2019年9月9日
独言居士の戯言(第111号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
消費税引き上げ迫る、軽減税率やポイント還元など混乱要素満載
消費税の引き上げまで1カ月を切るなかで、ポイント還元を始めとする景気変動対策なる諸施策が進められてはいるものの、キャッシュレスによるポイント還元については、それほど多くの末端企業にまでは準備されていないようだ。9月6日までに経産省に届けることがポイント還元の条件だったのだが、登録申請企業者は約58万件で小売業の3分の1程度になりそうだ。もっとも、キャッシュカード運営会社(決済事業社)にとっては、絶好のビジネスチャンスでもあり、多くの関係企業が経産省に届けている事は間違いない。
それでも、キャッシュレスによる買い物は、飲料・食品などかなり広い範囲が対象になっていて、ポイント還元した店舗とそうでない店舗とでは売れ行きに大きな差が出ないとも限らない。また、5%のポイントが着く中小スーパーなどと2%のポイントとなるコンビニやガソリンスタンドなど、高齢の消費者たちにとって、何が何だかわからなくなりそうである。ポイント還元できない、登録しなかった店舗でも、大手スーパーなどでは競争上商品の値引きを進めるなど、消費税の軽減税率だけでも大混乱する事は必至だ。
キャッシュレス社会への誘導策は恒久化への道の第一歩だが???
こうした景気変動対策と称してキャッシュレス社会へと誘導しようとする政府の施策について、何故こんなに複雑にするのか良くわからない。と同時に、財源として数千億円もの国費を投入する事にしているわけで、何のための消費税の引き上げなのか、これまた理解に苦しむところだ。しかも、今年10月から開始し、来年6月までという期間限定だとのことだが、これだけのポイント還元しておいて、来年7月からゼロに戻りますという事にはならず、還元率を下げて恒久化、もしくはマイナンバーカートの使用にのみポイント還元を限定することもアイディアとして出始めているようだ。
軽減税率の廃止と小刻みで連続した税率引き上げ方策を取るべきだ
あらためて提言しておきたい。1つは、一刻も早く軽減税率を廃止し単一税率に戻すことである。もう一つは、10%から更に消費税率の引き上げが必要になることは必至であり、その際の引き上げは毎年1%ずつ連続して引き上げて行くべきである。公的年金の引き上げは、2004年の改正によって13年間にわたって毎年引き上げ続けてきたことを参考にすべきだろう。もっとも、安倍総理の時代には10%以上上げないと言明しているので、今のところ意味がないのかもしれない。
とはいえ、9月初旬に日経新聞が実施した消費税引き上げに関する国民の意識調査の結果は、50%の国民が値上げに賛成し、反対を上回ったと報道されていた。日経調査だけで消費税が国民に容認されたと断言できるわけではないものの、国の財政赤字の累積額や高齢社会に向けた社会保障の充実など、負担増の必要性の認識はある程度広がりつつあるのかもしれない。政治家は、その事をしっかりと理解したうえで行動して欲しい。
ふるさと納税適用除外は、「租税法律主義」に違反する暴挙だ
税の問題でもう一つ触れなければならない事がある。ふるさと納税である。この税に関しては、どう考えても寄付税制のあり方として邪道であり、高額所得者の返礼品目当ての格好の場となっているとしか思えない。その分、税収減となる自治体には、地方交付税で補てんされるわけで、国民の負担で以て高額所得者を優遇する逆所得再分配制度になっている、と言っても過言ではない。即刻廃止すべきである。
ただ、今回の泉佐野市に対するふるさと納税適用を除外したことに対して、泉佐野市が総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(委員長=富越和厚・元東京高裁長官)に提訴し、その結果が9月初旬に出されている。結論から言えば、総務省の泉佐野市に対する適用除外は「再検討」せよとのことだった。つまり、総務省が法律改正する以前のふるさと納税の行き過ぎを通知で以て是正するように求めたことに、泉佐野市が反旗を翻したことは確かだが、法律ではなく通知であり、法律改正する前の問題を、いきなり法律で持って適用除外にするのはいきすぎだ、という判決であつた。
資本主義の根幹「法的安定性」「予測可能性」を許してはならない
総務省の完敗である。けだし、その通りだろう。後出しじゃんけんで物事を決めてはならず、法治国家として法律の枠内で行政を進めることは当然の事であり、まして税に関しては「租税法律主義」という原則が踏みにじられれば、法的安定性や予測可能性を侵害するわけで、少し大げさに表現すれば資本主義経済の根幹を揺るがすことに繋がりかねないのだ(ルール・オブ・ローという原則)。総務省としては、租税法律主義の原則に立ち返り、今回の間違いを正しく総括していくべきだろう。地方自治体に対して、交付税という財源を握っているだけに、上から目線で対応するきらいが無きにしも非ずだったといえないだろうか。大いに反省して欲しい。
日産西川社長CEOの不祥事露呈、深刻な問題提起は必至だ
