2018年1月15日
独言居士の戯言(第29号)
元参議院議員 峰崎 直樹
いよいよ通常国会へ、総合的な「働き方改革」の論議を望む
いよいよ今月22日から通常国会が始まる。来年度予算の本格的審議とともに、「働き方改革」が主要な論争点になると予想されているようだ。その際、前にもこの通信で触れたように、日本の雇用の特質である「メンバーシップ型雇用」と、欧米流の「ジョブ型雇用」の違いを十分に理解して論戦に臨んでほしいと思う。さらに、何年か前の国会での「ホワイトカラー・イグゼンプション」=残業代ゼロ法案論議が蒸し返される可能性が大きいと思われるが、日本のホワイトカラーの長時間労働の背景にある教育費の高騰(公的な教育予算の劣悪さ)や、住宅取得に伴うローン支払い額の高さ(東京などの大都市部のマンション価格の高騰)など、ホワイトカラーを含む働く者の生活をとりまく状況を、総合的に見て論議をして欲しいものだ。
野党統一会派の動き、希望と民進党(無所属)で統一会派の実現へ
さて問題は、野党側の国会での対応だが、民進党が呼びかけた「立憲民主党」(以下、立憲とする)と「希望の党」(以下、希望とする)との統一会派構想は、先ず立憲が拒絶し希望との統一会派しか道は無かつたのだが、14日ようやく両党の幹事長の間で合意ができたようだ。野党第一党が野党側全体の議会運営のリーダーシップを握ることになるわけで、民進党(無所属クラブ)と希望の統一会派が国会運営の責任ある地位に着くことになる。ただ、それぞれの党内には異論がありそうだ。もっとも民進党は過渡的な政党だと見る向きも多く、新会派がどれだけ国民の支持を高められるのか、理念や政策の違いやこれまでの経緯への不信感も根強く、今後の動きに注目したい。
ドイツ大連立協議の合意、果して社民党員過半数の賛成が可能か
海外政治に目を転ずると、ドイツの大連立の動きがようやく進み始めたようだ。昨年9月の総選挙で敗北したメルケル政権は、大連立の相手であった社会民主党が、これまた歴史的大敗北したことを受けて早々と連立離脱を表明し、躍進した排外主義的な「ドイツのための選択肢」(AfD)を除く「緑の党」や「自由党」などとの連立協議に入ったものの合意に達せず、年末になって社会民主党出身のシュタインマイヤー大統領による斡旋で、再び社会民主党との大連立の協議に入るという、まことに悠長な連立政権樹立に向けた動きが続いていたわけだ。もし、この大連立が成立しなければ、再び総選挙に入るか、それともキリスト教民主・社会同盟による少数単独政権で進む以外に道は残されていないわけで、12日にようやく幹部間で合意したことを受け、今後は社民党内部の合意が実現できるかどうか、にかかってくる。社会民主党内部では左派や青年層で反発が強く、党の最終決定には全党員の一票投票による過半数の賛成が必要になるわけで、何とその投票は3月中旬になるとされている。総選挙から半年以上新政権ができない事態で、戦後最長の連立協議期間が続くことになるという。いやはや、日本ではあまり考えられないのだが、連立政権が常態化しているEU各国ではそれほど珍しいことではないとのこと。
比例代表制度は連立政権に成り易いが、連立合意の困難性も
日本の衆議院の選挙制度が1994年に小選挙区比例代表並立制に変えたことで、民意の反映が議席に反映できていないという批判が出ている。だが、選挙制度を中選挙区制から今の制度に変えた際、一つの理由は政権交代が実現しやすいように「民意の反映」よりも「民意の確立」を重視してきたと言われている。もし「民意の反映」を求めるのならば、今のドイツのように小選挙区比例代表併用制を導入し、たえず単独政権ができにくい仕組みにすることになる。今回のドイツの連立交渉の長期化という弊害は、まさに「民意の反映」だけでは別の弊害が出てくることを示しているわけで、選挙制度をどう使いこなしていけるのか、まさに政党政治を司る者にとって、その技が問われている。
立憲民主党は、連立政権にまで漕ぎ着けることができるのか
そうした動きを見るにつけ、立憲の取っている他の野党との対応は、果たしてこれから総選挙を戦う際に、政権交代を目指すことが可能になるのか心配になってくる。他の政党と国会内共闘を組むことも出来ず、どうやったら選挙共闘ができるのか、さらに連立政権に向けた信頼関係を構築していけるのか、これから残された短い期間(来年には、統一自治体選挙と参議院選挙がある)中でどう方向づけられるのか、日本の政治が問われている大きな課題だろう。何時までも、硬直的な対応のままで良いとは思われない。政治は、妥協の芸術でもあることを見失ってはなるまい。
その際、今直面している大きな課題は、憲法改正や安全保障といった問題と共に、アベノミクスが進む中で大きな問題となっている「財政均衡をどのように実現して行くのか」、さらに、格差が進む日本のなかで、財政均衡を図りつつ「首尾一貫した福祉国家」をどのように創り上げていけるのか、そのことについての骨太な理念・政策を打ち出していく事では無いだろうか。それを確立し、それに賛同する野党側との合意を作り上げられるのかどうかが重要だと思う。
