2021年8月9日
独言居士の戯言(第205号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
「円」の価値が1970年代前半にまで落ち込んだことの意味を問う
1か月近く前の『週刊東洋経済』(7月24日号)コラム「マネー潮流」の記事が気になっていた。テーマは「70年代まで後退した日本人の購買力」、書かれたのは元日銀マンで現モルガンスタンレー銀行市場調査部長の佐々木融氏だ。それは、外国為替市場での「円安」問題を指摘されており、いまや日本の「円」の実質価値は、変動相場制へ移行した70年代初頭の水準近傍にまで落ち込んでいるとのことだ。その円安の流れは、特にアベノミクス以降今日まで継続し続けている。佐々木氏はその要因として、為替相場が「日本の物価が他国と比べて上昇していないことに対応していない」からだ、と指摘する。00年以降約20年間で見て、日本の消費者物価指数は僅か2.6%しか上昇していないのに、アメリカは54%、ユーロ圏は40%、英国も51%と大きく上昇しているわけで、本来はその差額分だけ円の相対的価値が高くなっていなければならない。だが、実際には円の相対的価値は下がっているわけだ。
日本人(特に経済界や政治家に多い)には「円安」こそが望ましいものという「神話」に近い感覚があるが、本当にそうだろうか。モノづくりよりも、サービスが大きなウエイトを占める時代になった事の意味をしっかりと噛みしめるべき時ではないだろうか。今起きている円安は、それだけ日本の経済的地位の低下を意味しているのだと思う。
「円安」、日本の国民が買いたい魅力あるものが減退している現実
そこで佐々木氏は「なぜ実際の為替相場は実質的な円の価値の上昇を反映しなくなったのだろうか」と更なる問題を提起される。
結論として「円で買える資産に魅力がなくなっている…。外国人よりもむしろ日本人がそう感じているからではないか」と述べ、日本人は「もっとも価値がある資産は円だと考えているからだろう。だから通貨価値は上昇=物価は下がる」とのべ、アベノミクス以降日本企業は国内投資に向かわず対外直接投資が急増、その結果円安になっても日本の貿易黒字が以前ほど増えなくなり、日本企業の海外現地法人は内部留保を40兆円以上も積み上げ、割安な円を調整するメカニズムが働かなくなっているとみておられる。と同時に、労働者の実質平均年収も過去20年で見ても、30年で見てもほとんど変化していない冷厳な事実に言及。もちろん、他の先進国は15~45%程度増加しているわけだ。
円安持続は「近隣窮乏化政策」ならぬ「自国窮乏化政策」を齎す
このコラムを思い出したのは、8月6日付日本経済新聞のオピニオン欄の「エコノミスト360°視点」に「インフレか スタグフレーションか」と題して岩田一政日本経済センター理事長が、コロナ禍の下での最新の世界経済の動きに触れ、日本以外の先進国は景気過熱とインフレが問題視されていたが一段落し、日本は原油価格の上昇や円安持続で目標だった2%に達したものの、それを喜ぶ声は少なく、スタグフレーションではないかと指摘。岩田氏は、日本の一人当たり労働生産性は19年、韓国、トルコにも追い抜かれ、1990年代半ば以降実質賃金は海外への所得流出を主因として横ばいで推移し、ただでさえ低い労働生産性の伸びを下回っている事に言及。岩田氏も佐々木氏同様、円の実質実効レートでは1970年代半ばの水準となっていることを指摘し、所得の海外流出は足元で国内総生産(GDP)比2~3%になるとみる。岩田氏の次の指摘はなかなか強烈である。
「他国の犠牲の上に自国の経済状態を改善することを『近隣窮乏化政策』という。海外への所得流出が円安のもたらす輸出拡大効果を上回れば、日本は金融拡大政策の下で、意図せずして近隣窮乏化ならぬ『自国窮乏化政策』を実行することになる」
二人の論者が共通しているのは、アベノミクス以降「円安」が続くことによるマイナスとともに、日本の労働者の賃金水準が停滞(微減)し続けているという事実であり、人口が減少しつつある日本で総需要をどのように拡大させていけるのか、所得の分配や再分配の強化による内需の拡大を強化していくべきことを示していないだろうか。そのうえで、企業人のイノベーションへの努力が期待されるべきだろう。
「円安」持続は、日本経済の「老大国」化を象徴しているのでは?!
