2020年8月24日
独言居士の戯言(第156号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
コロナ禍の猛暑、安倍総理の健康不安説が齎す永田町の暗躍の行方
1週間休刊しただけだが、世の中の動きはとにかく早いことが良くわかる。のんびりと夏休みというわけにはいかず、いろいろと資料や関係する本をひっくり返したりして慌ただしい8月末を過ごしている。幸い北海道は気温が冷涼で、本州各地の体温越えの猛暑とは無縁なだけが救いではある。
なんとも気になっているのは、安倍総理の健康不安説である。確かに、テレビに映る画面でしか判らないのだが、顔色を見る限り精彩を欠いている日々が続いているように思われた。ある週刊誌が官邸内執務中に吐血をしたようだと報じたあたりから国民の間にまで情報が拡散し、慶応病院に7時間半もの長きにわたる診察に及んで、やはりどこかおかしいのではないか、と多くの国民は思い始めているようだ。今日24日は、佐藤栄作元首相の連続在任日数を超えて日本憲政史上最長の連続在任記録に到達したわけで、この最長在任記録の到達とともに気力・体力ともに萎えてしまうのではないか、永田町雀の姦しい声が聞こえてくる。というのも、衆議院議員の任期もあと1年足らず、常識的にはいつ解散・総選挙になったとしてもおかしくないわけで、野党の新党結集の動きも総選挙間近ということで進んでおり、自民党内でもポスト安倍をめぐって、永田町界隈は実力者とされる面々が暗躍し始めているようだ。果たして、真相はどうなのか、新型コロナウイルスの動きとともに、目が離せなくなってきつつあることは間違いない。
何ともすっきりしない「立憲」と「国民」の合流の合意
政治の話題でいえば、立憲民主党と国民民主党の合流問題が8月19日、なんとも形容のしようがない結論が出たようだ。
立憲民主党の枝野代表の呼びかけで始まった野党勢力の結集は、8月19日の国民民主党の両院議員総会での賛成多数による両党の合流が決まった。もっとも、合流を決めたとはいえ玉木代表をはじめ何人かの議員は、新党には参加しない意向を表明しており、すんなりと党と党の合併とはいかなかったことは間違いない。さらに、野田佳彦元総理や岡田克也元外務大臣といった民主党政権時代のリーダーたちも参加を決め、新党の規模は衆参で150名近くに達するものと予想されている。この規模は、ちょうど2009年の総選挙で民主党が大勝して政権交代した時の衆議院議員数117名に近いと言われ、政権交代を目指しての数的には準備は出来上がったわけだ。もっとも、参議院議員は当時は第1党だったことの違いは大きい。
結局は、「民主党」への回帰でしかない新党、「まっとうな保守」とは
かくして、民主党政権が下野して以降、民進党から希望の党への合流という混乱を経て分散化した野党勢力の再結集が実現したということなのであろう。野党勢力として「社会民主党」の参加は未知数であるが、福島党首の意向は参加しないことを明言しており、今回の新党への参加はないものと見込まれている。
新党の名称はこれから新しい党へと結集した議員が投票によって選択していくわけだが、「立憲」と「民主」という言葉が入ることは確実なのだろうと思われる。というのも、新党の「綱領(案)」を読む限り、立憲主義に基づいた民主政治の実現を前面に打ち出しているからに他ならない。「社会」という言葉がほとんど問題にもなっていないことは、この新党の性格が社会民主主義というものから距離を置いているとみていいのだろうか。
労働組合「連合」が支える政党が「社会民主主義」ではない現実!!
というのも、今回の両党の統一の原動力として動いたほとんど唯一ともいえる支援組織は労働組合の「連合」なのであり、その労働組合「連合」が存在していながら、社会民主主義を中心に置くことがなかったことは、理念としての社会民主主義の退潮傾向を示しているのだろう。背景には、枝野幸男立憲民主党代表が述べた「穏健な保守」という立場の方が、新党の立場をよく表しているのかもしれない。流れからすれば、かつての「日本新党」や「新党さきがけ」の流れが中心になったとみていいのだろう。
日本の政治には「社会民主主義」が根付いていなかった現実
こうして21世紀になった政治の潮流の中で、格差社会が大きな問題になっていながら、「分配」の問題や「再分配」政策としての税制や社会保障などの果たす役割が、中心的な課題になっていないことの不可思議さに驚いてしまう。つまり、残念ながら日本には「社会民主主義」がほとんど根付いていなかったことを示しているのだろう。安全保障の問題は与野党の政治的対立軸として中心に位置していたのだが、社会保障の問題は主として企業や女性に依拠してきたわけで、良くて「二の次」でしかなかったのだろう。
新党と自由民主党との違いはどこに、「壊し屋」を引き入れた功罪は
そう考えると、自由民主党に対抗していくためにはどこが違うのか、自由民主党内には国粋主義に近い立場から穏健な保守、さらには「社会民主主義」に近い人たちまで結集しているキャッチ・オール・パーティ(包括政党)であるだけに、新しい政党が対抗軸をどう貫いていけるのか、実に困難なことだと言えよう。しかも、小沢一郎という良くも悪くも日本の政治の中で半世紀以上生き抜いてきた「壊し屋」も、再び入り込んでいるわけで、多くの国民の目からはまた「民主党」政権時代の二の舞が繰り広げられていくのではないか、という思いが出ても不思議ではあるまい。
新党の綱領には最大の問題である財政問題が全く触れていない
