2018年6月14日
独言居士の戯言(第50号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
G7首脳宣言に公然と反旗を翻すトランプ、どうなっているのか
カナダで開催されていたG7首脳会合は、会議が終了する前にトランプ大統領が北朝鮮の金正恩委員長との首脳会談出席に向けて出発し、まとまったはずのG7首脳宣言に対して、トランプ氏があからさまに不支持をツイートするなど、アメリカとその他の国との対立が鮮明になってしまった。特に、保護貿易主義に走るトランプ政権に対して、他の先進国は厳しく批判し続けたようで、トランプ氏は鉄鋼とアルミだけでなく、今後は自動車に対する関税も引き上げるブラフを掛けようとしている。他の先進国は、当然報復関税を打ち出すことは確実で、通商戦争が激化し始めている。もちろん、何処かでこの関税の引き上げ競争を終わらせなければならないわけで、既に交渉した韓国や中国などは、関税引き上げではなく数量規制に持ち込んだようだ。
トランプに追随する安倍総理、どんな難問が待ち受けているのか
またG7の場で、ロシアのG8への復帰をトランプが提起したようだが、ドイツなどEU諸国は時機尚早と言った声が強く、まとまらなかった。これらの問題について、安倍総理が強力なリーダーシップを取ったという情報は聞こえておらず、先週のプーチン大統領との首脳会談に引き続き、外交の場での存在感は実に影が薄いものだったと言えよう。特に、米朝首脳会談後にはアメリカからの貿易に関する攻勢が予想されるだけに、トランプ外交に翻弄され続ける安倍総理の姿が何故か哀れに見えてくるのは小生の思い過ごしであろうか。
10日付日本経済新聞の1面トップ記事に、「米、プルトニウム削減要求」「日本に核不拡散で懸念」とあり、日本に対する経済面だけでなく、様々な攻勢が強まろうとしている現実を直視すべき時なのだろう。まさに「日米関係波高し」なのだ。
人口減少社会にメスを入れた朝日新聞特集記事、
どうして「少子化対策」が進まなかったのか、より多角的・歴史的な分析を!
さて、先週から始まった朝日新聞連載の特集記事「平成経済 第4部老いる国 縮む社会」(その2)が、10日付で4面の大部分を使って報道されている。記者は、前回に引き続いて大日向寛文記者である。今回は、人口減の問題を取り上げ、「少子化」を何故食い止められなかったのかを中心に論じられている。
この中で印象的なのは、1989年の出生率が1.57となり1966年「丙午」の1.58を下回り、後に言われる「1.57ショック」を記録した時のことに触れている。後に内閣官房副長官を歴任される古川貞二郎厚生省児童家庭局長(当時)が危機感を抱き、海部首相の演説に「少子化対策」をねじ込んで検討を促したり、児童手当の増額や保育所増設など数値を入れた答申を出すなど、かなり努力されたことが記載されている。
少子化対策は、小手先の改革ではなく、戦後の高度成長時代を支えた社会の仕組みの大改革こそ?!
ただ多くの人の頭には、戦後ベビーブーマーの子供たちによる第3次出生ブームが到来するとの期待もあったようだ。ところが、バブル後の就職氷河期が到来してしまい、正社員になれなかつた多くの若者が家庭を持つ余裕を持てなくなったことで、出生率の回復ができなかった事を指摘している。もしも古川局長が指摘していたことを正しく受け止め、実践していたならば、もう少し事態は改善で来ていたのかもしれない。
だが少子化を克服して行くためには、戦後の高度成長時代につくられた様々な仕組みを大きく転換するとともに、社会保障に必要な財源をしっかりと確保すべきことが重要である。それは、単に厚生省の1局長の思い程度ではなく、内閣全体はもちろん国民各界各層の総力を挙げた大改革の必要性を強く認識し、不退転の決意で持って粘り強く実践して行くべき重要課題であったと言えないだろうか。
「日本型福祉社会」からの大転換が必要だったのではないか
とくに自民党政権は、1970年代末の大平総理が中心になって創り上げていた新しい時代に向けた政策構想の中で、家族(特に女性)や大企業に強く依存した「日本型福祉社会論」を打ち出し、それを現実に実践していた。高度成長時代には何とかそれで対応しきれていたのだが、80年代にグローバル化が進展し、産業構造の重化学工業から知識・情報産業化へと転換する中で、経済成長力が落ち込み、女性の高学歴化による社会進出など、新しい時代に転換するなかでの日本の福祉国家のありようが求められていた。
一方的な女性の犠牲や大企業に依存した福祉の行きづまりへ
一つは、企業に国に代わって従業員の福祉を引き受ける余力が乏しくなっていたし、女性の高学歴化と自立による専業主婦からの脱却が徐々に進み、子育てや介護労働からの脱却が進み始め、男尊女卑の流れに批判的な女性の自立が進み始めていたことを見失ってはならない。本来であれば、政府(与党だけでなく野党も)が前面に出て、福祉国家の道を歩む必要があったのだが、残念ながら、バブル崩壊後の金融・経済危機・デフレの深化への対応に追われ、アメリカ流の新自由主義が席巻しはじめ、小泉政権の下で大きな政府ではなく小さな政府を追求する時代へと転換し、社会保障財源の充実・強化は追いやられていった事実を見逃すことは出来ない。
