2020年10月19日
独言居士の戯言(第164号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
書評、浜田陽太郎著『「高齢ニッポン」をどう捉えるか』(勁草書房刊2020年9月刊)
朝日新聞記者で現在編集委員をされている浜田陽太郎さんから、『「高齢ニッポン」をどう捉えるか 予防医療・介護・福祉・年金』(勁草書房刊)を送っていただいた。浜田さんとは、議員時代の終わり、2007年の年金改革(改革というより記録?)問題で民主党が自民党を激しく追い詰めているころからのお付き合いだったと記憶する。社会保障に疎かった私にとって、亡くなられた今井澄・山本孝史両参議に誘われ、税制(財源)論議から入って年金問題に関心を移した時、卒業した大学が同じ一橋だったこともあり、親近感を持ちながら浜田さんの書かれる記事などに目を通していた。
新聞記者と介護福祉士による実践に裏打ちされた社会保障専門家
浜田さんと言えば、もちろん社会保障問題に精通され優れた専門家であることは間違いない。特に、記者生活を実践されながら「社会福祉士」の資格を取得、以降福祉の現場にも足を運んで自ら要介護者に対する支援(相手が要介護とは限らないようなので)活動も実践しておられるわけで、書かれた文章の背後にはそうした貴重な経験が裏打ちされている。特に、「介護」の仕事が低スキルで「医療」などより一級下にみられる風潮があることに対し、優れた介護士による介護を通じて人間としての胸襟を開かせ、人と人との血の通った交流へと高まることができることを指摘、医療と介護のつながりの持つ重要性に言及されている。介護活動を自ら実践されているからこそ、こうした主張には、我々外部の物には見えていない介護職の重要性を知ることができるわけだ。しかも、その評価が低く、低賃金の下で介護従事者の深刻な人手不足の現実が押し寄せていることを指摘する。機械が人手不足を完全に解決することはなく、深刻な問題として顕在化し始めていることを指摘。
問題指摘だけでなく、解決に向け必要な「複眼的な視野」の提起
もう一つこの著書を通じて、単なる問題点を鋭く追及するだけでなく、問題解決のために必要な視野をひらかせてくれる「複眼的な視野」の存在を気付かせてくれる。それは、「はじめに」の項の中で、社会保障において問題点を指摘し批判するだけでは、これから直面する超高齢社会を乗り切れるのか、社会の一人ひとりが「問題を自分事としてとらえ、解決に参加する」という回路をつくらないといけないのではないか、そうでなければ、自暴自棄と紙一重の根拠なき楽観が社会に広がり、政治のポピュリズム化が進む危険性を強調する。そうした現実に迷いや反省をこの書で提示することで、読者と信頼の回復をつなげたいと考えているからである。
読者と互いに高めあう社会保障報道で、高齢社会日本をそこそこ豊かで穏やかに暮らせるよう導きたい
その点は、さらに「終章 高齢ニッポンをどう捉えるか 社会保障のメディアリテラシ-」のなかの最後の言葉に純化されていると思う。
「健康で働けている人、病気になって休んでいる人、年を取って年金を受け取っている人、会社を経営し従業員の社会保険料を払っている人、これから就職し給料から社会保険料と税金を天引きされている人…私たちは様々な立場、そして人生のステージを生きている。年齢を重ねるとともにゆっくりと、あるいは予期せぬ病気やケガなどで突然に、ステージの背景は色合いを変えていく。
そのことへの想像力を持った読者に助けられ、メディアもまたそうした想像力を喚起するような報道をしていく。お互いに高め合うプロセスこそ、立場の違いによる意見の対立を亀裂にせず、これからの『高齢ニッポン』を、そこそこ豊かに穏やかに暮らせる社会へと導いてくれると私は思う」(261-262ページ)
経産省主導、予防医療による医療費削減の間違いを的確に批判
以下、第1章では先ほど指摘された介護の問題が、第2章では経産省主導の予防医療問題では決して医療費の削減にはならないことなど指摘、第3章で公的年金の重要性に言及する。予防医療では、私の生まれ故郷の呉市が出てくる。かつて40万人の人口を擁しただけに、大きな総合病院も多かったわけで、どのように医療費を抑制してきたのか、関係者の努力が進められたことが詳細に述べられている。そのなかで、予防が医療費の減額につながらないことは実証済みの様で、経産省主導の間違いに惑わされてはならないと警告する。
正直に告白、基礎年金全額税方式を支持した過去、私も同じ轍が
また、年金問題については、かつて民主党が基礎年金全額税方式への転換により「無年金者救済」方針を出したことがある。浜田さんも一度はそれに足を踏み入れた反省をされているが、何を隠そう小生も一時は魅力を感じていた一人である。浜田さんは年金の章で、わざわざ「民主党の『年金改革』から学んだこと」と1項を立てておられる。そこでは、結局「抜本改革が不可能であるということが理解されたこと」だと述べておられる。厚生年金導入から80年、国民年金から60年近く経つわけで、一から作り直すことなど到底不可能なことなのだ。
