2019年7月30日
独言居士の戯言(第105号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
熊倉正修著『日本のマクロ経済政策』(岩波新書)を読んでの感想
熊倉正修著『日本のマクロ経済政策 未熟な民主政治の帰結』を読んで、真っ先に感じたことは、2009年の政権交代に向けて、民主党が作成したマニフェスト財源16,8兆円について「国民の負担増を一切なしで歳出削減などを通じて生み出す」という公約であった。過去、この通信でも2回言及した著書だが、引き続いて取り上げてみたい。
民主党政権交代に向けたマニフェスト、必要財源16,8兆円の謎
当時、マニフェストを作成していた実務関係者に問うたところ、彼らもこれは不可能ではないか、と言う思いを持っていたようで、陸山会事件前まで民主党代表であった小沢一郎氏に尋ねたようだ。そうしたら、小沢氏は「財源なんて、政権を獲ったらなんぼでも出て来るから心配するな」という事だったとの事だ。さらに、小沢氏と共に自民党から飛び出て新進党時代に財務大臣を経験され、財務省のキャリア官僚でもあった藤井裕久氏が、「一般会計や特別会計など合わせて約150兆円以上もあるわけで、その1割程度の財源を捻出できないわけはない」と豪語されていたことも記憶されていただろう。
かくして、マニフェスト作成にあたった中堅議員たちは「本当に大丈夫なのかな」と言う不安な思いを持ちつつも、16,8兆円という財源を国民からの負担増ではなく、既存会計の中から捻出する方針を打ち出したわけだ。事業仕訳なども、こうした作業の一環として進められたわけだが、実際の仕分けによる1回限りでない新しい財源は、せいぜい6000億円程度で1兆円にも届かなかったことは周知の事実だろう。それにしても、財源無くして社会保障の充実は無いわけで、国民生活を重視するべき民主党国会議員の政策思想の貧困さ、頼りなさが浮かび上がってくる。同時期同党に、国会にいた者として恥ずかしい事だが責任は免れない。
為替介入資金枠190兆円、外為特会144兆円、
そこからの収益だけでも年間約3兆円生む、だけどリスクは不明・不透明さが募る
この熊倉教授の「第1章 通貨政策Ⅰ-日本は何故為替介入から卒業できないのか」 「第2章 通貨政策Ⅱ-投資ファンド化が進む外国為替資金な特別会計」を読んで、為替介入をする際に、財務省が「為券」と称する3カ月物の短期証券を発行しそしてそれを市場で円に変え、外為市場で「円売り・ドル買い」をすることによって円安を進めてきたわけだ。本来であれば、一方的な円売りだけではなく、やがて逆のドル売りを通じて相殺するのが一般的だったにもかかわらず、現日銀総裁の黒田財務官時代の為替介入からは、一方的・高圧的・巨額な「円売り・ドル買い」が始まり、その後の溝口財務官時代には平成史上最大の為替介入を進めたわけだ。その後、こうした為替介入は民主党政権時代にも実施され、菅内閣や野田内閣時代にも巨額の為替介入が実施されたことがこの書のなかにも出で来る。
問題は、こうした満期3か月という短期証券を発行して外貨を購入する事によって外国為替資金特別会計が肥大化し、2017年度末現在144兆円と巨額に上っている。そこから上がる外貨からの収益が一般会計に戻入され続けており、その金額は毎年約3兆円にも上るようだ。もちろん、そうした資産そのものはリスクも抱えているわけだが、残念なことにその抱える含み損益はあまり明らかになっていない。というよりも、この外国為替資金特別会計の中身について、例えばどこの国のどんな資産をどれだけ保有しているのか、といった内容は一切公開されていない。世界の先進国で、日本ほど外為資金情報が公開されていない国は無いとのことだ。
こうしたやり方については、日銀の法人税と通貨発行益についても当てはまるわけで、広い意味での政府部門が生み出せる利益(損失)の桁が実に大きいことに驚きを感ぜざるを得ない。
政治家を財政麻痺させる特別会計の謎、情報公開と説明責任こそ
