2021年1月6日
独言居士の戯言(第174号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
21世紀の資本主義はどうなるのか、今年も考えていきたい
2021年が始まった。今年は新型コロナウイルスの感染がどう展開していくのか、という広い意味でグローバル化のもたらした災厄の行方が気になるわけだが、私自身の関心はやはりグローバル化した経済の行方に注目し続けていきたい。まさに、21世紀の資本主義はどうなっていくのか、実に重要な局面に遭遇していると思う。今年もまたよろしくお付き合い願いたい。
コロナ禍の下での格差拡大と株価の上昇、どう見たらよいのか
昨年末の大納会の株価は、日経平均29.444円で取引を終え、31年ぶりの高値を記録したとのことだ。31年前はバブルの頂点で38.915円という最高値を記録したわけで、それに次ぐ年末における高さだ。世界経済が新型コロナの猛威の前に苦境に陥っており、とりわけ雇用にしわ寄せが及んでいることを考えたとき、この株価の高騰が異常でありバブル化しているのではないか、と考えるのは当たり前だと思う。ゼロ金利の下で金融緩和を継続している日米欧の中央銀行の金融政策とコロナ禍の下での需要の落ち込みを回避すべく巨額の赤字国債発行による財政支出拡大もあり、株式市場を始めとする資産価格だけは活況を呈しているのだろう。
株価の上昇による「濡れ手に粟」、何もしない責任は重大だ
こうした政府の政策による株価上昇の恩典に浴する人たちに対する「濡れ手に粟」的な利益に対して、税制上20%の分離課税の優遇措置に手が加えられないことには腹立たしささえ感ずるのだが、自民党税調だけでなく野党側からも、また政府税調からも反応がないのは何故なのだろうか、貧富の格差が拡大しているだけに敏感に対応してしかるべき点ではないだろうか。
もっとも、最近の株式市場では自社株買いのウエイトが大きくなっていて、株式市場が本来の資金調達の場としての機能は大きく低下しているという指摘もあり、資本主義経済は今後どうなっていくのか、なかなか見通しがつきにくくなっていることも間違いない。これからも停滞し続ける資本主義経済がどうなっていくのか、引き続き注目していくことにしたい。
大きすぎてつぶせない巨大テック企業GAFA、どうするのか
そうした中で、GAFAと呼ばれる巨大テック企業の存在が極めて大きくなっており、GAFA4社の時価総額だけで日本のGDP総額に迫りつつあるとのことだ。巨大化することによって、かつてのリーマンショック時の金融機関と同様その弊害が様々な分野で露呈し始めている。大きすぎてつぶせない、という言葉が再び頭をよぎり始めてくる。
フィナンシャルタイムズ紙、ファルーファーコラムニストに注目
少し旧聞に属してしまったが、日本経済新聞12月18日に掲載されたフィナンシャルタイムズ紙のラナ・ファルーファーグローバル・ビジネス・コラムニストの書いた「フェイスブック提訴の意味」を興味深く読んだ。その中で、昨年12月9日にアメリカ48州・地域の司法長官らと連邦取引委員会(FTC)がFB(フェイスブックの略、以下同じ)を反トラスト法(独占禁止法)違反の疑いで提訴されたことの鋭い分析が書かれている。その内容について少しくどくなるが、紙面に即して紹介したい。
連邦政府らは、FBが2014年に買収した対話アプリ「ワッツアップ」と12年に買収した画像共有アプリ「インスタグラム」によって、同社がSNS(交流サイト)市場で支配的地位を築く助けになったとして買収した2社の売却を要求した。一度許可した買収なのに今になって何故だ、とFBは批判しているようだが、フォルーハー女史は今回のFB提訴を、規制当局が見方を大きく変えつつあることと指摘し、実に大きく重大なことと評価している。つまり2012年や14年当時、規制当局は巨大テック企業の事業モデルをほとんど理解できていなかったのだ、と。当初は無料でネット検索ができ、友達ともつながることができると消費者としては素直に喜んでいたが、実際には行動科学の専門家が導入した精巧なアルゴリズムにより、利用者をプラットフォーマーが宣伝したいコンテンツや製品に誘導するだけでなく、利用者の行動や嗜好、通信内容は監視され、それらの情報は最も高い値段を付けた第三者に売られていたという事実を指摘する。
