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労福協 活動レポート

2025年6月9日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第382号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

昭和のスーパースター長嶋茂雄さんの思い出

長嶋茂雄さんが6月3日亡くなられた。享年89歳だったとのことだが、脳梗塞を患いグランドで見せた華麗な姿の晩年とはいかなかったが、ジャイアンツファンだけでなく、多くの国民から愛され続けたスーパースターだったと言えよう。野球ファンの一人として、心よりお悔やみ申し上げたい。

私が初めて長嶋さんのプレーを見たのは1958(昭和33年)年8月、ナイター設備を備えて前年7月に新装なった広島市民球場でのカープとの試合だったが、日焼けされることなく色白な姿を見て、その存在は他の選手と比べても異彩を放っていたことを思い出す。特に、三遊間のコンビを組んでいた広岡達郎さん(私の生まれた呉市の三津田高校から早稲田大学、そして巨人軍の名遊撃手)のいぶし銀のようなプレーに比して、華麗でダイナミックな守備ぶりに野球小僧を自負していた小生など、大いに心躍らされたことを記憶している。もちろん守備だけでなく、天才的とも称された打撃においてもその秀でた打力だけでなく、例え空振りしてもそのあっぱれな豪快さにファンを引き付ける何かがあり、昭和の大スターであったこと間違いない。時あたかも高度成長の時代、日本経済の発展と長嶋巨人のV9時代とがラップして、国民的なスポーツへと押し上げたことは特筆されるべきだろう。テレビジョンが皇太子ご成婚もあり国民の間に拡がったことも、その活躍ぶりを広めるのに大きかったと言えよう。

長嶋さんが最も剛速球投手と思ったのは尾崎行雄だったという話

その長嶋さんと、偶然にも飛行機の中で隣の席に座るというチャンスが訪れたのだ。巨人軍の監督から外れておられた1990年代後半だったのだが、札幌から羽田までの1時間半近く、野球を中心にいろいろと聞くことができたわけだ。その時に真っ先に尋ねたのが、「長嶋さんが対戦したピッチャーで一番『剛速球』だったのは誰ですか」だった。自分としては、最初に対戦した時4打席4三振を食らった国鉄スワローズの金田正一投手だと思っていたのだが、案に相違して「東映フライヤーズの尾崎投手」という答えが返ってきて、「金田さんではないのですか」と聞いたところ、「金ちゃんの球は速いけど軽くてね」との答えだった。神童と呼ばれた尾崎行雄投手は、投手生命は短かったが、野球ファンをうならせる快投を演じたことは記憶にしっかりと残っている。

尾崎投手はパリーグのピッチャーなので日本シリーズかあるいはオールスターでしか対戦していなかったわけだ。もし、スビードガンで計測したら150Kmはおろか160Kmを超すほどの快速球ではなかったかと想像するが、最近ではスピードよりもボールの回転数の方が重要なのかもしれない。それを打ち返すバッターの力量が問われるわけだが、プロ野球では最近3割を記録するバッターが少なくなっている。それ以上に気になるのはバットがへし折られることが多くなっていることだ。それだけピッチャーの球の速さや回転数が多くなっているわけで、打者としてどう対処するのか難しい時代になっているようだ。時々、折れたバットが守備の妨げとなって内野安打になるなど、何とかしないと思うのはプロ野球関係者だけではあるまい。パリーグにせよセリーグにせよ、3割を超すバッターがほとんどいなくなりつつあることを見ても、「投高打低」になっていることが窺い知ることができる。


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