2021年2月15日
独言居士の戯言(第180号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
寒さ厳しい2月も半ば過ぎ、コロナ禍の下、突然の東北地方を襲った大きな地震に、なぜまた東北なのか、という思いが募る。不幸中の幸いというべきか、津波が発生しなかったようだが、被害にあわれた皆様方には心からお見舞い申し上げたい。
森オリンピック・パラリンピック会長辞任騒動にみる日本社会の恥
それにしても、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長辞任騒動には、あきれ返ってしまった。当初、問題となった発言は撤退するが会長は辞めないと言っていたのに、国内外からの女性蔑視発言批判が高まり、辞任に追い込まれたわけだ(この間のIOCの公式発言のブレにも驚かされた、背後にアメリカテレビ会社の圧力があったのか)。その辞任の記者会見を聞いても、また12日の組織委員会冒頭の辞任発言を聞いても、おそらく指摘された問題点について、自分としては何も問題ではなく、本来は辞職などするつもりがなかったのだが、さまざまの圧力に押されて辞任を迫られたという言い分だったのだろう。ジャーナリズムに嵌められた、という趣旨氏の発言も出ていたと記憶する。
問題は、森氏が辞任の意思を固めてから後任に川渕三郎元Jリーグチェアマンを口説き落とし(二人は涙ながらに話し合ったとのことだ)、自分は相談役として残ろうとしたようで、そういうプロセス自身、何も問題がわかっていないことを露呈している。つまり、今までの組織運営のやり方を踏襲し、自分は不本意ながら辞任するけど、その後継にはあらかじめ根回しをして密室で禅譲しながら決めていく、というものだ。
森会長の後任人事選び、誰が、いつ、どんな権限を付与されたのか
何の権限があってこのような作業に着手されたのか、さすがに、これではまずいと思ったのだろう、官邸筋(菅総理?)から川渕氏への内定人事を白紙にして(メッセンジャーは武藤事務総長で財務省OB)、もう一度新しく選出しなおす方針が出されたわけで、選考委員会を設置して今週中にも選考するようだ。でも、これって「政治の介入」ではないのか、オリンピック憲章違反という声が上がっている。何から何まで歯車が狂い始めているようだ。
それにしても、森元会長はどんな「根回し」をしたのだろうか。自ら辞任を決意した後、菅総理に後任人事について相談したようだが、総理からは女性や若い人という話があったと森氏に述べたとのことだが、自分の意中の川渕氏を貫き通したと一連のメディア報道からはうかがわれる。
菅政権、コロナとオリンピックの行方が政権を左右する大問題では
東京オリンピック・パラリンピックがどうなるのか、コロナ問題とともに政権の行方を左右しかねない大問題であるだけに、川渕氏がノミネートされあたかも後任会長として内定したかのような発言まで繰り出した後に、急遽変更させたプロセスは危機管理のガバナンスとしてはお粗末だと言えよう。すくなくとも、森元会長がなぜ国内はもとより世界各国から批判が出ていることをしっかりと受け止め、リーダーとしてリスク管理すべきだったのではないか。明らかにタイミング的には遅きに失している。
森元総理や菅総理、二階幹事長らは「前時代感覚」の周遅れランナー
菅総理と言い、二階幹事長と言い森元総理とほぼ同世代に属する人たちであり、戦後の高度成長時代の性的分業による生き方・働き方が当たり前だった時代の「感覚」が、DNAにしっかりと埋め込まれているのだろう。今、日本においても、若い世代から深く静かに広がりつつあるライフスタイルの転換に追いつけてないのが、誰の目にも明らかになりつつあると思う。どんな世界でも、世代交代の必要性が明らかになりつつあり、今回の一件もその典型的な事例を示しているようだ。
これからどんな選出劇が演出されていくのか、選考委員長は元経団連会長の御手洗富士夫氏になり、アスリート中心に選考委員が選定されるのだろう。この委員長もどんな考え方をお持ちなのか不明だが、1935年生まれの85歳、森元会長や川渕三郎氏も83歳と84歳、80代トリオが中心になって仕切ってきた組織委員会内指導層の実態が、これほど赤裸々に内外に明確になった事はない。2020年の世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指数が、世界153カ国中121位と前年よりもさらに低下していることを、高齢社会とともに見事に示したものと言えよう。
