2024年9月2日
独言居士の戯言(第354号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
最低賃金の引き上げ競争、徳島県は84円と断トツの引き上げへ
最低賃金の話だが、都道府県別の地域最賃の改定額が8月末ようやく決定した。今年特筆すべきは、何と言っても徳島県の引き上げ額が突出している事である。全国的には中央の審議会で「目途として50円の引き上げ」が示されたことを受けて、都道府県レベルで50円上乗せすることになったが、半数を超す27県ではそれに上乗せして引き上げられたことが指摘されるべきだろう。その中でも徳島県は、過去に例を見ない84円(目途に対して34円アップ)という「ダントツの」引き上げ額を決定したのだ。徳島県の引き上げ額がこのように大きく突出した背景には人材流出を懸念した引き上げ競争の過熱があり、特に最下位近くにランクされてきた県にとって「汚名返上」とばかりに、「後出しジャンケン」と言われようが何としても最下位だけは阻止したい、という並々ならぬ知事さんたちの熱意がまかり通ったようだ。
後藤田知事の熱心な審議会への働きかけ、決め方の発射台の変更へ
朝日新聞8月30日付の朝刊によれば、今回の徳島県での異例な突出をリードしたのが後藤田県知事であり、県の審議会に対して「全国ワースト2位という現状を勘案し、十分な議論を」「特に若者の将来に対する不安感を増幅させていると認識している」と粘り強く要請し続けてきたとのこと。
どうして980円という水準に導いていったのか。徳島県審議会の説明によると、生計費や物価など他の都道府県と比較して徳島県の立ち位置を検討したところ「中位より上」だったとのこと、であれば最低賃金水準の真ん中は930円であり、そこに全国の賃上げ目安の50円を加えた980円が今年の答申額となったというわけだ。つまり、発射台を今までのような昨年の決定額896円(最下位から2番目の低さ)ではなく930円にしたことが他の都道府県に比較して特異なものとなったわけだ。
経営側委員の抵抗は弱く、人手不足時代の最賃引き上げ方法の見直し論議も出てくるか
審議会会長の段野聡子徳島大学教授は「国の目安ありきで算出したのではなく、やり方を変えた」と明言し、「知事などから『地域の経済状況が十分に反映されていない』との意見があったからだ」と述べたとのことだ。後藤田知事も、「日本の新しいモデルとして、しっかり国に受け止めて欲しい」と泰然自若としているかのようだ。一方経営側は、非常に厳しい内容であり、県には中小事業者に例年通り支援をしっかりとお願いしたいと注文をしているに過ぎない。経営側の抵抗が意外に弱かったのが注目すべき点なのかもしれにない。多くの中小企業にとって、労務費単価の上昇以上に人手不足の方が深刻になっていることの一つの証なのかもしれない。
こうした経過について、労働経済が専門の法政大学教授山田久氏は、本来は労使が話し合って決める建て付けになっているのだが、「目安制度のほころびが出たともいえる」と述べており、来年度以降の地域最低賃金の在り方についての課題となりそうな雰囲気である。
「全国一の最低賃金県」という汚名返上のチキンレースが展開
全国的にも最下位になった県にとっては、何とか「最下位の汚名」返上とばかりにチキンレースが繰り広げられており、今年は岩手県が最後に59円の引き上げで隣の秋田県を1円(何という低レベルの競争なのか!)上回ったとのことだ。ここでも達増達也岩手県知事が審議会での決定時期を8月初旬から下旬に遅らせ、「隣圏との格差」や「全国最下位の現状」を意識するよう要請したことが明確になっているとのことだ。
では、全国最下位になった秋田県はどうだったのか。同じ朝日の報道によれば、審議会で54円と目安となる50円よりも4円上乗せし951円に、例年通り8月5日に決定したとのこと。結果的に、あとから決めた他の県が追い抜き、最終的には最下位となってしまったわけで「先に決めたところが損をする。まるでチキンレースだ」という嘆きの声が出ているとのことだ。
こうした状況について、やはり全国一律にすべきではないかという声が出てくるのは当たり前のことだと思うわけで、政府や国会は、こうした現状のあまり意味のない都道府県間のチキンレースを無くしていくべき時ではないだろうか。
残念ながら、最低賃銀引き上げに向けた労働組合の存在感の欠如
ここで気になるのが、肝心の労働組合の存在感が出ていないことなのだ。組織された労働者の賃金には直接的な関係がないとはいえ、最低賃金の底上げは日本の労働者全体の賃金水準を間接的にせよ引き上げていく大きな要因になるわけで、労働力不足という絶好のチャンスを迎えている今、最低賃金の引き上げに力を入れていくべき時ではないだろうか。ここで思い出すのは、濱口桂一郎JILPT所長の書かれた『賃金とは何か』(朝日新書2024年7月刊)にある、もう一つの最低賃金である産業別最低賃金の引き上げに目を向けていくべきではないかと思うのだが、何故かあまり注目されていない。
企業別労働組合という宿痾、どう脱却していけるのか深刻な課題
日本の産業別に結集した労働組合なるものが企業別労働組合の寄せ集めとなっており、産業別に連帯する意欲を欠いてしまっているからなのかもしれないが、地域最賃だけでなく産業別最低賃金の引き上げの戦いを自ら組織していくべき時に来ているのではないだろうか。企業という枠をどう乗り越えていけるのか、日本の労働組合にとっての宿痾ともいうべき問題が最低賃金の引上げでも重くのしかかってくる。絶望感に浸っているわけにはいかないのだが、どう事態を主体的に切り開いていけるのか、展望が見えてこないのだ。
最低賃金水準の国際的な低さ、先進国とは言えない冷厳な現実
それにしても日本の最低賃金の水準は余りにも低すぎる。29日付の毎日新聞では、デービッド・アトキンソン氏が、日本の最低賃金は海外に比べて異常に安いと指摘していて、時間当たり1400円になっていてもおかしくないなど、その底上げを強く指摘している。また、30日付の朝日新聞は今年1月4日時点の世界の円換算した最低賃金の水準を取り上げ、オーストラリア2241円、ドイツ1943円、英国1893円など先進国で日本の1004円がいかに低水準であるかを図示している。為替レートなどが円安に振れていることもあるかもしれないが、少なくとも名目水準だけ見てもとても先進国とは言えない水準であることは間違いない。そもそも、先進国での最低賃金の決め方について、生計費や支払い能力といった点以上に現役労働者の平均値の6割とか、中央値の5割という形で決められることが一般的なのであり、アメリカやカナダ以外は全国一律最賃制であることにも目を向けるべきだ。
最低賃金引き上げの抜け道、ギグワーカーという働き方の登場
とはいえ、最低賃金を引き上げても、最低賃金の適用にならない抜け道が広がり始めていることにも目を向ける必要がある。それは、ギグワーカーといった「自営業主」の扱いで企業と個別の契約を結び、最低賃金を下回る契約になってしまう事例が出ているとのことだ。実質的に労働者でありながら、自営業者として扱うことで最低賃金の縛りからすり抜けようとするもので、どう対応していくべきなのか、問題は深刻である。