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労福協 活動レポート

2018年3月6日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第36号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

いよいよ3月である。春が待ち遠しい北海道では、あいにく1~2日と暴風雪に見舞われ、列車が麻痺したり道路が寸断されたり、全道的に交通網がマヒさせられた。ほぼ毎年この時期には、こうした人命にもかかわる自然の猛威が襲ってくる。今年も、一人の犠牲者が出てしまった。心よりご冥福を祈りたい。

ドイツ社会民主党、党員の賛成多数で大連立政権への参加を承認へ

さて、3月4日は2つの投票日が注目されてきた。一つは、ドイツ社民党の46万人の党員投票であり、もう一つはイタリアの国会議員選挙である。結果はドイツ社民党員の過半数を超す賛成で承認され、約半年間の政治空白があったもののメルケル政権の継続となった。昨年9月の連邦議会選挙の結果大連立を組んでいた社民党が歴史的な敗退を喫し、メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟も敗退し、大連立が解消されたかに見えた。だが、自由党や緑の党との連立交渉が上手く行かず、結果として再び社民党との大連立へと舞い戻り、最終的には全党員の一票投票によって決着がつくという事になったわけだ。

この間、シュルツ党首は敗北の責任を取ると主張していたが、合意した大連立政権樹立の際には外相に就任することが報道されるや党内外の反発が強まり、結果として外相就任は取り消すこととなり、ようやく事態は好転したようだ。もし、否決されていれば、メルケル政権は窮地に陥り、少数内閣でスタートするのか、それとも再選挙という事になったわけで、内外関係者は安堵している事だろう。

ヨーロッパの社会民主主義勢力の後退、何故なのだろうか?

一方、イタリアの方も、ベルルスコーニ氏が背後にいる中道右派が比較的強いと言われているが、反EUのポピュリズム政党「五つ星運動」が台頭してきており、ここでもソーシャル陣営の民主党がいる中道左派が勢いを失いつつあるようだ。単独政権は無理で、連立政権が必至の情勢のようだ。

いずれにせよ、ヨーロッバにおけるソーシャル(アメリカ的にはリベラル)が、今一つ力を失いつつあることは確かであり、何故こうした動きが強まっているのか、日本も例外でないだけに注目すべきだろう。

『現代思想』2月号、特集「保守とリベラル-ねじれる対立軸-」に注目

その点について、雑誌『現代思想』2018年2月号、「保守とリベラル」-ねじれる対立軸-を読む機会があり、今日の政党の抱えている問題状況を考えるうえで参考になった。本誌2月号全体で政治学や社会学の専門家が保守とリベラルについて、世界各国でこれまでどのように捉えられてきたのか、多くの専門家を登場させ縦横に論じていて興味深い。

大沢真幸vs宇野重規対談「転倒する保守とリベラル」<その空虚さをいかに超えるか>からの引用

この特集号の巻頭を飾る宇野重規東大教授と大沢真幸元京大教授の対談記事「転倒する保守とリベラル」<その空虚さをいかに超えるか>の中で、トランプ現象(一昨年の大統領選挙でトランプがヒラリー・クリントンを破ったこと、支持率は過半数以下だが、今でも根強い支持を得ている)の背後にあるモノについて、次のように述べておられることに注目した。

トランプ現象の背後にあるもの、リベラルが機能していない現実

大沢「・・・不遇感を感じている人間には、政治的に正当であるとされる思想や政策では、自分に不遇感をもたらしているこの体制や社会構造は到底克服されないだろう、と直感している。むしろエスタブリッシュメントたちが正当なことを高邁に言えるシステムこそが自分の不遇感を生んでいるように感じてしまう」(23頁)

続いて、日本の現実をも見据えながら

「つまり、リベラルがリベラルとして機能していなくて、保守主義以上に保守的に見えてしまっている。そのような状況のなかでリベラルを拒否しようとしたら保守になるしかない。それは何かを守りたいわけではないのです。むしろ現状に対して全面的に嫌だと言いたいだけなのに、それを表現できる立場が保守しかないということです。反保守を保守によって表現しようとするという、究極の逆説が起きているような気がするのです」(23頁)

この大澤氏の指摘に宇野教授も全面的に肯定した上で、トランプを支持したアメリカ国民の心境を次のように述べる。

「リベラルなエスタブリッシュメントが主張する多様性の尊重や公正な社会の実現というのは、言ってみれば現状肯定のイデオロギーじゃないか、と。・・・」(24頁)それに比してトランプは富豪ではあるがエスタブリッシュメントとは一線を画している。そのため、リベラルに対するアンチを唱えた人たちのアイコンになったと指摘し、このアメリカの流れ、即ち「リベラルな価値を主張する側が現状肯定的に聞こえてしまうという状況が、日本にも共通している・・・」(24頁)ことを指摘している。

自民党が革新で共産党が保守と捉えられている現実、言葉の混乱?

