2019年7月22日
独言居士の戯言(第104号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
いのしし年現象は消え去った参議選結果、自民・公明で過半数越え
参議院選挙の結果は多くのマスコミの予想通り、半世紀近く続いた「いのしし年現象」のジンクスを破り、自民党は公明党と合わせて過半数の議席を獲得し、参議院での安定過半数を確保するだけでなく、憲法改正すら展望できる可能性すら出かねない状況になっている。なぜ、今年になっていのしし年現象が消滅したのか、国民の政治意識・価値観の大転換が進んでいる事の反映ではないのか、しっかりとした根本的な分析が必要になっている。とくに、若者の政治意識において、あの1990年代のバブル崩壊とその後の経済停滞の下で、過酷な雇用環境が蔓延する中での「アベノミクス」の登場が、現状肯定的な「今だけ、自分だけ、お金だけ」という意識の拡がりとなっている事実を見逃すことは出来ないと思う。もちろん、野党側の不甲斐なさもあることは言うまでもない。
1人区の野党共闘、東北での善戦はあったが、全体では一歩及ばず、
れいわ新撰組が議席を獲得し、政党要件を確保した事に注目
さて、選挙結果を見てみよう。注目された32ある1人区の内野党側の統一候補が勝利した選挙区は、8議席で残された2議席の行方が未定だが、飛躍的な前進とまではいかなかった。比例代表でも、自民党と公明党は着実に票を伸ばしているようだが、最終獲得議席や得票数は未だ出ておらず、確定した事実に基づく論評はできにくい。野党では、立憲民主党が議席を増加させているものの、かつての民主党政権時代の議席獲得数からは程遠く、国民民主党の落ち込みを併せて考えれば、旧民主党の支持はそれほど挽回したとは言えない。社会民主党の獲得議席は1議席取れるかどうか、政党要件確保が厳しいようだ。むしろ、れいわ新撰組の獲得議席が2議席確定、3議席目も視野に入りつつあり、得票率も2%を超え政党要件を確保できそうだ。山本代表の狙い通りとなったわけで、今後の政治の一つの核として見逃せない存在になったと言えよう。
投票率の低下、民主主義の未熟さを露呈、民主党時代の残影も影響
投票率も予想通り低投票率になったようで、国民の今回の参議院選挙に対する今一つ盛り上がりを欠いた結果が、低投票率に表れたといえよう。日本の民主主義のレベルの低さを示す一つの指標として投票率の低さが挙げられるだけに、残念な結果であることは間違いない。とくに、政権与党に対する批判を持ち続けてきた多くの中間層のなかには、旧民主党政権時代の政権運営の酷さを体験しているだけに、未だその残影を払拭するまでには至っていないのだろう。投票すべき政党が見当たらないのかもしれない。
安倍総理は、三党合意の成果を政治的に利用し尽くしたのだ!
安倍政権は、民主党時代を「悪夢」としてしばしば有権者に訴えていたが、それ以前の麻生政権や福田政権など衆参ねじれの下での自民党の政権運営の酷さは「50歩100歩」と言えるだけに、あまり生産的な批判にはなっていないものの、かつて民主党だった陣営にはボディブローのごとく効いているのかもしれない。消費税率10%への引き上げを決めた「民主・自民・公明の三党合意」という財産を、「負担は嫌だ」という国民心理を巧妙に利用し続け、換骨奪胎とまでは言わないにしても、公明党の要望で軽減税率導入という1兆円近い減額や、三党合意には無い幼児教育や高等教育への消費増税分の支出などを決めている。なによりも、色々な理由を着けながら、消費税の引き上げを2度にわたって延期し、出来れば増税などして欲しくない、という国民の厭(嫌)税気分を巧みに利用して選挙を有利に戦ったことも見失ってはなるまい。
今度の選挙での野党側公約、財源問題は無責任だったのでは!!!
