2018年1月9日
独言居士の戯言(第28号)
元参議院議員 峰崎 直樹
今の世界経済はゴルディロックス、いや「ゆでガエル」状態では
今年の東京株式市場は、大発会が6年連続して上昇から始まり、アメリカやEUも、さらには中国やインドと言った新興国の経済も好調のようだ。そうした現状を、ゴルディロックスという何とも心地よい経済状態という意味の言葉で形容されているようだが、一皮むいてみると、矛盾だらけの先進国経済の実態が浮かび上がってくる。昔の言葉で言えば、「ゆでガエル状態」なのかもしれない。
今好調とされる株価の上昇の中身を見てみると、企業の利益が増大したことも確かではあるが、世界的な金融緩和によるカネ余りが背景にあり、物やサービスへの投資が拡大するよりも、自社株買いやM&Aへと金が流れて株価の上昇を招き、それがまた株式市場へと有り余ったお金が投機資金として流れる誘因となっている。再び、バブルを引き起こし始めているのではないか、という危険性を指摘する声が強くなっている。
次の金融危機の到来は必至か、リスクは中央銀行の金融引き締め!
『週刊エコノミスト』誌の1月2日・9日新年合併号は、毎年恒例の「世界経済総予測」が特集されている。その中で、シカゴ学派の大御所であるロバート・ルーカス氏を批判した異端派の世界銀行チーフエコノミスト、ポール・ローマ―氏がインタビューに応じている。そのなかで、米経済や世界経済の成長を阻害するものがあるとすれば何か、という質問に答えて、「循環サイクルで考えれば、次の金融危機は必ず起こる。『もし』ではなく、『いつか』だ。」と断言し、金融規制の在り方については、「金融セクターを原子力発電のように扱うべきだ。」と指摘している。
さらに、元ゴールドマンサックス会長ジム・オニール氏は、同じ号のインタビューの中で、今年は昨年に続いて力強く成長すると見ているが、「問題が出てくるとすれば、米連邦準備制度理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)など世界の中央銀行が金融引き締めに転じる時だ。国債利回りが大幅に上がり、金融市場のボラティリティー(変動率)が高まりかねない。だが、それまでは大丈夫だ」と断言し、バブルになるのかどうかについては「恐怖と欲が増大すれば、バブルになる可能性はある。それが人間の行動であり、バブルを防ぐのは不可能だ」「リスクは発生前に認識できない場合が多い。・・・認識すらできないリスクが存在する」「認識できる世界経済のリスクを挙げるとしたら、利上げだ」とまで言い切っている。つまり、今の異次元の金融緩和が続くから世界経済が持っているわけで、金利が上がれば世界経済は再び危機に陥ると見ているのだ。ある意味で、異常な金融資本主義であり、水野和夫法政大学教授の言うように「近代資本主義は崩壊した」のかもしれない。
日銀はETFやREIT買い入れを中止すべきでは、もちろん出口へ
日本においては、日銀がETF(上場投資信託)を年間6兆円も購入を継続しているし、世界最大のソブリン・ウエルス・ファンドとも言われるGPIF(公的年金基金で約140兆円保有)も株式購入割合を国内だけで25%を基準に割り当てている。さらに必要とあれば、国内では25%からさらに33%まで購入が認められるわけで、ヘッジファンドを始めとする機関投資家は安心してマネーを運用し、利益をむさぼっていることは間違いない。日銀は、異次元の金融緩和からの出口を打ち出すべきだが、とにかくここまで活況を呈している株式市場やREIT市場への介入から直ちに離脱すべき時ではないのか、一刻も早くきちんとした回答を出すべき時に来ている。だが、今の黒田日銀にその決断力があるのかどうか、総裁任期を今年4月に控え、まことに危うい。
アベノミクス、高い成長率を夢見る時代錯誤の政策では
年末から年始にかけて、色々と経済の動きについての論文や資料などを読んだのだが、こうした金余りによる金融分野だけが活況を呈し、モノ作りやサービスといった真の経済活動への投資は増えておらず、それが証拠に先進国経済の実質GDP伸び率は平均して1~2%前後でしかない。特に日本経済にとって、既に10年以上前から人口減少の時代に入っており、潜在成長率は1%を切っていると見る専門家が多い。それでも、一人当たりのGDPの伸び率でみれば、先進国の中では劣っているわけではないし、1%の伸びが30年間続けば経済の規模は35%も伸びるし、1,5%の伸びであれば50%も大きくなるわけで、成熟した先進国の経済はそんなところが当たり前の事だと思う。かつての高度成長を夢見て、金融を緩和し財政赤字を垂れ流しながらマクロ経済政策を展開しているアベノミクスには、時代錯誤としか言いようがない。
総理が賃上げ3%を経済界に要請、何故賃上げができなくなっているのか、その原因に眼を向けるべき時ではないか
こうした先進国で大きな問題になっているのが格差の拡大であり、中産階級の所得の伸びが停滞している事だろう。日本においてもバブルが崩壊し、金融危機が深刻化し始めた1990年代後半から、デフレが深刻化し非正規労働者が増え始める中、労働者の賃金水準が絶対額で低下し始めて来たのだ。デフレの原因は、経済が好転し労働市場も失業率が低下し、有効求人倍率も1を大きく上まわったにもかかわらず、賃金が上がらない事に主因を求める見解すら出始めている。株価や地価の上昇による利益を受け取れる資産家や経営者層と、額に汗して働く労働者との所得・資産格差の拡大は、民主主義の安定化の基盤とされる中間層の厚みが失われ、政治の不安定化に繋がりつつある。会社は誰の物か、株主のものだという考え方が拡大し、労働者や関連企業、地域社会といったステークホルダーが視野の外に出てしまったことを是正していく必要がある。また経済協力開発機構(OECD)等でも、先進国の労働組合組織力の減退が、大きな問題になりつつあることの改革も求められ始めている。
賃上げは、利潤第一の企業にとってやりたくない=「合成の誤謬」で国内需要の落ち込みへ=打破できるのは「政府」なのだ!?