更に、宇野教授は昨年話題となった『中央公論』10月号の論文「世論調査にみる世代間断絶」(著者は遠藤晶久、三村憲弘、山﨑新の三名)で示された、共産党が保守的で自民党が最も革新的と若者たちが感じていることを指摘し、「言葉の混乱が起こっている」し「リベラルもまた既得権者だと受け止められている」と見ている。

そこで宇野教授は次のように述べている。

「やはり本来の立場に戻って、自由・平等・民主主義が私たちの社会全体をより良くしうるということを、ロジックと感情の両面から語り直さなければならない」(24頁)

大沢氏は、その点について次のように指摘する。

「けっきょく、リベラルが現状の諸問題を解決できるほどの真にラディカルな政治的創造力を持っていない(さらには社会主義も訴求力を失っている)事こそが、両者にとっての根本問題です」(24頁)

と述べ、リベラルの側の現状に対する訴求力の無さに問題があること、リベラル以上のリベラルを狙うしかない、とも強調される。

最後の拠り所、多様性と憲法第9条の平和主義の普遍化だけなのか

そうした中で、リベラルが持つべき「多様性と普遍主義の維持」の重要性を強調し、大沢氏は戦後70年以上にわたって、日本国民が持ち続けている憲法第9条の平和主義こそが、普遍主義としてさらに展開していくべきことを主張されている。

問題は、貧困や格差拡大をどう解消できるのか、リベラルには所得再分配政策が不可欠ではないのか

引用が長く、余り要領を得ない解説になってしまったのだが、私にはもう少し考えなければならない問題があるように思われてならない。

一つは、宇野教授が保守とリベラルの対立に関して「大きな政府、小さな政府論」では見誤ると主張されている点である。今の若者が保守的になっているのは、決して現状に満足しているからではない事は、この特集全体で共通の認識になっている。貧困や格差拡大、不安定な雇用問題といった新自由主義によって齎された深刻な問題をどのように解決していけるのか、問われている。

それに対して、社会保障や教育といった分野の拡充が不可欠であるにもかかわらず、本来のリベラル政治勢力(ここではアメリカのニューディール以降の再分配政策を重視した社会保障政策を展開することを指し、ヨーロッパでのソーシャルと同義と捉える)が、国民の税・社会保険料負担増=再分配政策強化を求めてこなかったことの問題こそ重大な問題なのではないか、という点である。つまり、貧困や格差と言った問題を解決すべきリベラル(ソーシャル)側が、日本に於いては全くと言っていいほど再分配政策を重視してこなかった事こそ問題視すべきではないのか、と思う。

55年体制の下、社会党が社会民主主義政党になり得なかった現実

それは、日本の保守である自民党が、時にリベラルな政策を取り込んできた歴史に言及されているが、日本の社会民主主義政党として55年体制の一翼を担った日本社会党の責任が大きかったのではないかと思えてならない。ドイツ社会民主党が、1959年バードゴーデスベルク綱領採択以降マルクス主義から離脱をするのに反して、「安保と三池」以降、いろいろと曲折はありながらも日本社会党は、マルクス主義への傾斜を持ちつつ冷戦の終焉を迎える。

その間、日本の社会保障や教育は自民党政権の下で国民皆年金・医療保険、さらには2000年4月からは介護保険の創設へと続く。消費税の引き上げも、自民党竹下政権時代に政権と引き換えに、バブル崩壊直前になってようやく3%でスタートする。その間、社会民主主義政党たる日本社会党は何をしてきたのだろうか、国民はその歴史と実績について良く見て来たのではなかろうか。1994年の自社さ村山政権の誕生と共に、その政治的役割を事実上終える。

民主党は新自由主義の経済政策に絡みとられてしまった現実と挫折

1996年にスタートした民主党も、幾多の政治勢力を結集しながら2009年の政権交代にまでたどり着くわけだが、リベラル色がほとんど失われたマニフェストでは、事業仕訳だとか公務員攻撃など、小さい政府志向の新自由主義に近い政策がすすめられ、挙句の果てには「やらないと言っていた消費税増税」を打ち出すなど、国民から見て統治能力失格の烙印を張られ、今日の混迷に至っている。

この特集の中でも、北田暁大東大教授が「日本型リベラルとは何であり、何でないのか」という論文の中で、民主党が政権を掌握して進めた政策は、結局「アメリカのリベラルからソーシャルな方向性、公共的な人的資源への投資を削ぎ落して、寛容な多元主義という理念のみを引き取った‥‥」(54頁)ものでしかなかったわけで、「自由主義的経済政策と左派的理念という奇妙な連合体」でしかなかったと論断されている。その通りだろう。

日本のリベラルと称する政党は、過去の歴史と向き合うべきだ

こうした現実に起きた日本のリベラルと言われる政党の歴史を正しく総括しなければ、これからのリベラル政治勢力の再生は有りえないのではなかろうか。私自身の生きてきた歴史そのものであり、それだけ自己批判すべき問題が多いことを痛感させられることでもある。


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