2021年3月1日
独言居士の戯言(第182号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
東京株式市場の大幅な下落は何を意味しているのだろうか
株式市場は大幅な下落が始まったようだ。26日、東京株式市場の日経平均株価は28.966円で取引を終え、一日の下落幅は何と1202円で、3万円の大台どころか2万9千円台も割り込むに至っている。直接的には前日のアメリカ債券市場での10年物国債利回りが一時1.6%台をつけ、主要先進国でも金利の上昇が連動し始め、ニューヨーク・ダウの株価も下落したことを受けたものである。ニューヨーク・ダウは、週末の26日にも前日から469.64ドル下落し、30.932ドルで取引を終えている。ほんのわずかな金利の上昇により、これほどの影響が出ることは驚きと同時に、資本市場の危うさを示しているのだろう。
アメリカの長期金利の上昇が、株価や債券市場の下落をもたらす
直接の要因となった10年物の国債利回りは、1.40%前半まで再び低下したことでハイテク株などは買い戻されたようだが、週明けの株式市場の動向が注目される。特に、債券市場の金利上昇の動きが気になるわけだが、FRBのパウエル議長が「あと3年は、インフレは起きない。それまでは金融緩和を続ける」と強調してきただけに、長期金利の上昇が一時的なもので終わるのか、それともコロナ禍での財政支出の大判振る舞いによって、さすがに金利上昇に弾みが付き始めたのか、今週の資本市場の動きから目が離せなくなっている。
コロナ禍の下で、ようやくワクチンの接種が始まり、実体経済が回復し始めれば大型の財政支出と金融緩和が継続するわけで、デフレどころかインフレの心配が当然出てくるわけだ。その意味で、経済が正常化し始めたことによる長期金利の上昇が、株価に対しても正常化を迫ってくる。この株価の下落は、もしかすると「バブルの破裂による下落」ではなく「株価の調整局面による下落」と言えるのかもしれない。
バイデン政権、1.9兆ドルのコロナ対策予算を下院で可決へ
そうした中で、アメリカからバイデン政権になって初めて1.9兆ドル(200兆円)の新型コロナウイルス対策法案を、下院において民主党単独で可決したようだ。法案は上院に回され、部分的な修正はあるものの3月中旬までには成立するとのこと。アメリカはソーシャル・セキュリティ・ナンバーによって一人一人の所得把握が出来ているため、1.9兆ドルのコロナ対策費における最大の柱となる一人最大1400ドルの追加の現金給付も、公平かつ合理的に支給される。年収7万5千ドル以上は減額され、10万ドル以上の高所得層は対象外で、4人家族なら最大5600ドル(約60万円)支給される。低所得層には干天の慈雨だ。
最低賃金、5年で時間当たり15ドルへの引き上げは成立見送り
最低賃金の15ドルへの引き上げは、共和党の抵抗もあり今回は実現が困難となったようで、代替措置として最低賃金を15ドルに引き上げない大企業に罰則を設ける意向とのことだが、党内左派の強い要望だっただけに今後の行方が気になるところではある。
強気のイエレン財務長官、財政支出の拡大を世界に呼びかけ
こうした決定が、アメリカ実体経済にどのように影響していくのか、需要不足を大きく刺激し経済の過熱リスクをもたらすのではないか、という指摘なども出ているようだ。それでも、イエレン財務長官は、強気の姿勢を崩しておらず、G20各国に対して金融緩和と同時に財政支出の拡大を促してきた。
今日の東京株式市場はニューヨークの下落を受けて大きく下落から始まるのだろうが、日銀やGPIFの「2匹の鯨」は動き始めるのだろうか。特に、日銀のETF買いが実施されるのかどうか、大いに注目していきたい。
日本経済はコロナ危機から脱却し始めたのか、菅政権の焦りに危惧
日本の経済も、コロナ禍の下で急激な需要の落ち込みから、徐々に回復への道を模索し始める時期なのかもしれない。1月7日から始まった緊急事態宣言の効果もあり、新型コロナの猛威は新規感染者数の低減にみられるように、やや弱くなり始めてきたこともあるのだろう、菅政権は専門家の方達の心配の声がありながら、2月一杯で首都圏の1都3県を除く大阪や愛知など6府県の緊急事態宣言を解除することを決定した。3月7日の期限までに、東京をはじめとする4都府県の解除は未定のままだが、いつも人の命や健康より経済の回復を優先する菅内閣だけに、おそらく解除の方向になるのだろう。
政権浮揚のためのオリンピック・パラリンピック強行への動き
国交大臣は、すでにGOTOトラベルの再開を言い出し始めている。さらに景気の回復期待の大きい(?)東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けた動きも、1万人近いの医療関係者の確保が必要とされるにもかかわらず、強行することが前提となった動きが進みつつあるように思えてならない。ただでさえ医療体制がひっ迫しているにもかかわらずなのだ。あいつぐ不祥事続きによる国民の支持率低下に焦る菅総理の胸中を察するに、何が何でもオリンピック開催が至上命題になっているのだろう。実に心配ではある。
日本経済にとって今一番必要なのは「賃上げ」ではないか
コロナ禍の下で、経済が落ち込んでいることは確かなのだが、いま日本経済の着実な回復に向けて必要なことは「賃上げ」ではないだろうか。3月に入れば、例年通り春闘の賃上げをめぐる労使の攻防が始まる。2月に入ってすでに労使の方針は打ち出されており、連合は2%の賃上げを目指しているが、そのうち定昇分は約1.6%と言われていて、実質的な賃上げ要求額は1%にも満たない「ささやかな要求」でしかない。
