2020年11月30日
独言居士の戯言(第170号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
日米株式市場の盛り上がり、コロナ禍の下で異常ではないか
コロナ禍とはいえ、アメリカと日本の株式市場が沸いている。アメリカではニューヨークダウが一時3万ドルの大台を突破し、ナスダックも史上最高値を更新し続けている。それに引きずられるように日経225もバブル崩壊後の最高値を連日更新し、先週末には26,000円台を突破、今後さらに上昇することもありうるようで、専門家の間では日米ともにバブル化しているとみる向きも増えている。何といっても、日本が先頭を切った異次元の金融緩和とコロナ禍での財政支出拡大を継続し続けており、それに追随したアメリカなどの動きと相まって、コロナ禍で苦しむ多くの国民の生活とはかけ離れた”お祭り”が進んでいるわけだ。何よりも金利が名目でゼロ、実質的にはマイナスが継続し続けていることが背後にあることは確かだろう。もっとも、アメリカのGAFAに代表される巨大なプラットフォーマーの株価総額が異常に膨れ上がり、株価総額で日本のGDP総額をはるかに超す水準にまで引き上がっているが、全体としてはコロナ禍での経済の落ち込みは続いている。日本経済をけん引している巨大企業は出てきていないわけで、なんとも理解しがたい日米の株価の動きと言えよう。
株式市場の暴走は、民主主義の基盤を崩壊させた歴史に学ぶべきだ
抱えた困難な課題の先頭ランナーたる日本では、安倍政権誕生前後から日銀は異例のゼロ金利を背景に、これが先進国の金融政策と言えるのか大いに疑問のあるETFやREITの購入を継続しているわけで、実体経済の落ち込みと対称的な株価だけ異常に引き上がることへの違和感が募る。ゾンビ企業が市場から退出することなく存続しているに違いないが、そのつけは国民全体が被ることになるわけだ。株式投資を進めている一握りの人たちは別にして、働く多くの労働者は雇用不安の下で賃金水準は停滞させられ、これまで日本の民主主義社会を支えてきた中間層がやせ細り始めている。この先は政治不信が増大し、戦前のファシズムや軍国主義が広がっていった歴史を思い出させる昨今の動きに、警戒心を高めざるを得なくなりつつある。格差社会を拡大しつつある日本の財政・金融政策を一刻も早く終わらせ、まともな経済政策へと転換する必要性を痛感させられる。
上村達男早稲田大学名誉教授、産経新聞11月5日付「正論」寄稿のコラム「コロナ禍と脆弱な日本の企業法制」に注目
こうした異常とも思える株式市場の下で、きちんとした企業法制度の不備が日本の企業行動に多くの問題をもたらしているのではないか、という警鐘を鳴らし続けておられる専門家の声に耳を傾ける必要があると思う。
今回取り上げるのは、上村達男早稲田大学名誉教授が、11月5日付『産経新聞』のコラム「正論」で「コロナ禍と脆弱な日本の企業法制」と題して、日本の企業法制がいかに改悪させられ続けてきたのか、2500字足らずの短いコラムではあるが、実に内容が濃く鋭い問題提起となっている。以下誤解を恐れず、私なりに紹介してみたい。ちなみに『産経新聞』は、新聞社としての論調が保守的なこともあるのだろうか、私の住んでいる北海道(かつて「革新王国」と呼ばれていた)では直接販売されておらず、このコラムの掲載を知ったのもつい最近のことだった。
過去の大失敗に学んだヨーロッパの企業法制にこそ学ぶべきだ
上村教授は、まず「危機における対応力を軽視」していることを指摘される。コロナ禍の下でヨーロッパにおける企業法制は「厳格な配当規制を伴う法定資本・法定準備金制度」が維持されており、法が企業に内部留保を強制してきたことを取り上げ、日本も明治以来同じ法制度を導入していながら「過剰規制として放棄」したことを批判される。1980年代のバブル期までは企業に配当できない資金が蓄積され、「利益準備金」としてバブル崩壊時や今回のコロナ禍といった危機への「備え」になることを指摘される。証券市場という暴れ馬と一体の株式会社制度運営の大失敗の記憶に基づく、欧州の経験値そのものだとしてこうした制度の必要性を認めておられる。
ドイツ政府の持つ厳格な財政運営、私企業にも厳格な配当規制