また、年金に関係する社会保険庁が残した教訓として、三層に分かれた人事の構造の下、年金制度改革の累積による末端職場の仕事が複雑化し、労働者には重労働となり国民に目の向いたサービス意識が弱かったことを指摘する。単に、社会保険庁の怠慢を攻めるだけでは解決できないわけで、これなども、先に述べた「複眼的な視野」が述べられている好例と言えよう。
社会保障のメディアリテラシー、自らの体験から3つの問題点指摘
最終章は社会保障のメディアリテラシ―を述べておられる。そこで自らの体験を通じた3つの問題点を挙げておられる。
一つは、長期的な問題への地道な政策報道が難しいことで、例えば「3党合意」で対立よりも、利害関係を調整し合意する政治が機能するプロセスの報道が少ない。
二つには制度政策の複雑さを扱いきれないことで、政治の現場での利害調整が複雑化し国民に痛みを伴う改革は先送りされていく。
三つには有権者を「観客」扱いしてしまうことで、複雑な政策課題の本質に分け入って将来世代のことを考える有権者は少なく、「劇場政治の観察」として動員する報道が優先される。
いずれの問題も、今後のメディアだけでなく、現代民主主義が抱える深刻な問題として考え続けていかなければならない問題ばかりであることを教えてくれている。
特に、第1章に登場する小西雅昭さんが自分は健康であるから社会保険料は無駄と思っていたことが、自らくも膜下出血でその必要性に目覚めたことや、退職者連合の川端事務局長が、自分たちを支えてくれている若者たちの年金水準を守ることの必要性を自覚されたことなど、優れた取り組みをしておられる方たちにも言及されている。
全ての関係者に、ぜひとも手に取って読んでいただきたい好著の発刊を心から喜びたい。
垂秀夫新中国大使ロングインタビュー、『週刊東洋経済』を読んで
9月に任命された新中国大使の垂秀夫氏のインタビー記事が、最新号の『週刊東洋経済』に4ページに亘って掲載されていた。優秀な外交官(中国が最も恐れる男と紹介されている)との評判だが、外交音痴の私にはその能力を評価する力はないものの、インタビュー記事から察するに、絶えず複眼的な視野で物事を理解しようとされているようだ。また、歴史的な事実をきちんと押さえたうえで、両国関係の在り方を見る視野の確かさに安定感を感ずるのは小生だけではあるまい。今後の日中関係が米中対立という極めて困難な国際環境の下で進むことは間違いないわけで、それだけに優れた対中国認識の下で垂中国大使には大いに活躍してほしいことを切望したい。
知らなかった中国との近現代史、ペリー来航時の通訳は中国人羅森
歴史を多少ともかじった小生にとって、このインタビューの中で、1854年にアメリカのペリーが二度目の来航した際、中国から羅森という中国人の通訳を伴っており、この羅森(日本語は一切できなかったという)が見事な漢文に英語を翻訳したことで、漢文の出来る日本の役人が理解できたというくだりには、恥ずかしながら初めて知ることができた。当時の日本人の国際的な交渉事にはオランダ語が多かったとみられているが、まさか、英語から中国語(広東語)を通じて日本語へ転換されたことについて、われわれ日本人にとって、おそらくこの辺りの事情を知っている人はほとんどいないと思われる。日中米三カ国のこれからのきちんとした国際関係構築に向け、じつに心に残る出来事としてわれわれ日本人(特に政治家)にもっと知られてよい歴史的な事実ではないだろうか。
誰もきちんと言わない中国辛亥革命における日本人の果たした役割
もちろん、垂大使は中国側に対しても、中国が近代化の始まりをつくった辛亥革命において、日本人として死を賭して参加した宮崎滔天や頭山満だけでなく経済人として梅谷庄吉や政治家の犬養毅などの名前を挙げ、これらの日本人の活躍無くして辛亥革命は成功できなかったと日本の存在の大きさに言及しておられる。ところが、日本でも、また中国や台湾でもそのことを知っていながら大きな声では言わないとのことだ。最近中国で製作された孫文の映画では、そのあたりはカットされていることをフェアではないと批判する。
垂大使は、こうした近現代史の日中間の人間ドラマと同様に、自分自身もかかわっていきたいと述べておられる。そして、外交の世界では表の舞台だけではなく、水面下の裏部隊こそが本当に苦労がいるわけで、裏部隊のない外交は薄っぺらですよ、とまで述べておられる。
いずれにせよ、今後の日中関係を「戦略的互恵関係」を土台にどのように発展させることができるのか、中国を知り尽くす異能の外交官といわれる垂大使の活躍に大いに期待したいものだ。