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労福協 活動レポート

2021年6月28日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第199号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

大荒れの東芝株主総会、日本企業のコーポレートガバナンス問題

注目された東芝の株主総会は、予想された通り大荒れの展開となり、永山治取締役会議長と監査委員会委員だった小林信行社外取締役は選任に至らず、選任されたジョージ・オルコット氏も選任後に社外取締役を辞任している。当初予定していた13名の取締役候補の内、結果として8名しか残らず、一番その要となるべき取締役会議長には綱川智社長兼COEが暫定的に就任した。早急に後任の人選に入るとのことだが難航が予想され、東芝は文字通り苦難の道を歩み始めたと言えよう。今後東芝がどうなるのか、その存続も含めて日本の企業統治にもたらす深刻な影響に目を向けていくべき時なのかもしれない。

物言う株主の選定した弁護士の「調査報告書」、バイアスは無いのか

ここに至る過程において、東芝が不正会計問題に端を発し、子会社であったアメリカの原発会社が抱えた赤字によって上場廃止という経営危機に陥った際、6000億円の株式公募にアクティビストを含めた海外勢も含む株主参加によって、その経営の在り方が大きく左右されるに至ったのだ。筆頭株主に躍り出ていた旧村上ファンドの流れをくむエフィッシモの要請で開催された今年3月の臨時株主総会では、株主側の選定した3人の弁護士による昨年の株主総会の調査が決められ、東芝側と経産省による株主の権利を抑制しようとしたという趣旨の報告書が提出されるに至って、25日の株主総会となったわけだ。

この結果についてのマスコミの論調は、27日の朝日新聞「天声人語」にみられるように、物言う株主の側に正義があり、東芝や背後にいる経産省の側の圧力をかけたことに問題があるという立場が多く主張されていたように思う。ただ、前号で指摘したように、物言う株主の側が選定した弁護士の調査というバイアスとともに、その調査方法のあまりにも強権的な姿勢にその恐ろしさを感じてしまうのだが、何も指摘されることがない。果たしてそれでよいのだろうか。

今回の東芝問題で、会社法専門家からのコメントがないメディア

私自身は、早稲田大学の上村達男名誉教授が4月24日付の日経ビジネスのインタビュー記事で述べておられることを紹介させていただいたように、支配株主であればなんでも通ってしまう今の日本企業における株式至上主義には到底立つことはできないし、日本の株式市場において物言う株主が、「獲物を虎視眈々と狙うハゲタカ」のような実態に、ほとんど有効な対抗策がない実態に問題を強く感じている者の一人である。会社法の専門家の方達の今回の東芝の問題についてのコメントがあまり取り上げられていないことに、日本のマスコミ各紙の論調に危機感を持たざるを得ないわけで、今一度、日本におけるコーポレートガバナンスの在りかたについての深い検証が必要となっているように思えてならない。

もっとも、今回の東芝問題における通産省のやり方や、東芝経営陣のすべてを容認するものではないことは言うまでもないこうなった責任について、しっかりと問題の所在を究明していくべきことは言うまでもない。だが、事の本質にはきちんと対峙していく必要があるわけで、今回もそうした点について明確にしておきたい。

岩村充早稲田大学名誉教授の東芝問題関連の分析に注目した

実は、同じ早稲田大学名誉教授で金融論の専門家である岩村充氏が、6月24日付の『東洋経済オンライン』で「東芝問題、新聞が報じない経済産業省の本当の罪」<自ら推進した「株主主権主義」の罠にはまった>を読み、大いに意を強くすることができた。岩村氏は、今回の物言う株主たちを持ち上げている一般紙などの報道に対して、別の観点からの問題を提起されている。この岩村論文には、実に巧妙なエフィッシモの作戦と同時に、ハーバード・マネージメント・カンパニーという世界的な大学のファンドが、どうしてどうして経産省の圧力に不服を唱えなかったのか、といった点など興味深い指摘など論点満載である。

経産省が進めてきたコーポレートガバナンス・コードによって追及されたのが経産省だったという岩村教授の指摘

だが、何といっても圧巻なのは、経産省(金融庁も)が積極的に進めてきた東京証券取引所による「コーボレートガバナンス・コード」策定によって、企業統治における株主主権の強化が打ち出され、そのコードによって今回の通産省の「介入」が厳しく論断されたという事実の指摘である。まさに自縄自縛に陥ったのが経済産業省だったというわけだ。

