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労福協 活動レポート

2020年6月1日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第146号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

国民全員10万円給付はBI(ベーシックインカム)の序曲となるのか

北海道新聞コラム 2020年5月28日大澤真幸社会学者で元京都大学教授の大澤真幸氏が、安倍政権の下で実施された一律10万円給付に関連して論評されている。5月28日付北海道新聞朝刊のコラム欄で、題して「『私的所有』変革なるか」(その内容について、別添え資料を参照してほしい)とある。

新型コロナウイルスとの闘いはまだ何回か続くとすれば、今回の様な経済活動を厳しく制限しなくてはならなくなると予測。失業者が街にあふれ、破産や貧困化によっておびただしい人が自殺をするといった状況になれば、今回実施したような一律での給付がその都度必要になる。それは事実上「ベーシックインカム(BI)」の導入ということだという。

BIが持続可能性を持つことができる「十分な量のBI」とは何?!

問題は、この先についてである。大澤氏は強調したい点として次の様な展開を述べておられる。

「BIに類する政策は、時限爆弾のようなものであり、それは、私たちの制度の基本的な前提を内側から破壊する力をもつ。その潜在的な破壊力を十全に発揮させ、その結果をすべて引き受けるべきだ、というのが私の考えだ」

と述べ、「十分な量のBIは、やがて人々に、『私的所有』の観念の見直しを迫ることになるはず」で、従来の私的所有の観念を前提に、BIをもらっている人は権利のないものを受け取っていると理解されている限りBIは持続可能性を持たないと述べている。「十分な量のBI」とはどんなものなのか、具体的な記述はない。

私的所有の範囲とコモンズ・社会的共通資本の境界は曖昧とは?!

しかし大澤氏は、私たちが社会的な必要を満たすべく生産したものに関して、簡単に個人の所有権を主張できるものなのかどうか、「ほとんどは、社会的な関係性や協力の全体の中から生み出されたもの」であり、その大半が「コモンズ(共有資産)」だし、故宇沢弘文氏が導入した「社会的共通資本」というべきものとみている。つまり、「私的所有の範囲とコモンズないしは社会的共通資本の範囲と境界は限りなくあいまい」なのであり、それに気づけば「BIを要求することに後ろめたさを感じる必要がない」ことが理解されると述べておられる。つまり、「私的所有の観念とそれを前提にした制度が見直され、根本的な変更が加えられるに違いない。また、そのような制度の基礎の変革に成功したときにのみ、人類はコロナ危機を真に乗り越え、21世紀を過ぎてもなお繁栄しているだろう」と未来を語っておられる。

大澤真幸氏の提起は「共産主義」に近いと思うが、誤解だろうか?

これは、表現を変えた「共産主義」経済に近いものとなるのではないだろうか。要するに、この世の中でつくられたものは社会全体で作り上げたものであり、BIによって私有財産制度の見直しへと進んでいくと考えておられるように思われる。日本でBIについていろいろと議論されている中で、このような論理展開した提言を読んだのは寡聞にして初めてのことだっただけに、いささか戸惑うとともに驚いてしまった。これは、もしかして自分の思い過ごしなのか、誤読なのか。

コロナ危機を制御できない世界は、BIすらも存立できないのでは

確かに、コロナ危機がパンデミックとして毎年のように襲ってくる世の中は、経済的にも大変な混乱を招くことは確かであろう。ただ、ワクチンや特効薬の開発によってコロナショックを乗り越えることができないのであればいざ知らず、人類の叡智が発揮されて克服できるわけで、BIの恒常化に至らないで解決することは可能だと考えるべきだろう。それが実現できなければ、それこそ人類の破滅ということになるわけで、BIそのものの存立基盤が崩壊してしまうに違いない。コロナ危機によって打ちのめさされた世界がどのようなものになるのか、想像もつかない。

危機への対応は、コモンズや社会的共通資本重視の方向は同意する

問題は、こうした危機(ショック)が襲ってきたときにどのような対応が必要になるのか、ということなのであり、人々の英知を結集して国内はもちろん国際社会でも「連帯」の方向で結束していけるのか、それとも新自由主義的に「自己責任」論を展開し自国中心主義に進むのかにかかっている。大澤氏は、「連帯」の方向へと進むことを望んでおられるが故に「コモンズ」や「社会的共通資本」といった概念を提起されているのだろう。そのこと自体は大いに賛意を表しておきたい。そのこととBI化が必要ということは別問題だろう。

コモンズや社会的共通資本とBIは、その性格は同じものとは言えないのではないか

ただ、コモンズや社会的共通資本とBIが同じ性格のものかどうか、その境界があいまいなものだと言えるのだろうか。BIは、国民の最低生活費を無条件ですべての国民に支給するというもので、社会保障給付として支給されている現金給付や現物給付を廃止してBIに含めて支出するものとされている。国民の最低生活費が生活保護費月額約13万円だとすれば(それ以下だと最低生活は維持できないということになる)、それを1億2500万人に給付するとすれば約200兆円近い財源を要する。果たして、それだけの財源を確保できるのかどうか。さらには、毎月定額の現金給付だけでは保険としての役割が吹っ飛んでしまい、例えば医療リスクに直面して支出が膨張する人たちは貧困に陥るだろう。到底国民がそれを是認できるとは思えないわけで、この提言には納得することができなかったのだ。むしろ、コロナ危機によって医療保険制度のさらなる充実・強化こそが求められているのが実態ではないだろうか。アメリカにおけるサンダース議員の国民皆医療保険制度の提言が、今や現実味を帯び始めていることに注目していきたい。

