2018年12月10日
独言居士の戯言(第73号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
臨時国会終わるも、余りにも酷過ぎる国会運営に衆院議長が斡旋へ、
利益相反を物ともしない竹中平蔵氏等の暗躍が目に付く
臨時国会も終わり、いよいよ来年度予算編成の本格的な作業が始まる。それにしても、稀に見る酷い臨時国会であった。外国人労働力を本格的に受け入れ始める第一歩となる入管法の改正ではあるが、重要な問題については殆どすべて法務省令などに委任するわけで、さすがの大島衆議院議長も全体像が確定次第、もう一度国会での論議する場を設定するという事を提起せざるを得なかった。
来年4月からの改正法の施行にこれほどまで拘ったのは何故なのか、労働力不足の加速化を上げているが、そうした一般論だけではなさそうだ。背景には、どう見ても人材派遣業界の影がチラつく。外国人労働者を大量に受け入れ、民間企業の抱える労働力不足に対応して商売を拡大する意図を強く感じている。特に、これまで中小企業中心に、あまり評判良くない技能実習制度(約28万人に達する)を、大企業にも振り向けるべく戦略を描いていたのは、国家戦略特別区域諮問会議委員の竹中平蔵パソナ会長(人材派遣業大手企業)等と官邸におぼえ目出度い高級官僚の一部なのだろう。
水道法の改正問題でも、コンセッション方式での民営化が進められることになったわけだが、何とここでも竹中平蔵氏(今度はオリックスの役員として)の名前が出てきているようだ。実際に世界的に水道事業を請け負ってきたフランスのヴェオリア社(民間水道事業に関与)関係者が、この改正に内閣府PFI推進室の一員として一時的に深く関与していたとも報ぜられ、菅内閣官房長官の補佐官であった福田隆之氏が最近辞任している。その辞任にも水道の民営化が関わっていたと言われ、それが大きな問題にならない前に辞任させたと言われている。利益相反が全く問題視されないとすれば、今の政府は公平な民主主義国家といえるのだろうか。一握りの悪徳政商とコンビを組んだ、疑惑まみれの政治家・高級官僚による『腐敗国家』に堕してしまっていると言えよう。
来年度国の一般会計予算案は、100兆円の大台乗せは必至か!
プライマリー黒字への転換は、いとも簡単に先送りへ
今回は、来年度の予算編成とりわけ税制改正に関連した動きについて、思うところを述べてみたい。最大の問題は、来年10月に実施するとされている消費税の10%への引き上げを口実に、公共事業費のかさ上げや防衛予算の増嵩など、実に途方もない放漫財政を進めようとしている(もっとも、国民生活に直結する社会保障予算などは自然増額を抑制へ)。おそらく、一般会計だけでも100兆円の大台に乗せることは間違いなさそうである。
他方で、消費税引き上げによる景気の落ち込み対策と称して、プレミアム商品券導入やクレジットカード等によるキャッシュレス決済利用者には5%のポイントを還元すること、さらには耐久消費財である自動車や家屋の購入についての減税措置の拡大など、税制上の優遇措置もやりたい放題である。ただでさえ税収が一般歳出を賄うことができないプライマリー赤字なのに、その赤字額はさらに増大する事は必至だ。もはや、赤字国債を大量に発行することは当然の前提となっており、そのことによる財政赤字の拡大は殆ど重要視されなくなっている。
ちなみに今年7月に策定された財政再建の見通しは、甘い経済前提の下2025年にならないとプライマリーバランスは黒字に転じない、と先送りを決め込んでいる。「財政再建」なるものは、この政権にとっては「飾りことば」でしかなく、日銀がゼロ金利で大量の国債購入してくれているおかげで財政赤字は何の問題も無い、と豪語する者まで出ているのが現実である。無責任この上ないことは言うまでもあるまい。
来年は「いのしし年現象」で参議院選挙は自民苦戦が予想される
もちろん、来年が統一自治体選挙と参議院選挙の重なる12年に一度訪れる「いのしし年現象」の年にあたるわけで、政治的な意図は明白だ。過去「いのしし年」の選挙をふり返ってみると、自民党や安倍総理にとっては参議院選挙で敗北が続いており、何としてもそれを避けたいという思いがすべてに優先されるに違いない。前回の2007年は、安倍総理の下での惨敗だったわけで、日ロの北方領土問題の進展いかんによっては、衆参ダブル選挙の実施すら企図されているとも言われている。
というのも、過去の「いのしし年現象」は、統一自治体選挙で手足となる自治体議員が、自分たちの選挙が終わった直後の参議院選挙になるため運動が鈍り、投票率が大きく落ち込むことによると言われている。安倍総理にとって3期目以降は無いわけで、レームダック化を避けるためにも、来年の選挙は重要な戦いになることが当然意識されている。
4度「消費税引き上げ」カード悪用で、放漫財政によるばらまきに突入しようとしている安倍総理
そこで、再び「消費税の引き上げ」カードを最大限に活用しようとしているわけだ。既に、5%から8%へと2014年4月から引き上げたものの、次の10%への引き上げが2015年10月からと法定化されていたことを延期し、その延期を理由として2014年秋に解散・総選挙に打って出て勝利を導いてきた。続いて、2016年参議院選挙を前に、再び消費税の引き上げを2019年10月まで延期する事を打ち出し、参議院選挙でも勝利する。さらに、昨年の秋の解散・総選挙時には、何と消費税の引き上げ分の使い道で、当初の財政再建分を幼児教育の無償化等への流用を掲げ、2020年のプライマリー赤字の解消目標など蹴っ飛ばし、これまた総選挙で大勝する。かくして、「社会保障・税一体改革」の考え方を大きく変え、「全世代型の社会保障改革」なる物へと転換させたわけだ。