私など証券市場をよく知らないものにとって、「自社株買い」なるものが欧州では原則禁止となっているのも剰余金の社外流出を防ぐためなのに、日本では簡単に禁止が解除されて久しい。もし仮に危機を心配する企業が自主的に内部留保したとしても、そういう過去の反省を顧みることなく、一部ファンドなどから「吐き出せ、吐き出せの大合唱」になることを危惧される。コロナ禍のもとでドイツが日頃から健全財政を維持指摘してきたことと同様、私企業にも厳格な配当規制があるとのことだ。ドイツでは国家財政の健全さが維持されているが故に、労働者の休業補償も手厚いし文化支援にも1200億円が支給されたという。日本で国からの企業支援金が「怪しいファンドなどに流出させた資金の穴埋めにも見えるが、支援金を配当に回してはならないという欧米では当然の制約すらない」と厳しく指摘される。最近では、ストックオプションの類が広まり、株価の上昇が自分たち経営者側の報酬に連動することから、借金してでも自社株買いによる株価のつり上げが実施されていないかどうか、心配ではある。こうなれば、犯罪と言う以外にない。
株主の権利は配当・財産権、議決権は株主の属性で判断すべきだ
日本では「会社は株主のモノ」とされているが、株主に付与されるのは「配当などの財産権のみ」であり、人間社会のありようを左右する議決権は、株主の属性の正しさの検証なしに安易に認められるものではないことを強調される。一万分の二秒といった超高速取引のファンドなどに人間株主並みの扱いを主張する正当性はないし、日本において「株主平等原則」が、モノ言う資格の怪しい株主と中間市民層株主との平等を意味していることを、早く変えるべきだとも主張される。企業買収のルールにおいても、アメリカ式の発想である「安ければ金次第で買収出来る」というルールの受け売りが、日本の企業社会を大きく蝕んでおり、ヨーロッパ流の段階を追った買収ルールの構築に取り組むべきことを提唱されている。
アメリカでも「会社は株主のもの」という見方の反省が始まる
日本がアメリカの真似をしてきた「会社は株主のもの」という考え方も、最近では本家のアメリカにおいてもビジネスラウンドテーブルなどでは反省され始めてきており、日本だけが固執し続けることは滑稽そのものになりつつあることを知らねばなるまい。格差社会の広がる今日、株式会社を市民社会の中に取り込んでいけるよう、今こそ企業法制の見直しが急務であることを政治・経済・行政の世界は真摯に受け止めていくべき時である。
非西欧国家の日本、幕末・明治期で日本語の法典編纂という歴史的快挙、中国にまで影響へ
最後に、歴史的・地域的なパースペクティブとして、日本が明治以来ヨーロッパをモデルに法典編纂を断行したことが、日本語という非西欧国家の現地の言語のみによってなされた歴史的快挙と評価されている。その前提として、幕末時点で英独仏語に対応する漢字の法律用語等が日本に存在したことが、中国で今、法律学等の社会科学等を漢字で議論出来ていることの根拠であることを力説されている。そうした先人たちの優れた仕事を考えたとき、上村教授はこのコラムの最後に次のような指摘をしておられる。日本の多くの関係者は、この指摘を厳しく受け止めて欲しいものだ。
「日本法学に強い誇りを痛感すればこそ、130年後の今、日本の企業法制の脆弱性は見るに忍び難い。日本の企業法制の中長期構想を常に検討する部門すら存在しない状況を明治の先人たちが知ったら、と思わざるを得ない」
市民社会と共存できる会社法大改正の実現を現実のものへ
上村先生は民主党政権時代においても、会社法の改正で千葉法務大臣の下で審議会に参加していただいたことを思い出す。残念ながら市民社会と共存できる会社法制の大改革にまで到らないままで終わってしまったことを思い出す。上村先生は、今内閣府内に設置された「危機管理会社法制会議」の委員として参加され、「正論」で展開されている日本の会社法の抱える問題を改革するべく努力されておられる。この危機管理会社法制会議は、原丈人内閣府参与の提起された「公益資本主義」を中心に議論が展開されるやに聞いている。日本の市民社会の中で株式会社が正しく貢献していけるよう、会社法や市場法制の観点からも新自由主義的な弊害を克服できる改革策を提示していただきたいものだ。
大いに期待したい。