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労福協 活動レポート

2020年4月27日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第141号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

ポスト新型コロナショック後の時代をどう見据えて生きていくのか

新型コロナウイルスの感染がなかなか止まらない。一度は感染の勢いが止まったかのように見えた北海道だが、このところ再び感染者数が過去のピークを越えてきているようで、このウイルスの手ごわさを感じさせてくれる。毎日の報道で、感染による様々な影響が喧伝され続けているわけだが、終息に向けて一体どのくらい時間がかかるものなのか、先が見えない中での国民のイライラが社会の内部に不満のマグマとして蓄積しているようで、これから先の展開いかんでは一気に爆発の危険性すら予想される。こうした中で、われわれはどうこれからのポストコロナショックの時代を生き抜いて行けば良いのか、様々な観点から考えてみたい。

マイナンバーカードと結び付ける絶好のチャンスだったのでは

政治の世界では緊急経済対策として紆余曲折はあったものの、個人に対して一人10万円の給付が決定され27日から補正予算の審議が開始されることになる。こういう場合に、どうしてマイナンバーと現金給付を結び付けられないのか、せっかくのチャンスなのに残念で仕方がない。国民一人当たり10万円給付は、コロナウイルスの終息時期にもかかわるのだが、1回きりで終わるとも思えない。人によっては1年以上にも及ぶ経済的な影響が出てくるわけで、企業側の深刻な影響はもちろん自営業主やフリーランスの方たち、さらには非正規労働者など、その影響は時間がたてばたつほど深刻さを増していくことは間違いない。

政府が経済活動を自粛するよう要請、ならば政府保証は当然では

経済的な活動をしてもらっては新型コロナ対策にはならないから政府が経済活動も自粛するよう要請しているわけで、それであればその影響で経済的なダメージに対して、政府が保証していくべきことは言うまでもあるまい。国の財政は、何よりも国民生活を保障していくためにこそ必要なわけで、国民が必要としている今日の状況でとるべき政策ははっきりしているではないか。今こそ、政府は国民に呼びかけ、当面どれだけ財政支出がかかろうと国民の生活を必ず守ることを約束すべきだろう。どうも、安倍政権の対策を見ていると、財政赤字の巨額の累積額が後ろに控えているせいか、腰が引けているように思えてならない。

小林慶一郎東京財団政策研究所研究主幹の発言に注目した

そうした中で、内外の著名な専門家の方たちからの提言が相次いでいる。この機会にじっくりと参考にしていきたいと思う。

今回は、若手の経済学者である小林慶一郎氏の「政府は今こそ個人へ投資すべきである~所得連動課税条件付き現金給付制度の提言」(4月23日RIETIホームページより)に注目した。小林慶一郎氏は通産官僚としてスタートし、アメリカシカゴ大学に留学、その後複数の大学で教鞭をとられ、今は東京財団の政策研究所の研究主幹についておられる。RIETI(独立行政法人経済産業研究所)

ではプログラムディレクター・ファカルティフェローという肩書である。小林氏とは、90年代後半の金融危機の時代に議員仲間の研究会にお呼びしてお話を聞いたことがあるが、もう四半世紀前のことになる。経産省・シカゴ大学と聞いて、一見するとフリードマンやルーカスの流れだと思い、こちこちの市場原理主義者を想定したのだが、初めてお話を聞いてそうした思いが杞憂だったことを知る。

給付とローンのハイブリッド、オーストラリア学生支援制度に学べ

本題のほうに移りたい。この提言はこれからコロナ対策として困っておられる人を救うためには一人10万円が1回では収まらないとみておられ、オーストラリアの学生支援制度を参考にして政策提言されている。提言の詳しい中身についてはRIETIのホームページを参照してほしいのだが、要は必要とする支給額を給付して、経済が回復して収入が増えたりすれば、それに応じて付加税率をかけて国に返還していくというものだ。もちろん、収入回復が思うようにならない場合は、返還義務はなくなる。現金給付とローンのハイブリッド型のものとなっていて興味深い。

