2018年6月18日
独言居士の戯言(第51号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
華々しく演出された米朝首脳会談は、何が成果だったのだろうか
先週12日は、史上初の米朝首脳会談が開催され、朝から夕刻までシンガポールからの生中継がテレビを席巻した。確かに、トランプ大統領と金正恩委員長ががっちりと握手する光景は、半年前までは激しく罵り合っていた首脳であったとは到底信じられないわけで、世界が注目したのも肯ける。
では、どれだけの成果が得られたのか、特に焦点になっていた「核廃絶」は共同声明に掲げられたとはいえ、具体的な道筋は明記されることは無く、これまであった北朝鮮と米国間での合意から大きく前進するものではなかった。何が新しいかと言えば、直接両首脳が会談し署名する事だったわけで、評価できるのは、とりあえずは朝鮮半島における戦争という事態は回避された事だけだろう。60年以上前の朝鮮戦争の終結・平和条約の調印にまで至らなかったわけだが、米韓合同軍事演習(実は日本も事実上加わっている)を停止する事が話し合われたようで、これまでとは朝鮮半島情勢は大きく転換し始めていることは確かであろう。
ここまでトランプが動いた背景は良く解からないのだが、どうも前任のオバマ大統領をかなり意識しているように思えてならない。ノーベル平和賞を狙っているのではないか、という事を予想する向きもあるようだが、やはり中間選挙、さらには2年後の大統領再任を目指していることは確かであろう。
トランプ大統領は金正恩委員長と、日本からどんな経済援助の約束をしたのか、国会での真相解明を
日本にとって、これから対北朝鮮との関係では、拉致問題を前面にして日朝首脳会談が開催されるような動きが報道され始めている。拉致問題だけでなく、トランプ大統領から、「経済協力問題については、韓国と日本に用意させている」と米朝首脳会談後に発言していることが気になる。すでに、安倍総理はトランプ大統領との直接会談だけでなく、電話会談も含めて何度も話し合いを進めてきたわけで、この対北朝鮮「経済協力」問題がどのような中身で話し合われてきたのか、具体的に明確にすべきであろう。拉致問題解決の取引材料にしようとしているのか、あるいは日朝首脳会談実現に向けた切り札にしようとしているのか、いずれにせよ国民の負担に関わることであり、国会の場で国民に明確にすべき問題と言えよう。野党側も、しっかりと追及して欲しい。
朝日連載記事、財務省幹部の口述記録から消費増税の舞台裏を分析
今回もまた朝日新聞の連載した特集、[平成経済 第4部 老いる国、縮む社会3]「消費増税 官僚が語った舞台裏」に注目した。記者は引き続き大日向寛文記者である。今回は、平成という時代が国家財政の点からすれば、その収支バランスが崩れ続けて時代であったのは何故なのか、どうして財政再建は出来なかったのか、朝日新聞社が情報公開請求して手に入れた1982年~2001年分25人の財務省幹部が在任中の政策をふり返った「口述記録」を取り上げ、その真相に迫ろうとしている。その量、1,000頁超にわたる長文とのことだが、それを読み込み記事にまで仕立て上げた努力には敬意を表したい。
平成の始まりからではなく、最初は昭和の終わりの時代、時の総理は中曽根康弘氏の「大型間接税をやる考えはない」という発言が、一転して「売上税」5%の導入に転じた背景から始めている。私自身まだ国会議員ではなかったが、この事実には何故転じたのか疑問に思い続けてきたことでもあっただけに、興味深いものであった。
中曽根首相の口約束「選挙が終わったら上手くやる」、騙された財務省の幹部
当時、財政再建にむけて「90年度赤字国債発行ゼロ」を目標としていた財務省との間で、86年総選挙前に「税制論議は所得税などの大型減税だけにし、選挙後に新たな間接税の導入を進める」との密約を結んでいたようで、中曽根総理発言に驚き、怒り心頭に発していた大蔵省(当時)の責任者、吉野次官と水野主税局長が公邸に抗議をした場面から書き出している。
それに対して中曽根氏は「心配するな。選挙が終わったらうまくやるから。これは政治に任せろ」と発言したという。すべての問題の根源は、ここにあると見ていい。最終的には政治であり、その政治家を選出する選挙制度、最後は投票する国民に帰着するわけだ。
