2018年11月19日
独言居士の戯言(第70号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
安倍総理が決断した「2島先行返還論」、衆参同時選挙も視野に
11月14日、ASEAN首脳会議がシンガポールで開催され、安倍総理はロシアのプーチン大統領と会談し「日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意」したと大きく報じられている。ちなみに同宣言では歯舞群島と色丹島の2島について平和条約の締結後に日本に引き渡す、と規定されており、順調に進めば北方領土問題の進展が急速に進み始めることになるだろう。しかも、来年7月の参議院選挙が衆議院の解散によって衆参同時選挙になる公算が出始めており、政局は一気に緊迫し始めている。衆参同時選挙が本当に実現するかどうかは未確定であるが、沖縄の知事選挙での自民・公明両党の全力投球にも拘らず玉木デニー候補が圧勝したことは、来年の参議院選挙での野党共闘の行方如何では自民党の敗北が懸念され、安倍政権の行方にも暗雲が漂いかねない。それだけに、北方領土問題を政治的争点にした衆参同時選挙の動きは、相当確率の高い動きになるのではないか、と見ていいのだと思う。
佐藤優氏と鈴木宗男氏とのコンビが官邸を動かしたのではないか
こうした日ロ間の動きについて、対ロシア外交の専門家でもある元外交官・作家の佐藤優氏は、『週刊東洋経済』誌の「知の技法 出世の作法」という氏の連載するコラム欄で、9月のウラジオストックから始まり、今回のASEANの日ロ首脳会談での安倍総理発言に至る背景について詳しく分析をしている。おそらく、私の想像では、佐藤優氏の考えている日ロ外交、北方領土問題の解決方法について、鈴木宗男氏を通じて官邸との深い繋がりができており、今回の安倍総理発言の流れは鈴木・佐藤ラインの強い働きかけがあったものとみている。もちろん、確証があるわけではないが、総理の動静欄に鈴木宗男氏が時々登場している事に注目していたからだ。以下、佐藤優氏のコラムからその流れを追ってみよう。
周到に準備されたプーチン大統領のウラジオ発言から始まる
このような動きが加速され始めたのは今年9月12日、ロシアのウラジオストックで開催されたシンポジウムの席上で、プーチン大統領が突如安倍総理に向けて「今思いついた、条件を付けずに平和条約を締結しよう。今すぐとは言わない、今年中に締結しよう」といった趣旨の発言をし、安倍総理はあまり予期していなかったからだろうか、困惑した様子だったと報じられていた。この9月のプーチン発言から始まった日ロの平和条約締結・領土問題の提起は、その後10月18日、ロシア南部のソチで内外有識者を集めた「バルダイ・クラブ」の場で、プーチン大統領の北方領土問題で重要な発言が継続される。プーチン大統領は、ウラジオストックでの提案に対して、安倍総理が「領土問題を解決し、平和条約を結ぶ」という主張に対して、「それでもいいが、終わりが見えないではないか」と発言したことに佐藤優氏は注目する。
プーチン発言の真意、「交渉の加速化」にあるとの菅官房長官発言
佐藤優氏は、ここが「長年、対ロシア外交に従事してきた筆者の経験に照らすと、プーチン大統領の真意は、近未来に安倍首相が踏み込んだ提案を行えば、ロシアはそれに応じる可能性があるという強力なメッセージを送るという事だ」(11月3日号)と指摘し、プーチン大統領が安倍総理の発言も肯定することで「交渉の加速化」を日本に促したのだ、と解釈している。
それを裏付けるかのように、翌19日午前の記者会見で菅官房長官が「日ロ関係の発展を加速したい、そういう強い気持ちの現れではないか」と述べている。何と10月19日は、今から62年前にモスクワで日ソ共同宣言に署名した記念すべき日であった。この文書は共同宣言という名称ではあるが、両国の国会で批准された法的拘束力を持つ条約であり、ロシア側はそれを継承している。
佐藤優氏は、シンガポールでの安倍総理の発言内容を予告へ
注目したいのは、この11月3日付の『週刊東洋経済』の記事の最後の次のくだりである。
「11月半ばにシンガポールで行われる国際会議を利用した日ロ首脳会談が現在、調整されている。この首脳会談で、歯舞群島と色丹島の二島返還を実現し、国後島と択捉島についても日本の優遇措置を認めさせるような方向で領土交渉のカードを日本が切る可能性が高まっている」
まさに、その通りの展開が今動き始めている。かつての「4島即時一括返還論」から「2島返還先行論」へと大きくかじを切り替えたこと、そして、その流れは確実に日ロ関係を転換させる大きなうねりとして現実化されようとしている。
日本政府は、1991年10月秘密裏に「4島一括返還」論を放棄へと大転換していた