長男の総務省接待問題、ますます世論の支持を失う菅総理
世界から注目されたオリンピック・パラリンピックの開催に向けた組織委員会のお粗末な動きが露呈したなかで、衆議院の予算委員会はNHKTVの放映はないものの連日開催されている。焦点は菅総理の長男の総務省幹部官僚の接待問題に移っており、新聞報道でしか知りえないのだが、相当な頻度での接待が供されたようだ。菅総務大臣の時代の秘書官で、現職の官房長官から総理大臣という「天下人の御長男」となれば断り切れなかったのだろう。菅総理は、この問題に相当神経を使っているとのことだ。さらに国民の期待が強いワクチン接種問題も、先進国では一番遅れての接種開始だし、注射器の関係で当初予定の5分の1が使えないなど、準備不足が露呈し始めている。
菅内閣不支持率が4割越え、政党支持率では公明支持減が目立つ
こうした中で、時事通信社が4~7日にかけて実施した2月の世論調査の結果が公表された。内閣支持率は34.8%、不支持率は42.8%で支持率は0.6%の微増だが、不支持率は3.1%増え始めて40%の大台を突破し2か月連続で不支持が支持を上回っている。その他、ワクチン接種への期待が82.9%と強く、新規感染者数の減少が続く中での新型コロナ対応は、「評価する」が27.8%と前回より9.3ポイント上昇はしているが、「評価しない」は51.2%と過半数を超えたままである。
政党支持率であるが、自民党が25.5%と前回23.7%より1.8%増え、前回公明党よりも低かった立憲民主党は3.8%と0.7%上昇しているにすぎないのだが、公明党が2.4%と前回の3.9%から1.5%と大きく下落したため、辛うじて第2位となっている。自民党と公明党の与党議員が、緊急事態宣言下でありながら銀座のクラブで夜遅くまで飲食した中で、自民党とは違って公明党支持者の厳しさが、こうした支持率にも反映しているのだろうか。
内閣支持率から政党支持率を引くと、またプラス9.3%と内閣支持率が上回っているが、この数値がマイナスになれば総理大臣の交替にまで直結すると言われているだけに、菅総理としては崖っぷちが迫ってきている心境だろう。
感染症対策で機能しない官僚人事権による菅政治、飯尾教授の指摘
こうした菅内閣の現状にたいして、政策研究大学院大学飯尾潤教授が2月13日の日本経済新聞の「今を読み解く」欄で、「自民党平成以降の歩み検証 官邸主導の弊害克服が課題」と題して菅内閣について次のように述べておられる。
「現在の菅義偉政権の苦境も、官僚頼みの政権運営が関係している。人事権を使って官僚を統制することで政権を動かしてきた菅首相の政治手法が、新型コロナ感染症対策では機能していない。政治的にみれば、この政権が政党の力を使わず、指導者が国民に訴えかける力も持たないことに大きな問題がある。官僚が作る政策の直接的効果だけでは、感染症対策は終息させられない。
人々の行動を変えるには、政治的メッセージと納得感が必要である。指導者のアピールが足らなければ、代わりに自民党の政治家が手分けして人々の意見を聞き、説得しなければならない。政策を、昔は官僚に、最近は首相や官邸に任せ、利害関係があれば介入するが、日頃(ひごろ)は選挙の準備に余念がないという自民党の在り方もまた問われているのである。自民党の底力が問われる局面である」
果たして自民党が、規制緩和によって伝統的な地域社会の中小商店といった保守的地盤を失った中で、どんな日常活動ができているのかもう少し知りたいところではある。
そういえば、自民党を実質的に取り仕切っている二階幹事長だが、今週17日になれば御年82歳とのことだ。ロバートキャンベル氏のテレビ発言だが、二階幹事長の鼻だしマスクに「マスクも、世論からも、かなりズレている」とは言いえて妙である。
野党の出番だが、立憲民主党枝野代表のユーチューブを見た感想
こうした時こそ、野党、すなわち対抗政党の出番なのだと思う。その野党は、どう政局を転換させようとしているのだろうか。