小沢氏の政治における言動はいろいろと指摘されているが、実は財政を考える際に、消費税の問題で揺れ続けたきたことを忘れることはできない。自民党から飛び出してきた細川政権時代には「国民福祉税」7%への引き上げ、民主党政権直前の福田政権時代の「大連立騒動」の際には「消費税引き上げ」、民主党政権時代には「消費税引き上げ」に反対して党から分裂へ、という具合で、何がこの政治家の目指す目標なのかよく見えてこない。新党の「綱領(案)」には「持続可能で安心できる社会保障」という項はあるが、背景となる「財政」には全く触れていない。日本の国が抱える最大の難問である財政問題への言及が全くないというのも、無責任極まりないと言われても仕方あるまい。財源の裏付けを欠いた政策は「絵に描いた餅」でしかない。社会保障・税一体改革を進めてきたものにとって、この新党の前途は多難であると見た。引き続き、その行方に注目し続けていきたいと思う。
GDPの急激な落ち込み、コロナ禍はリーマン以上の打撃か
経済の方に目を移せば、17日に内閣府から今年の4~6月にかけてのGDPの第一次速報が発表された。1~3月期に対比してマイナス7.8%、年率に換算して27.8%という数字であり、大方の専門家の予想通りリーマンショック以上の戦後最大の落ち込みのようだ。もっとも、このGDP統計の数値は一次速報と最終的な確定値の間には、かなりの違いが出てくることがあるだけに、それをそのまま受け止めるわけにはいかないのだが、なにせ最終確定値は1年以上かかって出てくるわけで、当面の対応には到底使えないのが実情だ。
回復までには4~5年かかるのでは、特効薬やワクチン開発如何に
とはいえ、今回のGDP速報値は、新型コロナウイルスによって緊急事態宣言が発せられただけに、どれだけ経済が落ち込むのかが注目されたわけだ。世界的にも、アメリカは年率換算で32.9%マイナスでEUもそれ以上の落ち込みだったようだ。それらに比べれば日本のマイナス幅は少ないとはいえ、なにせ昨年の10~12月以降これで3期連続してGDPはマイナスを記録したことになる。既に景気は1年半以上前に後退期に差し掛かっていたわけで、コロナ禍による日本経済へのダメージは深刻になるとみておく必要がありそうだ。多くの専門家は、この経済的な落ち込みから回復できるのは4~5年後ではないかと予想する向きが多いのだが、中には供給力そのものが棄損されているわけではないのでそれほど長期にわたらないのではないかとみる向きもあるが、こうした短期回復説は少数派に過ぎないようだ。
問題は、コロナ禍への対抗できる特効薬やワクチンの開発がいつできるのか、という点にかかっているわけで、多くの専門家の予想では1~1.5年近くかかるとみており、本格的な経済への回復は早くて2年後の2022年以降とみるのが常識的なところだろう。
デジタル化の遅れを挽回する日本経済、それによる経済・雇用は?
今論議されているのは、コロナ禍を経た日本経済はどんな経済構造になっているのか、という点であろう。デジタル化が進みはし攻めたことは間違いないし、在宅勤務やネット教育といった改革も否応なく進展し始めたわけで、そうした中でどのような経済政策が展開されるのか、注目していく必要がある。
間違いなく言えることは、1980年代から続いてきた新自由主義的な改革が格差社会を引き起こしていること、グローバル化や金融自由化の行き過ぎを是正するべきではないか、という声が強まりつつある。もっとも、そうした流れが世界的な潮流となって先進国の経済政策を転換させていくには、まだまだ不十分である。昨年8月アメリカの経営者団体の「ビジネス・ラウンドテーブル」が「企業目的(パーパス)」を再定義し、顧客や地域社会などすべての利害関係者(ステークホルダー)を重視しなければならないと宣言したわけだが、その後の展開を見る限り、世界的な潮流となって経済政策が変わり始めたとまでは言えないようだ。コロナ禍とともに地球温暖化による大災害の多発など、企業の経営の土台となる地球環境や格差社会の拡大・蔓延など、今こそ経済政策の大転換を成し遂げてほしいものだ。引き続き、どんな企業経営へと転換していけるのか、注目していきたい。
財政赤字累積、東日本大震災と同じく「別会計」で中長期的処理へ
さて、コロナ禍への対策として国債を大量に発行して当面の経済救済に向けて財政支出を余儀なくされたわけだが、こうした「大災害」とでもいうべき深刻な問題にどう対応して行けば良いのか、コロナ禍の終息が見えない中では時期尚早なのかもしれないが、来年度の予算編成が目前に控えているだけに注目していくべきだろう。例年であれば、来年度の経済成長率を予測し、それぞれの予算に対するシーリングを設定して概算要求を作成し、財務省との予算折衝によって来年度予算編成が進められるわけだ。どうやら、今年は来年度予算要求には制限をつけていないようで、というよりどのような予算編成にしていくべきなのか、困惑しているのが現実なのかもしれない。コロナ禍対策だけは一般会計とは別扱いにしてはどうか、という見解も出ているようだが、現実にはその仕分けは難しいのだろう。
そうはいっても、やがては肥大化した財政赤字を東日本大震災と同じような特別会計にして、独自の税源を求めて中期的に返していく責任があろう。一般会計のプライマリー黒字の実現が国会において全く議論されていない中で、こうした財政規律の回復に向けた努力をコツコツと進めていく以外にない。国際社会において、トービン税だとか金融取引税といった税の国際協調を求める声が出始めているが、G20の場で大いに議論をして実現してほしいものだ。もちろん、環境税の本格的導入も不可欠である。さらに、国内の税においても、累進性の回復による税の再分配苦悩の強化とともに、今回のコロナ禍による増益となった個人や企業からの増税は、何らかの形で負担増をお願いすべきだろう。