2022年12月26日
独言居士の戯言(第273号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
書評、権丈善一・権丈英子共著『もっと気になる社会保障 歴史を踏まえ未来を創る政策論』(勁草書房2022年9月刊)
【実にタイムリーな社会保障政策が論じられている】
権丈善一慶応義塾大学教授(以下権丈先生と略す)からこの新著を10月初旬に贈っていただき、直ちに一読して書評をと思ったが、内容が重厚・多岐にわたり力不足で思うように筆が進まず年末に至ってしまった。
12月16日に全世代型社会保障構築会議は報告書をまとめており、今後も継続して検討していく項目それぞれの方向性が示されている。今回の会議では、子育てでは財源、医療介護ではかかりつけ医機能の整備、そして年金・雇用では勤労者皆保険制度が柱として議論されていた。この現在進行形の課題の全てについて、『もっと気になる社会保障』は論じている。というよりも、これらの政策案は、権丈先生が長年提言してきた政策そのものである。本書の作成に取りかかれたのが昨年の夏前ということだから、この1年の政治の動きが、偶然、この本を政策論議の真ん中に位置付けることになったのであろう。
これまでの権丈先生との出会いと若干の経過について
権丈先生との出会いは、年金改革論議が盛んな頃で、民主党として年金問題の勉強会を2005年に開催、その時、今は亡き山本孝史さんが講師として呼んだのが権丈先生だった。先生が民主党の学習会に出席されたのは、テレビへの出演と同じくこれが初めてで最後ではないかと思っていた。そうすると、今年の2月に立憲民主党の政務調査会が、「子育て支援連帯基金」の話を聞くために読んだという話を耳にした。時代の変化を感じたものである。
2005年の勉強会であった後、先生から「勿凝学問」というブログだけでなく、『年金改革と積極的社会保障政策』(再分配政策の政治経済学Ⅱ)という単行本を送っていただき、私自身が徐々に権丈理論のとりこになる。確か、この本は第1版では権丈善一著となっていたが、第2版から権丈英子様との共著となったわけで、今回の『もっと気になる社会保障』が初めてのご夫妻による共著ではなく2冊目ということになるだろうか。
その後、「再分配政策の政治経済学」シリーズの第1巻『日本社会保障と医療』(2001年刊)、から2015年の同日出版、第Ⅵ巻『医療介護の一体改革と財政』、第Ⅶ巻『年金、民主主義、経済学』と続いた後で、2016年から『ちょっと気になる社会保障』『ちょっと気になる医療と介護』『ちょっと気になる政策思想』『ちょっと気になる「働き方」の話』(権丈英子著)と続いてきた。そして今回は新しく『もっと気になる社会保障』が『ちょっと気になるシリーズ』を引き継いで出版されたというわけだ。
21世紀に彗星のごとく登場され、瞬く間に日本の社会保障論の押しも押されぬオピニオンリーダーの地位に就かれたわけで、この間のご活躍には驚嘆以外の何物でもない。
今日では、さすがに間違った年金制度理解は表舞台から姿を消し、2020年の年金制度改革では与野党共同の修正案が全会派一致、それを除く政府案は共産党を除いて賛成するまでに至っている。こうなるに至った一つの背景に、多くの社会保障に精通したマスコミ関係者が権丈先生たちから正しい理解を学んでいたことがあり、ポピュリストたちの間違った理論を受け付けない環境ができ上っていたことも指摘したい。
もちろん、政府の社会保障関係の審議会や社会保障国民会議をはじめとする官邸の会議にも参加され、政策のとりまとめにおいても自らの正しいと信ずる政策を堂々と展開されていることは、これまでの議事録、そして様々な著書や論文などを読めば明らかであろう。
2016年に『ちょっと気になる社会保障』を出されたことにより、ファイナンシャルプランナーや社会保険労務士、多芸多才な経済コラムニスト、ジャーナリスト、エッセイストなどにまで拡がり、ついにはユーチューバーたちにまで届いたようで、権丈先生の社会保障政策についての正しい理解が一回りも二回りも広がっていった。
年金・医療・介護・子育て・雇用・DXと多岐にわたっている論点
さて前置きが長すぎてしまったが、本題である今回の著書について触れていくことにしたい。
全体は、年金(1~4章)、医療と介護(5~9章)、労働(10~11章)、税の理解(第12章)、政策論としての社会保障(13~15章)、未来に向けた社会保障(16~18章)、に分かれ、それに「はじめに」と「おわりに」と共に各章にまたがる「知識補給」が続いている。この「知識補給」欄は、『ちょっと気になるシリーズ』以降つけられたもので、本文と併せて読むことによって理解が広がり大変貴重である。また、「はじめに」では、「そして勤労者皆保険の話」と副題がつけられており、この本で一番述べたいことが集約されているし、「おわりに」では残念ながら紙数の関係で講演録「福沢先生ウェーランド経済書記念講演会」が外された経緯と、今進められている「全世代型社会保障構築会議」での権丈先生の経済政策の在り方に関する重要な発言などが記載されていて見逃すことができない。
