2020年7月27日
独言居士の戯言(第153号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
最低賃銀の引き上げ答申できず、安倍政権の姿勢に疑問が募る
今年の最低賃金の引き上げが国の審議会において何日間もかかり、最後は徹夜で審議されたものの、結局引き上げの指針をまとめることなく終わった。安倍政権の下で、毎年3%ずつ引き上げられてきただけに、コロナ禍の下でのその行方が注目されていた。今年の引き上げ指針が示されなかったことで、今後の地方レベルでの引き上げがはまだ決まったわけではないが、地方の経済状態はかなり深刻であるだけに引き上げは困難となってしまった。こうした時期ではあるが、日本の労働者の賃金水準を引き上げる方法として、春闘の存在感が喪失しかかっているだけに、最低賃金の引き上げが持つ日本の労働者の賃金水準引き上げに及ぼす影響力は極めて大きい。最低賃金が上がれば、それよりも高い賃金水準にも波及することは間違いないからだ。日本の労働分配率が低下し続けているだけに、最低賃金が据え置きになることは到底容認できるものではない。安倍政権の賃上げに対する貪欲な姿勢が出ていないだけに、スローガンだけで本当に信念に基づく政治が実現できていないことに腹立たしさを覚える。
デビッド・アトキンソン氏、最低賃金引き上げの重要性を力説
こうした中で、デビッド・アトキンソン氏は7月23日付の『東洋経済オンライン』で「日本の最低賃金『メキシコ並み』OECD25位の衝撃」、<給料安すぎ問題の根因「最低賃金」を上げよ>と題する論文を発表している。先週には「日本の労働生産性は『韓国以下』世界34位の衝撃」に引き続いて、日本経済に対する衝撃的ともいえる警鐘を乱打し続けておられる。この中で、重要なことは「日本は最低賃金が低いとは断言できない」という誤解を批判していることだろう。
2018年のデータによれば最低賃金の絶対値ではOECD29カ国中11位ではないか、という点について、OECDには一人当たり生産性が11万2045ドルの国から1万6265ドルの国まで含んでいるわけで、日本が比較すべきは主要先進国であることは言うまでもない。その主要先進国の中では、アメリカを含めて実質最下位であることを指摘している。「実質最下位」というのは、最低賃金の高低を比較する場合、その国の賃金水準の中央値に対する割合で比較することが一般的で、日本は0.42とOECD29カ国中アメリカ、スペインに次いで下から3番目の25位となっている。ちなみに、1位はコロンビアで0.89、お隣の韓国は0.59で7位となっている。
アメリカ最低賃金、地方上乗せ含めた加重平均で11.8ドルになる
アメリカ(0.33)に関しては、連邦レベルの最低賃金の中央値で比較しているため、その額に州や市レベルでの上乗せ分が考慮されていない。ニューヨーク市やワシントンDCなどでは15ドル、ワシントン州13.5ドル、カリフォルニア州は13ドルなど連邦政府の水準を大きく上回っているのだ。かくして、アメリカ全体の最低賃金水準は2019年5月現在、加重平均で11.8ドル、連邦政府レベル水準の1.6倍にもなっていて、アメリカの最低賃金は極めて低いという説も、これまた誤りであることを指摘する。
日本の最賃水準は世界一低く、引き上げが急務と主張へ
かくしてアトキンソン氏は、日本は事実上世界一低い最低賃金水準の国であり「最低賃金の引き上げが急務だ」という結論に至っている。ここまでの指摘だけでも十分に刺激的だが、もう一つ私が注目したのは「モノプソニー」という概念である。この「monopsony論」については、6月11日付の同じく東洋経済オンライン誌で「日本人の『給料安すぎ問題』はこの理論で解ける」で詳しく論じられているので、興味のある方はそちらも参照してほしい。要は、「モノポリー」が「売り手独占」、その対義語として「買い手独占」として「モノプソニー」が使われていたもので、現在では「労働市場において企業の交渉力が強く、労働者の交渉力が弱いため、企業が労働力を安く買い叩ける状態」を説明するために使われることが多くなっているとのことだ。背景には、製造業中心からサービス化へと産業構造が転換したことや、そのもとでの規制緩和の進展などが挙げられている。日本だけでなく、世界的に進展しているようだ。
