2020年5月11日
独言居士の戯言(第143号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
安倍政権の新型コロナウイルス対策評価、なかなか厳しいようだ
新型コロナウイルスの感染の勢いは、ようやく一段落しかけたようだが、東京や北海道などではまだまだ要警戒の段階なのだろうか。安倍政権は5月末までの警戒態勢を要請している。私の住んでいる北海道では2月段階の道独自の警戒態勢を解いたものの第二次感染が再び広がり始めており、なかなか手強いウイルスだけに注意深く対処していく必要があることは間違いない。
4月7日に全国的な緊急事態宣言を実施した際、安倍総理は5月7日までには必ず終息させると約束したのだが、結果として守られていない。PCR検査の不十分さを指摘する声とともに、死亡者数が少ないことをもって良しとする意見はあるが、全体として安倍政権の新型コロナウイルス対策には厳しい評価が多いようだ。
コロナ対策の責任者が厚労大臣でないこと、ガバナンスの異常さ
私は当初よりガバナンスの問題としてコロナ対策の担当大臣に加藤厚生労働大臣ではなく、経済政策の司令塔である西村経済財政担当大臣を当てたこと、さらにこの政権時にだけ責任があるわけではないものの、長い間に進められてきた総定員法の下で、厚生労働分野における定数が必要数に満たない酷い状況に追いやられたため、新型コロナウイルスへの対応が十分に機能させられなかったと思っている。これというのも、第一次安倍政権時代に「消えた年金記録」問題が露呈し、それが結果として安倍政権退陣の要因になったことをいまだに根強く思い続けていることがあるといわれている。総理大臣秘書官に、今までであれば必ずいた厚労省出身者が誰もいないという異常さにそれが表れている。(とくに、自治省や厚労省といった旧内務省出身者が事務の官房副長官任命へ)こうした総理の姿勢がある時、官僚の皆さんが全力で、命がけで努力しているとはいうものの、もう一つ全省庁一丸となった取り組みができていないことを指摘しておく必要があろう。
双日総研の吉崎達彦氏のブログ『溜池通信』での批判に注目
今回の安倍政権の新型コロナウイルス対策について、意外と厳しい評価をしておられるのが双日総研の吉崎達彦氏である。吉崎氏の発信されているブログ『溜池通信』(第690号 2020年5月8日)は、ずばり「特集:コロナ対策にみる『失敗の本質』」である。吉崎氏は30年以上前の名著『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』(野中郁次郎編著ダイヤモンド社)を大学卒業し日商岩井に入社された1984年に購入されており、そこからいくつものヒントがあり学ぶべき点を取り上げておられる。とはいえ、今の時点ではコロナショックに対する日本政府の対応は、「全体のプロセスの中ではせいぜい序盤3分の1といったところ」であり、この間わが国は官民問わず「不手際な対応」を繰り返してきたとして、次の点を挙げられる。
①中国からの入国制限の遅れ(習近平主席訪日の予定に忖度?)(1月)
②ダイヤモンド・プリンセス号をめぐる検疫の不手際(2月)
③3月の3連休に桜が開花したところ、外出が増えて全国的に感染者が増加(3/21-23)
④東京五輪の延期を決めてから(3/24)、慌てて「不要不急の外出自粛」を要請(3/25)
⑤「1世帯当たり2枚の布製マスクを配布」(アベノマスク)が不評(4/1)
⑥東京都に追われる形で7都府県に「緊急事態宣言」(4/7)→のちに全国拡大(4/16)
⑦閣議決定済みの補正予算を、あまりの評判の悪さに急きょ組み換えを決断(4/16)
⑧5月6日までの予定であった緊急事態宣言を。5月末まで延長(5/4)
これだけの失敗がありながら危機感が高まったようには見えないし、十分な反省があるようにも思えない、と厳しい。
安倍政権のコロナ対策がうまく行っていない4つの要因
特に、日本軍が失敗した大きな要因として「短期決戦」思考に陥りがちであり、「戦力の逐次投入」「兵站や諜報を軽視する」「防御への関心が薄い」といった日本軍の悪い癖なども指摘され、『失敗の教訓』として組織が自己革新することの重要性をこの本から引用している。
こうした点を学習しながら、どう軌道修正していくべきか、今回の対応においてうまくいっていない理由として次の4点を挙げている。
1.安倍長期内閣に「緩み」が生じていて、官邸の求心力が低下している。特にこれまで危機管理の中心であった菅義偉官房長官の存在感が薄くなっている。
2.東京五輪の開催、習近平訪日など、気を遣うべき外交事情が多かった。
3.感染防止の先頭に立つ、都道府県など自治体との連携がうまく行っていない。
4.「医療」という専門家の世界が閉鎖的であり、対外的な説明がうまく行っていない。
特に最後の部分が重要で、国民は「PCR検査の件数はなぜ少ないのか」といった点など納得感をえられていないと、これまた厳しい。
専門家の使い方を政治家がコントロールできるかどうかが鍵
これから「強制力を伴わないロックダウン」という世界でも珍しい手法をとっていることを取り上げ、専門家の使い方が重要で、命の問題とお金の問題をきちんと政治家がコントロールできるかどうか、カギを握っているとみている。
最後に野中郁次郎教授が通産省で講演された時に述べた「たった一言の教訓」を紹介している。これは経産省出身の斎藤健元農水大臣が書いた『増補 転落の歴史に何を見るか』(ちくま文庫)にあり、斎藤議員が何度も話をしているようだ。
