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労福協 活動レポート

2021年6月7日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第196号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

枝野幸男著『枝野ビジョン 支え合う日本』を読んで(その2)

民主党政権時代の大問題、財源問題はどうしようとしているのか

前回に続いて、次に問題にしたいのは、「支え合う日本」を作り上げていくことが、格差社会を解消していくために必要であるだけでなく、日本の経済政策にとっても必要だ、という枝野氏の政策・主張についてである。特に、民主党政権時代の「こども手当一人月額26,000円」とか「最低保障年金一人月額70,000円、基礎年金の全額税方式への転換」といった重要政策の裏打ちとなる財源問題がウイークポイントとなり、民主党菅内閣の下で消費税の導入による党内混乱を招き、政権の座を失うという国民の厳しい批判を受けたわけで、その点を含めてどのように整理されているのか、注目してみた。

小さい政府の弊害、機能しない行政や格差の拡大を批判する

枝野氏は、3.11大震災と福島原発事故の官房長官時代の経験から、「民間でできないことまで民間に委ね、現場力が不足し、小さすぎて機能しない政府になっていたことを痛感した」し、今度のコロナの問題でも「地方自治体という実働部隊を小さくし過ぎてしまい、そこに協力をお願いする国の側の体制も脆弱であったため、混乱の末、大幅に遅れる地域が続出した」と痛感している。その背景には、世界的に進められた新自由主義路線、「官から民へ」「規制緩和」「小さな政府」といったスローガンの下、医療・介護・保育といった「命を守る」ためのサービスが弱体化したことがある。また、グローバル化の名の下で進められた金融の自由化を先頭に、正規・非正規の雇用面の規制緩和、富裕層減税による所得・資産の格差拡大が進んだ現実を直視する。そうした中で、「自助・共助・公助」の第一に挙げ、「自助」=「自己責任論」を前面に出す菅政権に厳しく批判する。枝野氏流の「リベラル保守」から逸脱しているからなのだろう。

社会保障の充実は、日本経済を発展させる役割を指摘する事に注目

ここまでの指摘だけなら、これまでも主張してきたことで、対策として格差是正策として社会保障や税による所得再分配政策を強化すると主張していればよかったわけだ。現に、そうした今後の「支え合い、助け合い」のために、社会保障や教育といったサービス分野の充実を提起してはいるものの、依然として肝腎要の財源について問題があることに触れないわけにはいくまい。

財源の問題に入る前に、今回の枝野氏の提起はもう一歩前に進めて、「社会保障の充実は経済発展の障害ではなく、経済政策として全面展開していくべきこと」を主張していることだ。それは、日本経済の停滞は「需要」が不足しているからで、需要を拡大させるためには「消費性向」の高い低所得層に、「消費性向」が低く「貯蓄性向」が高い高額所得者からの所得の再分配を強化することで内需の拡大を進めることができると主張。その際、誰もが必要となる医療や介護、保育や教育といった公的サービス(=「ベーシックサービス」と称しているが、宇沢弘文氏が人生をかけて彫刻してきた「社会的共通資本」との違いを明確にすべき)の充実を進めていくべきだと強調される。もちろん、現金給付の問題も軽視されているわけではないが、サービスの給付面には所得の違いによる格差をつけないことを強調する。かつて、井手英策慶応大学教授が提起された「All for All」の考え方を取り入れられているようだが、負担は能力に応じて給付は必要に応じてという、社会保険や年齢や性に基づく給付に関する原理は、以前から、皆が共有していた考えである(生活保護はこの限りでない)。

やはり財源問題に問題あり、「給付先行型の福祉国家」の継続へ

肝腎の財源問題でいえば、井手教授が指摘していた通り、政府への不信が根強い今日では増税はなかなか困難であり、当面は国債に頼りながら社会保障や教育の充実を図り、その成果を国民に納得してもらったうえで、国民に負担を求めて行けば良いという考え方を取っている。最近の言葉でいえば、ベーシック・インカムではなく、社会的共通資本の言い換えと思われるベーシック・サービスによる社会保障や教育などの充実で、内需拡大による経済成長路線というところだろうか。財源については、MMTというインフレ率が高まらない限り、国債発行を進めるとする考え方に近いものがある。枝野氏自身、財政再建至上主義はダメだ、とも主張しており、その意味するところは不明だが、これまでの日本は財源の裏付けのない給付先行型の社会保障という世界でも稀な形の国のかたちを作ってきており、そうしたことへの問題意識もなく安易な国債増発論に立脚し、金利上昇への脆弱さを増す政策を推奨するという無責任極まりないことは言うまでもない。