おそらく、来年度の消費税の引き上げは実施する(法治国家として当たり前の事なのに、予定通り実施する事をわざわざ会見する異常さ)が、引き上げに伴う景気対策と称する「大型放漫予算」を実現させ、「いのしし年現象」による自民党敗北を阻止させたいのだろう。これほどまでに「消費税引き上げ」を食い物にした政治家はいないのではなかろうか。どんなに財政赤字が拡大しようと、日銀の金融政策によって毎年出し続けている巨額な赤字国債も順調に消化してくれているわけで、財政赤字を垂れ流し続けることに完全に慣れきってしまっている。
『週刊東洋経済』12月8日号、野村明弘記者の「消費税が大迷走するワケ」に注目、
財務高級官僚の戦略が裏目に
なぜ、このような状況になってきたのか、興味深い記事が『週刊東洋経済』(2018.12.8号)に掲載されていた。題して「消費税が大迷走するワケ」、書いたのは野村明弘記者である。この中で、10%への引き上げに伴う軽減税率や大盤振る舞い等さまざまな施策が混迷している事をとり上げ、最後にその要因について「裏目に出た財務省の戦略」の項を立て、次のように指摘している。
「今回の迷走はどこから始まったのか。安倍首相が2度の消費税の延期を決めた後、財務省上層部では、『安倍首相が消費増税をむげにするのは、オーナーシップ(当事者意識)の感覚がないからだ』という議論が起こった。
そこで、安倍首相が重きを置く教育無償化の財源の増収分とする案が、財務省上層部から示されたという。
ただ、結果的に安倍首相の支出拡大欲はむしろ留まるところを知らなくなった。財務省の戦略は裏目に出たというほかない」(95ページより)
このような事実があったのかどうか、更なる検証が求められるが、安倍首相に影響力を持つのが経産省出身官僚だと言われているわけで、かつての官邸の盟主たる財務省高級官僚の焦りが、こうした裏目の戦略の背景にあるのだろう。内閣人事局がスタートし、官僚の人事に大きな影響力を持つ時代において、今の内閣の権力関係の変化を示す事例の一つといえよう。
前原・井手提携の「All for All」政策への転換、政権側に悪用されたのではないか???
私自身は、もう1つ大きな問題があるように思われてならない。それは、民進党の前原代表が、昨年の総選挙の前に「消費税の引き上げを総て社会保障や教育に」充てる、いわゆる「All For All」という考え方を提示してきたことも大きく影響していたのではないか、と思っている。それを理論的に提起したのは井手英策慶応義塾大学教授である。
井手教授は最近岩波新書『幸福の増税論』を書かれ、「はじめに」のなかで、「税を語ればうとまれ、きらわれる。だが、それでも僕は、税や財政の仕組みを変えることで、これからの日本、社会がどう変わるのかを語り尽くしたい。誤解しないでほしい。僕は、財政破綻の恐怖をあおり、人びとをおののかせることで、増税をせまる『財政再建至上主義者』ではない。僕が語るのは、財政がすべての命とくらしを保障する社会、そのための痛みの分かちあいをよしとする人間たちの未来だ」(ⅲページより)と書かれている。
井手教授著『幸福の増税論』(岩波新書)の問題提起に理解はすれど、
持続可能性と実現可能性に問題はないか???
この指摘を読む限り、問題意識としては同感するのだが、財政赤字問題について、プライマリー赤字が継続され、累積赤字額がグロスで1,000兆円を超す今の財政をどのようにサステナビリティ(持続可能性)を維持しながら、フィージビリティ(実現可能性)ある政策を展開できるのか、ここは Cool Head but Warm Heartな態度が求められると思う。井手教授の、財政再建は後にしてでも、先ずは消費税の引上げによる国民生活の向上という成果を国民に感じてもらう事を優先すべきだ、という考え方を出しておられる。
「給付先行型福祉国家」という現実の下、
「Cool Head but Warm Heart」こそ、今求められているのでは
たしかに、増税を国民に受け止めてもらうための方策として、頭では十分に理解は出来るのだが、それを今の安倍政権によって見事に掬い取られてしまったのではないか、と思わざるを得ないのだ。井手教授の考え方と安倍政権のそれは、全く異なった物であることは言うまでもない。この著書で指摘されている事の多くは同感であり、ぜひとも実現させたい事は言うまでもない(Warm Hart)。ただ、「赤字国債を発行し続けながら増税分はすべて社会保障や教育の充実」を、という事に対して、にわかには賛成することができないのだ。「給付先行型の福祉国家」(権丈善一慶応義塾大学教授の言葉)という、世界でも稀な政策を展開してきた日本の過去の政治の結果が、今日の問題をもたらしている冷厳な事実を考えるべきだと思う(Cool Head)。
民主党政権の公約における過ち、実現可能性と持続可能性の欠如
結果として、民進党は解党し、今では立憲民主党も国民民主党も無所属に行かれた方たち、即ちかつて与党として「社会保障・税一体改革」を進めて来られた方たちは、消費税の10%への引き上げに反対する立場に転換されているようだ。井手教授は、引き続き「All for All」の立場でこれからも政治の現場と連携されながら、『幸福の増税論』を展開されていかれるのだろう。増税に対する嫌悪感を亡くしていく努力には大いに期待したいが、実際の政策として展開していくとき、私自身「持続可能性」と「実現可能性」を備えた政策でなければ公約として掲げるべきではない、という民主党政権時代の反省をきちんとすべきだ、という思いを持ち続けている。
もっとも、いとも簡単に公約を変え続ける鵺のような自民党政権のしたたかさにも、日本の民主主義の底の浅さを感ずる今日この頃ではある。