「何が物事の本質か。これを議論し突き詰める組織風土を維持し続けることだ。それに尽きる」
はたして安倍政権をはじめ日本の政党や政治家は、こうした本質的な論議をしているのだろうか。日本の国の行く末が、情緒的・短期的視野で場当たり的に進められていないかどうか、一人一人の政治家の胸にこの言葉が絶えず反芻されるよう願いたいものだ。もちろん、それは政治家だけでなく日本国民みんなの問題であることは言うまでもあるまい。
ポストコロナの世界、経済政策思想の大転換は進むのだろうか
新型コロナウイルスのパンデミックが終息すれば、どんな世界がわれわれのむ前に現れるのだろうか。いろいろな角度から予測されているのだが、経済の観点からは新自由主義に立脚した小さな政府路線が今まで以上に広がるのか、それとも社会保障や教育といった再分配政策を重視し、大きな政府に近い社会民主主義路線へと回帰していくのだろうか。それとも、もっと違った経済政策が展開されていくのだろうか。
医療分野では、弱いながらも追い風が吹くのではないか、二木教授
これだけのコロナウイルスに痛めつけられると、否応なく医療や介護さらには教育といった人々の生活を支えるべきセーフティネットの不十分性を痛感したわけで、おそらく新自由主義に立脚した小さな政府路線へ直ちに舞い戻ることはないだろう。医療供給体制などの不備は、今回のコロナ問題で痛感させられたわけで、今後の財政支出の在り方を変えていくことにつながるに違いない。また、そうした方向にさせていくことが必要だ。医療問題の専門家である二木立教授から送っていただいた論文「コロナ危機後に日本の医療はどう変わるか?」(WEB医事新報5月8日)を読むと、やや弱いものの追い風になることを予想されている。
今進んでいる経済の落ち込みは、想像を絶する深刻なレベルへ
とはいえ、これから必要とされる財政支出額は、これまで経験したことのない巨額に達することは間違いない。アメリカにおいては、コロナウイルスの感染者数や死亡者数で断トツのトップとなっているが、それ以上に5月8日に発表された最新の失業者数や失業率の高さに圧倒される。アメリカ労働省は2050万人が仕事を失い、失業率は14.7%と戦後最悪を記録したと発表。統計の単純な比較はできないが、大恐慌期の約25%に次ぐ深刻さであり、しかもこの水準はかなり長引きそうだといわれている。米議会予算局は4~6月期の実質GDPが、年率で前期比39.6%減と戦後最悪の落ち込みを見込んでいる。凄まじい落ち込みになるようだ。
会田弘継教授の見るアメリカ、保守も「大きな政府」容認へ
アメリカは既に2.2兆ドル、約220兆円もの財政資金投入を決定し対応しているわけだが、おそらく引き続く難局に対してさらなる財政支出を余儀なくされるに違いない。今年11月の大統領選挙を前にして、トランプ大統領再選を目指す共和党は、こうした財政支出を容認する方向であり、経済財政に関して民主党と共和党の違いがなくなりつつあるようだ。『週刊東洋経済』5月16日付の最新号に連載されているコラム「Inside USA」において、会田弘継関西大学客員教授の書かれた「コロナショックで意識変化、保守派も『大きな政府』に傾く」と題して、アメリカの世論の動きについて分析をされている。
その中で、「パブリック・ポリシー・ムード(一般市民の政策傾向)」と呼ばれる調査があり、昨年公表された最新(2018年)データの分析によれば、調査を始めて以来最も高いレベルでアメリカ市民は「大きな政府」を求めているという。過去最大は1961年で、ケネディ氏の後を受けたジョンソン大統領の下での「偉大な社会」政策により社会保障が大幅に拡大された時(メディケア、メディケイドが設立されたのも1965年)だが、その時を大きく上回ったとのことだ。その潮流に乗って、サンダースの健闘やアレキサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員の誕生はもとより、共和党のトランプ大統領誕生の背景もそこにあるとみている。それだけ格差問題が深刻だということでもあるのだろう。(ちなみに、先述した吉崎達彦氏は5月2日付の『東洋経済オンライン』紙上で「アメリカは『コロナ後』社会主義へと向かうのか—日本人にはわからない『死者6万人』の重い意味」のなかで、これからのアメリカ社会が社会主義的な方向へと転換する可能性に言及されていて興味深い)
コロナウイルスとの闘いは戦時、戦時体制下の総力戦なのだろう
今年に入って大恐慌に匹敵する経済混乱・危機の下では、民主党だけでなくトランプ政権に近いシンクタンク、クレアモント研究所に寄せられた20余りの保守派の論考に「小さな政府」論者は見当たらず、新型コロナウイルスとの戦いを本土に侵攻された戦時とみなし国家総動員体制のような財政の仕組みを作って戦うよう訴える論者も出ているとのことだ。まさに、戦時体制下の総力戦の様相なのだろう。
経済政策思想の大転換が起きて欲しい、正統派のケインズ復権を
会田教授は、最後に「コロナ危機と市民の意識変化を背景に、保守派も『大きな政府』へと傾く時代が到来した」と述べておられる。果たして、この流れは経済政策思想の大転換となってフリードマンやルーカスといつた新古典派の流れから、再び需要サイドに立脚した本来的なケインズ経済学の側へと移っていくのだろうか。日本の経済学の流れがアメリカの経済学から強い影響を受けるだけに、見逃すことができない論点といえよう。