われわれは消費者ではなく、情報という無料商品の提供者だ
私自身FBはほとんど活用していなかったが、グーグルなどは検索機能を活用しているし、アマゾンで本をはじめ日用雑貨などの注文もかなり頻繁に利用してきた。そうした利用実績は記録として累積され、さまざまな情報として活用されていることは、自分のパソコンなどに自分が必要としているだろうと思われる広告が突如として表れることを見ても明らかだろう。そうしたターゲット化された宣伝や情報履歴の累積が、実に重要な資源として企業家の間で商品として取引され活用されていることがわかる。
アメリカ連邦取引委員会(FTC)の独禁法基準解釈の重大な変更へ
2012年や14年ごろ、規制当局は買収後の新しい企業複合体がサービスや機器を問わずあらゆる場面から収集したデータを統合し、それを梃子にとてつもない力を持つようになるとは見ていなかっただけでなく、デジタル世界のバーター取引の本質を十分に理解していなかったことを強く批判する。つまり、利用者はサービスを利用した対価を「個人データ」という新たな通貨で出払い、それをその後企業がどのように使うのかまったく知らされないのだ。今回のFTCの提訴は、デジタル市場は「勝者総取り」の世界だとようやく理解し始めたのだと述べている。
FTCのFB提訴は「新自由主義時代後の初の独禁法訴訟」とみる
さらに、「違法な独占」の定義を拡大する方針を訴状の中で明確にしている。すなわち、消費者の幸福は物価の低下だとする新自由主義的な発想を超えて、利用者の「時代や関心、個人データ」が統合され不公正に販売されている事態を問題視している。ファルーファー女史は、昨年10月におなじくGAFAのグーグルも反トラスト法で訴えたが、今回のFBの方がはるかに広範な対象を含んでおり、「新自由主義時代後の初の独禁法訴訟」とみて注目すべきだとしている。もし、当局側が勝訴すれば、他社のアプリと互換性を持たせ、データ共有も命ずる可能性を指摘し、他社を差別していないか監視する機関の設立を求めたり、規制当局が監視機関を設立しデータ使用に厳しい規制を導入するかもしれないとまで言及している。アメリカはかつてスタンダード石油やATTを独占禁止法により大胆に分割させた凄い歴史を持っており、その判断がどうなるのか、全世界が注目していることは間違いない。
日本のメガテック企業への対応は、かなり遅れているのではないか
GAFAのような世界的なテック企業は日本には存在していないが、日本市場には深く広く参入しているわけで、このFB対する訴訟の行方については注目していく必要がある。既に、EUにおいても、12月15日テック系企業が欧州でビジネスを行うためにの厳格なルールを定めた法案を発表した。デジタルサービス法(DSA)とデジタルマーケット法(DMA)で、20年振りの改正だという。法案の審議はこれからで、いくら早くても2022年からになるとみられているが、アメリカとEUの目がテック企業に対する厳しい姿勢が注目される。特にEUでは、デジタル課税といった方策も各国ごとに実施すら検討され始めている。むしろ、日本政府の対応が遅れているとしか思えない。
ファルーファー著『邪悪に堕ちたGAFA』(日経BP社2020年刊)は、実に興味深い1冊、一読を進めたい
このコラムを書いたファルーファー女史は『邪悪に堕ちたGAFA』という著書を日経BP社から昨年7月に翻訳出版している。そのなかで、GAFAを中心としたビッグテックの中で何が行われているのか、そして巨大化した企業が私たちの生活のあらゆる領域にまで影響を及ぼしているだけでなく、国家をも、民主主義をも危機に陥れる危険性を指摘している。私などが一番注目させられたのは、政治やときには行政・研究に対する巨額の資金提供を通じて様々な規制をはねのけていく実態であり、民主主義一般ではなく資本主義的民主主義にドップリと浸かった巨大テック企業の姿である。もっとも、それに対しては2010年の最高裁による「シティズンズユナイテッド」判決によって、無制限の企業献金を認めたことの問題もあるわけで、資本主義社会における政治と金の在り方が厳しく問われているのは日本も同様だ。
かつてのリーマンショック直前の金融機関と同様、放置すれば資本主義そのものの存在すら危うくする危険性にも言及し、その解決方策も提示している。是非とも一読をお勧めしたい。