この大日向記者の記事には、そのあたりについては要約的に指摘されているのだが、もう少し何故そうなったのか、誰がそのような改革を阻んだのか、与党内での動きはどうだったのか、対する野党はどのように考えていたのか、余り掘り下げていないように思えてならない。この点は、更なる調査・分析が求められるところだと思われる。次号以下に期待したい。
企業のリストラによる非正規の拡大・賃金水準低下は「合成の誤謬」で内需が落ち込み・デフレの深刻化へ
小生が記憶している限りでも、経済界のなかにもフジテレビの日枝久元会長などは、少子化問題は「静かなる有事」と発言され、問題の解決を強く訴えられていたことを思い出す。ただ、経済界全体が少子化対策に向けて、若者の雇用や賃金などを改革する動きは弱く、90年代の規制緩和のなかで非正規労働者の拡大や賃金水準の引き下げなど、個別企業にとっては合理的な判断だったとしても、全体としては経済を需要不足に落ち込ませ、結果として日本経済にとっても良い結果を生まず、「合成の誤謬」によってデフレが深刻化したことを見ておく必要がある。
日本の社会民主主義勢力の基盤たるべき企業別労働組合の弱さ、脆弱な社会民主主義政治勢力という現実
もっと厳しく批判されなければならないのは、労働界であろう。先進国では、福祉国家を推進する大きな役割を持っているのが労働組合であり、それを母体とする社会民主政党が政権を担当して福祉国家を作ってきた。最近ではその存在が弱くなってきているが、それでも第二次大戦後の高度成長時代に福祉国家を充実するべく政権を掌握し、社会保障を強化してきたわけだ。日本に於いては、残念ながら福祉国家を前面にした社会民主主義政党が十分に育つことが無く、今では「社会」と名前が付いた政党は、辛うじて社会民主党が存在しているが、国会での議席は衆参合わせて4議席程度の弱小政党でしかない。事実上「社会」は放擲されてしまったのだ。
労働組合も、企業別労働組合が主体となっており、政府に対する社会保障政策の要望はそれなりに求めてはいるものの、それに必要な財源については絶えず及び腰であった。かつて労働組合「連合」が支援してきた「民主党」が2009年に政権交代したのだが、事業仕分けや公共事業削減など、自民党以上に「新自由主義」に近い政党と見做されかねない体たらくでしかなかった。挙句の果てに、財源の甘い見通しが露呈し、公約していない消費税の引き上げを打ち出さざるを得ず、自民・公明との三党合意に持ち込むことで消費税10%を打ち出すことになる。しかし、余りにも政権運営のお粗末さで政権を失うどころか、民主党自体が崩壊してしまったことを見失ってはなるまい。今なお傷跡は深く国民の脳裏に刻み込まれている。
負担無き福祉先行型国家という現実、これでは持続可能性はない
結果として、大日向記者が阿藤誠国立社会保障・人口問題研究所名誉教授の言葉「負担をせずに予算だけを求めることに無理があるのではないか」を引用して、日本の子育て政策の財源不足問題について指摘している。ここは、子育て問題だけに留まらないわけで、なぜ国民が負担をしてでも社会保障の充実を求めないのか、その要因をしっかりと分析をしていくべき重大な論点と言えよう。
私見を言えば、戦後の高度成長時代に所得税中心の税収が大きく伸びる中で、政府が社会保障や教育など国民生活にとって不可欠な分野の政策に回すよりも、課税当局は租税負担率を20%以下にする「減税」政策に力を入れてきたことにあるのだと見ている。あのバブル崩壊後の経済政策の中心に、所得税の度重なる減税政策が取り上げられてきたわけで、今日の所得税が所得再分配機能を大きく低下させてしまった一つの要因がここにあり、貧富の格差の拡大をもたらしたわけである。なによりも、巨額の財政赤字累積を齎したことを見失ってはなるまい。
2012年8月、画期的な「社会保障・税一体改革」の三党合意へ
初めて子育て費用を消費税対象へ、それを台無しにした安倍政権
かくして、子育てに対する財源措置が本格的に用意されたのが、2012年8月の民主党と自民・公明三党による「社会保障・税一体改革」における消費税引き上げであり、初めて年金・医療・介護の高齢者三経費に次いで子育て費用にも消費税引き上げ分が充当される事になった。遅きに失したとはいえ、消費税の引き上げ対象経費になった意義は極めて大きい。だが、その消費税の引き上げが安倍政権の下で2回にわたって延期され、しかも使い道も何でもありになりつつあるだけに、これからの行方はなかなか見通しが立てにくくなっている。
それにしても、この朝日新聞の記事の中に出てくる英サセックス大学名誉教授ロナルド・スケルドン氏の3年前のセミナーでの言葉、「日本の無策は特殊で、回復不可能。政策決定者たちの近視眼的な対応が不思議だ」は、短いながら要領よく問題点を指摘している。「回復不可能」な下で何が残されているのか、日本に住むわれわれにとって、答えを見つける必要があることは間違いない。それは、あくまでも「よりましなもの」でしかないのだろう。