2018年9月17日
独言居士の戯言(第62号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
平成30年北海道胆振東部地震の齎したもの、ブラックアウト解明を
9月6日、午前3時8分、北海道の太平洋岸の厚真町(苫小牧市の東隣り)を震源地とする震度7の大地震が発生し、死者は42人、未だに避難している千人を超す避難民が生まれるなど、大変な災害に見舞われた。とりわけ、北海道全体の約295万世帯すべてが停電(ブラックアウト)する「想定外」の事態に遭遇し、今日に至るまでぎりぎりの電力不足状態に置かれている。北海道電力や国・道などは20%の節電を訴えてきたものの、計画的停電にまでは至らなかった。どうやら18日からは20%目標の節電は取り下げられ、一般的な節電の要請になるようだ。
問題は、なぜこうした異常なブラックアウトと呼ばれる電力喪失に追い込まれたのか、という点にある。北海道で必要な電力の半数近くを、震源地である苫東にある北電厚真火力発電所で賄っていたわけで、その電源が地震によって失われ他の発電所に負荷がかかり、相次いで電力ストップに追い込まれたことによるものだ。今は、休止していた発電所を再開させたりして何とか息をついているが、苫東の火力発電所が復旧しない限り供給電力量の安全圏には至らないわけで、こうした危険性に対するリスク対応の面で北電の責任が厳しく問われ始めている。とくに、先述したように北海道で必要な電力の半数近くを、一か所の発電所で賄っていた事のリスク管理の弱点は免れないだろう。是非とも、今回のブラックアウトに至った原因を、第3者の専門家の目で徹底的に調査・解明し対策を打って欲しい。ほかの地域や国の電力問題にも、この災害の教訓を生かして欲しい。
ブラックアウト発生の原因究明のため、第三者調査委員会設置を
気になるのは北海道電力だけではないが、風力や太陽光といった新エネルギーが拡大する事に対して、電力送電容量不足(泊原発再開による電力輸送を確保する事を予定していた)を理由にして制限を加えてきたことであり、こうした新エネルギーが大きく展開していれば、広域的で分散した電力網が実現できるわけで、今回のような一点集中型の電力に依存する危険性から脱却できるのではないか。経産省の電力・エネルギー政策のあり方も、今回の北海道電力の問題を考える時、当然のことながら一極集中型の原子力発電依存に戻ってはならないと思う。
それにしても、観光や農業といった北海道にとって大きな役割を果たしている重要な産業は、未だに震災の影響を受け続け甚大な影響を受け続けている。それだけに、地震(災害)列島である日本は、災害に対する備えを基本に据えて、これからの国づくりを考えて欲しいものだ。今回の地震に対して、小生の方にも安否を気遣われた全国の皆さんからのお見舞いの手紙やメールを多数頂戴した。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
朝日新聞インタビュー、野田元総理の「製造物責任」論を読んで
大震災の中で見落としていた新聞記事に後で気が付いたのが、野田前首相の朝日新聞9月8日付のインタビュー記事である。時あたかも、自民党総裁選挙直前であり、何故、今、野田元総理を登場させたのか、やや企画についての唐突感がぬぐえない。インタビューアーは駒野剛編集委員で、表題は「(インタビュー)安倍政権の『製造責任』前首相・野田佳彦さん」とある。表題の「安倍政権の『製造責任』」について、いきなり冒頭に総選挙の実施を宣言した党首討論の是非について問うているのだが、ちょっと厳しすぎると感じた。この駒野氏の質問に対して、野田元総理は次のように答えている。
「衆院議員の任期は翌年8月までだったので、その間にどこかで解散しなければいけない。私はあの時点しか選択肢がなかったと思うんです。ただ、結果的には敗れたわけで、その後の5年間の安倍政権を、製造物責任と言われたが、そういう事態を招来したということはご指摘の通りなんだろうと思います。私に結果責任があることは事実です」
解散決断の背景には、衆議院の過半数割れの危険性が切迫も
いたって謙虚で潔いのであるが、この時の状況で忘れてはならない事がある。それは、党内から小沢一郎氏らのグループが民主党から離脱し始め、衆議院での過半数割れが近付いていた事だ。このまま、解散をしないでいたら、年末には離党者が続出し、野田内閣の不信任案が可決される危険性があったことを忘れることは出来ない。野田元総理は、その点については直接触れられていないが、自民党との違いに触れて、次のように発言されている事も見逃すことは出来ない。
「自民党は政権を維持するため、何があっても、最後はまとまるという知恵がある。我々にはそれがなかった」「・・・あえて言葉を選ばずに言えば、『うそでもいいから固まれ』ということです。二大政党の野党というのは、そんなものだと考える。そこで別れたら、与党にやりたいようにやられるだけ。それを教訓にしないといけない」
新しい野党結集、もはや野田元総理世代が交代すべき時代かも!?
