2024年6月24日
独言居士の戯言(第346号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
岸田総理の鈍感力にはほとほとあきれ返る、総裁選再出馬への意欲
国会は21日に事実上閉会となり、岸田総理は恒例の記者会見に臨んだ。その前に開かれた岸田内閣になって初めての党首討論は、持ち時間が短すぎて殆んど討論にならず、最長の立憲民主党の泉代表の持ち時間23分の半分以上が岸田総理の発言時間が食い込むなど、もう少し野党側との実りのある討論にしていくよう時間配分についての改革が求められていると言えよう。
それにしても、岸田総理は支持率が20%を切るまで落ち込んでいるし、最近では自民党支持率ですら20%を割る調査結果も現れるなど、誰が見ても政権末期状態に突入している。にもかかわらず党首討論では、野党側から岸田総理を取り巻く状況は「四面楚歌」ではないかと言われても、全くそう思っていない等、その鈍感力は相当なものだと言わざるを得ない。21日の記者会見では自らの政権運営は「道半ば」という言葉を連発し、引き続き政権を担当する意欲をにじませていたが、国民の意識だけでなく、自民党内においても公然と退陣要求が出始めているわけで、9月に予定されている自民党総裁選挙に出馬できるのかどうか危ぶまれているわけだ。
記者会見での電気・ガス・ガソリン補助金復活など、朝令暮改ぶりにもほどがある
既に公示された東京知事選挙で、反自民を旗印にした蓮舫候補が勝利するようなことがあれば、岸田総理の退陣の声が強まることは間違いないし、仮に現職と接戦に持ち込まれたとしても、恐らく総裁選挙への出馬は見送られることになるに違いない。来年秋までには必ずある衆議院選挙、更には来年7月の参議院選挙で、岸田総理の下では「敗北」必至と思う自民党議員心理が高まることは間違いあるまい。岸田総理は、記者会見の中で経済対策として電気・ガス・ガソリン代の負担軽減策と年金生活者や低所得者を対象とした新たな給付金の支援策を柱とした経済対策を打ち出すことを明言したわけだが、落ち込んだ政権に対する支持率の回復を目指そうとしてバラマキ政策を打ち出そうとしていることは誰が見ても明らかである。政府が5月にこうした補助金を廃止したのに、再び開始するというのはどうにも説明できない愚策であることは言うまでもあるまい。
不思議に思うのは、誰が見ても「死に体内閣」なのに誰も次の総裁に向けて名乗りを上げる者がいないという現実である。それだけ活力がなくなり、自由民主党の劣化が進んでいるのだろうか。野党側の弱体化も指摘されることが多いのだが、それ以上に政権政党の体をなしていない自民党の姿に、議会制民主主義の危機を感ずる今日この頃である。日本は大丈夫なのだろうか。
渡辺博史元財務官の【直言×円の警告】は読み応えがあった
経済に目を転じてみたい。最近の『日本経済新聞』<日曜版>の2面は【直言】という特集記事で覆われている。23日は【直言×円の警告】で、元財務官の渡辺博史国際通貨研究所理事長の登場である。今年の4月末には1ドル160円にまで円安が進行したことを受け、約10兆円という史上最大規模の為替介入を実施していたことが明らかになっている。その結果、一次は150円台前半まで押し戻したものの、最近ではFRBの利下げが遠のいたのではないかという事で再び1ドル160円にまで近づいてきており、再び為替介入するのではないかと言われ始めている。円安により、国内への輸入物価の上昇でインフレが生活を圧迫し始めていることへの警戒感が強くなって来つつある。せっかく春闘で定昇込みではあるが5%台の賃上げを実現したわけで、25か月続いて実質賃金が対前年同月を下回り続け内需の拡大が進まないことにより賃上げが景気上昇をもたらす好循環に水を差すのではないかと問題視され続けている。それだけに、円安の問題をどう捉えておられるのか、日経新聞広瀬洋平記者のインタビューもそのあたりから始まっている。
「有事の円買い」という「円=安全通貨」という誤解の説明に納得
この記事を読んで、さすがに財務官として、さらには国際通貨研究所に在籍され「円」の攻防についての動きをじっくりと分析してこられただけに、実に含蓄があり、「目からウロコ」と感ずる指摘も含まれ、実に読みがいのあるインタビュー記事となっている。
最初に感じたのは「有事の円買い」という評価についてであり、それは日本の円とスイスのフランが変動幅の小さい通貨とみなしたことで、有事にはドル以外に手を出せなくなったことを示していると説明される。ユーロの誕生でドイツマルクやフランスフランが使えなくなったことが背景にあるようだ。かくして渡辺氏は「この『安全通貨』という理解が、そもそも誤解だったのではないか」と考えておられる。
「円とドルの金利差3%で為替相場は安定」という指摘は重要では
まだまだ興味深い指摘が続いているのだが、次の指摘は経済に関わる者にとって検討してみる価値のある点ではないだろうか。
インタビューアーが「過大評価の修正が原因ならば、円安は恒常化するのか、金利差は何れ縮小するのでは」と問うたことに、渡辺氏は、
「まだ誰も明確に説明していない点がある。11年の東日本大震災後に政府・日銀が円売り・ドル買い介入するまで、米長期金利が日本より3%ほど高いと為替は安定する傾向にあった。通貨の使い勝手の差などから落ち着きのいい水準なのだろう。現在、金利差は4%を下回ってきたが、3%の金利差に収まるのは早くても25年末とみている」
日米金利差3%というレベルが何を意味するのか、今後のFRBの利下げと日銀の利上げの推移を予想して、今年の年末までは150円よりも円高には戻らないだろうとも予測されている。
輸出に円安が良かったのは90年代初頭まで、その後は「神話の世界」、「売れるものを作る」ことを提言
さらに、次の指摘には目を開かされた思いである。
「為替レートはその時々の日本経済全体の強さの反映であり、どの水準なら良いという議論はナンセンスだ。これまでは貿易立国に傾き過ぎて『円高恐怖症』に陥り、経済実態にあわせた為替のレベルを超えて円安になるようバイアスをかけ続けてきた。輸出にとって円安が良かったのは90年代初頭ぐらいまでが実態で、その後は神話の世界になった」
これからの日本がどうしていかなければならないのか、渡辺氏の提言は続くのだが、これから高齢社会の下で「供給サイド」の改革についての指摘は「売れるもの作り」に挑め、という事に尽きているのだろうが、日本のイノベーション力をどう高めて行けるのかは難問中の難問なのだろう。私などが思い続けている「医療や介護といった国民の需要サイドに基づく経済の安定的な拡大」といった視点を求めるのは、また別の論点の提起の場が必要なのかもしれない。
それにしても、実に興味深い『直言』であったことは確かである。