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労福協 活動レポート

2021年4月5日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第187号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

NHK・BSプレミアム「プロジェクトX 挑戦者たち」再放映化への私の思い、
21年前の感動の再現と新たな思い

21年前の感動が蘇えってきた。NHKテレビのBSプレミアムで、30日夜21時から「プロジェクトX 挑戦者たち」が、4Kハイビジョンに再生されて再放送されることになった。その記念すべき第1回は2000年3月28日、国井雅比古・久保純子両アナウンサーがキャスターを務め。ゲストとして出版社の見城徹さん、女優の松坂慶子さんが加わり、45分足らずのドキュメンタリー番組からスタートした。21年前の皆さん方は、何よりも若々しい。年は確実に経過していることを教えてくれる。

記憶によれば放映時間帯も夜の部の速い時刻だったような気がするが、確かではない。何よりも、テーマ音楽が気に入っている。中島みゆきさんの「地上の星」がオープニングで、物語の余韻が残るところでエンディング「ヘッドライト・テールライト」が流れる。思わず魂を揺さぶられるドキュメントに涙が浮かんでくることが多く、196本のストーリーを完成させて、平成時代というよりも西暦2000年代、バブル崩壊後の日本全体が沈滞した苦しい時代に「そうか、名も知られることのなかったこんな普通の日本人が、すごい仕事を成し遂げていたのだ」と自信を持たせようとするNHKの看板番組として、日本のお茶の間にしっかりと浸透していったように思う。まさに、名もなき挑戦者たちの群像である。

小生は、たまたま2000年3月28日の第1回放送を始めからみて、「心を揺さぶられ」「すごいノンフィクション番組がスタートしたものだ」と感嘆し、以降かなり多くの番組に目を通すことになる。頭に残っているのはキャスターとしての国井雅比古さん、久保純子さんから代わった膳場貴子さん、そして何よりも独特の語り手としての「田口トモロウ」さん、そして自ら創った主題曲をスタートとエンディングで歌う中島みゆきさんだった。未だに強く印象に残り続けていただけに、この再開は嬉しい限りだ。

第1回は、富士山頂にレーダーを架けた壮絶な物語から始まる

30日の第1回目は「富士山頂にレーダーをかけた男」と勝手に記憶していたが、番組の表題は「巨大台風から日本を守れ~富士山頂・男たちは命を懸けた」だった。伊勢湾台風による甚大な被害を前にして、日本のレーダー網の脆弱さを痛感した気象庁は、富士山頂に巨大なレーダーを設置することで早期に大型台風の進路を予想し、その被害を少なくするプロジェクトを策定する。まさに、富士山頂に巨大なレーダーをかけるという前人未到の大作業が、苦難の中進められていく現実の物語だ。

私が、このドキュメンタリーで一番印象に残っているのが、900キロ近い巨大なレーダーを、日本一高い3776メートルの富士山頂にまでヘリコプターで運ぶ難事業を、戦争中に海軍航空兵を育成し特攻隊員に育てていたベテランパイロットが見事に吊り上げ、富士山頂に設置するという快挙を実現させたことだ。1964年9月、無事にレーダーが設置できた時の映像は、万感胸に迫るものを感じたことを思い出している。

人生初めて見た富士山頂は赤紫色に輝く、そこでの苦闘に2度感激

考えてみればこのプロジェクトが進んだ1963年2月、厳寒の富士山頂にむけて風速100メートルを超す強風が吹きすさぶ中で、技術者の皆さんがザイルもつけずに黙々と富士山頂に向かう。ちょうど私ごとで恐縮だが、1963年3月1日、広島駅始発7時20分発東京行き急行「宮島号」で上京していたのだ。13時間近くかかる急行の普通席だったせいで、4人掛けの席は入れ替わり立ち代わりお客さんが変る。私が大学受験に出向くのです、と言えば、試験が無事に成功するといいですね、というありがたい言葉を何度も頂戴した。

浜松から静岡にかけて東海道線を走り続ける中で、ちょうど富士山が窓の左側やや後方にその美しいコニーデ型の雄姿が見えてきた。写真や絵では何度も見たことがあるが、本物を見るのは初めてのことだった。山頂から中腹にかけては、もちろん白い雪で覆われていたのだが、なんと夕日に映えた純白の雪が「赤紫色」に輝いて見えた。思わず、きれいだと思った時、前に座ったお客さんが「きっと大学受験受かりますよ、富士山がこんなに赤く輝いているのですから」と声をかけてくださったことが忘れられない。無事、志望校に合格できたのだから。

東京オリンピックに向けた「けたたましい成長の時代」の雰囲気、
再び「夢と希望と勇気」の物語を甦らそうとしたのだが

思えば、あの美しく輝いて居た山頂では、一人ひとりは名もない技術者の人たちが、高山病と戦いながら「次の世代に残してやりたい大事業を何としても成し遂げたい」という必死の思いでもがき苦しんでいたことを、このドキュメントで知ることになる。気象庁から山頂に設置 したレーダーが遠隔操作できるかどうか、必死の作業が進められていく。東京オリンピック開業に向けて、急ピッチで建設が進むホテルニューオオタニの回転ラウンジが、ぎりぎりの高さだったのだろう。結果として、気象庁から設置された富士山頂レーダーの無線によるコントロールは、無事成功したのだ。

21年前に一番印象に残っていたのが、ヘリコプターで巨大なレーダーを吊り上げる難作業が成功したことだったろう。こうして、富士山頂にレーダーがかかったわけだが、この奇跡的ともいえる難事業を進めてきた「無名の人たち」こそ、本当に凄い人たちなのだと思う。バブル崩壊以降、暗い世相が続く日本社会で、「プロジェクトX」こそは、国民に夢と勇気と希望を与え続けてようとしたのではないかと思えてならない。

