2021年3月29日
独言居士の戯言(第186号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
バイデン大統領初の記者会見、対中競争を宣言、二期目に挑戦も
バイデン政権の動きが予想以上に活発化しているようだ。何よりも、3月25日就任後初めての記者会見で4年後の大統領選挙に向けて再選意欲を表明し、外交では、中国との競争に勝つため多額の投資を行うことを表明してきた。ワクチン接種の目標も1億人を突破したことを受け2億人にまで引き上げ、新型コロナウイルス対策中心の財政支出200兆円も議会で成立したこともあり、自信にあふれた記者会見だったように見える。とりあえずは中間選挙での議会の安定多数を確保できるかどうかが政治的には大きいわけで、その先に大統領選挙の再選をにらんだものなのだろう。4年後には82歳になるバイデン氏が果たして二期目に挑戦できるかどうか、まさに体力勝負というところなのかもしれない。
世界の目は、米中の対立の激化に焦点が移り始め、「覇権」争いの再現なのか、かつての米ソの冷戦の再現なのか、今後の展開から目が離せない。ただ、経済の面ではグローバルに結びついているし、地球温暖化の問題など連携していかなければならない課題での共通の土俵はできつつあり、外交政策に力を注ぐバイデン流の動きには、ワシントンの政治の中心に半世紀近く存在した経験が大きくものを言っているように思える。譲れないものと協調していかなければならないものがうまく腑分けされていって欲しい。経済と政治は切り離せないことも多く、今後の米中関係は、日本にとってもかじ取りのむつかしい課題である。
200兆円に続き、増税も含む330兆円の長期経済対策も策定へ
先述した約200兆円もの新型コロナ対策に向けて大型の財政支出したことに引き続き、政権の経済対策チームは最大3兆ドル、日本円にして約330兆円もの長期経済対策をまとめ、大統領に提示することになったと報道されている。そのまま決定されるとは決まっていないようだが、再び目標とした大型の財政支出の中身は、インフラ整備と気候変動、さらにはマイノリティの授業料引き下げやヘルスケアなど、人的資本への投資も含まれるとのことだ。アメリカ社会で広がる深刻な格差問題を意識しているのだろう。
こうした財政支出に対して、コロナ対策200兆円に対して、バイデン政権よりとみられているサマーズ教授は、需給ギャップから見てあまりにも規模が大きすぎると批判したわけで、もしも今回の330兆円にも達する財政支出が実現すれば、さらに需要を拡大させ、副作用としてのインフレが経済に対して厳しく作用すると批判を強めるのだろうか。ただし、今回の長期経済対策は単年度の支出額ではないし、何よりも歳入拡大策(増税)が盛り込まれていることに注目すべきだろう。
所得税の最高税率や法人税の引き上げも提起し、増税額は340兆円
今回の長期経済対策で取り上げられているのは、法人税の引き上げや富裕層への税率の引き上げを中心に1990年代以来の大型増税となる可能性を指摘している。バイデン大統領は、昨年の8月17日から開催された民主党大会で、所得税の最高税率を現在の37%から39.6%へ、法人税率は21%から28%へと引き上げ、バイデン増税は10年間で340兆円に達すると見込まれでいる。ちなみに、法人税の引き上げについて、イギリスもその方向を打ち出しており、法人税の引き下げ競争に終止符を打つべき時が来ているようだ。
注目すべきは株式の売買益課税の20%から39.6%への引き上げ案
さらに、私自身が注目しているのは株式の売買益にかかるキャピタルゲイン課税の引き上げで、現在は保有期間と所得や配偶者の有無で変わるのだが、最高20%となっている。それを、年100万ドル(日本円に換算して1億円強)超の高額所得者と同じ39.6%に引き上げる方針で、なんと今よりも2倍に達するものとなっている。この株式売買益の課税は、日本においても一律20%(国税15% 地方税5%)の分離課税で、1億円以上の所得のある高額所得者に占める株式売買益の比率が圧倒的であることに注目して欲しい。ここにこそ、所得税制最大のメスを入れていくべきポイントの一つがあるのだ。
格差社会アメリカ、目を見張る税制改正による所得再分配政策案だ
日本では、その問題にメスが入ろうとしない中で、アメリカでは格差社会を解消するべく税制改革が進められようとしているのだ。果たして、連邦議会の上下両院での議席差が拮抗しているだけに、富裕層よりの共和党が簡単に通過させるとは思わないが、バイデン政権のこうした所得再分配政策の展開には目を見張る思いだ。日本においても、格差社会が広がりつつあるわけだし、税の公平さとともに日銀の超金融緩和政策による資産価格の上昇という「余得」に対して、しっかりと課税をしていくことの重要性を強気指摘しておきたい。
バイデン政権のキーマン、ジャネット・イエレン財務長官の「高圧経済」政策に注目を
こうしたバイデン政権の経済政策を見たとき、キーになる人物としてジャネット・イエレン財務長官と、キーになる言葉として「高圧経済」が浮かび上がってくる。イエレン財務長官は一流の労働経済学者でもあり、クリントン政権時代のNEC委員長や前FRB総裁を務めてきたわけで、日本でいえば経済政策担当大臣、日銀総裁から財務大臣というすごいキャリアウーマンであることは間違いない。
木野内栄治大和証券アナリストのロイター掲載のコラムに注目