BIは「防貧」政策たる社会保障を「救貧」政策に置換えようとする

BIについて、最近では実に多くの専門家と称する方たちが導入を提言されている。特に、フィンランドでの導入実験がなされたことを引き合いに出されるのだが、フィンランドの場合には失業保険給付が複雑になりすぎていることから、就労を阻害するインセンティブを弱めるため試験的に一定額(それだけでは到底最低生活を賄えない水準)を支給したものなのであり、すべての国民に最低生活費を無条件で支給するという本来のBIではないことに注意すべきだろう。

いろいろと述べたのだが、BIなるものは「防貧」を目指す社会保障を無くして、「救貧」に置き換えようとするものでしかないわけで、水準の面で貧弱な社会保障制度の充実・強化によって国民生活を安定させることこそがいつの時代にも重要であることを指摘しておきたい。公的年金制度が始まったドイツのビスマルクの時代から100年以上たつのだが、その間戦争や恐慌やハイパーインフレなどもありながら、いまだに連綿として制度が続いてきていることを知るとき、社会保障制度の持つ頑健性に注目すべきだろう。コロナ危機にも対処できるに違いない。

先週末に成立した「年金制度改革法の改正」に注目すべきだ

確かに、今の日本における社会保障のレベルは公的年金だけとっても不十分さは拭えない。とりわけ、自営業や農業といった定年制度のない方たちを主たる対象にした国民年金保険制度は、今や規模501人以下の中小企業に働く労働者や一家の生計を維持する非正規労働者までが保険加入者となるわけで、こうした人たちが老後の生活をどのように維持していけるのか大問題なのだ。そこで、一番重視すべきなのが、こうした中小企業に働く労働者や非正規労働者をいかにして厚生年金に加入させていくのか、ということだったわけだ。日本における「防貧政策としての社会保障」の脆弱性の克服が求められている。

今の通常国会の中で年金制度の改正が行われた中で、中小企業に働く人たちを厚生年金に加入させるべく企業規模を今の501人以上から、やがて51人以上へと引き上げることとなったわけだ。それでも前進と言えば前進なのだが、企業規模を廃止してすべての働く労働者に厚生年金への加入によって、老後生活の安定に少しでも貢献させたいものだ。国民年金だけでは、40年間毎月16900円の保険料で65歳から月額約66000円支給されるにすぎないわけで、これだけでは到底最低生活を維持できないことは言うまでもない。労働者の数が少なくなるこれからの時代において、働く人たちに公的年金保険料を負担できない企業には退出してもらうしかないのではなかろうか。

WWP(Work longer Private pension Public pension)で老後生活改善を

そこで、WPPという提言をされてきたのが慶應義塾大学の権丈善一教授である。教授は、今の年金受給権行使が60歳から始まり70歳まで何時からでも受給できること、支給を遅らせれば65歳を基準にして1年ごとに8,4%(1か月毎に0,7%)増額され、70歳に受給すれば実に65歳で受給できる金額の1,42倍にまで受給額が引き上げられることになる。今回のもう一つの改正点として70歳までだったものを75歳まで受給開始年齢を引き上げて、75歳から受給すれば65歳基準の支給額の1,84倍にまで高めることができるようになったことも上げなければならない。WPPとは、この受給開始年齢引き上げを有効に活用して公的年金受給額(今の少子高齢社会の下ではマクロ経済スライドによって実質的な需給金額が逓減していくことになっている)を引き上げようとするものである。つまり、W=Work longer P=Private pension P=Public pensionの頭文字をとったもので、できるだけ働き続け、公的年金受給をぎりぎりまで遅れて受給し、その間は私的年金(idecoといった税制優遇付き個人確定年金なども今国会で改正された)を活用していくべきだというものだ。今時、1年間の利息が8,4%にもなる確定金利が付く金融商品などないわけで、遅く受給できればできるに越したことはないのだ。

公的年金制度は保険制度であり、貯蓄型商品ではない

時々、それでも、長く生きれば得だが、早く死んでしまえば損をするという「損得勘定」で公的年金を論評する人がいる。だが年金は保険なのであり、長く生きることのリスクに対応しているわけで、仮に70歳で受給して1か月後に死んだとしても、老後生活の安定感を持ちながら他界できるわけで、それはそれで満足できると思う。逆に、100歳を超えるような長命であったとしても、しっかりとした老後生活を送れる公的年金が保障されるわけで、安心できることは間違いない。

今度の国会で改正された内容をしっかりと確認し、今後の老後生活の在り方について今の現役世代の方たちにはしっかりと考えてほしいものだ。もちろん、まだまだ日本の社会保障のレベルは不十分であり、国民負担率を引き上げながらより一層の改革を進めてほしいものだ。


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