安倍総理は、1月5日の経済3団体の新年賀詞交換会の席で「経済の好循環をしっかり回すため、3%(の賃上げ)をお願いしたい」と発言し、それを受けた経済界の代表は、「デフレからの脱却に貢献したい」(榊原経団連会長)などと、前向きに応えていたようだ。はたして、実際の労使交渉に於いてどのような賃上げが実現できるのか、今年の春闘の行方に注目したい。とはいえ、大企業は、いくら儲けても、法人税率が低くなっても、投資をしなくなっている背景には、日本には需要があるとは信じていないし、個々の中小企業では賃上げできる余力が失われているのが現実だろう。ここは政府の出番である。安倍総理は最低賃金の底上げに向けて、リーダーシップを発揮すべきだろう。個々の企業や業界に任せておけば、合理的に判断して最適な行動としては目先の利益を上げるためには、賃上げは出来るだけ低くし、結果として「合成の誤謬」に陥り国内需要を拡大できずに経済は停滞してしまうのだ。こうした「合成の誤謬」を解消できるのは、政府しか解決できないのだ。
持続不可能な「給付先行型の福祉国家」からの脱却を急げ
もっとも何時も指摘している事だが、政府は国民生活の大きな柱でもある社会保障や教育の充実に向けて、所得再分配政策を充実させていくという内需の拡大策を執ることができる。だが、いまの安倍政権だけでなく野党側も含めて、社会保障の充実に向けて国民を説得しながら、所得再分配政策の充実(税や社会保険料の引き上げ)を訴える政党がいなくなっている現実がある。毎年、財政赤字を累積させながら、給付だけが先行する日本の社会保障・教育が持続可能であるわけがない。こうして政府に対する国民の不信感が増大しているだけに、今後の日本経済・社会の展望は、なかなか明るくならないのだ。
スヴェン・スタインモ著『政治経済の生態学』(岩波書店2017年刊)を読み終えて、日本社会の陥っている問題点を鋭く指摘
正月休みを利用して、1冊の本を読み終えた。というよりも、ざっと目を通したに過ぎないのだが、日本だけでなくアメリカとスウェーデンの三か国の政治や税・社会保障について大変印象深い分析が展開されたものである。著者はスヴェン・スタインモコロラド大学教授で本の題名は『政治経済の生態学』(岩波書店2017年刊)である。スタインモ教授については神野直彦東大名誉教授や井手英策慶応義塾大学教授から良く聞いており、出版から少し経った12月に札幌の紀伊国屋で購入しようとしたところ、品切れていたためアマゾンで取り寄せようやく年末31日の大晦日に手に届いた。
詳しく内容を紹介することは別の機会にしたいが、本のカバーに記載されている次の言葉が実に印象に残っている。
「1,『グローバル・スタンダード』等というものは無い。
2、国家は適応するか、消滅するかだ。進化は変化を必要とする。」
スタインモ教授は「日本語版への序言」のなかで、この2つの論点について触れた後で、今から7年前の2010年にこの著書を書き終えたが、当時直面していた根本的な問題について、日本社会は未だに苦闘し続けている、と指摘する。それは、「日本経済には新自由主義モデルを受け容れるよう圧力をかける強い勢力が存在」し「彼らは経済のいっそうの柔軟性や低い税負担と、それらの政策がもたらす格差の増大を受け容れるよう求めている。同時に過去の『黄金時代』の考え方を思い起こさせる正反対の勢力も存在する。彼らは近隣諸国に恐れられ、女性が家庭での立場をわきまえ、社会階層が厳格に守られていた頃の日本は偉大だったと考えている」(「日本語版への序言」ⅴページ)
もちろん、スタインモ教授はそういう方向の誤りを指摘しておられるのだが、日本という社会が、そこからの脱却に踏み出せていない事を深く憂慮されている。しっかりと噛みしめるべきポイントだと思う。新年をむかえた屠蘇気分のなかで読んだわけで、もう一度性根を据えて読み直してみたい。