もっとも、既に「4島一括返還論」という考え方は、ソ連邦が解体した直後の1991年、エリツィン大統領が北方領土問題について「戦勝国、敗戦国の区別なく、法と正義の原則によって解決する」方針を打ち出した時、日本政府の側も「4島一括返還」から「4島に対する日本の主権が解決されるならば、実際の返還の時期、態様、条件については柔軟に対処する」と基本方針を転換し、10月には中山外務大臣がモスクワを訪問し「ソ連とロシアにこの方針転換を極秘裏に伝えた」わけで、以来首相官邸も外務省も「4島一括返還」という主張を一度もしたことが無い。
1993年東京宣言、「4島の帰属の問題を解決して平和条約締結」へ
この「極秘裏」に転換したことは、未だに一般国民のレベルはおろか、マスコミ関係者ですら十分には理解されていないわけだが、事態は内外の情勢の変化と共に進展していく。ロシアも混乱からプーチン政権へと転換し、日本でも自民党政権から細川政権、自社さ政権、民主党政権といった連合政権時代を経て、第2次安倍政権の今日に至るわけだ。その間、日ロの領土交渉では,1993年の「東京宣言」において、当時の細川首相とロシアのエリツィン大統領との間で「4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」事に合意している。
安倍第二次政権、なし崩し的に「4島の帰属問題解決」が基本方針
91年の秘密裏の提案と東京宣言では「4党に関する帰属の問題と4党の日本の帰属確認が全く異なる概念」であることの違いがありながら、第二次安倍政権になってから、これまでは日ロ間で「交渉の土俵を定めたに過ぎない4島の帰属の問題に関する解決が、なし崩し的に日本政府の基本方針になってしまった」。つまり「安倍政権は4島に対する日本の主権確認を平和条約締結の条件から外したのである」(『週刊東洋経済』2018年10月6日号より)。佐藤優氏は、独自に入手した情報として、9月12日のプーチン発言の後、柔道観戦をしながら短時間の会談で「領土問題を解決して平和条約を締結する」ことの確約をしたと言われており、その翌々日に実施された日本記者クラブでの石破茂氏との自民党総裁選の場でも「プーチン氏が述べた様々な言葉からサインを受け取らなければならない」と発言し、今後の交渉に自信を示している。
日本は戦後、国後・択捉を含む千島列島を放棄した歴史的事実
今後の領土交渉について、日本政府があまり語ろうとしていない歴史的な事実として、サンフランシスコ平和条約において日本が放棄したのは南樺太と共に千島列島であり、その千島列島には国後島も択捉島も含まれると国会で答弁しているのだ。佐藤優氏は、それ故国後島と択捉島に関する要求は「日本がいったん放棄した領土の復活折衝だ」という事を知らなければならないと指摘する。もっとも、サンフランシスコ平和条約には、ソ連は署名していないと同時に、日ソ中立条約を破って対日参戦をしたソ連側の「侵略戦争」であったことの歴史的事実も、しっかりと踏まえて行くべきことは言うまでもないだろう。
これからも難問なのは「ダレスの恫喝」、歯舞・色丹の主権の行方
私が一番難問ではないか、と思われる点は、1956年の日ソ共同宣言を締結した直後のアメリカの反応であり、いわゆる「ダレスの恫喝」問題である。米ソの冷戦時代にソ連側と平和条約を締結する事へのアメリカの厳しい批判があり、結果として「宣言」は履行されないまま今日に至っている。特に、今回の歯舞群島と色丹島の返還の際に、アメリカの軍事基地問題が展開される事へのロシア側の懸念が出されており、どうやら安倍総理はそれを否定する約束をプーチン大統領との間で交わしているようだ。ただ、トランプ政権がそれを本当に容認する事になるのかどうか、今後の展開が注目される事になろう。既に、プーチン氏は歯舞・色丹両島の主権についての帰属は確定していない、と問題を提起しており、今後の交渉課題と発言している。
これから「2島先行返還論」を、どう国民的納得へと昇華できるか
それにしても、「2島返還先行論」への批判は根強いものがあり、外務省の元事務次官や日ロ外交の専門家の間でも批判的な立場を表明も相次いでいる。そうした懸念がありながらも、安倍総理は「2島返還先行論」に舵を切ったわけで、まさに賭けに出たのかもしれない。ただ、戦後70余年近く経っても「4島一括返還」では展望が出なかったわけで、この機会を逃しては恐らくこの問題の解決への道は開くことができないだろう。文字通り最後のチャンスだと言ってよい。
安倍総理は、来年1月に訪ロし、プーチン大統領は6月に訪日する。丁度、参議院選挙直前のタイミングであり、そのチャンスをいかして衆参同時選挙が企画されようとしているのではないだろうか。安倍総理の歴史に残る大事業として、日本とロシアの平和条約の締結と領土問題の解決は、しっかりと視野の中に入ろうとしているのかもしれない。この問題の解決の歴史的な意義を、今の世界的な大転換期の時代状況のもとで、いかに国民に納得してもらえるだけの言葉で語られるのかどうか、に成功のカギはかかっているのかもしれない。