先ほどサマーズ教授が指摘した200兆円という巨額の財政支出に対する批判は、財務長官に対する批判でもあるわけで、この問題を検索している中で、東洋経済解説部のコラムニストが足立正道UBS証券チーフエコノミストのインタビュー記事を目にすることとなった。その表題が「米国の『高圧経済政策』は一種のギャンブルだ」が目につき、「高圧経済」とは何だろうかと検索してみたら、昨年12月1日電子版ロイターのコラム「イエレン氏『高圧経済』論、16年講演が示唆する政策展開」という大和証券のテクニカルアナリスト木野内栄治氏のコラムにたどり着いた。木野内氏はイエレン財務長官が2016年10月に講演した「危機後のマクロ経済リサーチ」こそが、「高圧経済政策構想論文」と呼ぶべき政策提言だ、とみておられる。
イエレン財務長官は需要面重視の「高圧経済」政策の必要性を強調
「高圧経済」とは、供給能力を上回る需要がある状態で、この高圧経済政策構想論文が今後の重要になってくるとみて、その解説をされている。時間と能力の関係で、すべての論点をここに書くことができないので、詳しくはロイターの電子版を参照して欲しい。(https://jp.reuters.com/article/column-kinouchi-idJPKBN28B3K9)
イエレン財務長官、金融政策と財政政策の長期間に及ぶ協調性示唆
一番気になったのは、イエレン氏がこの論文の中で並みいるFOMC参加者を含め「経済学を学んだ人々のコンセンサスである『潜在的な供給能力は需要とは無関係』という認識を否定した」ことであり、需要不足が続けば、企業は設備投資を抑制し供給能力を引き上げないし、研究開発費も抑制され、供給能力はさらに増加しにくくなることも指摘し、企業レベルでのこうした動きはマクロでも繰り広げられるわけで、問われるべきは「力強い総需要と逼迫した労働市場という『高圧経済』を当面維持することによって、こうした供給サイドの悪影響を反転させることが可能かという問題だ」と提起する。イエレン氏は、そうした効果がある「高圧経済政策」の手法にも踏み込み、金融政策と財政政策の協調性を示唆し両政策の協調を長期間続ける大切さを示唆している。
サマーズ教授らとイエレン財務長官の経済理論の背景の違いに注目
こうした背景を持つ200兆円の財政支出であり、FRBの金融緩和政策の展開なのだということを考えたとき、サマーズ氏らが批判的にみる見方の背景にある経済学の見方の違いがあるのではないかと思えてならない。サマーズ氏はケインジャンというよりは新古典派総合を提起した故サミュエルソン(伯父さんに当たる)氏に近く、イエレン氏はアメリカのケインジャンの代表格ジェームス・トービン教授の秘蔵子だったわけで、需要サイドを重視したケインズに近い経済学の流れの違いがあるのではないかと想像するが、それほどアメリカ経済学会に精通しているものではないだけに、自信はない。ただ、需要サイドを強く意識しているイエレン財務長官の考え方に、私自身強いシンパシーを感ずるのだ。
イエレン財務長官に近い日本の経済学者・専門家はいるのだろうか
日本の経済学者や専門家の中で、こうした「高圧経済」や「需要サイド重視」を強く打ち出している人がいるのかどうか、寡聞にしてあまり存じ上げない。「需要サイド重視」論者はいたとしても、「高圧経済」政策を全面的に支持している人は少ないように思われる。このあたりの議論は、これから日本においても大いに論戦が繰り広げられるのかもしれない。いずれにせよ、バイデン政権の経済政策のキーマンであるイエレン財務長官の「高圧経済」政策動向から目が離せなくなったことは間違いない。
池上彰さんの「池上彰の新聞斜め読み」最終回コラムを読んで
朝日新聞の26日朝刊のオピニオン欄は、「池上彰の新聞ななめ読み」最終回の記事を掲載している。池上さんが今号をもって終わることを決意されたのは、朝日新聞からの要請ではなく「私自身が70歳を超え、仕事量を減らす一環としての決断」とのことだ。この「新聞ななめ読み」が始まったのが2007年4月、当時の朝日新聞東京本社夕刊編集部の求めに応じたもので、その後いろいろな変遷を経て2010年4月からは、朝刊のオピニオン欄で月1回のコラムとして継続することとなる。
朝日新聞の間違った判断を是正した努力と新たな改善策に共感
ところが2014年8月、朝日新聞が当初の約束である『自由に書いてください』という約束を破って、池上氏が書いた従軍慰安婦報道を検証する朝日新聞の掲載記事に対する批判原稿を書いたところ、朝日新聞社の上層部が認めず、掲載されない事態が発生する。そこで、池上氏は信頼関係が崩れたとして「コラム執筆」をやめることを申し入れる。それ自体は公開されることなく進んだのだが、週刊誌などの知るところとなり、朝日新聞社内から記者たちも自社の方針を批判するツイッターを実名で投稿するに至り、朝日新聞は誤りを認めて問題となったコラムが再度掲載されるに至ったわけだ。
以降、朝日は記事内容を、社内外の人たちがチェックするパブリックエディター制度を導入するに至り、記事の訂正もどんどん掲載するようになり、誤報に至った理由にまで記すことになる。ここまでの経過を評価して、池上氏はコラムを再開することにしたと述べておられる。
『週刊文春』報道に負けない新聞記事が求められる時代を渇望
辞めるにあたって池上氏は、最近の週刊文春の特ダネ記事に言及され、最近の新聞記事はおとなしすぎではないか、新聞社も負けないで頑張ってほしいと激励されている。けだし、その通りだろう。それにしても、池上さんの「新聞斜め読み」がなくなるのは誠に寂しい限りである。最近の70歳はまだまだ知的年齢としては若いわけで、小生などは既に後期高齢者となり、76歳を過ぎているだけに、もしかするとこうしてワープロを打つのもそろそろ限界にきているのかもしれない。潮時を見失わないようにしなければ、と思わせられた最後のコラムであった。