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労福協 活動レポート

2022年12月19日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第272号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

狂乱インフレ下の「経済整合性論」をどう考えたらよいのかの再考

先週の『271号』で、【1日遅れの『世界』新年号を読んで】と題して、濱口桂一郎JILPT所長の書かれた「日本の賃金が上がらないのは『美徳の不幸』ゆえか?」という論文についての短い論評を書いたところ、浜口所長のブログ「hamachanブログEU労働法政策雑記帳」(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/)で「峰崎直樹さんが『世界』の拙論にコメント」という紹介記事が取り上げられていた。濱口所長のブログでの掲載は初めての事であり、あまり十分な内容でなかっただけに少々驚いてしまった。そこで、今回は半世紀近い前に起きた狂乱インフレ時における賃金闘争について振り返ってみたい。

『世界』濱口論文、生産性の誤解など重要な指摘もあり必読だ

偶々『世界』とともに『文芸春秋』新年号でも、日銀OBで東京財団政策研究所の主席研究員早川英男さんが書かれた「賃上げを阻む『97年労使密約』」との対比で、濱口所長が指摘しておられる半世紀以上前の「狂乱インフレ」の時代に、当時の春闘における「前年実績プラスα」という賃金闘争が難しくなりかけた時、鉄鋼労連の宮田義二委員長が進めた「経済整合性論」を取り上げられたものである。両方の論文を読んで、濱口所長の論文の方が事実関係の論証が正確になされており、『97年労使密約』説も理解できないわけではないが、濱口説の方が納得できるというものだった。それ以上に、この濱口論文には「生産性」という言葉の持つ意味など、その後の労働運動の抱えた問題点(第2第3の『美徳の不幸』)への重要な指摘もあり、是非とも多くの方達に読んでほしい論文であることをこの機会に指摘しておきたい。

狂乱インフレを鎮静化させた「経済整合性論」の持つ歴史的意義

さて、宮田委員長の提案した「経済整合性論」である。当時の状況は、ニクソンショックと田中角栄の日本列島改造論でインフレが加速していたところへ第4次中東戦争が勃発、73年には卸売物価が33%、消費者物価は24%上昇したことを受け、74年春闘では32.9%もの大幅賃上げを勝ち取ったのだ。問題は75春闘に向けて、「前年実績プラスα」という賃上げパターンを否定する「経済整合性論」を打ち出してきた宮田義二委員長の提起に、自身が議長を兼務されていた金属労協(IMFJC)の4単産と同盟なども同調して、75春闘は13.1%の引き上げにとどまり、以降、賃金物価スパイラルによる悪性インフレに陥ることなく物価の沈静化に成功し、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称賛される経済パーフォーマンスを勝ち取ることとなったわけである。

濱口所長、「経済整合性論」は経済学的には正しく『美徳』だが!

濱口所長は、この『経済整合性論』については「政府の要求に応じて渋々ではなく、自発的に賃上げを自粛するというこの行動様式は、経済学的には正しいものであった」(91頁)と高く評価されたものの、「その後の日本の労働組合をインフレからマクロ経済を守る守護神という位置づけに縛り付けてしまった」わけで、個別企業労使での「自粛」ではなく、日本国全体のマクロ経済のために労働者が自らの利害を超えて行動したことを、濱口所長は『美徳』以外の何物でもなかったと評価されている。

労働組合の崇高な行動に付け込んだ経営側の「生産性基準原理」、組合側は無意識に「成功体験」の束縛へ

だが、経営側はそれに付け込んで「生産性基準原理」という賃金抑制のロジックを振りかざし始め、「政労関係における労働組合の崇高な行動が、労使関係における労働組合の弱みに転化する『美徳の不幸』の第一幕であり、1990年代以降デフレが最大のマクロ経済問題となっていた時代においても日本の労働組合は恐らく無意識的にこの石油危機の時の「成功体験」に縛られ続けているのではないだろうか、と見ておられるのだ。