何と気象庁の担当課長藤原寛人氏が、あの新田次郎氏だったとは

最後に、このレーダー設置に向けて気象庁の責任者だった藤原寛人課長が、役所を退任され作家へと転身される。その名も「新田次郎」というペンネームだった。高名な山岳小説家であり、「八甲田山死の徘徊」など映画化されたことでもよく知られた大小説家だった。それにしても第1回目の「プロジェクトX」は、すごいノンフィクションドラマだったと思う。これから毎週火曜日、”NHKBSプレミアム”が楽しみになってきた。水曜日は大好きな探偵もの「刑事コロンボ」、木曜日はダークサイドミステリーである。後期高齢者にとって、元気だったころに感動させられた映像の数々を見ることが楽しみになり、ついついNETFLIXに手が伸びてしまうのだろう。そうだ、松本清張の「黒革の手帳」の続きを見なくちゃ

西野智彦著『日銀漂流』(岩波書店刊)を読んで、感じたこと

TBS所属の西野智彦氏が書いた『日銀漂流』(岩波書店2020年刊)は、実に丁寧に調べ上げた貴重な労作である。副題として「試練と苦悩の四半世紀」とあり、日銀法の改正直前の松下総裁から、速水総裁、福井総裁、白川総裁、そして現在の黒田総裁に至るまでの波乱の歴史を詳述しておられる。1980年代後半のバブルの崩壊以降の日本の経済を振り返るとき、日銀がたどった歴史を学ぶ上で必読の文献の一つになった事は間違いない。

すでに鬼籍に入られた関係者からの聞き取りだけでなく、日銀内の様々な内外資料を駆使されていて、読む者に臨場感を漂わせてくれる。もっとも、金融政策をめぐる論争についての西野記者自身の価値判断は前面に出ているわけではなく、事実をして語らせているのだが、結果としてそれが現在の日銀の政策が「漂流」し続けていることを見事に浮かび上がらせているように思われる。

意外な姿を感じさせている麻生太郎副総理・財務大臣の行動

そうした中で、やや意外だったのはリーマンショックのさなかに総理を経験され、民主党政権から自民党第二次安倍政権になって、再び財務大臣の要職に就き今でも続けてこられた麻生太郎氏の言動である。もちろん、この本の中での主役ではないのだが、日ごろの麻生大臣の国会でのやり取りなどを聞く限り、上から目線のやや人を馬鹿にしたような言葉が発せられ、森友問題での財務省の不祥事の責任を取って辞任するのが当然なのに、堂々と居座っている無責任な老政治家というイメージを持っていた。ところが、民主党から自民党安倍政権への移行期において、白川総裁と安倍総理の間でアベノミクスと言われる金融緩和政策をめぐっての軋轢が生じた中での、実に巧妙な役割を演じておられる。老獪な政治家としての麻生太郎副総理・財務大臣の一面が、この書の中で浮かび上がってきていたように思われた。白川元総裁と同じ福岡県出身者という誼もあったのだろうか。

ひっそりと報じられた野口旭審議委員選任、「ガチガチのリフレ派」

日銀と言えば、新しい審議委員には野口旭専修大学教授が任命されたことが、ベタ記事的な扱いであまり注目もされず淡々と進められていたようだ。桜井真委員の交代だが、ある経済専門家によれば「ガチガチのリフレ派」とのことだ。これから5年間の任期だが、安倍政権から続いている今の審議委員の構成を見たとき、これからも半永久的に実現できない2%の物価引き上げの下、ズルズルと「漂流」が続くのではないかと思えて憂鬱になる。

元日銀理事でみずほ総合研究所のエグゼクティブエコノミスト門間一夫氏が指摘しているように、「2%目標」こそは、金融政策を歪める元凶であり、「2%目標」なんてものは、すでに箸にも棒にもかからない目標となって10年過ぎているのだ、と「ニュースソクラ」というネット媒体で厳しく指摘しておられる。けだし、その通りだろう。早くこうした間違った金融政策を元に戻していく努力を期待したいものだ。とはいえ、今の世界の中央銀行の政策を見ている限り、それを理論的な裏付けとともに全面展開できる条件は当分なさそうである。「日本化」と呼ばれる今の金融緩和政策なのであり、経済専門家や学者の方達が「日本化」なるものの内実を理論化して世界に先駆けて発信して欲しいものだが。

軽部健介帝京大教授、日銀の独立性の難しさは「人事権」にあり

そう思って最新の『週刊東洋経済』4月10日号を見ていると、軽部謙介帝京大学教授が「フォーカス政治」欄で、「改めて思う『日銀の独立性』の難しさ」が目に入った。西野智彦氏の書いた『日銀漂流』や『世界』4月号に掲載された白川元総裁の論文なども引用され、結果として日銀総裁や審議委員などの人事権を駆使した安倍政権によって、今の「漂流する日銀」が生み出されたことがわかってくる。どんな組織であれ、人事がいかに重要な役割を果たしているのか、「政策は所詮力が作るのであって、正しさが作るのではない」という権丈善一慶応義塾大学教授の言葉が浮かび上がってくる。次の総選挙が半年以内に必ずやってくる。この選挙結果いかんがこれからの日本の政治の行方を決める一番のカギを握るわけで、誰もが確信を持てない金融政策が惰性のようにだらだらと進む「茹で蛙」状態から、いち早く脱却して欲しいものだ。


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