立憲民主党の枝野代表が、株式会社笑下村塾の設立者でお笑い芸人たかまつななさんと「たかまつななチャンネル」というユーチューブがあり、30分ばかりの対談の動画配信を見る機会があった。1月27日付で、「今はちょっと支持できないです」「枝野さんに正直な疑問をぶつけてみた」と題し、2009年の政権交代の失敗と、その後の政治的ポジション取りについて語っている。以下、気になった点を取り上げてみたい。
最初の「2009年政権交代」について、枝野代表は次のように問題を指摘する。
「僕は2009年の民主党の政権交代の失敗を中心のすぐ隣で見ていました。あの時は期待値が高くて政権を取ったから失敗したんです。それに応えようと無理をして結果的に失敗して期待を裏切ることになったんです」「あの時、期待をあおった我々が一番悪いんです。日本は議会制民主主義、議院内閣制ですから全てのことを一気に変えられないんです。国会で法律を通さないといけないわけです」
民主党政権の中枢にいた自覚は?「衆参ねじれ」への備えはあるのか
ここで気になるのは、枝野代表は民主党政権時代には「失敗を中心のすぐ隣で見ていた」のではなく、中心そのものだったのではないかと思うのだが、その自覚はこの発言を見る限り無い。菅直人総理の下で官房長官だったわけで、まさに中枢中の中枢なのだ。また、議会では一気に変えられないと指摘されたのだが、菅直人内閣は2010年の参議院選で敗北し、仙谷官房長官が参議院で問責決議で枝野氏に交代となったのは、「衆参のねじれ」という、日本が抱える一番の統治構造の問題点である「解散権の及ばない強すぎる参議院」の存在をどうするのか、一度お聞きしたい気がする。今年の衆議院選挙で多数を取ったとしても、参議院は2022年2025年の2回に及ぶ連続した勝利によって過半数を獲得しなければならないわけで、憲法改正にまで関わる難問なのだ。
「安心と安定」に向け「ベーシックサービス」は良い、では財源は
続く「信頼を取り戻すためには安心と安定が大事」の項で
「政権交代したあと期待に応えられなかったという反省が強ければ強いほど何かをしなければいけない、何とかして国民の皆さんの意識を変えなきゃいけないと、いろいろなことをやろうとしすぎたんです。目新しいことや奇をてらったことにどんどん走って、ますます信頼を失っていった5年間でした。その行きついた先が希望の党騒動だと思っています。僕は、途中からもっと地に足をつけてやりましょうと言ってきた。信頼されるためには、安心と安定が大事なんです」
信頼されるためには「安心と安定が大事」なのはよく理解できるのだが、では、何を変えようとしているのか、という問いには「ベーシックサービスを受け入れられる社会へ」もっていきたいと述べ、その財源問題には「キャッシュを配っているところをある程度は抑制できると思います」と述べ、国民の負担を求めるとは述べていない。「ベーシックサービス」とは医療や介護、教育といった国民誰しもが受けられる行政サービスを安価(できれば無料)に受けられることを言い、全国民に一律の現金給付するベーシックインカムではなく現物サービスであることに特徴がある。
ベーシックサービス実現には、リベラルでなければ無理ではないか
最後の「保守とかリベラルとか関係ない」の項では、
「国民はそんなことを思っていない」「左右は一部だけ」「結局、人に対する信頼です」とのべておられる。
しかし、「ベーシックサービス」を実現するということはリベラルの立場ではないのだろうか。社会保障や教育といった国民が等しく受けられるべき権利を充実させていくことは、福祉国家の道であり、保守の側の「小さい政府」の主張ではないと思うのだが、どうなのだろうか。もっとも、その財源を現金給付している分を削減して生み出すだけでは到底無理であり、やはり国民の負担を求めることが必要になる。民主党政権の失敗も、財源の問題が大きかったことを忘れてはなるまい。なんとも危うい考え方が気になって仕方がない。
次の総選挙、「格差問題」が大きな争点に、しっかりとした政策を
「笑下村塾」というあまりポピュラーでない媒体での記事を取り上げて評価することも気が引けるのだが、もう少し「しっかりした理念(社会民主主義)」に立脚し、「格差社会を変えていける夢と希望」を感じさせるものであってほしいと同時に、民主党政権の反省の上に立った「財源の裏打ちのある持続可能性」ある政策を進めて欲しいと思うばかりである。今年の総選挙はチャンスであり、野党のとりまとめとともに、きちんとした政策作りにも力を注いでもらいたいものだ。