経団連や連合傘下の大企業労使、賃上げへの意欲が極めて弱い
この要求に対して経団連側は一律の賃上げには否定的で、「ジョブ型雇用」への転換を主張し、大手企業においては「賃上げ見送り」が多くなっている。まさに、ベアゼロ時代になっているのが現実だ。大手企業労組がこんな体たらくであれば、労働組合組織が殆んど進んでいない多くの中小企業などでは、賃上げなど到底あり得ないことは想像に難くない。非正規雇用労働者など、雇用不安の下で最低賃金(日本全体の平均値902円)にへばりついているのが現実であろう。
経済危機に直面するたびに繰り返される雇用維持・賃金の抑制策
ここでコロナ禍の下での最近の賃金の実態を見てみたい。厚労省の「毎勤統計」で残業代やボーナス・残業代込みの現金給与総額の伸びを見てみると、昨年7-9月期は前年同月比で1.2%減、10-12月期は同じく2.3%減となっている。他方、雇用は完全失業率3.0%とあまり落ち込んではいない。コロナ禍の下、雇用調整金でもって正規雇用を中心に維持されてはいるのだろうが、危機に陥るたびに雇用を維持する代わりに賃金が犠牲にされるという、日本的なパターンが繰り広げられていることがわかる。そのことで、日本の国際競争力が落ち込んでいるのではないか、と指摘されることが多いのだが、あまり反省されているようには見えない。
経団連の言う「ジョブ型雇用」とは、「一律ベアなし」ということだ
経団連側が主張している「ジョブ型雇用」への転換とは、能力のある労働者は賃上げをするが、一律のベアはしないという方便に使われているに過ぎない。つまり、「ジョブ型雇用」という本来企業側が労働者を採用する時、その労働者が付く仕事(ジョブ)が必要とする「職務明細書=ジョブディスクリプション」を持っているかどうかが判断され、一度採用されれば能力評価が入る余地はなく職務に応じた賃金を支給しなければならないのが当たり前なのに、能力評価をいれて「職務遂行能力給」=「職能給」の徹底化を図ろうとするものでしかない。要はくどいようだが、「一律ベア」はしないということの都合の良い表現でしかないのだ。ヨーロッパなどでは職種別に横断賃率が産業別労使の間で締結されており、そこでジョブに応じた賃金は社会的に決まる。ヨーロッパには、産業別労働組合が存在しており、企業別ではなく産業別の労使協定で賃率が決定されるのが一般的だ。日本では、企業別労働組合だから企業側の一方的な能力評価による賃金がまかり通るのだ。
「ジョブ型雇用」「メンバーシップ型雇用」は正しく理解すべきだ
それだけに経団連側は「ジョブ型」雇用という言葉は使うべきではないし、労働組合もそうした使い方を問題視すべきだと思う。この「ジョブ型」雇用と、日本の大企業などでみられる雇用を「メンバーシップ型」と分析されたのがJILPT(独立行政法人労働政策研究・研修機構)所長だった浜口桂一郎氏で、浜口所長は日本経済新聞などが使っているジョブ型雇用の定義について、厳しく批判されていることを紹介しておきたい。
経営側が考えるべきは、賃金抑制が景気の足を引っ張っている事だ
経団連が考えなければならないのは、過去の経営側が進めてきた労働者に対する賃金の抑制が日本経済に悪影響をもたらし、景気の足を引っ張っていることを反省し学ぶべきではないかということだ。
その点は、先週まで5回にわたって日本経済新聞に連載された「パクスなき世界 夜明け前」の中で、いろいろと興味深い指摘がなされている。1980年頃から始まった新自由主義による経済政策によって、労働分配率が低下し続けてきたことが、結果として内需の低下をもたらし、経済成長の足を引っ張ってきたことを示している。雇用は増えたと言っても、その増加分は非正規労働者の増加でしかなく、正規労働者の賃金も停滞を続けてきたことは言うまでもない。他方で企業側の利益は増え続け、それが設備投資に振り向けられるよりも内部留保として肥大化し、株式配当や自社株買いといった経済成長とは無縁の世界へと支出されてきたのが実態だ。
今求められるのは、働く労働者の賃金を上げることによる内需間拡大を通じて経済の成長に寄与することであり、低下しつつある労働分配率を引き上げていくことだと思う。もちろん、イノベーションこそが経済の成長力を高めて行くカギだが、高度成長期を経て国民生活に必要な需要が飽和化した今日、イノベーションの努力は進められたとしても、情報通信分野での新製品だけでは大きく経済成長をリードする力は弱いのが現実だ。
日本の労働組合は残念ながら賃金闘争力は弱体化、「最低賃金の底上げ」こそ賃金ベースアップへの近道では
とはいっても、今の日本の労働組合には残念ながらその闘争力が失われつつあり、賃金の大幅な引き上げは絵に描いた餅でしかないのが現実だ。そこで、求められるのが最低賃金の引上げであり、全国一律で時間当たり1500円への引き上げに向けて政治の場で決めていくべきだ。アメリカにおいて、民主党バイデン政権は5年間で15ドル(約1600円)に引き上げを打ち出していたが、今回の経済措置では共和党の反対によって実現的なかったわけだ。だが、各州ごとに15ドルへの引き上げが進み始めており、格差社会アメリカにとって民主党だけでなく共和党支持者においても15ドル引き上げに賛成者が増えている。できる限り早く、だが段階的に引き上げていくべきことで底上げを図り、日本の労働者全体の賃金水準を高めることができるのだ。
中小企業にとって最低賃金の引き上げは、経営するうえで厳しいことは間違いない。だが、最低生活を維持できる賃金や社会保険料を支払うことができない企業は、これからは維持していけないことを覚悟して経営の在り方を見直すべきだろう。苦しい経営を労働者とともに乗り越えていくことこそが、今求められているのだと思う。