2024年4月1日
独言居士の戯言(第335号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
北海道に住んで半世紀、1974年は労働運動高揚の頂点だった
いよいよ今日から新年度が始まる。過去の私事から話を始めていきたい。
今からちょうど50年前の今日、東京の鉄鋼労連本部から北海道の自治労全道庁労組という新しい仕事に就くために北海道に赴任してきた記念日にあたる。早いもので、あれから半世紀がたち齢80歳になろうとしている。74年はオイルショックに基づく20%を超す狂乱インフレの真っ最中であり、74春闘は30%近い賃上げを勝ち取るなど、総評を中心にした労働運動が大きく盛り上がっていた古き良き時代であった。残念ながら、これ以降は官公労に対する民営化や労働法制の規制改悪などもあり、落ち込んでいくわけで、74年という年は労働運動にとっての分水嶺となった年でもある。
食管制度と不味い道産米、今ではササ・コシに負けない美味いコメ
今でも記憶していることなのだが、転勤荷物が未着だった関係で北海道庁共済会館に宿泊することになった。問題は、そこでの食事に出たお米が「不味い」という言葉でしか表すことができなかったことを、何故か印象深く覚えている(食べ物への恨みは恐ろしい、笑)。北海道庁関連の宿泊施設であるため、道産米を出すのは当然のことなのだろうが、当時は食管制度によって公定価格で重量によって買い上げ価格が決まることになっていた。食味=「質」はカウントされず、それこそ「量」さえ取れれば生産する農家にとっては何でもよかったわけで、道産米はまずいとマーケットでは「コシヒカリ」や「ササニシキ」といった銘柄米が少し高くても高度成長時代の中産階級の人たちの求めるものとなっていた時代なのだ。ほどなくして、1981年の大改正から95年には食管制度は廃止され、「量」ではなく「質」が求められるようになって以降、北海道においても「銘柄米」が次々に誕生し、今では「ゆめぴりか」や「ほしのゆめ」といった本州の「ササ・コシ」に決して引けを取らないおいしいコメが生産されるに至っている。
戦時経済体制の名残り「食管制度」廃止は歴史的必然だった
もともと南方生まれの稲を、改良に次ぐ改良で寒冷地でも生産されるようになってきたのだが、味を良くする品種改良は二の次だったわけだ。食管制度廃止以降、稲の品種改良にむけた国や北海道庁の公設研究機関の涙ぐましい努力があったことを忘れることはできない。同時に、「食管制度」という規制がそうした改良を阻んできたことも間違いないわけで、生産力が高まってきた高度成長時代に、食糧不足に直面した1942年に始まる戦時経済制度(事実上の計画経済)の名残として残っていた規制を廃止していくことは歴史的に必然だったのだろう。
新自由主義にもとづくアベノミクス、小林製薬の紅麹問題の背景
こうした規制を緩和する際にも、凶作時には備蓄米を国がコントロールするなど、国民生活にとって最低限必要な危機管理制度が残されていることは触れておく必要があろう。というのは、いま日本で問題となっている「規制緩和」や「民営化」は、資本の利潤最優先という「新自由主義」路線に基づき国民生活を大きく破壊し始めているからにほかならない。その典型例として、小林製薬の機能性表示食品原料「紅麹」が人命にかかわる大きな社会問題となって国民生活を不安に陥れている。
保険機能食品だけが安全性や機能性審査が届け出制へ規制緩和
3月28日の朝日新聞記事「(いちからわかる!)機能性表示食品、トクホとの違いは?」を読むと、本来食品には健康に及ぼす機能性(効果)を表示できないことになっている中で、例外的に保健機能食品という食品群だけが、機能性の表示を認められているとのことだ。その機能性表示食品に認められるためには、販売前に安全性と機能性に関する情報といった消費者庁のガイドラインに定められた事項を、企業が消費者庁に届け出るだけで審査はないとのこと。
安倍政権の成長戦略で認められた規制緩和、命や健康が危うい
こうした制度は、安倍政権の時代に経済成長戦略の一環として2015年からスタートしている。特定保健用食品(トクホ)の方は、同じ保健機能食品の一つだが、1991年に始まり一つずつ国が安全性や機能性の科学的根拠を審査し許可するわけで、機能性表示食品はトクホに比して大きく規制緩和された扱いとなっている。まさに、資本側の利潤第一主義に立脚した新自由主義政策で国民の健康が大きく破壊されて来たこと、アベノミクスの本質がこの問題に良く表れていると言えないだろうか。こうした食品(サプリメント)は、テレビのコマーシャルなどで大きく宣伝され、国民の間に広く浸透しているわけで、「紅麹」関連食品だけでなく同じように安全性や機能性の科学的根拠が審査されていない機能性表示食品の、全面的な再検査が必要になっているのではないだろうか。既に22年では約7000近い食品が機能性表示食品として流通しているとのことだ。われわれの健康や命が危ういのだ。
新自由主義の流れ、73年チリのアジェンデ政権転覆から全面展開
こうした資本の利潤最優先の新自由主義路線が、先進国に蔓延し始めたのはイギリスのサッチャー首相の登場となった1980年頃からだが、なんとそれ以前の1973年9月11日、南米チリではピノチェト将軍による軍事クーデターによってアジェンデ政権が打倒されて以降、シカゴボーイズたちが南米の国々にシカゴ大学のミルトン・フリードマンの教えを広めていったことを『ショックドクトリン』(岩波現代文庫上・下で3月に再刊)でナオミ・クラインが明らかにしている。80年代ではなく、70年代初頭からそうした動きが強まってきていたわけで、日本においてもバブル崩壊以降の金融危機から始まる混乱状態の中で、小泉・竹中路線によって規制緩和や民営化が進められ、雇用における非正規労働者の全面的規制緩和が進められてきたのだ。本来、労働者一人ひとりは対資本側に対して構造的に弱い立場になっているわけで、そうした点の配慮を欠いた規制緩和の動きなども全面展開されていることを見失ってはなるまい。
日本の新自由主義への転換、本格的には小泉・竹中路線から、民主党への政権交代でも流れは続く
そうした流れがもたらす問題をしっかりと受け止め、政権交代で大転換させなければならなかったにもかかわらず、民主党政権時代には意識的かどうかは別として、規制緩和や民営化の流れを進めてきたのではなかったか、内心忸怩たる思いを禁じえない今日この頃ではある。民主党政権においてもポピュリズムに流されてしまったわけで、今からでも遅くはない、こうした新自由主義路線を大きく転換させていくために闘い続けていく必要がある。新自由主義路線に対抗できる政策は、フリードマン達が最も嫌悪していた北欧型の福祉国家を創り上げていく社会民主主義路線であり、税や社会保障・教育といった再分配政策を全面展開する道であることは言うまでもあるまい。残念ながら、今の政党の中で、こうした政策をしっかりと踏まえた政策を展開しているところは一つもなくなっている。それが日本の政治の現実であるところから出発する以外にないのだ。