「モノプソニー」という新しい概念に注目するアトキンソン氏
その「モノプソニー」の下では企業の立場が強くなっているため、本来支払うべき給料よりも低い給料で人を雇うことが可能となっていて、「搾取」されているとみている。その「モノプソニー」の力は特定労働者層に強く働き、低学歴、女性、高齢者、外国人労働者、移動が困難な人など、弱者」と考えられてきた人たちである。実は、「男女同一労働・同一賃金」が実現しない原因のほとんどが、「モノプソニー」だと説明されていることも、ビッグデータで確認できるとのことだ。
この「モノプソニー」の力が効きすぎないように制限をかける有効な手段こそが「最低賃金」だと強調されている。われわれは、是非ともこのアトキンソン氏も主張する最低賃金の引き上げを、強力に進めていくべきことを声高らかに強く主張していく必要がある。新古典派の主張のように労働市場は完全競争ではないのであり、企業と労働者は対等でもない現実から出発しなければならないのだ。
労働組合は自信をもって「最低賃金の引き上げ」こそ日本経済の健全な発展に寄与することを主張していくべきだ
こうした論点からすれば、今年の最低賃金引き上げの交渉結果が、コロナ禍を理由にして引き上げしない方向を出したことは誠に遺憾なことであり、経済界の方たちも含めて「最低賃金の引き上げ」が持つ日本経済へのマクロ的な重要性に一刻も早く目覚めてほしいと思う。また、こうした現実を報道するマスコミ関係者にも、「モノプソニー」という概念を国民に分かりやすく広げていく任務があるし、何よりも労働組合関係者には、実に説得力のある論拠が示されていることを有力な武器として、最低賃金の引き上げこそが日本経済の健全な発展のためにも不可欠であることを、強く強く主張し闘い続けてほしいものだ。まして、安倍政権の「やっているふり」をしている中途半端な姿勢に対して、政治家も真っ向から攻め込んでいってほしいものだ。
筋悪のベーシックインカム特集を組んだ『週刊エコノミスト』
こうした地道な戦いを続けていく時、時にベーシックインカムなどという筋の悪い政策を持ち出すことは、あってほしくないことは言うまでもない。
毎日新聞が発行している週刊『エコノミスト』7月21日号は、特集として『ベーシックインカム入門』を取り上げている。私自身、大学に入学して以来50年以上にわたって『週刊エコノミスト』誌を定期購読してきたのだが、今年4月をもって停止した。取り上げる中身とともに執筆している学者・専門家の内容が今一つ胸に迫るものが少なくなったと思ったからである。編集方針についていけなくなったからなのかもしれない。ただ、これからも、興味深いテーマや魅力的な執筆陣が書かれたものには注目していきたいと思っている。
今回の「ベーシックインカム入門」は、すでに何度も自分の考え方を述べてきたわけで、今更という感が無きにしもあらずだが、かなり多くの人たちがベーシックインカム(以下BIと略す)に「魅力」を感じているようなので、改めて取り上げてみてみたい。特に、政治家の中にはBIに魅力を感じておられる方がかなりおられ、国民民主党と立憲民主党との新党政策論議の一つにもなりつつあるようだ。
国民一人当たり10万円支給の特別定額給付金支給で論議に勢いが
BIとは何か、この特集の冒頭でエコノミスト編集部の市川明代さんが定義しているように「政府が全ての人に必要最低限の生活ができる収入を無条件で給付する制度」である。BI議論自体はかなり前からいろいろと議論されていたわけで、私が初めて接したのは議員時代の2000年前半のころだったと記憶する。今回大きく取り上げられ始めるきっかけとなったのが、今年5月に新型コロナ対策として政府が実施した一律10万円の特別定額給付金だったことは間違いない。当初は減収世帯を対象に30万円を給付する方針を一度は閣議決定しておきながら、公明党・創価学会からの強い要請で一転させ、国内に住むすべての人を対象として一律10万円の給付という前例のない措置に踏み切ったわけだ。今までであれば、「支援が必要な人を選別して給付」してきたことを、いとも簡単に覆したのだ。
こんなに深刻な財政事情の下で、すべての国民に10万円給付とは!!
