2019年10月7日
独言居士の戯言(第115号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
消費税10%引き上げについて、前号で言い残してきた思い出
消費税が10%へと引き上げられてやや1週間が経過する。十分な逆進性対策にもならない軽減税率8%と10%に分かれ、それにポイント還元なども加わり、末端の消費者が負担する実質的な消費税負担率は、なかなか解りにくい。単一税率の良さを台無しにした安倍政権、とりわけ公明党の横車によって実施したわけで、後世に残る改悪となってしまった。
それでも、消費税の導入から30年、大平元総理の提唱した一般消費税から40年、ようやく二桁の税率にまで辿りつけたことに、自社さ政権時代と民主党政権時代に消費税制度の引き上げに関与していたこともあり、私自身、万感の思いが募る今日この頃であった。消費税の創設と引き上げが高度成長時代であれば、もっと引き上げやすかったかもしれない。だが、日本型福祉社会の中で「企業」や「家庭(内実は女性)」に依拠してきた日本の福祉水準は、本格的な社会保障の充実へと転換することなく高度成長時代を終えてしまう。そこからバブル崩壊後、企業には従業員の福祉を十分に見る余裕を失い、女性の社会的な自立が進展する中で、高齢者の福祉だけでなく若者の貧困も含めて中低所得層にとって今日まで苦難の時代が続くわけだ。
細川護煕首相の国民福祉税7%構想、「腰だめの数字」で転落へ
前号で指摘しなかったことを思い出している。それは、自民党が政権を初めて下野した1993年の総選挙を経て、小選挙区制度が導入された直後の1994年2月、細川首相が「消費税を廃止し、新たに国民福祉税を7%で導入する」という深夜の記者会見を行った。もちろん、消費税という名称は変えても国民福祉税と中身は変わらない事は言うまでもない。記者団からの「税率7%の根拠は?」と聞かれた細川総理は「腰だめの数字です」と答え、その余りにも粗雑な提起によってあっけなく「国民福祉税」が潰え去ってしまったことを思い出す。振り付け役は、もちろん8党会派のまとめ役たる新生党小沢代表幹事だったことは天下周知の事だろう。
小沢氏は『日本改造計画』のなかで、消費性の引き上げに触れているが、そこでは「直間比率の是正」を前面に出して引き上げを提起している。つまり、税収に占める所得税や法人税のウエイトが高いので、間接税の引き上げによって所得税や法人税の減税を進めていくという代物だった。「国民福祉税」という福祉国家を充実させるために引き上げるという体裁をとってはいるものの、内実は社会保障の充実した「大きい政府」ではなく、新自由主義に立脚していたことを見失ってはなるまい。
2007年大連立騒動、狙いは「消費税の引き上げ」と森元首相明かす
もう一つ、どうしても忘れることができない事がある。それは、2007年の10月、年金記録問題が大きな争点になった参議院選挙で民主党が勝利し自民党が大敗北する中で、参議院は与野党が逆転する「ねじれ国会」となった時の事である。総理大臣も安倍晋三氏から福田康夫氏に交代していたが、国会運営でデッドロックに乗り上げ悲鳴を上げておられた時、突然11月の初旬に民主党全議員総会の招集があり、出張先の青森から急遽上京したことを覚えている。その直前の執行委員会の場で、小沢代表から「自民党との連立政権に参加したい」という提案があり、小沢氏以外はすべて反対であり、両院議員総会でも自民党との連立に賛成するものはなく、結果として小沢代表が辞任するという一幕があった。
もっとも小沢代表が辞任して次の代表を選出する動きはなく、結果として辞任は取り消され、小沢代表も来たる衆議院選挙で政権交代を実現する事を宣言し、以降の国会での闘いは徹底した対決路線に立ち戻ったわけだ。
その時、何のための大連立政権なのか、という事に関して「消費税の引き上げ」が挙げられていたことを、この時の背後で連立仕掛人として森喜郎元総理が後に新聞紙上で明らかにしている。大連立政権でないと「消費税引き上げ」が出来ないと判断されていたのだろう、あるいは民主党が政権を維持していく為には財源問題についての冷徹な現実を認識させるためだったのであろうか。
マニフェスト財源16,8兆円、「なんとでもなる」発言の無責任さ
その後、民主党内で16,8兆円のマニフェスト財源をどうするのか、という点を聞かれた事に関して、小沢氏は「財源なんて政権を獲ればなんぼでも出てくるから心配するな」と豪語されたことを知る者にとって、この2007年の大連立騒動の背景には消費税引き上げが大きく取り上げられたことに、「政治家の発言の余りの軽さ」を痛感させられたのだ。
盟友、田中徹二オルタモンド事務局長からの「質問」に答える