日本の直面する深刻な課題、財政(税)と社会保障一体改革の実現だ
いま日本が直面している深刻な問題は、この問題(財政均衡と首尾一貫した社会保障制度の確立)が先送りされ続けていることに尽きるわけで、一刻も早くその方針を打ち出して欲しい。時間が経つほど、アベノミクスの下で財政赤字と異次元の金融緩和によって、今の世代が次の世代の資源を先食いし続けているわけで、本当に無責任極まりないことを強調せざるを得ない。とりわけ、野党の政治に要請されていることは、国民に負担を求める事の重要性をきちんと打ち出していけるのかどうか、にかかっている。「責任ある政治」を実現して欲しい。とくに、民主党が政権交代を実現させていながら、財源に対する無責任な公約によって消費税の引き上げを打ち出さざるを得なかったわけで、その点についての深刻な反省抜きには、民進党から飛び出した立憲や希望が国民から信頼を勝ち得ることは無いと自覚すべきだろう。国民不信をどのように払拭できるのか、最後はそこにこそ事態解決のカギがある。
福山幹事長のインタビュー、危機感に乏しいのではないか
その点、「WEB RONZA」でのインタビューに応じた立憲の福山幹事長は、外交・安全保障ではむやみに違いを強調しないと述べ、社会経済政策について、次のように語っている。
「選別主義ではなく、普遍主義に基づく再分配機能の強化、草の根からの社会経済政策が、もともと私たちの考え方」とし、財源の問題については、
「…将来的には消費税増税は避けられないと考えていますが、当面は消費意欲をそぐので反対です。代わりに所得税、相続税、金融課税にどうやって再分配機能を持たせるのか、それを明示するのが、これから半年、1年の私たちの課題です」
残念ながら、選別主義ではなく普遍主義に基づく再分配機能の強化を実現するためには、膨大な財源を必要とするわけで、それと同時に基礎的財政収支の回復も含めて日本の財政が抱える喫緊の課題になっている今日、あまりにも危機感が乏しいと言わざるを得ない。もう一度、社会保障・税一体改革に教育も含めて、グランドデザインを示していく事が重大な任務だと思われる。奮起を期待したいものだ。
ビットコインバブルに踊る狂騒について思う
最近、ビットコインに関する論説が様々に流布し始めている。ビットコインの価格がバブル的な値上がりを示し、1ビットコインが1万円程度から一気に200万円にも達したかと思えば一挙に暴落するなど、多くの関心を集めていることは間違いない。日本では、野口悠紀夫氏などが理論的に大きく推奨していただけに、私自身もこれからどうなるのか注目していた
最近、ビットコインのマイニング(採掘)を殆んど独占している中国で、マイニングに対する規制が実施され採掘企業を排除しようとしているとの報道がブルームバーグに掲載されている。当初はデスクトップPCでもマイニングできたのだが、ブロックチェーンの元帳に記載するためにはよりパワフルなコンピューターで複雑な計算を要するようになり、それに必要な安い電力が豊富な中国に企業が張りついていた。今後どうなるのか「ビットコイン」の未来は無くなったのではないか、という声すら出始めているとのことだ。
グラウウェルLSE教授、「ビットコインは未来の通貨に非ず」
そうした中で、濱口桂一郎JILPT所長のブログ(EU労働法政策雑記帳)で、「ビットコインは未来の通貨に非ず」というコラムを興味深く拝読した。そこには、『ソーシャル・ヨーロッパ・マガジン』に新年早々、ポール・デ・グラウウェLSE教授のエッセイが掲載されたものを抄録して翻訳掲載されている。濱口所長は、
「ヨーロッパでもビットコインバブルは猛威を奮っているようで、通貨の歴史を振り返りながら、それが未来の通貨であるどころか、むしろ金本位制時代に逆戻りする古風な、あるいはむしろ野蛮な通貨であることを諄々と論じています。確かにビットコインは『マイニング』(採掘)されるという点でも、金本位制に近いのかもしれません」
と紹介している。
以下、グラウウェ教授が問題として指摘していることは、第一にビットコインの供給が固定されていて、デフレをもたらすこと、第二に、銀行が貸付をし始めると最後の貸し手がいなくなる「危険な通貨」であること、第三に、これは金本位制と同じ問題を孕んでいるわけで、未来の通貨ではなく「過去の代物」であると喝破している。もっとも、教授はブロックチェーンの重要性については認めておられ、異議を唱えておられるのは「ビットコインにはそれ自体に本質的な価値があるという信仰」についてであると断っている。
こうした捉え方で良いのかどうか、今後のビットコイン論議の行方に注目していく事にしたい。