2019年4月8日
独言居士の戯言(第90号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
文字通りの「春闘終焉」時代へ、トヨタ労使の賃金交渉に想う
4月6日付日経新聞の2面の連載記事「真相深層」で、「労使交渉 トヨタ主役降りる ベア開示せず、賃上げ横並び見直し 米ITと異次元競争に危機感」と題して、賃上げ問題が取り上げられている。周知のように、トヨタは時価総額で日本で唯一世界のベスト50に入る優良企業にランクされている、文字通りのリーディング・カンパニーである。また、自動車産業自体は数少ないモノ作りで外貨を稼ぎ続けているが、そのなかでのトップ企業でもある。
となると、そこで働く労働者のベア(賃上げ)は、他の企業はもちろん他産業の労使の注目の的となるのが当たり前だったのがこれまでの「春期賃金闘争(春闘)」だった。つまり、自動車産業のトップたるトヨタの賃金がどれだけ上がるのかが目安となって、他産業の労働者の賃金も引き上げられ、公務員の人事院勧告にも反映され日本の賃金決定が確定する、いわば「パターン・セッター」の役割を演じていたわけだ。かつて、鉄鋼産業が世界の鋼材供給基地となった1960年代末、「鉄の一発回答」をリードしたのが旧八幡・富士であり、新日鉄を頂点とする鉄鋼労連傘下の大手5社だったことが懐かしく思い出される。産業構造の転換により、自動車産業にその地位を譲って今日に至っている。
生きるか死ぬかの状況、日本的労使関係の大転換をめざすのか
ところが、昨年の春からトヨタの会社側は賃上げ額を公表しなかった。今年に入ると、組合側も要求段階からベア額を非公開とし、結果としてパターン・セッターとしての役割から降りてしまったのだ。
何故なのだろうか。この記事の中で豊田章男社長が、今年の労使交渉の場で次のように発言したという。
「生きるか死ぬかの状況が分かっていないのではないか」
又、常日頃から「事業を転換しないと生き残れない瀬戸際だ。トヨタは過去の成功体験が大きい。このままだと5年、10年後に会社がなくなる」と発言しているとも報ぜられている。
この労使交渉のやり取りは、トヨタ社内で初めて全社員に公開され、労働組合も緊急の職場懇談会を交渉期間中開催して、組合員の間でリスクや将来への成長の認識の共有度を高めたようだ。
優秀な人材の自由な獲得競争こそ、これからの企業の生きる道!?
私が注目したのは、次のような経営側の狙いである。
「従来の一律的な賃上げ交渉を一刻も早く脱し、プロ人材の育成や獲得など高レベルの議論の場を労使で持ちたい」という点である。つまり、日本の労使関係の「三種の神器」といわれた「終身雇用制度」「年功序列制度」「企業別労働組合」のうち、「年功序列制度」を打破しなければグローバル化の下でイノベーションを起すことは難しくなっている、と宣言していると見ている。「年功序列」が崩れれば、「終身雇用制」にも波及して、今まで以上に雇用の流動化が進んでいくことは間違いない。賃上げ=「ベア」すなわち「ベースアップ」という一律の賃上げでは優秀な労働力を獲得できない、ということと並んで、グローバル化する自動車産業の異次元にも及ぶと想定される大転換を進めていく為には、今までの熟練した労働者の雇用も保障されるかどうか、分からないということすら含んでいるのだろう。
労働組合は、こうした大転換攻勢に太刀打ちできるのだろうか
このことは、日本の労働組合、いや日本の労働者全体にとって大変な問題を提起してきていると見るべきだと思う。これまで、大企業においては労働者が就職(実質的には「就社」)する時、どんな仕事ができるのか、ではなく、「どんな学校を卒業してきたのか」という事が基準になってきた。入社した労働者を長い年月をかけて熟練させ、一つの会社で定年まで終えるというのがこれまでの姿であったことは間違いない。
こうした仕組みは、戦後の高度成長を支えて日本の強さの秘訣として高く評価されてきたことは確かであった。先進国に追いつき、追い越すまでは上手く機能したわけだが、グローバル化や情報化の下「選択と集中」が進む中で産業構造の転換が猛烈なスピードで展開し、イノベーションの速さについていく為には、企業(工場)の新設・閉鎖や海外移転といった対応が不可欠になっていく。
そうなると、「終身雇用」や「年功序列」といった制度や仕組みが、経営側にとっては「桎梏」となってくる。トヨタの事例ではないが、既に情報通信の最先端企業等では、年功序列的な賃金・報酬・人事では優秀な人材が集められなくなってきているのが現実とにりつつある。かくして、経営側は生産性を上げるためには、労働者を必要に応じて自由に取り換えられる仕組みに切り替えようとすることは、容易に想定できるわけだ。
グローバル化した世界、立ちすくむ労働者をどう救えるのか