ここまでは、消費税の導入から引き上げに向けた自分の体験だったわけだが、最近国際連帯税導入に向けて頑張っておられるNGO「オルタモンド」事務局長田中徹二さんから、消費税の支出先について「社会保障に使用されていないのではないか」という質問を受けた。最近では、ご一緒に「民間税調」を立ち上げて来た三木義一青山学院大学元学長が、「時事オピニオン」で「消費税10%時代始まる! 新たに導入される『軽減税率』と『インボイス制度』とは?」(http://imidas.jp/jijikaitai/a-40-135-19-09-g789)の中で次のように述べておられる。
「ずっと『消費税率引き上げによる増収分は社会保障の充実にあてる』という説明もされてきましたが、この『建前』はほとんど崩れていると言っていいと思います。これまでの引き上げによる増収分が実際に社会保障にあてられたかどうか非常に疑わしいということは、すでに多くの人によって指摘されているところです」
たしかに、消費税は年金・医療・介護・子育ての4経費にだけ支出するという点については、予算総則の中で明記されてきたし、消費税法第1条第2項で「消費税の収入については、地方交付税法(昭和25年法律第211号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする」となっているわけです。
社会保障4経費の財政支出総額は国費30兆円、税収は15,4兆円
不足分は赤字国債で賄っているのが現実
ところが、実際の各年度の予算においては必要とされる年金・医療・介護・こども子育て支援にかかる経費は、令和元年度予算でも国分は30,3兆円、地方分11,9兆円、合計42,2兆円となっている。それに対して、10月からの増収分を含めて消費税収は国分で15,4兆円、地方分は6,1兆円で、合計して21,5兆円でしかない。国税分で14,9兆円、地方分で5,8兆円も不足し、赤字国債・地方債で賄おうとしているのが現実だ。
そんなことはない、お金には色がついていないので分からないようだが、実際には所得税や法人税の減税に回したのではないか、という声が起こったとしても不思議ではない。というのも、特別会計として歳入と歳出がきちんと別建てならいざ知らず、実際には一般会計から社会保障の特別会計に繰り入れられているわけで、社会保障4経費にかかる国税・地方税分が消費税(地方消費税も含む)収入総額を超えていない以上、消費税収が社会保障4経費に充当されているという捉え方をせざるを得ないのだ。もし、社会保障4経費に係る財政支出額が消費税収額の枠内に収まるのであれば、消費税は引き上げる必要はなくなるが、令和元年でさえも15兆円以上も社会保障4経費税収負担分が消費税収を上回っているわけで、今後の高齢社会の進展を考える時、まだまだ消費税収を引き上げざるを得ない現実を見失ってはならない。
安倍総理の無責任さ、16歳のグレタ・トウンベリーさんに叱られる
安倍総理は、消費税の引き上げについて今後10年以上は必要がない、等と発言してるが、どうしてそんな甘いことが言えるのか、不思議でならない。われわれは、ただいまの時点においても、将来の子供や孫たちの財政を先食いして現世代の社会保障費を赤字国債発行して賄っているわけで、持続可能性という観点から大問題だといわなければならない。先日行われた国連総会で、スウェーデンの16歳高校生グレタ・トウンベリーさんが、地球温暖化問題について厳しい発言をわれわれ大人世代に対して投げかけたが、彼女が日本の社会保障・財政を見たならば、きっと厳しく批判を展開する事は間違いないと思う。
過去の赤字国債発行のツケは、毎年25兆円にも及ぶ国債費支出へ
いや、私たちは、既に毎年25兆円近くの過去の赤字分の返済を続けている。それは、過去借金をしないで国民の負担で賄っていたら、その分は一般会計で自由に使えたわけで、すでに過去の赤字分の負担はずっしりと現役世代が背負っているのだ。残念ながら、過去の借金から逃れることは出来ないのだ。それをますます増やし続けていくことは、まさに「無責任」と批判されても仕方があるまい。道路や橋といった公共施設ならば、何十年間は役に立つでしょう。その分の赤字は毎年の財政で返却していけば良いのだが、毎年消費する社会保障財源については今の世代で返していかなければいけないわけだ。
日本が望めるのは「中福祉・高負担」「低福祉・中負担」しか無い
赤字先行型の社会保障支出を進めてきた日本、消費税率の引き上げを総て社会保障支出に回せられないのは、過去の財政が赤字国債を発行し続けてきたためであることは言うまでもない。われわれ日本が直面している現実は、「中福祉・高負担」社会であり、「中負担」なら「低福祉」しか道はないのです。それが冷厳な事実なのだ。れいわ新選組のように、借金をし続けて行ったってインフレにならないので大丈夫だ、という考え方は、われわれの使っているお札が何時までも国際社会も含めて信頼されているという前提に立つた発想であり、何時日本の借金が支払い不能になるのか、によって一気に信頼を喪失し、円の暴落となつてデフォルトを起すかも知れない事を見ていないのだ。
是非とも、財政問題についてじっくりと考えて欲しいと思う。