2019年4月1日
独言居士の戯言(第89号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
われわれは「平成」という30年をどう総括したら良いのだろうか
いよいよ平成が終わろうとしている。今日午前中にも、5月1日からの「新しい元号」が公表されるわけで、当分、新元号をめぐる論議が日本の社会で大きく取り上げられるに違いない。さてさて、この平成の30年間、日本の社会はどのようになったのか、今後われわれは何をどうすべきなのか、色々な角度からの論議が展開されている。そうした中で、朝日新聞のオピニオン欄で毎月1回掲載され続けてきた『論壇時評』3月28日付の、「この30年」「世界の変化に何故遅れたのか」と題した歴史社会学者で慶応大学教授小熊英二氏のコメントに注目した。
と同時に、このところ様々な場で、平成30年をふり返って「敗北」論を展開している経済同友会代表幹事小林喜光氏が、『文芸春秋』4月号に「日本経済 平成は『敗北』の時代だった」と題する論文を投稿している。奇しくも小熊氏は論壇時評の執筆者を、小林氏は同友会の代表幹事を共に降りる者として、平成30年を回顧する貴重な問題提起となっている。
朝日新聞『論壇時評』小熊英二氏、「世界の変化に何故遅れたのか」
小熊氏は、政治の世界で日本の女性議員比率の低さが世界193カ国中165位という事実、経済界の総本山たる経団連正副役員19名の構成員が、すべて男性で一番低い年齢でも62歳という事実を取り上げ、「この平成30年で政財界の同質性は高ま」り、こうした同質集団では新しい発想は生まれない。結果、日本と他国のギャップが目立つとして世界の女性議員比率の向上や同性婚制度の容認・拡大、死刑廃止への立ち遅れなど、冷戦の終焉に伴う世界統一市場化、その下でのヒト・モノ・カネ・情報の移動が急増し世界が激変するなかで、日本はその変化に立ち遅れたことを指摘する。
小熊氏は、何故遅れたのか、一つの答えとして「国内市場が大きいからだ」とし、日本がGDPで世界第3位、輸出依存率10%台であったが故に、国内市場に焦点を合わせれば、そこそこやっていけたからと述べておられる。一方、世界では、外国語を駆使してグローバル社会を飛び回るエリートと、国内だけで仕事をし一生過ごす人との格差がおおきく、それが極右政党の台頭を招いた半面、グローバルに進む人権や多様性を求める国際世論に敏感になったと指摘する。ところが、日本では格差のあり方も、”グローバルエリートとそれ以外”ではなく、”大企業正社員とそれ以外”という日本独自の格差だと見ている。それゆえ、閉鎖的な自国基準を見直す機運も薄く、新極右政党の台頭もないわけだ。
日本のミレニアル世代は何故保守化するのか、引き続き分析を
さらに、注目したいのが最近の日本における変化として、日本の若い世代の意識の変化を取り上げている。アメリカの「ミレニアル世代」と呼ばれる若者と一面では共通していて、アメリカで「#MeToo」に見られるように、多様性や公正を求める社会運動と結びついたのだが、日本ではそうした動向は強くない。かくして、今の日本の若者の価値観の現状を、かつて「草食男子」という言葉を創った深沢真紀の分析に依拠しながら、次のように整理し締めくくっている。少し長いのだが引用したい。
「深沢は、日本の若者の多くは『多様性を重視するという意味ではリベラルだけど、だからといって権力を批判したり、運動はしない』という。他人に干渉せず寛容だが、権力にも寛容で『抵抗するよりも受け入れてしまう』。『傷つくのも傷つけるのも嫌』なので、政権を攻撃する野党の方が『えらそうに批判ばかり』と映る。共感と寛容という世界の若者共通の傾向が、日本では現状維持に働くのだろうか。批判しても変わらないという無力感、現状でそこそこやっていくしかないという諦念(ていねん)もあるのかもしれない。」。
小熊氏は、縮小化しつつある国内市場に頼って行ける状態は長く続けられるはずはないのであり、東京オリンピックと大阪万博という「昭和の亡霊」が終わるころには新しい動きが出てくることを予想される。政財界のトップの多くは次の30年後にはこの世にいないのだから、と結んでいる。どんな新しい動きなのか、残念ながら小熊氏は何も語っておられない。それは、新しい動きの萌芽がまだ出ていないからなのだろうか。小熊氏には、引き続きなぜ日本の若者は「現状肯定化=保守化」するのか、しっかりと分析して欲しい。