私が想像するに、小沢氏や藤井氏らは政府部門が自由に動かせる特別会計や日銀の生み出す利益など、国民の直接的な負担増を求めないで兆円単位の財源が生み出せたわけで、所有している100兆円を超す資産から生み出される利益だけでなく、資産である以上様々なリスクを抱えていても含み負債であれば会計操作を通じて短期に表面化することはない。まさに、財政麻痺を招き続けてきた一つの要因が、為替介入や外為特会という国民の眼から最も見えにくくしている特別会計に潜んでいたわけだ。
最近では、この外為特会から国際協力銀行を経由して、民間企業の投資資金などの融資にも展開されている。そのため、これら間特会の資金は直ちに為替介入には使えなくなってしまっている。そのことのリスクは当然あるわけで、この外為特会の持つ危険性について国会の場でしっかりと解明していく必要がある。また、140兆円を超す会計水準自体が異常なわけで、資産と負債を両建てで一刻も早くその水準を低下させていくべきだし、年間190兆円近い介入資金の枠が設定されている事の是非や、事実上1人の財務官に介入の権限が任されていること自体が問題ではないかと言う指摘など、根本的な改革が求められている事も教えてくれる。
デフレ脱却にむけた異次元金融緩和、その政策の破綻は明白だ
アベノミクスの第一の矢として、デフレからの脱却をめざし2%のインフレを目標とする異次元の金融緩和政策がとられ始めて6年が経過した。黒田総裁が就任して、2年間で2倍の金融緩和を実施して2%のインフレを目標としたわけだが、当初は一気呵成に金融緩和を実施し、戦力の逐次投入はしないと断言していたにもかかわらず、その後マイナス金利やイールドカーブターゲット政策など様々政策を逐次投入すれども、2%達成は遂に実現できないまま責任を取るのでもなく2期目を迎え今日に至っている。最近では、2%達成と言う目標は降ろさないものの、達成時期は明示することができず、麻生財務大臣から2%の目標にはこだわらないで良いのではないか、と言う趣旨の発言すら出てくる有り様で、日本の金融政策の出口論議はアメリカやECBとは違って、未だに進めることができないまま今日に至っている。熊倉教授曰く、異次元金融緩和政策には、出口は無いのかもしれない。
株式・債券・不動産・為替市場はすべて「官製市場」となった日本
それとともに、異次元の金融緩和政策として株式市場にも株価連動債ETFを、さらに不動産投資信託REITも購入するなど17年度末現在合わせて20兆円(簿価)を超すレベルに達しており、債券市場、株式市場、不動産市場、それと政府・財務省が進めてきた為替市場といった資本主義の根幹をなす金融市場価格が「官製市場」と化してしまったわけだ。これに、公的年金基金を運用するGPIFの100兆円も近い金額が投入されている。その結果、おそらく日本の金融市場は政府の政策の動きによって先行きが分かるわけで、内外のヘッジファンド等から「ローリスク・ハイリターン」になって「暴利」を貪られている市場はないに違いない。その分、多くの国民の生活が豊かになるどころか、一向に向上していかなくなっているわけだ。
デフレ論争、最初に問題提起した1995年3月の予算委員会だった
1990年代後半、バブルが崩壊して日本の金融危機が始まったころから日本経済のデフレ化の危険性が指摘され始めて来た。もっとも90年代に入って以降、国会での論議の中で最初に日本経済がデフレに陥っているのではないか、と指摘したのは、何を隠そう小生だったと思う。1995年3月6日の参議院予算委員会の審議だった。昨年亡くなった仙谷由人衆議院議員と一緒に、経済の現実について教えて頂いた中前忠国際経済研究所代表から、日本経済の最大の問題は物価が上がらなくなってきたことだ、と言う指摘などを踏まえての論戦だった。
まだ、政府の方もそれほどの危機感は持っていなかったようで、それ以降、論議は山一證券や北海道拓殖銀行の経営破たんなど、金融危機が前面に出ており、デフレ論議もそれ以降の消費者物価指数が対前年比マイナスを記録し始め、「デフレ(?)」の深刻さに目が向き始めたわけだ。
故高須賀義博教授の「生産性格差インフレ論」の思い出と物価