戦後の歴史の中で、国民全員に無条件で一人10万円の給付をしたという前例は、私の知る限りない。消費税引き上げ時に、低所得者対策と称して「住民税非課税世帯」に対して3万円程度の支給や商品券の配布などが実施されたことはあるが、いずれも対象は絞られていたわけだ。今回の支給は国費ベースで12.7兆円にも達する巨額に及ぶもので、財政が危機的な状況にある日本にとってそれだけの大判振る舞いをすることが許されるのかどうか、大いに議論のあるところであった。本当に必要としている国民は間違いなくいたわけだが、コロナ禍による被害が全くなかった国民にも支給される余裕はないのが当然だろう。それができないのは、国民の中で誰が貧困に苦しんでいるのか、国がつかめていないからに他ならない。
国は、誰が困っているのか、正確に掴んでいないお粗末な現実
税をつかさどっている財務省・国税庁は、約500万円以下の所得については実態を正確に掴んでいないし、掴もうと努力してきていない。地方自治体においては「住民税非課税世帯」は掴めても、その世帯が本当に低所得・低資産者と判断できる状況にはない。私自身、民主党政権の与党時代にマイナンバーによる所得の正確な把握を目指したものの、依然として金融所得の全貌を掴むための銀行預金との紐づけはできていない。そのため、高額所得層の大きな収入源となっている株式からの配当・譲渡益が分離課税となってしまい、金融所得が正確につかめないまま放置されているのだ。だから、今回のようなすべての国民に10万円を一律で配布するという「愚挙」がまかり通ったわけだ。
今回の『週刊エコノミスト』誌のなかで、原田泰氏などは「所得捕捉する必要性」を指摘し「そもそも行政にそういう能力がないと分かったのだから、複雑なことを考えなくていい」とまで主張されている。元経済企画庁のエコノミストとは思えない現行税制の欠陥や杜撰さを容認する開き直った主張には、腹立たしさを覚えるが、多くの専門家がそのことに痛痒を感じていないのだろう。なんとかそういう現実を変えていけるよう努力してほしいものだ。
竹中平蔵氏は新自由主義による小さな政府への道を提唱している
この中で、6月2日号の『週刊エコノミスト』誌に登場した竹中平蔵氏が再びインタビューに答えて、最大の難問である財源について「BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それ等を財源とすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。・・・BIは事前に全員が最低限の生活が保障できるよう保証するので、現在のような生活保護制度はいらなくなる」と述べ、さらに「一気にやる必要がある。今がそのチャンスだ」とかなり入れ込んでいる。まさに、新自由主義に立脚した「小さな政府」実現に向けたBI導入論の繰り返しだった。ただ、このインタビューの中で、今後のコロナ禍の下で毎月支給されるようになれば「マイナンバーが重要になる。銀行口座とひも付け、高額所得者には年末調整や確定申告の時に返してもらう。こうすることで事実上のBIになる」ことを指摘している。全員一律ぶんの支給であれば、年収2000万円以上の高額所得者は現在でも確定申告が義務付けられ、BI支給分は課税可能なのだが、マイナンバーによる金融所得の補足による透明性のある公平な税が実現できるわけで、この竹中氏の主張は大いに取り入れていくべきだろう。もっとも、ご本人がどれだけ本気であるのか、疑わしいのではあるが…。
結局、最低生活費を値切って生活保護費や年金などの削減が狙いか
この特集号には、そのほか多くの方々からの声が寄せられており、中には生活が厳しい方たちの支援措置としてぜひとも導入すべきではないか、という善意の声があることも事実である。だが、BI導入には最低生活をすべての国民に保証するだけの財源が、最低生活費を生活保護費として支給されている月額約13万円とするほかなく、それを1億2500万人に支給すれば約200兆円という莫大な支出となる。それが財政危機にある日本で導入は不可能であることは言うまでもない。それ故、5万円(竹中平蔵氏)、7万円(原田泰氏)のような低いレベルに切り下げ、他方で生活保護費や基礎年金部分をAIへ移行させるなど、社会保障の削減と並行して進める声が強くなりつつあることを見失うことはできない。脳科学者の茂木健一郎氏の主張など、研究者や子供たちが学習し研究できる条件をどのようにして作り上げていけるのか、BIを主張している新古典派の経済学者たちの主張にのっとって進めてきた教育予算の削減という「小さな政府」論がもたらしてことを、厳しく見つめてほしいものだと思う。科学者も、「脳天気な主張」だけでは困るのだ。