年金ではかなり正しい理解が進んだものの、依然として解決すべき課題として「厚生年金の適用拡大」「被保険者期間の延長」「マクロ経済スライドのフル適用」などが残されているし、医療提供体制面でも「かかりつけ医機能が発揮できる制度整備」はもちろん、地域包括ケアが介護から医療まで拡大し、地域医療連携推進法人まで生まれるところまで来ているが、なお、超高齢化と人口減少社会に対応できる地域全体で治し支える医療制度の構築を進めなければならない。医療は一時期、2013年社会保障制度改革国民会議図示した改革とは異なった、予防で医療費を抑制しようというようなポピュリズム医療改革の方向へ行きかけたものが、ようやく王道としての医療供給体制の改革に戻りつつあることを指摘。
これらの社会保障政策をどう実現するのか、政策のほとんどは「合成の誤謬」に関わってくるわけで、それは必ず総論賛成各論反対になる。それでもなお、総論に基づいて公共政策を進める必要があることを強調し、その方法を考えるところから本書は始まるとされている。
また、公平や正義に向けて医療保険料率の改定が進みつつあり、これからの課題として健保組合の協会けんぽへの統合やリスク構造調整の導入を進めることが求められている。所得補償制度については、コロナ禍での国民全員への10万円給付をきっかけとして、「日本の社会保障、どこが世界的潮流と違うのか」を考察し、マイナンバーの社会保障ナンバー化が不可欠であることを強調されている。マイナンバー制度の所得や給付との結びつきを強く訴えてきた私にとっては、「その通り」と相槌を打ちながら納得させられる。そして、本書と全世代型社会保障構築会議の議事録を眺めると、この会議の報告書に「社会保障のDX(デジタルトランスフォーメーション)に積極的に取り組む」との項目が書き込まれた経緯と、この項目が目指そうとしている方向性を理解することもできる。
副題である「歴史を踏まえ未来を創る政策論」の持つ意義
また、この本の題名に、副題として「歴史を踏まえ未来を創る政策論」とあるのは、「社会保障の歴史」に基づいて「社会保障政策論」を展開されているからだろう。本書には、「ここで提案している政策は、それが実現するしないにかかわらず、提案している政策の仕組みをみてもらえれば、社会保障の制度や機能の全体像を理解できるようになっている」とあるが、たしかに、子育て支援連帯基金をみれば世代間でのお金の流れが理解でき、国民皆奨学金制度をみれば年金積立金の役割や人への投資の重要性が理解できる。そして、歴史や政治権力の分配状況に基づいた政策提言であるために、本書の中で提言されているいくつもの政策案は、なんだか実現できそうな気も起こさせる。そのあたりは、本書で何度かでてくるミュルダールが論じている「われわれはどんな制度的変化が実現可能であるのかを推定するためには、社会群の間の力の分布を知らなければならない」に若い頃触発され、「なぜ、目の前の制度、政策が、現在の形になっているのか。これを動かしてきたのはどういう力学で、これを動かすにはどういう力が必要となるのか。そうしたことを理解するためには、権力構造を見なければならないと思えて仕方がなかった」と考えて、いわゆる「政治経済学」を行わなければならないと考えていった経緯がまとめられている「第15章 制度、政策は、どのように動いているのか」は必読であろう。
『ちょっと気になる政策思想』こそ一番感銘を受けてきた
注目すべきは、表紙の挿絵で牽引役の隊長は「政策思想」であるという件は、「おわりに」において『ちょっと気になるシリーズ』で権丈先生が「政策思想」が一番好きだと述べておられることと符合する。私自身も一番感銘を受けてきたのが『ちょっと気になる政策思想』であり、社会保障をアダムスミス以降の経済思想史の中に位置づけられた整理「社会保障と関わる経済学の系譜」は、他に追随を許さないものだと高く評価している一人である。
この点は、『ちょっと気になる政策思想』を読むのが一番だが、本書においても「第14章 再分配政策の政治経済学という考え方」において6回に分けて解りやすく解説されている。今の日本経済の「失われた00年」などと専門家が述べている事をどう理解したらよいのか、より平等な分配に向かわせる社会保障こそが一番確実に成長に寄与する経済政策でもあることが、『政策思想』で詳述された「社会保障と関わる経済学の系譜」に依拠されながら論証されているわけで、社会保障以外の多くの関係者にも是非とも目を通していただきたい。特にこの第14章は、「民主主義はどのように機能しているのか」、「将来のことを論ずるに当たっての考え方」、「経済成長と医療、介護の生産性」など、権丈先生の思想のベースとなる部分がまとめられている。また「第13章 国民経済のために、助け合い支え合いを形にした介護保険を守ろう」を読めば、国民経済をどう評価するかは、今や日本でも7割の生産と雇用を要するサービス経済をどのように経済学の中で位置づけるのかにかかっていることがよく分かる。