こうした動きを、どうわれわれは受け止めたらよいのだろうか。そんな資本の動きは身勝手で許せない、と批判していくことだけで良いのだろうか。1971年のニクソンショックから世界はブレトンウッズ体制が終焉し、自由にモノ(情報も)や資本の動きへと転換し、1989年のベルリンの壁が崩壊して以降、世界は自由な資本主義体制が「勝利」したわけだ。気が付いてみると、「労働者」はこうした流れの中で翻弄され、圧倒的な資本側の動きの前に立ちすくんでしまったと言えないだろうか。労働組合の力が先進各国で落ち込み、高い成長の下で社会保障の充実し、中産階層化した雇用労働者を基盤にしてきた社会民主主義政党の凋落も著しい。労働者陣営にとって、事態は輝かしい未来が開けるどころか、自分たちの労働環境が激変し、時には失業という大変な事態に陥ることもあり得る時代になりつつある。
世界の先進国は、同じ問題に直面し独自の道を模索しつつある
そうした中で、われわれを待ち受けているこうしたトレンドは、世界各国共通のものであり、先進国としてどのように対処できているのか、大いに学ぶ必要がある。1つは、アメリカの道であり、もう1つはお馴染みのスウェーデンである。アメリカでは、雇用は企業側の都合で「レイオフ」され、再び同じ企業で雇用されるときには、セニョリティ「先任権」によって決められていると言われる。ときに、こうした雇用削減を伴う企業再建を成功させると経営者側には法外な「ボーナス」が出ると言われ、貧富の格差が急速に拡大している。企業閉鎖された労働者は、自ら再び雇用先を見つけるための努力をする以外にない。まさに、放置すれば自助・自立の世界である。
今度もやはりスウェーデン、「レーン・メイドナー」モデルに注目
他方、先進国で比較的うまく進めているスウェーデンでは、企業経営が失敗しても、政府は企業を救済することはない。当然労働者は失業となるわけだが、失業しても新しい仕事への転換に向けて職業訓練や再教育が準備され、新しい企業へと転職していく道が手厚く用意されている。「積極的労働市場政策」といわれるスウェーデンのやりかたで、このシステムはスウェーデンの労働組合ナショナルセンター「LO」の経済研究所のエコノミストだつたイエスタ・レーンとルドルフ・メイドナーが、実に1950年代初頭に提起したもので、「レーン・メイドナーモデル」と称されている。
あの世界的な自動車メーカーだったサーブが経営困難に至った時ですら、政府は救済することがなかったことを見ても、この国の一貫した政策が今なお展開され、先進国ではトップ水準のGDP成長率を実現させている。スウェーデンは、税や社会保険料負担が高く「大きい政府」に属する事は言うまでもないが、政府は労働者の年金・医療・介護だけでなく、現役世代の子育てと共に、失業したり転職を目指す国民に生活を保障する失業保険はもちろん、教育・訓練における手厚い補償を進めている事に注目すべきだろう。
日本的労使関係はどうすればよいのか、総合戦略確立の時だ
ここで、考えて見なければならないのは、日本においてこうした日本的な労使関係を大きく転換させていける条件があるのかどうか、という点だろう。
冒頭のトヨタの会社側が、グローバル化の下での異次元の大競争に打ち勝つために、ついていけない労働者が解雇され路頭に迷う事態が起きた時、転職が円滑に出来る条件があるのだろうか。日本で転職となった場合、多くの中小企業では日常茶飯的に起きているのだが、転職できたとしてもより労働条件の悪い転職でしかないのが現実である。つまり、国によって進められる対策はせいぜい「雇用調整助成金」「失業手当」といったところでしかなく、新しい技術やスキルを身に着け、転職した方が労働条件も高められるという事になっていないのだ。
それだけに、労働組合にはこのような日本的な労使関係を大きく転換させようとする今、どのような政策を展開させていくべきなのか、問われていると思う。企業ごとに分断されている「企業別労働組合」であるがゆえに、「企業在っての雇用だ」という認識があるわけで、労働組合全体がこうした経営側の攻勢に立ち向かえないのではないか、と思えてならない。つまり、とトヨタだけでなく、他の自動車企業も、さらには日本の大手民間企業全てに共通してかけられる大問題に対して、労働組合総体としての総合戦略が絶対に必要になっていると思う。日本における「レーン・メイドナー・モデル」に対応できる今日的な仕組みを作り上げていく為に、今こそ『労働者の団結』が求められているように思えてならない。
今こそ必要な「全世代型社会保障」にむけて国民の負担増が不可欠
それと同時に、国による労働者の再訓練や再教育といつた現役労働者に対する「安定装置」を整備するために、財源の確保が不可欠であることだろう。社会保障・税一体改革に伴う消費税の引き上げに難渋している今日、さらなる引き上げによる財源の確保をどのように実現させていけるのか、労働組合が直面するこのような大問題を前にして、その労働組合の支援する政党の政策を見る時、暗澹たる思いを感ずるのは私一人ではなかろう。「平成」から「令和」へと時代が転換するいま、本格的な政策大転換を成し遂げなければ、日本の未来はますます暗転していくに違いない。