総選挙で自民党の大勝利となり、当時の大蔵省は87年2月、税率5%の「売上税」を法案として提出するも、与野党からまったく相手にされず廃案へ。懸案として、後任の竹下内閣に持ち込まれる。そこで、税率を5%にするか、3%でいくか最後までもめ、バブルの絶頂期だったこともあり、89年4月、まさに平成元年になって初めて、税率3%で消費税がスタートする。所得税等の減税額が消費税3%の増税額を2,6兆円も上回るという、経済成長頼みの消費税導入がその後の借金体質の定着を招いた要因と指摘している。当時は、まだ成長による所得税収の増大が続くと思っていたわけで、バブルの崩壊、金融危機とデフレ経済への突入、失業増大と成長の鈍化・停滞へと続くことを予想できなかったのが実態だっただろう。
小沢一郎氏の一貫しない消費税対応、平成国家財政危機の要因
国の財政にとって、こうした経済を引き上げるべく公共事業と所得税の減税が取られるのだが、単なる循環的な需要不足ではなく、産業構造の大転換や経済のグローバル化や少子・高齢社会への足音が迫る中での構造的な経済成長力の落ち込みであり、「減税・公共事業による景気回復」路線の破綻を示していたわけだ。この間、経済界だけでなくアメリカからの「ガイアツ」もあり、大型減税を余儀なくされるに至る。当時、「減税は必至、それに代わる措置を考えないといけない」と考えたのが斎藤次郎事務次官であり、細川政権の実力者小沢一郎新生党代表幹事と組んで勝負を仕掛けた「国民福祉税構想」に言及。結果的に細川総理の「腰だめ」発言によって一晩で挫折してしまうのだが、小沢一郎という政治家ほど平成の時代の財政・消費税を語る時に欠かせない人物はいないのではなかろうか。
この細川政権時代の国民福祉税、さらには自由党時代に小渕内閣との連立に加わり、消費税の年金・医療・介護の社会保障3経費に充当する「目的税」化を提唱、予算総則への記載を実現。自民から連立を離脱後、民主党代表になり、2007年参議院選挙後の福田政権下での自民党と「大連立政権」参加への意欲、その際の連立目的に消費税の引き上げ問題が浮上、党内合意が得られず失敗。一転して衆参ねじれ国会の下での自民党との対決路線へ、消費税増税することなく15,7兆円の財源を既定経費の合理化による捻出というマニフェストを策定、2009年8月政権交代実現へ。結果として民主党政権下、マニフェスト公約を実現するための財源不足が露呈、管・野田内閣の下での消費税の引き上げへ舵を切り、「三党合意」実現、小沢氏は民主党を離党・分裂させ、総選挙惨敗、自民党安倍政権復権へ。
故香川俊介氏の手書き文書、政治家が将来まで考え・決定し、選挙に勝てる仕組みとは???
ちょっと見ただけでも、この政治家の一貫性の無い一挙手・一投足に振り回されたのが平成の消費税問題での顛末だったことが分かる。それだけに、この記事の最後に触れておられる故香川俊介元財務次官が、97年に出向先の英王立国際問題研究所で書かれた手書きの文書に注目すべきだろう。
「『政治家は利益誘導的な判断しかできないから、官僚が政策決定しなければならない』という考え方あるが、誤りだ。政治家が将来まで考えた決定をし、なお選挙に勝てる仕組みにしなければならない」
ちなみに、故香川俊介元次官は、小沢一郎氏のブレーンの有力な一人とされ『日本改造計画』(1993年講談社刊)を書いたと言われているが、御厨教授は、すべて学者中心だったとも発言しており、手助けをしたのかもしれない。香川氏の口述記録があるのかどうか、あれば是非とも読んでみたかった一人と言えよう。
記者である大日向氏は、その仕組みはどうしたらできるのか、それを見つけなければならない事をのべて終えている。小選挙区比例代表併用制を導入したのも細川連立政権時代、議院内閣制の下で中選挙区制の弊害を変えるために大改正された選挙制度であるが、小選挙区が中心になった制度であることは間違いない。それだけに、公認権を掌握する自民党総裁(首相)の人事権が強大になり、解散・総選挙の時期を自由・勝手に決められる事もさることながら、野党側が分散してしまえば、与党側に有利な選挙結果をもたらすわけで、今の政治の在り方への根本的な疑問が存在する。その根本的な問題を解決していくための努力こそ、政治に求められていることへの警鐘・乱打が必要になっているのだと思う。
引き続いての大日向記者の健筆に期待したい。