宮田委員長の知恵袋、千葉利雄調査部長はどんな見解だったか

さて、この『経済整合性論』について、宮田義二委員長の知恵袋として活躍されていた千葉利雄調査部長(当時の肩書 以下千葉さんと略称)が、後にこの経済整合性論についてどのように語っておられるのか、著書である『戦後賃金運動―奇跡と展望』(日本労働研究機構1998年刊)から見ておきたい。

千葉さんの書かれたこの本の中で、そのものずばり「経済整合性論」という項目で書かれているのが「第2部 賃金政策と労使関係」の「Ⅰ鉄鋼労連の賃金政策と私の仕事人生」の最後に出てくる。ここで、千葉さんは先ほど指摘した通り1973年の秋から始まったオイルショックによる狂乱インフレにおいて、インフレ切り捨て最優先で出発したことを述べておられ、74春闘での33%にも達する賃上げを実現したことにより「前年プラスα」ができなくなったという深刻な認識で宮田委員長と一致し、75年春闘以降「経済整合性論」による戦いを展開していったことを詳述されている。その認識においては、濱口所長が述べておられることと同じ認識であり、マクロ経済との関係で論理を組み立てられている。

「経済整合性論」と対になる「日本的社会契約論」を提起したのだが

それよりも注目したのが「経済整合性論」の持つ問題点に触れられている点である。千葉さんは「経済整合性論」が単なる賃上げ自粛論ではなく、その時々の経済状況に即して最も望ましい賃金決定を追及するものなのだと76年春闘以降の戦いの中で鉄鋼労連がパターンセッターとしてその戦略を実践していくわけだが、なかなか全体としての理解が十分になされなかったと述懐されている。

そこで、労働組合が国全体の事を考えて自ら犠牲を払って行動しようというのだから決して組合側からの一方的な良識発揮に終わらせてはならない、という観点から「国や産業・企業側は組合に敬意を表しつつ、物価の抑制や不況対策の強化、雇用の安定や年金・財形制度の充実などに最大限の努力を払って、労働側の犠牲発揮に報いなければならない。そういうことを私たちは同時並行的に主張して、これを『日本的社会契約論』となづけた」(432頁)のだが、労働組合以外の他のセクターは何ら対応することなく「日本的社会契約論」の方は不発に終わったとのことだ。

千葉利雄さんの「経済整合性論」総括、経済危機の対応で通常時には「積極的な分配闘争へ」

かくして、千葉利雄さんの「経済整合性論」についての総括は1988年12月の時点で次のように述べられている。

「『経済整合性論』の精神と志は間違っていないのだが、この理論は運動論的には、かなり問題を持つ場合があります。労働組合のパワーは根源的には、生活向上、あるいは成長成果の公正な分配を求めてアグレッシブに自己主張することに源泉がありますから、『経済整合性論』を単なる自制論と取り違えてそれを惰性的に長きにわたって続けると、大衆運動的な意味で労働組合の根源的なパワーが弱まり存立基盤が危うくなります。運動論的な見地からすると、『経済整合性論』は、やはりきわめて例外的なもの、つまり危機管理的な手段と位置づけるべきで、まともな経済状態になってきたら、労働組合は機を失せず本来の積極的な分配闘争に立ちもどって、主体性を強めて行動していかないと、運動の生命力が弱くなっていくと痛感しています。これが私の『経済整合性論』についての総括です」(434頁)

時代は「労働力稀少社会」、政府も応援する有利な戦いをめざせ

今の時点で振り返った時、「経済整合性論」という運動論が、結局のところ日本の賃金闘争のバブル崩壊以降の経済の落ち込みや停滞というトレンドの中で、例外どころか常態化してしまったところに日本の労働組合の交渉力低下に陥ってしまったと言えないだろうか。その際、1997年の金融恐慌に陥りかねない経済危機の下で、大企業労使の間の賃金闘争どころか「雇用維持」にむけての「労使の密約」が展開されてきたことも十分にあり得たであろう。日本経済を再び前に進めていくためには労働者の賃金闘争だけでなく、千葉さんが構想されていた『日本的社会契約』に基づいた社会保障や教育の充実に向けた戦いと合わせて、「労働力稀少社会」という有利な条件を生かして労働組合が再び戦線を構築し、戦闘力を発揮して欲しいと思う。


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