社会保障・税一体改革を進めた側にいた者の一人として今度の選挙戦を通じて感ずる事は、財源問題についての野党側の無責任性への回帰であろう。東洋経済オンラインで野村明弘記者が「参院選、野党の選挙公約の何が問題なのか 財源の裏付けなき『バラマキ公約乱発』の罪」と題して今次参議選挙の公約を論評している。
さすがに10%への引き上げを打ち出した与党側は、その財源に裏打ちされた幼児教育・保育の無償化などを手堅く打ち出しているのに対して、野党側はあいまいな財源案が立憲民主党と国民民主党で消費税増税を凍結を打ち出し、財源は国債増発を上げる「れいわ新撰組」などに分かれている事を指摘している。
野村記者は、財源問題について社民党と共産党については、消費税引き上げに反対で一致し、所得税の最高税率の引き上げや証券税制の見直し、さらには大企業向けの研究開発税制の廃止など、その是非は別にして具体的に数値も含めて打ち出しているのに、旧民主党の流れを汲む両党は腰が引けていると見ているようだ。背景には、民主党政権時代のマニフェストで、16,8兆円の財源を国民負担増なく歳出削減などで生み出すという数値目標が挫折し、国民からの強い批判にさらされた事のトラウマを引きずっているのだろう。それは、最低保障年金月額7万円を全額税方式で実現するという公約とも相まって、未だに民主党の流れを汲む両政党にとって重くのしかかっているようだ。
躍進「れいわ新撰組」、MMTに依拠した財源論はポピュリズムだ
野党側の公約の中で最も過激なのは「れいわ新撰組」である。公約の中では、「消費税廃止」「奨学金チャラ」「最低賃金1,500円を政府保障」といつた過激な目標が並ぶものの、財源は「新規国債発行」で賄い経済が成長する中での税収増や、2%のインフレに到達後に金融引き締め、応能負担原則に戻るとしている。最近流行のMMT理論に則ったものだが、野村記者の言うように「借金しても大丈夫」と言うのなら、たたき台となる責任ある数値が必要になるわけで、「結局かつての無責任野党と変わらず、最後は深い失望に終わることになる」事は間違いない。れいわ新撰組がどれほどの得票を勝ち取れるのか、関心は持つものの、こうした過激なポピュリズム政党が台頭し始める背景には、国民の閉塞感があるという野村記者の指摘には、納得できるものがある。
そのれいわ新撰組が2議席を確保し、得票率も2%を超し政党要件を確保したわけで、今後の責任ある政党として財源論についても明確なものにして欲しい。
というのも、注意深く見て行く必要があるのは、これから解散・総選挙などへの展開だろう。野党側の政界再編成なども進む可能性もあるわけで、代表の山本氏は、総理大臣を目指す、と公言しているようで、次の総選挙を視野に入れているのだろう。無責任な財源論に飛びつきやすい野党側にとって、令和新撰組の動きが気になるところではある。
一番心配なのは、日本維新の会の「小さな政府路線」ではないか
もっとも、日本維新の会が「小さな政府」の路線を打ち出しているが、大阪を中心にした関西地区以外にどれくらいの支持の広がりが出るのか、今回の参議院選挙里結果に注目したい。なぜ。大阪を中心にした近畿地方だけに根強い地盤を持ち得たのか、それはこれから全国的に拡大していけるのか、なかなか読み切れないからだ。賦課方式の年金制度から積み立て方式への転換を打ち出すなど、政策的には実現可能性や持続可能性を持たないトンデモないモノが多いだけに、今後の政界再編の中でどのように生き残れるのかに賭けているのかもしれない。私自身の考え方や立ち位置から、最も遠い政党が日本維新の会であり、国民生活を破壊していく道を明確に辿ろうとしているように思えてならない。
年金問題が選挙の最大の関心事項だったが、
一番関心を持った層は自民党支持に向かった現実、何を意味するのだろうか???!!!
政策の問題について、今回の選挙で大きな争点になると思われたのが年金問題だった。金融庁の審議会の報告書が出て、老後35年の生活を維持するために必要な財源が、公的年金以外に平均的な労働者で2000万円必要だ、と言うもので、野党立憲民主党など多くの野党は、国会で年金が国民の安心を保証できていないなどと批判の論陣を進めてきた。そうした中で、7月17日付日本経済新聞社の世論調査を基にした分析が目に入ってきた。
その中で注目したのは、年金制度が個別の政策課題では36%と最大の関心事項になっていることは当然としても、そうした関心を持った人の比例代表での投票行動では、自民党へ33%、立憲民主党の16%の倍以上の支持を集めていた事である。今回の選挙を前に、金融庁報告書の問題が国会でも取り上げられたのだが、今の年金制度について立憲民主党が12年前の再来を期待しての論戦の動きがあったのだが、その動きはどうやら国民の側からは大きな期待外れになってしまったようだ。
安易に年金不信を煽ろうとしたが、国民は冷静に判断をしたのでは
むしろ、この論戦が始まって以降、制度論に入ればむしろ民主党時代の年金についての記憶が蘇えり、自分たちにとって不利になると考えたようだ。今回の日経新聞の記事を読む限り、国民の多くは今の年金制度について落ち着いた判断を示しているように思えてならない。最低保障年金7万円を全額税方式で、というかつての民主党時代の主張はどこへ行ったのか、その実現可能性のない要求に対する手厳しい批判の声が、こうした世論調査にも反映しているのではないだろうか。
マスコミも年金の問題を理解し、冷静に対応していたようだ
マスコミの方も実に冷静に対応していたようで、朝日新聞の太田啓之記者が7月18日に書いた「年金 誤解の果ての『不信』」などは、年金制度を考え出したビスマルク以来の歴史的な位置づけにも言及し、また「防貧」と「救貧」の違いをも丁寧に解説、公的年金が「保険」制度であり、私的年金の「払った分だけ受け取れる」と言う考え方との違いを指摘している。年金問題のエキスパートとして、これからも大いに活躍して欲しいものだ。