さて先週は、もう一つ大きな問題が新聞紙上に取り上げられている。特に、日本経済新聞の9月8日付の社説欄でも取り上げられるほどの大問題なのだ。社説の表題は「報酬疑惑で日産は求心力を保てるのか」とある。カルロスゴーン事件で、検察庁と司法取引をした日産自動車の西川社長を含む複数の役員経験者の不正が、社内調査で露呈したわけだ。
問題になったのは「ストックアプリシエーション権」(SAR)という株価連動型の報酬で、役員がいったん自社株を取得したとみなし、事前に定めた期日に株価が上がっていれば差額を金銭で受け取るというものだ。西川氏らはこの定めた期日を株価がさらに上がった日まで後ろにずらし、4,700万円を上乗せしたと言うモノのようだ。西川氏は、事務局に一任していたと説明し、上乗せ分を返納すると述べているが、社説も指摘するように「いわば後から都合よく運用を変え、会社財産を役員が懐に入れていた。発覚してから運用に問題があったとして、単にかさ上げ分を返せば済む事」ではない。
カルロスゴーン事件における西川氏の破廉恥な言動、郷原氏の批判
この問題は、既に『文芸春秋』7月号で、ゴーン氏と同時に逮捕されたグレッグ・ケリー氏がこの不正を指摘していたわけで、その指摘が正しかったことを証明したわけだ。考えてみれば、ゴーン氏が逮捕されたのは報酬の過少記載問題だったが、その過少記載に該当する報酬は未だ支払われていない。という事は、起訴とされた金融商品取引法違反に該当しないのではないか、という指摘もあり、当時そのことも含めて最高責任者として認めていたのが西川氏だったことも大きな問題に間違いない。
司法当局との取引があったからだろう、ゴーン氏が逮捕され、西川氏が悠然として社長・最高経営責任者として君臨している事への批判は厳しく指摘され続けてきた。その当人が、こうした不正にまみれていたことは、あらためて西川氏の社長退任は当然として、刑事責任を厳しく問われる事態にならなければ到底納得できない。今のままでは、企業体である日産自動車に対する市場からの信頼も勝ち得られないのはあたりまえだろう。
東京地検特捜部はゴーン事件の帰趨如何で解体的影響は必至か
司法取引に応じた検察当局は、西川氏を逮捕・起訴せず、カルロス・ゴーン氏とグレッグ・ケリー氏を逮捕・起訴している。それに反発した一市民の申し立てを引き継いで、西川社長も同じく刑事責任を問うべきだと東京第三検察審査会に審査申し立ててきた郷原信郎元検事は、自らのブログで西川氏の今回の事件に対して厳しく批判を展開している。郷原氏の見通しであれば、その審査も大詰めを迎えているはずで、今回の不正事件を経て「市民の代表の審査員には到底納得できない物になる」とみている。その事の与える甚大な影響は、特捜検察を揺るがす事へとつながるわけで、もう一つの裁判であるカルロス・ゴーン氏に対する裁判の行方にも大きく影響する事は必至だろう。その裁判も間もなく始まるわけで、われわれは固唾を飲んで見守っていきたい。
それにしても、自動車産業を管轄する経産省や政府首脳は、この問題に対して何も発言をしていない。日産自動車と司法取引をする以上政権側が大きくコミットしてきたことは間違いないわけで、こうした点について次の国会で大きな問題として取り上げ政府を追及して欲しいものだ。
公開会社のストックオプションと自社株買いで経営者背任の疑いへ
その際、かねてよりストック・オプション制度(今回のSARも含む)について疑問に思っている事を指摘したい。それは、最近の株式市場においては自社株買いが大きな問題になっており、なかには借金をしてでも自社株買いを進めている企業が多発している。そうなれば、ストック・オプションを持っている経営者は、株価を引き上げることで自分のストック・オプションを有利にすることができるわけで、(特別)背任罪にあたるのではないか、と思うのだがどうだろう。
たしかに、非上場の会社でこつこつと頑張って株式公開にこぎつけ、努力が報われた従業員が、創業者利得を得るインセンティブ効果の重要性はよく理解できる。だが、いったん上場した株式会社の場合、株価を引き上げるための自社株買いが横行すれば、企業価値の向上ではない株価の上昇(会社の総資産価値は不変)となるだけだ。私自身、国会の場でストック・オプション制度を入れたらどうか、という提案をしてきたものの一人として、非上場会社に限り認め、上場会社においては認めないようにするべきだと思う。この点も、今後の国会での論戦に供したいと思う。
コーポレートガバナンスの改革、仕組みはできても魂なし
それにしても、資本主義の根幹をなす株式会社にとって、株式市場が資金調達の場でなくなっている現実と共に、経営者や大資産家たちの「濡れ手に粟」のような暴利を提供する場に成り下がっている事は、公開株式会社法の提起をし続けてきた者にとって、残念な事ではある。コーポレートガバナンスの改革こそ、今求められているのだろうが、経営者のやりたい放題できる環境が根絶できているとは思えない。コーポレートガバナンスコードやスチュワードシップコードのあり方が問われているのだろう。
それと同時に、株式からの利益に対する税制が、分離課税として20%で済んでいる事は勤労所得税が55%となっている事に対比して余りにも優遇されている事の是正も進めて行くべきだと思う。出来るだけ早く改革して欲しい事の一つである。