2018年4月23日
独言居士の戯言(第43号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
今回も、政治の動きから目を離すことは出来ないようだ。国内外ともに、情勢は激しく動いているからだ。何よりも、朝鮮半島の動きがきになる。
北朝鮮金正恩委員長、核実験やICBMの発射を中止する事を発表
先週末の21日、北朝鮮の金正恩委員長が核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射を中止すると発表した。これから始まる米朝首脳会談に向けて「核カード」を切り、外交交渉が本格的に開始され始めて来た。何時、どこで会談が開催されるのかはまだ固まっていないようだが、トランプ大統領は5か所程度候補地が挙がっていることを示唆していた。今度こそ本当に朝鮮半島の非核化(北朝鮮だけの非核化ではない)実現に向けて、米朝のしっかりとした合意が実現して欲しいものだ。今までは北朝鮮による約束違反が罷り通ったわけで、今後もしっかりとした合意が求められるし、それが実現しないときには、トランプ政権は何をしでかすかわからないだけに、6月初旬にも開催される会談に注目したい。又、その前段今週の27日、板門店での南北首脳会談の行方も気になるところだ。
NHK特集、キム委員長の大転換を予測、国民生活向上を目指すのか
おりしも、NHKが5回に亘って金正恩委員長を中心にした北朝鮮の動きを特集しており、週末の土曜日と日曜日には第2回、3回の放映が為されていた。金正恩委員長の実態を見る限り、なかなかの戦略家(?!)であるかのように捉えていた。1回目の放映の際、今進んでいる「対立から融和へ」と劇的な外交方針の大転換される可能性を予言していた関係者(恐らく北の元幹部で、故人)証言記録は貴重である。何よりも北朝鮮の経済の立て直しが急がれているわけで、核保有国としてアメリカも無視できない立場を築いた以上、これからは国民生活の向上へと向かうのではないか。先述したように、過去の約束が守られなかった歴史があるだけに予断許さないわけだが、北東アジアの平和と安定に進んでいく事を期待したいものだ。だが、サイバー攻撃を始め、したたかな戦略をもって様々な動きを展開している事は確かである。
安倍政権、朝鮮半島の動きを十分に調査・分析できていたのか
日本の安倍政権にとっては、アメリカに追随して圧力外交だけで北朝鮮を追い詰めて交渉に引っ張り出そうとしたわけだが、結果的には「蚊帳の外」に追い込まれ、日米首脳会談においてもアメリカ頼みの外交の問題点が露呈し、トランプ氏からTPPによる多国間の経済協定への参加ではなく、日米2国間のFTA交渉に引きずりこまれてしまつた。それにしても、この間の日本の外交は何故こうした事態を予測し、きちんとした対応が取れなかったのであろうか。外交における情報収集不足が気になるし、これからも続く北東アジアの平和と安定のために、日本が取るべき戦略の再構築が急がれているように思えてならない。
国民の安倍政権支持率30%台に低落、与党のリーダーも蠢動へ
国内の政治も、なかなか形容しがたい局面に移り始めて来た。森友・加計問題は次から次へと新しい事実が浮かび上がり、今まで国会で答弁してきたことの「ウソ」が誰の目にも明らかになってきた。一度「ウソ」をつき始めるとその「ウソ」を隠蔽するため、次から次へと「ウソ」を上塗りして行くことになるわけで、多くの国民は間違いなく安倍政権のこうした体質を見抜き始めて来たようだ。内閣支持率も、共同通信の4月14~15日調査では37,0%と半月前の42,4%から5%以上下落、日本テレビは3月調査で30,3%から4月は26,7%へ、朝日新聞は3月も4月も31%で横ばいだったが、危険水域と言われる30%割れに近づいているようだ。
先週は、森友問題で国税庁長官が辞任するという深刻な事態に直面している財務省で、なんと事務方の最高責任者である福田事務次官が、事もあろうに「セクハラ」発言が露呈し、その対処にあたって被害者が名乗り出るよう要請するなど、遂に事務次官辞任へと事態は進展した。こうした事態にもかかわらず、麻生財務大臣は責任を問われても辞職することなく、高慢な言動や態度をとりながらワシントンへと飛び立ってしまい、国会は空転したままゴールデンウイークへと突入する気配が濃厚になっている。23日には加計学園問題での新しい資料が出て、柳瀬元秘書官の「記憶の限り会ったことは無い」と答弁していたことに対して、野党側は参考人ではなく証人喚問とすべきことを主張したが、与野党の合意に至らず延期されるようだ。
麻生財務大臣はもちろん、安倍総理の政治責任は免れない
財務大臣の辞任は当然としても、問題を引き起こしている安倍総理の責任こそが問われなければならないにもかかわらず、ご本人は他人事のように「膿を出し切るために頑張りたい」と発言されるばかりで、肝腎の「膿み」が自分自身であることを自覚しておられない「裸の王様」なのだ。振付師である経産官僚も、もはや手に負えなくなってきたのだろうか。自民党内でのポスト安倍への動きも始まりつつあるようで、岸田政調会長もちょっとパンチ力に欠けるとは言え、やる気満々の雰囲気を漂わせてきた。岸田氏だけでなく、石破元地方創生大臣や野田聖子総務大臣らも総裁選に向けて蠢動し始めるわけで、国民の信頼を取り戻すべく、今までの安倍政権の異次元(異常)な金融緩和路線から、財政政策を重視する方向へと舵は切り替えられるのではないか、と期待したい。国民生活を重視する、当たり前のマクロ経済政策へと転換させてほしいし、何よりも今は「信なくば立たず」が一番肝心な事なのだろう。