はたして、このような政治勢力を再び結集できるかどうか、「そのときの旗は」と問われた野田元総理が答えた方向は要約すれば次のように整理できるだろうか。
政治は民主主義がないがしろにされているので、「立憲主義」。経済政策について「アベノミクスに対して、ボトムアップの、きちんと再分配をやって、格差をなくしていくところは、どの政党も共通にできる。分配こそ最大の成長戦略と言ってもいい。そこに一つの個性があるはずですし、大同団結できるところがあります」と述べている。
再分配政策を経済対策の軸に据えることが、今の野党ができるのか
「立憲主義」はよいとしても、「再分配政策」による格差是正を、基礎的財政収支の黒字化とともに進めるためには大幅な増税(その多くは消費税の引き上げ)が避けられないわけだが、民主党時代の財源問題に対する無責任な公約が国民のなかには強く印象付けられているわけで、はたして野党の政治勢力が財政再建と再分配政策による社会保障・教育などの充実の両方を進めて行くことで一致できるのかどうか、ポピュリズムにたいしてきちんとした政策を出し切れる政治勢力が一つになれるのかどうか、それこそが問われているのだろう。
残念ながら、民主党政権時代の悪印象をもたれた政治家(野田氏も免れない)が、新しくその悪印象を変えようと努力されたとしても、国民がその印象を変えるためにはよほど大きな転換を印象付ける出来事が必要であるし、リーダー政治家の世代交代が必要になっているのかもしれない。野田総理の気持ちとしては、「死んでも死にきれない」のはとても心情的には良くわかるのだが、政治の転換のためには、そうした長い歴史的なパースペクティブが必要になっているのだと思う。かつて、一緒に財務省で働き、内閣官房で野田総理を支える立場にいたこともあるだけに、厳しい見方をすることが心苦しい今日この頃ではある。
リーマンショックから10年、日経新聞の特集記事に注目した
9月15日は、リーマンショックから丁度10年の節目に当たっており、経済関係のメディアには特集が組まれていて興味深く拝読した。とりわけ、日本経済新聞は1面に5回にわたって当事者のインタビューを掲載し、さらに「経済教室」でも3回にわたって識者を登場させるほどの力を入れていた。その集約とでもいうべき記事が9月15日朝刊に掲載されていた。「リーマン危機10年」「世界の債務 10年で4割増」「マネー、成長に回らず」と見出しがついている。
見出しを読むだけで、今の経済が抱えている問題が深刻であることを伺わせてくれるわけだが、過剰なマネーが実体経済の成長に回るのではなく、マネーゲームとして利益を求めて動き回り、資産価格を中心にバブル化しつつあることは確実だろう。とくに、規制による銀行の存在感が薄れ、「影の銀行」と呼ばれる資産運用会社や年金基金、ヘッジファンドなどが利益を求めて暗躍する。高リスクの金融商品にまで手を広げ、「新たな危機」の発火点になることを警戒し始めているが、金融緩和から正常化へと進むことによる新興国経済の落ち込みなどどう進めて行くべきなのか、政策当局にも迷いが生まれているようだ。
当時の責任者たちは、今の世界経済の抱える危機は10年前より悪くなっていると指摘
この日経新聞の連載の中で、やはり気になったのは現状に対する警戒の声である。ECB総裁として危機にあたったジャンクロード・トリシェ氏は次のように警告を発している。
「現在は08年の金融危機当時と同じか、さらに危険な状況にある。今景気後退に陥れば、極めてやっかいな状況になる」
さらに、アメリカでリーマンショックが起きたことの調査委員会を率いたアンへリデス氏の、グリーンスパン元FRB議長に対する意見聴取での次の発言はなかなか厳しい。
「議長は『自分は70%正しく、30%間違っていた』と答えた。私はタイタニック号の船長は1%間違えたが、その1%が致命的だったのだと指摘した」
アンへリデス氏は、90年代以降規制強化に及び腰だった点を厳しく批判し、現状については危機前と同じ状況にあると指摘している。
「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」今日この頃だが、ポピュリズム台頭に危機感を持つべきでは
総じて、「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」と形容していいのだが、リーマンショック後の金融危機からの脱却にむけて、財政支出だけでなく超金融緩和策の齎した世界の債務累積額250兆ドル(日本円に換算して2京7,000兆円)の震源の大きさは、次の金融・財政危機のマグニチュードを確実に高めているわけだ。今や世界経済は、10年に一度のバブルとバーストの繰り返しによって一握りのグローバル化した巨大企業の繁栄とは裏腹に、多くの中産階級・労働者階級の衰退・没落のなかで、ポピュリズム政治の台頭に悩まされる時代に入っている。こうした深刻な状態からどのようにして脱却して行けるのだろうか。今進んでいる自民党総裁選挙においても、このような危機感からは程遠いものでしかない事に、危機感を覚える今日この頃である。