1960~70年代の”支えあい、格差是正、平等化への希望”を語る

その中身よりも大変興味深かったのは、その後の質疑応答の中身である。ある質問者が「コロナショックの前と後では、世界経済・社会の在り方も大きく変わってくると思うのですが、そのあたりに関してはどのようなお考えをお持ちでしょうか」と問うたことに対して、小林氏は

「(前略) 今日の話の現金給付のように、社会でお互いに支えあうことの大切さを非常に強く実感される可能性が高いと思います。これは、戦争で社会が団結することによって格差が是正されたというピケティの理論がありますけれども、それと同じように感染症の危機を乗り越えることによって、社会の絆がより強まって、高所得者から低所得者へもっと分配をすべきじゃないかという世論の流れが生まれる可能性がある。そういう世論の流れが生まれれば、第二次世界大戦後に1960年代70年代くらいまで先進国で起きたような平等化というか、格差の是正する方向に社会が動いていく可能性があるのではないか、そういうことを期待しています」

と述べておられる。まだまだ興味深い質疑応答が繰り返されているのだが、小林氏のこの話が強く印象に残っている。

ポストコロナ時代にむけて、今こそ新自由主義的な経済政策思想からの転換をしっかりと進めていくべきだし、そうした主張を日本はもとより世界に広げていくべき時ではないか、と強く感じた次第である。

サマーズ元財務長官の日経新聞コラムインタビュー記事に注目

そうした思いを持ちながら日経新聞25日の1面の連載コラム「コロナと世界」にローレンス・サマーズ元財務長官が「企業より労働者に支援を」と題したインタビュー記事が掲載されている。そこで述べている中身は明らかにアメリカ資本主義の行き詰まりを指摘しており、公的な社会保障制度の拡充を進めるべきだし、米国民に現金給付する政策は良いアイディアだ。政府の支援は労働者やその家族を対象にすべきで、向こう見ずな行動をとった企業を救うべきではない、とリベラルな立場を強調している。

こうした世界の経済政策の潮流が、ポストコロナにおいては社会保障の拡充をはじめとした再分配政策を強化して格差の縮小を進めていく方向を強く期待したいものだ。

日本医師会『平成30・令和元年医療政策会議報告書』に注目

日本医師会の中にある医療政策会議の報告書がある。今年の報告書は3月に出され『平成30・令和元年医療政策会議報告書』として取りまとめられている。この医療政策会議は日本医師会にとって重要な位置づけが与えられているという。今年の報告書を読む機会があり、なかなか興味深い内容となっている。そのなかで「第2章『千三つ官庁』対『現業官庁』—-経産省と厚生省の医療・社会保障改革スタンスの3つの違い」という論文の表題が興味深く、3ページ足らずの短い分量だったが実に面白い内容であった。著者は日本福祉大学名誉教授二木立氏であり、医療・福祉問題の専門家である。

今や、官邸・経産省主導で社会保障制度改革やコロナ対策まで蹂躙

そこで指摘されているのは、最強の官庁といわれた財務省は「財政再建派」で、安倍政権の下では重視されておらず、「上げ潮派」である経済産業省の影響力が一気に強まったことを指摘する。もう一つの中央官庁である厚生労働省については、第一次安倍政権の時の「消えた年金記録」問題が内閣退陣の主因と考え、それ以来厚労省を嫌悪しており、医療・社会保障改革についても、官邸・経産省に主導権を奪われていることを指摘する。現に、今回の新型コロナウイルス対策でもその中心的責任者には西村康稔経済財政担当大臣が就任し、本来主役に座るべき加藤厚生労働大臣は脇に追いやられていることを見ても明らかであろう。ちなみに、西村大臣は経済産業省の官僚出身政治家で経済財政担当大臣として昨年末に設置された「全世代型社会保障改革担当大臣」も兼務してきた。

二木立日本福祉大学名誉教授の聞かれた「千三つ官庁=旧通産省」

ここで二木教授が述べておられることは厚労省と経産省の違いなど、社会保障の抱える問題を中心に、大変重要なことが指摘されているのだが、それよりもどうしてこういう表題になったのか、ということを最後に述べておられることを引用しておきたい。

