2020年10月26日
独言居士の戯言(第165号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
いよいよ始まる菅内閣初の国会、新立憲民主党の初陣でもある
いよいよ今日から菅内閣になって初めての国会が始まる。当初は衆議院の任期があと1年ということで、ご祝儀相場の勢いのあるうちに、解散・総選挙に打って出るのではないかと思われたのだが、どうやら解散は遠のき、あるかないかわからない東京オリンピック後の解散になるのではないか、等と予想されたりしている。もっとも、違憲とは思うが総理大臣が解散を何時でも自由に打てることになっている日本において、突然の解散・総選挙がいつ起きてもおかしくないわけで、これからの国会での論戦は、まさに次の総選挙に向けた前哨戦となるとみていいだろう。
国会論戦では、間違いなく学術会議委員の6名任命拒否に絡んだ学問の自由論議が繰り広げられていくことは間違いあるまい。どう見ても、1983年の中曽根総理の答弁と今回の6名任命拒否とは結び付かないわけで、なぜ6名の候補を任命しなかったのか、きちんとした回答が求められるのは当然だろう。ところが、菅総理の言葉は「総合的・俯瞰的に判断」とか「自分は名簿を見ていない」といった断片的な言葉だけでしかなく、国会での論戦を通じて明確にしていく必要がある。野党第1党である新「立憲民主党」としても、その初陣として格好の論戦材料が目の前に現れたわけで、思う存分戦いを繰り広げていくべきだろう。来週以降の本会議と総理出席の予算委員会の論戦に注目していきたい。
菅内閣、2050年までに地球温暖化ガス排出ゼロを打ち出すようだ
その菅総理が初めての所信表明する中身の一つに、地球温暖化ガスの排出を2050年までにゼロにするとの報道が出ている。小泉環境大臣が官邸で菅総理と協議したことも報道されていたわけで、いよいよ内閣として本気になって取り組み始めることを予想させてくれる。もっとも、2050年と言えば、これから30年後のことであり、世界の動きからすれば遅すぎるのではないかと思わなくもない。ただ、地球環境問題を菅内閣の実現すべきターゲットにしたことは重要なことであり、今後の具体的な政策の展開には注目していきたい。とりわけ、温暖化ガスの太宗を占めるCO2排出削減に向けて、カーボン・プライシングが重要であり、排出権取引や環境税がどう進められていくのか、カギになるのだろう。はたして経済界の圧力を跳ね返してどのような政策が展開されていくのか、一つの試金石であることは間違いない。
カール・マルクスがエコロジストだったという斎藤幸平准教授
こうした地球環境問題が世界的に大きな論点になっているなかで、カール・マルクスが晩年において環境問題についての研究を深め、エコロジスト・マルクス論を展開している経済学者が出てきている。斎藤幸平大阪市立大学准教授であり、初めての単著として『大洪水の前に』(日本語版は2019年堀之内出版)は、ドイツ語で書かれたもので、2018年日本人として初めてかつ史上最年少でドイッチャー記念賞を受賞している。また、最新の著書として『人新世の「資本論」』(集英社新書)を今年9月に発刊し、すでに2刷りされかなり良く読まれているようだ。何を隠そう、私自身も早速購入してとりあえず読み終えたところである。何よりも、マルクスがエコロジストであったという評価には、にわかには信じられなかった。生産力の発展と生産関係の矛盾による階級闘争が歴史を切り開き、原始共産主義から始まり共産主義に至る唯物史観を展開していたわけで、それらの問題をどう整理しているのか、大変気になっていた。
『資本論』第1巻刊行からマルクス死去までの16年、なぜ第2巻、第3巻はエンゲルスが編集・刊行したのか
斎藤幸平准教授は、MEGAと呼ばれる最新のマルクス・エンゲルスの全集が発刊されたことを機に、細かい研究ノートまで分け入って読みこなし、『資本論』第1巻が発刊された1867年から亡くなる1883年までのマルクスの思想の転換を論述している。このあたりの詳細な研究は、先ほどの『大洪水の前に』が詳しく述べられているとのことだ。残念ながら、私も未だこの著作を読了できていない。ただ、『資本論』第1巻が出されたのに第2巻、第3巻はマルクスの亡くなった後エンゲルスの努力によって発刊されたわけで、何故16年間という年月がありながら自らの手によって完成しなかったのか、今にして思えばその間のマルクスの考え方の転換があり、その頭の整理ができないまま亡くなったことも十分に考えられる。なにせ、MEGAは100巻にも及ぶ膨大なもので、昔の『マルクス・エンゲルス全集』などは、それから見れば著作集でしかないとのことだ。私自身も1980年代に入って刊行されたMEGAを購入し始めたのだが、なにせドイツ語に弱いこともあり、結果的には最初の10巻程度の購入でストップしてしまった。斎藤准教授によれば、特に、資本論第1巻刊行後の研究ノート群を精読され、そこに地球環境問題に関するマルクスの膨大な研究成果が存在するという。この点は、是非とも『大洪水の前に』を早く読み込んでみたいと思う。
斎藤准教授『世界』11月号「ジェネレーション・レフト宣言」より
その斎藤准教授は最新号の月刊誌『世界』11月号で、「ジェネレーション・レフト宣言」という論文を寄稿されている。以下、この論文に即して斎藤准教授の考えを敷衍してみたい。この論文は、コロナ禍によって見えにくくなった気候変動問題をとりあげ、日本のリベラルが「反緊縮」議論に目を向けたため、リーマン危機以降世界で台頭しつつある「左派ポピュリズム」の持つ政治的可能性が見えなくなってしまっていることを批判する。左派ポピュリズムとしてギリシアのシリザ、スペインのポデモス、アメリカのサンダース、イギリスのコービンらを取り上げその多分野における戦いに注目。特に、アメリカやイギリスの若者たちが社会主義を支持していることに注目している。選挙における投票行動でも、若者が労働党や左派支持、中高年齢層と画然としたジェネレーション・ギャップが存在している。日本とは対称的な存在になっていることの背景には、リーマンショック以降のウォール街を占拠した直接行動に自信を持ち、「ジェネレーション・レフト」として新しい社会運動や政治運動を展開しつつあることを指摘している。
世界の若い世代の社会運動と日本のギャップ、成功体験の違い!?