責任ある経済・財政政策の必要性を指摘する小林代表幹事
一方、小林氏の問題提起を見てみたい。小林氏は経済界のオピニオンリーダーであり、論点は経済中心に絞られている。小林氏が所属する経済同友会は、昨年12月「JaPan2.0 最適化社会の設計~モノからコト、そしてココロへ」という提言を取りまとめ、公表されている。今回の論文は、その提言の核の部分を提起されたものだ。
小林氏はまず日本の財政赤字の問題に言及する。喫緊かつ最重要の課題として「増え続ける政府債務のコントロール」を上げられる。だが、消費税の10%への引き上げだけではプライマリーバランスの黒字化も達成できず、今後の希望的観測に依拠した経済成長依存だけでは財政再建は出来ない事を、堂々と主張されている。そうした政治の無責任さの背景にある国民の意識、「今さえよければ、自分さえよければ」があり、今の選挙制度の下でポピュリズム政治を生んでしまったことを問題指摘される。
今の生活に満足する若者の姿に危機感を持つ小林代表幹事
さらに、「敗北の30年」のもう一つの要因として、「日本が世界経済の潮流に乗ることができなかったこと」を上げる。中国の成長はもちろん、アメリカですら大きく成長しているにもかかわらず、日本だけが停滞したことを上げる。今日の世界経済の中で、データを制するものが世界を制するわけで、日本人が「知の退廃」「自己変革力の枯渇」に陥っている事の克服を求めている。昨年内閣府の実施した「国民生活に関する世論調査」で示された「現在の生活に満足している」と答えた比率は74.7%、18~29歳は83.2%になっている事を指摘し、時代が音を立てて変化しているのに「今とりあえず飯を食えていて、楽しいからいいじゃないか」では困るのだと危機感を募らせている。
「データ覇権主義」による「超格差社会」、公正な分配の主張を経済界に全面展開して欲しい
これからの時代、世界は「データ覇権主義」の時代へと転換しつつあり、その結果もたらされる弊害として、一握りの富裕層に富が集中する「超格差社会」をあげ、その弊害を克服するための「公正な分配と適正な競争が両立できる社会」を目指すべきことを主張される。「公正な分配」を進めるべきだ、という主張をする経済人は少ないだけに新鮮である。ぜひとも、経済界の中で公正な分配が広がるよう引き続き努力して欲しい。また、データの保護やサイバーセキュリティにも国家としての対応を求めておられるが、当然の事だろう。最後に、日本の立ち位置として、日本が優位性を持った手テクノロジーを使っていくべきであり、日本が培ってきたリアルな世界での膨大な知の集積という「実」の部分と、GAFAやアリババなどが得意とするバーチャルな世界をドッキングする事だ、と結んでおられる。
「人材育成」こそこれからの日本には不可欠、多角的教育の重視
果たして、二人の平成の時代の総括を見て、なぜこうした世界の流れに伍していける力を失ったのであろうか、という点こそしっかりと見ておく必要があるように思われてならない。国民の意識が「ゆでガエル」状態になっていても、それを自覚することができず、「のんべんだらり」と生きているように見える若者の姿が目に浮かんでくる。政治や経済を大きく変えて行く人材の育成こそが、今真剣に求められているのではないか。おそらく、こういう変革の激しい時代に於いては、今までの小学校から大學までの単線的教育だけではなく、30代以降でも再び勉強しなおせるリカレント教育が求められてくるのだろう。どうやって新しい時代に挑戦し続けられる人材を生み出していけるのか、日本が生き残っていけるためにはその事の一貫した追及こそが今社会全体で求められているのだと思う。
更に、平成以前から続いている大問題である「少子化」「人口減少」をどのように食い止めて行けるのか、少子化をもたらしている様々な古い制度を変えていく為、日本の政治・経済・社会のあらゆる分野の変革(「革命」という言葉が頭をよぎる)を進めて行く必要があると思う。残念ながら今回取り上げたお二人の平成の総括には十分に展開されていなかったのが残念である。