「最後に一言、私は、2004年に、ある高名な厚労省OBから、以下のように教えて頂いたことがあります。『かつて霞が関では、旧通産省は【千三つ官庁(千の提案で三つ実現すればよい)】、旧経済企画庁は【公卿の館】と呼ばれていました!いずれも軽やかではあるが、詰めの甘い、アイディア倒れの官庁といったニュアンスです。これに対し、財務省や厚生省は泥臭く鈍重ながら、実際の制度や予算を所管していることからくる強み(と限界)があるということでしょうか』」(18ページ)と述べておられる。それにしても、経済界寄りの立場が鮮明な経済産業省が、厚生労働行政(最近ではその他の省庁にまで越権している)にまで入り込んでいることに、政策の在り方が厳しく問われている。今回の新型コロナウイルス問題について、舛添元厚生労働大臣は、加藤厚生労働大臣を責任者に据えていないことこそ大問題だと明言されている。

あまりにも落差がある経産省と厚労省の職場の実態、早急に是正を

こうした指摘を読んだ直後に、JILPTの浜口敬一郎所長の24日付のブログを見たとき、次のような内容が書かれていた。

若手官僚二題:スレイブ厚労省vsポエム経産省
いや、タイトルの通りなんですが、
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000540524.pdf(厚生労働省改革若手チーム緊急提言)
厚生労働省に入省して、生きながら人生の墓場に入ったと ずっと思っている
https://www.meti.go.jp/press/2020/04/20200422001/20200422001-1.pdf(経済産業省・官民若手イノベーション論ELPIS)
半年かけて、若手100人で30年後の未来を議論
いやまあ、いろんな議論をするのはいいことです。
でも、ただでさえ少ない人数の中からコロナ医療対策に人を応援に出し、残った数少ない人数で(たとえば労働関係でいえば)必死に雇用調整助成金の要件緩和を作り、通達し、しかし支給決定が全然少ないと新聞に叩かれ、言い訳させられている若手官僚から見れば、この時期に若手100人で30年後の未来を議論できる役所がすぐ隣にあるなんて、夢の国の話みたいに感じるでしょうね。

新型コロナウイルス対策に酷使・翻弄されている厚労省公務員の姿

この両省の置かれている現実、どう見ても同じ日本国の中央省庁のことと思えない程のひどい格差がありすぎると思う。経済が成熟していて、エネルギーと中小企業対策ぐらいしかやることがなくなった省と、厚労省のように総定員法の下での定数不足のしわ寄せをまともにかぶりながら、国の予算の半分近くを占める年金・医療・介護・少子化・雇用といった国民生活に密着した仕事に追われている省の違いがあまりにも露骨に出ているわけだ。「厚生労働省に入省して、生きながら人生の墓場に入ったとずっと思っている」と語った言葉は、未だコロナウイルス問題発生以前のことであり、今の状況はそれ以上に厳しいものに違いない。大変重い言葉だと思う。

何とかしなければならない総定員法の壁、もちろん財源もだが

このような問題の改革を進めていかなければ、それこそ厚生労働省は、国民のための仕事が満足にできなくなってしまうのではなかろうか。ひどい勤務状況は、学校現場でも教職員の方たちの仕事量の増大・定数不足の下での労働荷重として顕在化しているし、その他の現業職場でも劣悪な労働環境に悲鳴の声が上がっている。鬱や精神疾患、さらには自殺といった深刻な悲劇が蔓延しているのだ。それらの慢性的な定数不足の職場では、当然のこととして非正規労働者でもって対応せざるを得なくなっていることも指摘しておくべきだろう。日本の公務員の数は人口比で見て先進国で最も少ないのであり、今から50年以上も前に作られた総定員法の縛りが厳しく守られ続けている。そろそろ総定員法の在り方について、全面的な見直しをするべき時にきているのではなかろうか。


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