それにしても、日本が進めてきた財政・金融政策による円安の持続が齎した冷厳な事実は、もはや日本の経済的なポジションは「先進国」とは到底言えず、衰退国家への道をひたすら歩み続ける「老大国」でしかない現実ではなかろうか。「円」の相対的な価値が継続して低下していることはその象徴的な出来事と言えないだろうか。さらに、日本の対内直接投資(FDI)の対GDP比で、世界196カ国中196位と最下位に落ち込み、北朝鮮よりも低くなっているという衝撃的な数値に対して改めて驚く(リチャード・カッツ「日本は『北朝鮮より下の196位』というやばい実態」『東洋経済オンライン』8月2日)。どうしたらこの国を立て直していけるのか、今からでも遅くはない、真剣に考えていくべき時に来ているように思えてならない。
「マジックマネー」時代は本当に持続可能なのか、アメリカ『フォーリンアフェアーズ』誌のマラピー論文を読む
最新の『フォーリンアフェアーズ』8月号が届き、パラパラとページをめくっていたら、『マジックマネーの時代は続く―われわれが信頼するFRB』という論文に目がとまった。書いたのはセバスチャン・マラピー氏という米外交問題評議会シニアフェロー(国際経済担当)の方である。マラピー氏がどんな経歴の方なのか全く知らないのだが、1年前の同じ雑誌の7月号で「『マジックマネー』の時代―終わりなき歳出で経済崩壊を阻止できるのか」を書かれており、両方の論文は相関連しているようだ。というのも、最近のアメリカ経済の中で、FRBお気に入りのインフレ指標「個人消費支出(PCE)」のコアデフレーターが3.4%も上昇したことを受け、マラピー氏が「マジックマネー」と1年前に述べた歳出拡大政策が、インフレが進む中でこれからどうなっていくのか、論点を整理している。
結論から言えば、今回のインフレよって「マジックマネーの時代」が一瞬の出来事だったとは見ておらず、インフレこそがパンデミックに伴う供給サイドの一時的なボトルネックによる一瞬の出来事であるか、もし一時的なものではないインフレであったとしても、FRBが強力な対応を取ることによってパンデミックに痛め続けられた経済を救済するし、次の危機に直面したら「魔術師は再びマジックマネーのタクトを振る」と楽観的である。
40年近いFRB歴代総裁への「政治からの独立」への信頼の存在??
こうした楽観的な判断の背後には1970年代後半のFRBのかじ取り役だったポルカー・グリーンスパン・バーナンキ歴代総裁に対する信頼があるからだと述べておられる。もちろん、バーナンキの後のイエレン総裁は現在の財務長官であり、インフレを封じ込めることの重要性の認識を共有しているし、それを怠る時、直ちに市場からの警告も存在するとみておられる。
インフレファイターとしてのポルカー氏への評価は是認したとしても、リーマンショックを引き起こした責任者グリーンスパン氏やバーナンキ氏への評価は同列で評価することはいかがなものだろうか。アメリカのドルが、世界の基軸通貨であるという特権を持っている事が大きかったことも、これまでの危機を何とか耐えてきたことの背後にあったことも間違いない。発展途上国の経済においては、先進諸国に翻弄されている生々しい実態にも言及されていて、好対照である。
日本のバブル後の金融危機やデフレの経験も重要だったのでは!!!???
それとともに、あまり自慢の出来ることではない日本の経験が大きな影響を与えたことについて、もう少し謙虚になる必要があるのではないだろうか。かつて、日本が1990年代にバブルが崩壊した後の金融危機やデフレの罠に直面した際、当時のアメリカの関係者からは「上から目線」でいろいろと「提言」をしてくれたわけだが、ほとんど見るべき提言は少なく、今ではその日本が苦労しながら辿り着いた量的緩和・ゼロ金利と財政支出拡大という政策を、こっそりと剽窃して「マジックマネーの時代」と述べているに過ぎないのではないだろうか。別の言葉でいえば「高圧経済」とも言われているようだ。
マラピー氏は1年前の論文の中で日本について次のように言及している。
「非常に大きな公的債務を抱えながらも、低インフレが続き、大きな権限を持つ中央銀行を持つ日本のケースは『多くの人が考える以上に、資金を借り入れて経済に注入できること』を示している」
そして、アメリカはリーマンショックに続くパンデミックによる経済的な危機に際して、FEDはウォールストリートだけでなくメインストリート(中小企業)への最後の貸し手としての機能を果たしつつあると述べているが、これもすでに日銀による国債だけでなくETFやREITの購入まで買い入れる政策の実質的な後追いでしかない。
FRBも日銀も、「『大きな政府(?)』支えるスーパー官庁」化を是認できるのか、政治からの独立性と矛盾しないか
ここまで進めたアメリカのFEDに対する評価について、
「その権限と活動を拡大するにつれて、政治から独立した、狭い領域の活動に徹するテクニカルな組織というFEDの伝統的なイメージは変化しつつある。『救済に値する企業』と『放置して追い込まれる企業』の判断を回避するために、メインストリームの融資には、これまでかかわってこなかった。このような人の妬みを買うような決定は、社会的優先事項を設定する責務を持つ、民主的に選ばれた政治家に任せるのが最善だった。しかし、金融政策のプロと予算政治間の古い境界線は今や曖昧化し、FEDは『大きな政府を支えるスーパー省庁』と化している」(2020年7月号論文20ページ)とまで述べておられるのだが、そうしたFEDに対する好意的な評価になっているのが気になる。マラピー氏は、FEDが政府から独立して金融政策についての判断を下してきた歴史に言及され、その独立性が失われない限り最大の危機であるインフレを阻止できるし、その信頼があるがゆえにマジックマネーの時代が訪れているのだと述べている。
インフレは本当になくなったのか、インフレ率を上回る成長率は持続可能なのか
論文の最後では、「世界の人々は、中央銀行が非常に多くの紙幣を擦り増しても、インフレがそのお金の価値を破壊することはないと信頼している。うまくいくとは信じがたいかもしれないが、それでもうまく行っている」(23ページ)と述べ、インフレが起きなくなっている事への理論的な確信というよりも、先進国では2%というインフレ目標すらなかなか達成できなくなっている現実に依拠しているのだろう。なぜインフレが起きなくなっているのか、さらにピケティが『21世紀の資本』で明らかにしたr>g、すなわち金利の方が成長率を上回った過去の歴史から、なぜ21世紀に入ってr