日本では、「就職氷河期」世代だが、ソ連崩壊とバブル崩壊の二重の経験をしたものの、欧米諸国の若者のような社会的行動に立ち上がることなく、どうにもならない現実を前に無力化し保守化してしまったとみている。斎藤准教授は、ここで重要なこととして、必要なのは政治家や専門家によるリードを求めるのではなく、自らが社会運動を議会外の活動によって政治を動かしていくことだという。コロナ禍という「受動的出来事」を前に社会的、政治的可能性を提示することができなければ保守化してしまうわけで、そうならない前に「大きなビジョン」を描くことが不可欠だと述べている。具体的には、サンライズムーブメント、学校ストライキ、ブラック・ライヴス・マター、#MeTooなどの社会運動だし、若い世代(ミレニアル世代やZ世代と呼ぶ)にとっては気候変動問題が最大の関心事項だと指摘する。
環境危機のトリレンマ、「経済」「環境」「民主主義」をどう考えるか
ここで問題になってくるのが、グリーンニューディールやパリ協定などの地球温暖化対策では問題の根本的な解決にならないことを強調する。その際のキーコンセプトは「環境危機のトリレンマ」をどう理解するのか、という点にある。斎藤准教授の言う環境危機のトリレンマとは、「経済」「環境」「民主主義」の3つの内2つまで選択できるが、3つすべてはできないという考え方だそうだ。第2次世界大戦後の先進国の「資本主義」と「民主主義」のペアは「環境」を犠牲にしてきたが、これ以上「環境」を犠牲にすることは「資本主義」と「民主主義」のペアそのものを脅すことになる。つまり、「緑の経済成長論」は「グリーンニューディール」や「反緊縮」とも相性が良いが、これはトリレンマの解決にはならないと断言される。
この「環境危機のトリレンマ」をどのようにとらえるのか、環境対策をしっかりと展開していくことで調和できないのかどうか、斎藤准教授はできないと断言されている。おそらく、この点がこれからの環境問題解決に向けての大きな論争点になるものと思われるだけに、今後ともその是非について関心を持ち続けていきたい。
「『人新世』の時代の出来事」への挑戦状、「ジェネレーション・レフトによる反資本主義宣言」による環境危機の克服へ
最近の巨大台風や大水害の脅威に直面している日本もそうなのだが、100年に一度といわれるような異常気象が毎年のように全世界で続く気候危機の時代を生き延びていかなければならないわけで、それこそが「人類の経済活動が地球全体を覆ってしまった『人新世』の時代の出来事に他ならない」(31ページ)とみている。
そして「Z世代」のリーダーたるグレタ・トーンベリーさん中心に、コロナ後の世界に向けて、世界中の若者たちが共同執筆した気候危機についての公開書簡から次の文章を引用している。
「わたしたちは存亡のかかった危機に直面している。この危機の解決策は、買ったり、建設したり、投資したりすることで手に入るものでない。気候変動対策の財源を確保するために、気候危機を必ずや促進してしまう経済システムを『回復』させようとするのは、端的に言って、馬鹿げている。私たちの現在のシステムは『壊れている』のではない。現在のシステムは、まさにそれがすべきこと、自らに課されたことを実行しているにすぎない。だから、もはや『修理』することなどできない。必要なのは、新しいシステムなのだ」(31~32ページ)
この宣言こそが「ジェネレーション・レフトによる反資本主義宣言」なのだと斎藤准教授は強調され、今すぐにでも左派・リベラルは「新しいシステム」を構築すべきだと述べておられる。その中身については、環境を犠牲にした経済成長、国債発行による財政赤字の増大といった世代間の対立を深めるような解決策ではなく、〈コモン〉の拡張や、ベーシック・サービス、生産手段の社会的所有のように、万人が恩恵を受ける普遍的ビジョンを追求しなくてはならない、と提起されている。そのビジョンを打ち出し、多様な社会運動を盛り上げることが、人新世の環境危機を「能動的出来事」に転換するための唯一の道だと結論付けている。
それ以外にも、C40運動と呼ばれる「都市気候リーダーシップグループ」の興味深い取り組みなどにも言及され、世界の気候変動に対する運動の広がりに言及されていて、日本における運動と対比した時、その遅れを痛感させてくれる。こんごとも、深刻な問題として考え続けていく必要性を感じた次第である。
(注)ここで出てくる「人新世」(Authropocene)という言葉は、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン氏が名付けたもので、人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、地質学的にみて、地球は新たな年代に突入したという意味とのことで「ひと・しんせい」と読む。