これから注目すべき「労働力稀少社会」の到来
さらに、この「はじめに」の中で指摘されている点で、私がこの本全体を貫いている背景として大切だと思うのが、『ちょっと気になる「働き方」の話』のなで論じられていた「労働力稀少社会」(権丈英子著)である。
世界の先進国ではいち早く人口が減少し始め、生産年齢人口が激減している日本において、前期高齢者や女性の労働力化が進展したことで何とかこれまでは乗り越えてきたわけだが、これからは、前期高齢者は減少し、女性の労働力率もかなり高まったことから今後の量的な増加はさほど見込めず、「労働力稀少社会」が本格化していくことは確実だ。いかにして女性や高齢者の潜在的能力を十分に発揮できる環境への変化をスムーズに行えるか、政策論として大きな課題であるとともに、「使用者には申し訳ない話だが、彼らに譲歩を求めることが多くなり」、それは、「労働者であり、消費者でもあり、さらには生活者である」多くの人たちにとってはバーゲニング・ポジション(交渉上の地歩)を高めることになると論じられている。
と同時に、出生数が初めて70万人台に入ろうかとする今、どう少子化を克服していくべきなのか、今進んでいる「全世代型社会保障構築会議」でも一番力を入れている分野だが、この問題に関しては、政策を充実するために不可欠な財源問題で、権丈先生はこれまで「子育て支援連帯基金」構想(「第16章 今後の子育て・両立支援に要する財源確保の在り方について」を提案されてきた。子育て予算倍増を公約している岸田総理は、来年の骨太で道筋を示すと発表しているが、政治を取り巻く状況を考えれば、いよいよ、年金、医療、介護保険が子育てを支えるという「連帯基金」構想しか選択肢がなくなってきているのではないだろうか。そのあたりは、明治維新に、岩倉使節団に参加した明治の元勲達が、ある種独特な租税感を作っていった過程が書かれている「第12章 日本人の租税感」も読んで考えを深めたい。
急がれるのは「勤労者皆保険」への移行だ
もう一度「はじめに」で指摘されている「勤労者皆保険」の話に移りたい。岸田総理が政務調査会長時代に打ち出され、総裁選の公約にまで盛り込まれた「勤労者皆保険」。その案は、所得の低い勤労者の保険料は免除しつつ、雇っている事業主は保険料を維持していくことであるが、この案は、権丈先生が2007年から提案してきたものと同じであることを私も知っている。当時から権丈先生は、「社会保険の適用除外が非正規雇用、格差、貧困を生む」原因となっており、格差、貧困を解決するべき社会保障制度にとってあってはならない事態であることを指摘して、その解決に向けて一刻も早く、事業主負担を免除しない方法を提案されていた。今、その案が、勤労者皆保険制度と政府によって呼ばれているわけで、ここは経営側の抵抗が予想されるだけに、どうそれが実現できるのか政治の決断が試されよう。そのあたりについては、本書の中で、レントシーキングがキーワードとして登場していることも参考になる。
「はじめに」周りだけでもこれだけの問題提起がなされているわけで、1章から18章、さらには「おわりに」まで社会保障を取り巻く理論や歴史、更には政策の在り方など、是非とも目を通して欲しいと思う。願わくは、権丈先生の思想のベースにある、「手にする学問が異なれば答えが変わる」という考え方をおさえ、世の中に登場している様々な経済政策(もちろん社会保障も含む)が展開されていることに対して、この政策の裏付けとなる経済政策思想は需要サイドから見た「左側の経済学」なのか、それとも供給サイドからの「右側の経済学」なのか、この本を通じて、しっかりと見定める力を養ってほしい。「左」と「右」の違いがどこにあるのか、本書255頁の「図表92 右側の経済学と左側の経済学の前提の相違」を是非とも深く理解したいものだ。
2022年が終わろうとしているが、少子高齢社会の進展が大問題になるなか、今年一番印象に残った著書だったことは確かである。著者からみれば、以前から提案している政策をまとめた本だということになるのだろうが、そこに政治のダイナミズムと偶然が重なったために、目下の政策論議にタイムリーな本になっており、そうした例は他にみたことがない。来年展開される社会保障の政策論を占うためにも、『もっと気になる社会保障』をお勧めしたい。