諸冨徹著『人口減少社会の都市 成熟型のまちづくりへ』(中公新書2018年2月刊)を読んで
政治がらみの話から、一転して少子高齢社会の下で進む人口減少時代というこれからの日本が直面する大問題について、地方自治の観点から問題提起された諸冨徹京都大学教授の書かれた『人口減少時代の都市 成熟型のまちづくりへ』(中公新書 2018年2月刊)を取り上げてみたい。
諸冨教授は、環境問題や税・財政問題について日本を代表する理論家で、私自身議員時代に多くの影響を受けた専門家の一人である。神野直彦教授や故金沢史男教授、さらには宮本憲一教授といった錚々たる専門家の薫陶を受けて来られ、今回の著書も特に街づくりや地方自治が直面する問題に鋭く切り込まれている。この著書の狙いは表題にあるとおり、人口減少時代はピンチではあるがチャンスでもあり、時代にふさわしい都市政策・都市経営に打って出る必要があることを前面に出されている。そうした街づくりを「成熟型まちづくり」「成熟型都市経営」と呼び、日本の先達の経験や人口減少の先進事例を持つ欧米の経験からヒントを求めておられる。
人口減少の下、都市・地域の未来の持続可能性が問われている時代
結論的には、「第4章持続可能な都市へ」において、高度成長時代の人口増加の時代に、環境・自然破壊さらには国民生活が脅かさせられていたが、今起きているのは人口減少が都市・地域の未来の持続可能性が問われているわけで、「経済の持続可能性」「社会的な持続可能性」更には「財政の持続可能性」を忘れてはならない事を指摘される。それは、超高齢社会の社会保障経費と社会資本更新経費の増大、人口減少と経済規模減少による税収減による都市財政の危機をどう乗り越えられるのか、その際のカギは「住民自治」が機能するかどうかにかかっている事を強調される。
注目したいのは、都市経営という観点からピンチをチャンスに
それは、単に人口吸引ゲームに参加することではなくピンチをチャンスに変えるべく、今までは「費用」としてしか認識されなかったものを、「投資」へと発想を大きく転換し、「都市経営」の視点から経済活力を高めることによって税収増を獲得する必要があることを主張される。では、その投資費用をどう賄うのか、補助金や地方交付税といった国への財政依存を強めてきた過去から脱却し、「日本版シュタットベルケ」構想を提起される。シュタットベルケとは、ドイツで進められている「地方公社」とでも表現すべき組織で、現に多くのシュタットベルケに於いて、エネルギー分野の生産・雇用・所得を域内で作り上げている事に倣うべきことを主張される。
私自身、「都市経営」という観点から地方自治体の在り方を考える視点の重要性を指摘されたことに感心させられた。戦前の関一大阪市長の交通や電力分野の都市経営に始まり、戦後の宮崎辰雄神戸市長の都市開発行政など地方が自由に使える自主財源確保に成功した事例とともに、美濃部都政のように国との闘いを通じて自治の獲得を目指したものの、結果として起債の自由化は勝ち取ることができず、失敗に終わった指摘には歴史の教訓としてきちんと見ておくべき点であろう。
成熟型都市経営は、これまでの時代の発想から大きく転換すべき
問題は、経済成長が大きく低下し人口が減少する下で「成熟型の都市経営」はどうあるべきか、という点であろう。諸冨教授は次の点を強調される。
一つは、都市をコンパクト化しつつ、社会資本を21世紀の都市構造の要求に適合的な形に作り替えること、
第二に、既存の都市ストック(資本・資産)を有効活用すること、その際「所有と利用の分離」が重要になること、
さらに、環境経済が専門であるだけに自然資本への投資の重要性と共に、人的資本、そして人間を支える社会関係資本への投資が重要であること、とくに人口減少社会を乗り切るカギは住民自治の力量の高さにかかっているだけに、社会関係資本への投資が重要になることを強調されている。
多くの事例の中で、コンパクトシティでは富山市が、さらに「所有と利用の分離」については丸亀市商店街が、地域経済循環の観点からは長野県飯田市を取り上げておられる。
その他、これから都市がどうあるべきか、という点で「縮退都市」という概念も打ち出されており、さいたま市や東京都下の稲城市など多くの街の事例を挙げておられる。また海外の事例についても、ドイツはもとよりアメリカの都市改革も例示されていて、実に興味深い。
固定資産税の増収だけで、新しい都市づくりの財源は大丈夫か
ただ、都市の改革を通じて街の魅力が生まれ、人口が集合する事による地価の上昇が固定資産税の増加に繋がることが指摘されているのだが、地方自治体当局がそれをどの程度意識して街づくりを進められているのか、それだけでは地方自治の自主財源確保には不十分で、都市自体がどのように経営力・財政力を確保できるのか、日本版シュタットベルケの様々な実践が求められているようだ。都市経営が上手く機能できるかどうか、自治体のリーダーの手腕が問われている。