この「コーポレートガバナンス・コード」策定の基になったのが「伊藤レポート」と呼ばれる「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」であり、経産省が中心になってまとめたものである。ちなみに「伊藤レポート」とは一橋大学の伊藤邦雄教授(当時)をキャップとして経産省内に設置された研究会の報告で、2014年に最終報告が出されている。岩村教授は、この「伊藤レポート」提起している株式主権強化論に対して真っ向から批判されている。

「株主主権主義」を強制規範としてコーポレートガバナンス・コードに取り込んだ経産省・金融庁・東証の責任は大きい

それ以上に私がその通りだと思ったのが、岩村論文で一番強調したい点として、「株主主権主義」は人々に豊かさをもたらさないという指摘である。つまり、株式会社は人権をもって生まれた「人」ではないわけで、株式会社に自由な意思決定を認めるのは、そうすることが経済を発展させ人々の豊かな暮らしと命と自由を守ることにつながる限りにおいてでしかない、と言い切っておられる。ところが、コーポレートガバナンス・コードとして企業行動に対する強制的な規範として株主主権主義が機能するよう取り込まれてしまったわけで、どうしてここまでの権限を与えてきたのか、と経産省だけでなく、金融庁・東京証券取引所に対しても厳しく論難されている。

企業支配における株主の立場の強化は、貧富の格差を拡大させ、日本経済の足を引っ張ることへ

ちなみに岩村教授は同じ東洋経済オンライン4月5日付の「誤ったESGの議論は格差を拡大し成長を損なう」という論文の中で、経済学の基本定理というべき『コースの定理』を使って「株主ガバナンスの強化論は間違いである」ことを論証されている。それは次のような指摘に要約されている。「企業経営が社会全体にとって最適な選択をするかどうかには関係なく、企業支配における株主の立場を強化することは、富める者をより富ませ、貧しいものをより貧しくさせる効果がある」わけで、富裕層の消費性向が低く貧困層の消費性向は高いので、貧富の格差拡大は公正さや社会的正義の問題だけでなく、マクロ経済的には総需要の伸び悩みを通じて国民経済成長の足を引っ張ることにもなるわけで、株式ガバナンス強化論は長期的には日本を貧しくしかねないと指摘されている。けだし、その通りであろう。

従業員に軸足を置いた経営こそが、グローバル化の下で求められる時代

岩村教授は、従業員に軸足を置いた高度成長時代の日本的経営や、旧西ドイツの共同決定法の下での従業員の同意が求められていた時には、企業の発展で輝いていたのが、国際資本移動自由化の下で株主優遇を競い合うという「底辺への競争」を強いられ、株主以外のステークホルダー、とりわけ従業員たちとの合意を重視しなくなってその輝きを失ったとみておられる。その分析に全面的に賛成であり、どうしたら従業員や株主以外のステークホルダーへの還元が可能になるのか、岩村教授は資本の自由化の下では一国だけ「共同決定法」を導入では対応できないとみて、取締役の構成を変え環境問題や社会の持続可能性に特化した取締役設置を一つの案として提唱されている。

ラドリック教授の『世界経済のトリレンマ』か、新自由主義なのか

考えなければならないことは、グローバル化した世界の金融主導の資本主義において、ダニ・ロドリック氏の提唱した『世界経済のトリレンマ』ではないかと思えてならない。①グローバル化(国際経済統合)②国家主権(国家の自立)③民主主義(個人の自由)という3点を同時に達成できないという主張であるが、日本のコーポレートガバナンスは②国家主権(国家の自立)が脅かされたり,③民主主義(個人の自由)の経済的基盤が掘り崩されようとしていても、それを防ぐ対抗力を失いつつあるのだ。もっとも、トリレンマというよりも新自由主義路線がコーポレートガバナンスにまで及んだとみるべきなのかもしれない。ただ、アメリカといえども、こうした物言う株主の攻撃に対して、企業側の対抗措置を備えているわけで、民主主義国家としての日本の会社法制のお粗末さに早く気が付いて、対抗策を作り上げていくべき時ではないかと思えてならない。


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