリカのバーニー・サンダース上院議員やオカシオ・コルテス下院議員等の主張するMMT理論の匂いが漂ってくる。財政赤字が累積する中で、更なる財政赤字を増やしたとしても、インフレに火がつかない限りデフォルト(財政破綻)は起きないのだ、と言う理屈が拡大し始めている。その例証として日本のGDPの2倍を超す財政赤字の下で、2%のインフレすら到達していない事を取り上げてさえいる。その日本において、こうした山本太郎議員の主張が国民の間に広がる可能性は無いとは言えないだろう。民主党の流れを汲む議員の中には、高く評価していた議員もいたようだ。
左派「ポピュリズム」が蔓延する危険性、民主主義の危機だ
私には、ポピュリズムの流れが「左派」の立場にも拡大し始めていると見えてならない。民主主義の基盤を形成してきた安定した中間層が、グローバル化の下、情報通信技術革命の進む中で一部の富裕層と多くの貧困層へと格差が拡大しつつある時、その格差を問題視しどれだけ財政赤字累積があろうとも、さらなる財政拡大を通じて解消していくことで「経済も活性化」し、「社会保障や教育も充実させていける」ではないか、と言う訴えは、案外国民の間に広がる可能性は無きにしもあらずだ。
ポピュリズムは、国民が見ようとしない、見たくない現実から逃避させ、安易に世の中が良くなるような幻想をポピュリストが振りまきながら展開されるのが常だ。既に経済が停滞し続けて25年近く経とうとしている日本、一握りの富裕層や金融資本や輸出依存の大企業だけが肥え太り、多くの働く労働者は非正規労働者の拡大の下、実質賃金が低下し続けている中での不満に火をつけることは十分にあり得るのだろう。(実際には、1人当たりGDPでみると欧米に遜色のない成長を実現できているのだが‥‥。)
永遠に財政赤字を垂れ流し続けることは不可能なのだ
だが、こうしたポピュリズムに席巻されてしまえば、またまた日本の経済・社会は、時間の経過と共に経済的・財政的破局にいたることは必至だろう。膨大な財政赤字を放置して、更なる財政赤字を拡大し続けて行くことは、必ず破局を招くことはまちがいない。ポピュリズムの一時的な高揚に惑わされ、既存の野党側の政治勢力も飲み込まれていく危険性を感ずるだけに、しっかりとした理念に基づく実現可能性と持続可能性に立脚した政策の必要性を痛感する。
「体力のあるところ」と「体力の無い人たち」の分断でなく連帯を
中島教授に対して、「中間層が縮小」することに、税だけでなく社会保障という「再分配」(中島さん、「再配分」ではありませんぞ!)政策を通じ、年金・医療・介護・子育て、といった生活インフラを充実させることによって、低所得層だけでなく中間層も含めた日本の民主主義を支える基盤を強固なものにしていく必要があるのではないか、と言いたい。そのためには、「税金は体力のあるところから取る」のではなく、「みんなで拠出して、皆で利用できる」ことこそ重要で、「体力のある」人達と「体力の無い人たち」の分断を作ってはならないのではないだろうか。社会保障の充実・強化こそ、民主主義の基盤の確立であり、それだけにしっかりとした財源の確立こそ今求められているのだと思う。
放漫財政を放置するMMT理論、持続可能の無い無責任政策だ
それにしても、こうしたMMT理論なるものが蔓延るのは何故なのだろうか。財政赤字が膨大な金額に達しているとき、その財政赤字を直撃するのが金利である。GDPの2倍を超える累積赤字を抱えた日本財政最大の弱点は、この金利上昇なのだ。一般的には長期金利として10年物の長期国債の名目金利を取り上げられることが多く、日本では既に0%台にまで低下している。日銀の金融政策もあり、時にマイナスの金利になることもあるわけで、異常な低金利が続いている。金利がゼロやマイナスであれば、GDP成長率が1%前後であれば対GDP比財政赤字比率は発散せず、僅かではあるが低下する事になる。このところの日本の国家財政の対GDP累積赤字比率は、現に僅かだが低下している。
高度成長期には、国家財政の赤字の増加は民間企業の旺盛な設備投資の妨げとなり、国債増発による長期金利上昇というクラウディングアウトを起こす、と言われてきたのだが、今の日本では民間企業は自己資本や利益の中から設備投資資金を賄えており、マクロ経済的にはむしろ貯蓄さえ生み出す側にまわってしまっている。どうやら、こうした金利の動きは世界の先進国に共通した現象のようで、日本では1990年代後半から、欧米では2008年のリーマンショック後から顕著になっている。
小林慶一郎氏「金利r<成長率g」のニューノーマルは永続できない
こうした現象について、一般的には「ニューノーマル」と言われているのだが、なぜこうした現象が起きているのか、この現象は永遠に続くのかといった点について、エコノミストの小林慶一郎東京財団政策研究所主幹が『中央公論』7月号のコラム「時評2019」で論じておられて興味深い。題して「金利が成長率よりも低い『ニューノーマル』の不思議」である。
「ニューノーマル」とは、今までの「ノーマル」は、金利(r)の方が成長率(g)よりも大きいとされてきたのだが、先ほど述べたようにここ最近では成長率(g)の方が金利(r)よりも大きくなっている事を指している。ただ、こうしたr>gという事が正常だとされたのが1980年代以降で、それまでの100年間を見るとr>gの時期とg>rの時期が半々だとIMFのガスパール財政局長発言を引用されているが、われわれにとっては数年前にブームを起こしたトマ・ピケティ『21世紀の資本』が強く印象に残っている。この本の背表紙には、r>gとあり、その解説として「資本収益率が産出と所得の成長率を上回る時 資本主義は自動的に恣意的で持続不可能な格差を生み出す」と書かれていた。
金利<成長率が永遠なら、将来のGDPの現在価値は無限大となり、
理論的にツジツマ合わず、国債バブルが起きているだけ
小林主幹は、このコラムの中で「永久に金利が成長率より低いと、将来のGDPの割引現在価値が無限大になってしまうので、理論的にはつじつまが合わない。低金利の現状は、一種の国債バブルが生じている状態」(17ページ)と見ている。
かくして、小林主幹は「ニューノーマルはバブル崩壊のリスクと隣り合わせだと考え、警戒を怠らない事が必要」と指摘している。ここでの国債バブル崩壊とは、日本政府の財政の持続可能性に対する国民の信頼が崩壊する事だと指摘されている。われわれは、今財政赤字を累増させても直ちにバブルが崩壊せず、金利が成長率を上回ることは確実に起こるわけで、その時に増税で対処するとしても、その規模たるや想像すらできず、もしできたとしても政治家が大増税に踏み切るとも思えず実現可能性は無い。持続可能性と実現可能性の欠如した政策を取り続けることは、日本の財政だけでなく、日本の経済・社会を崩壊に導く道であることを深く自覚していく必要がある。小林敬一郎主幹の短いコラムは、その事を教えてくれている。