ちょっと、前置きが長くなり過ぎてしまったのだが、かつて高度成長期にはインフレが日本経済の大問題として取り上げられ、どのようなメカニズムでインフレが進むのか、経済学者の中でひときわ注目されていたのが、「生産性格差インフレーション論」の高須賀義博一橋大学教授であった。私自身、大学院に行って初めて高須賀教授に接することができたのも、当時は学部での授業は無く経済研究所の気鋭の教授としてマルクス経済学者(指導教官は都留重人氏だが、宇野理論か?)であったが、当時の日本経済の抱える難問インフレのメカニズムを解明しておられ、数々の物価の問題に関する著作を上梓されていた。博士論文を基に出版された『現代価格体系論序説』(1965年岩波書店刊)に始まり、1972年には『現代日本の物価問題』(1972年エコノミスト賞受賞、新評論社刊)とすぐれた著作が相次いで出版されていた。
池尾和人教授は、京都大学を卒業後わざわざ一橋の大学院で高須賀義博教授の下で薫陶を受けられ今日に至っておられるが、やはり高須賀教授のインフレ論に惹かれたようだ。高須賀教授は1991年に59歳という、これから研究者としての円熟期に入ろうと言うとき他界されてしまったわけで、今にして思えば残念で仕方がない。インフレが終息し、ディスインフレになることはもちろん、ベルリンの壁の崩壊からソ連邦の崩壊と言う世界史の大転換期、マルクス経済学者としての高須賀義博教授の歴史認識についても是非とも聞きたかったと思うのだが、かえすがえす残念ではある。
一般物価を引き上げていたのはサービス価格であり、賃上げだ
何故、このことを取り上げたのかと言えば、熊倉氏の書かれた「第3章 金融政策」のなかで、「2,物価は何故安定していたのか」と言う節のなかで、次のように問題提起されている。
「・・・もともと日本の一般物価を引き上げていたのがサービスの価格だったこと、そして流通・販売サービスの価格が1990年代初頭に上がらなくなり、それがしだいに他のサービスにも波及していったことが分かる。このことは、1998年前後に突然『デフレ・トラップ』に陥ったという言説に根拠がないことを示唆している」(107頁)
つまり、サービスの価格こそが、物価を引き上げるかどうかのカギを握っているわけで、サービス業における人件費のウエイトが高く、要はサービス業の賃金がどうなるのか、に一般物価の水準決定のカギがあると見ているわけだ。
高度成長期に製造業が生産性向上枠内での賃上げ、サービス業は賃上げ追随、サービス業価格の上昇へ。
低成長期は共に賃上げはゼロで、物価上昇もゼロへ、デフレではなくディスインフレへ
そのさい、かつて高度成長期から今日に至る工業品製品メーカーの価格設定行動は変わっておらず、賃上げを生産性の枠内で実施する工業部門、人手を確保すべくサービス部門も工業部門の賃上げに同調し価格に転嫁するため、価格上昇が持続する、これが1990年代の初頭まで日本の物価水準に反映していたとみている。その際、工業部門の雇用水準は、1990年前半に減少し、賃上げのエンジンの役割が果たせなくなる。かくして、工業部門の価格上昇率ゼロ、サービス部門の生産性向上ゼロとなり、賃上げはゼロへと収斂していく。大筋としてこうした傾向が近年の日本で起きていたとみている。
リフレ派や貨幣数量説信者、日銀の異次元金融政策からリタイヤを
熊倉氏は、日本のディスインフレの原因は、産業構造の変化で起きていたわけで、アベノミクスを囃し立てていたリフレ派や貨幣数量説を信じていた専門家などの主張していた「人々の期待を変えれば物価はあがる」「デフレを克服すれば日本経済は復活する」といった主張には説得力はないと一喝する。にもかかわらず、日銀は「あらゆる手段に訴えてでも2%のインフレを追求する」と主張し続けている。それでよいのか、一度やり始めたら元に戻れなくなってしまった「第二次世界大戦の末期時代」を髣髴させてくれるに十分である。
ちょっと横道にそれてしまったが、熊倉氏は直接的には言及していないのだが、かつての「生産性格差インフレーション論」の延長線上で物価の上昇や停滞・下落の動きを捉えている事に注目したわけだ。このように考えてくれば、日本の物価上昇率が0~1%近傍で安定していることも良く理解できるというモノだ。
もっとも、物価の問題に関しては統計数値を計算する手法の問題や、価格算定にあたった質の向上分をどのように取り込んでいくべきか、など現政権が喜びそうな統計改革の問題など、実に興味深い問題も提起している事も指摘しておきたい。