最近の報道では、今度の衆議院選挙に向け、消費税の5%への引き下げを野党側で公約にする動きがあるやに聞く。景気を浮揚させるために時限付きの消費税減税をするとのことだが、低所得層への配慮とは言うものの、高額所得者ほど消費税の減税額が大きくなるわけだし、一度下げた消費税率の引き上げがいかに政治的に困難であるのか、とても賛成できるものではない。枝野代表自身は消費税減税案には賛成していないようだが、野党間協議の今後の行方には警戒しておくべき点だろう。

国債費の増大は、富裕層に返済が最優先される逆所得再分配へ

さて、国債増発論の方だが、国債の多くを直接・間接に保有しているのは富裕層であり、金利上昇期には、財政を安定させるために富裕層への国債の償還が、他の国民にとって必要な社会保障や教育支出などよりも必ず優先返済され、そこでは逆再分配が起こるのだ。社会保障や教育支出のためとはいえ、国債発行に安易に依存することは、社会保障の持続可能性を視野に置くリベラルな立場から容認することはあってはならないわけで、財政支出は税収とのリンクをきちんと考えていく必要がある。この点での枝野ビジョンは、財源問題では再び大きな問題点を持っていることを厳しく指摘しておく必要がある。

社会保障充実は、内需拡大を通じて日本経済発展という視点は評価

枝野ビジョンで、新しく社会保障の充実による内需の拡大を経済成長との関係で積極的に評価してきたわけだが、率直に言って評価すべきだと思う。ただし、ここまで来るのに時間がかかりすぎたと思うし、どこまでこの考え方の持つ意味を理解されているのか、これからの言動や次の公約などでのリーダーシップを見てみたい。

権丈教授「再分配の政治経済学」で需要サイドの視点を20年前から強調、「第2次ケインズ革命」提唱へ

実はこの通信でもたびたび取り上げてきた慶應義塾大学の権丈善一教授は、今から20年も前に『再分配政策の政治経済学』(後増刷時にⅠ)を刊行され、その後「再分配の政治経済学シリーズ」を7冊刊行され、医療に始まり年金や介護、子育てといった社会保障制度が誰にでも手軽に利用できるようになって内需の拡大をもたらし、あたかも市場を取りまく灌漑設備のような役割を果たすことの重要性を指摘されてきた。

それはケインズ経済学の流れの中で、公共事業を呼び水政策として景気浮揚に点火する政策から、20年近く前から「青木・吉川モデル」という成長モデルを社会保障分野に適用することによって、日本が直面する社会問題と経済問題の両方を解決する積極的社会保障政策を打ち出してこられた。呼び水と受け止められたかつてのケインズ政策とは異なり、権丈教授の公共支出の使途を再分配政策として、灌漑施設のように所得を流し続けていくとする「第2次ケインズ革命」と呼ぶこうした考え方は、主流派の経済学が跋扈する経済論壇ではあまり目立たないが、深く、広く専門家たちの間に広がりつつある。

枝野氏は、需要サイド経済学の歴史的な流れの理解に立脚を

権丈教授は「再分配政策の政治経済シリーズ7冊に引き続き、『ちょっと気になる・・・』シリーズも刊行され、その3冊目として『ちょっと気になる政策思想』が勁草書房から2018年に刊行されている。枝野氏には、その「第1章 社会保障政策の政治経済学―アダム・スミスから、いわゆる”こども保険”まで」だけでも読んで、自らのベーシック・サービスなるものの拡充が、経済学説史の中でどんな位置づけがなされているのか、そして権丈氏のいう「積極的社会保障政策」が持続可能性を持つために、財政の持続可能性をいかに保つべきかの給付と負担の一体的な考え方に対してよく理解される必要があるのではないか、提言しておきたい。ちなみにこの権丈論文は、2017年人事院において本省課長級以上の国家公務員に対して講演されたものである。

民主党時代においても、政権を担っていた菅総理時代にもこうした政策に転換できるチャンスがありながら取り入れることなく、今回の枝野ビジョンで格差を縮小して内需の拡大を進める再分配政策が、経済成長にとって不可欠であることをようやく気が付いたということなのかもしれない。ただ、どれだけ体系的に理解されているのか、この枝野ビジョンだけでは不確かである。

成長にはイノベーションが重要、だがその実現方法は誰も解らない

もっとも、権丈教授は再分配政策だけで経済成長の問題が解決できるわけはないことを指摘され、青木・吉川モデルに基づき、シュンペーターが指摘したように市場におけるイノベーションが必要であることを指摘される。ただ、イノベーションは誰がどのように起こせるのかは、シュンペーターをはじめ未だに誰も解っていないわけで、わからないことを政策対象とするのは難しい。

枝野氏は、再分配政策の強化による内需拡大に成長政策を求めるとともに、経産省などの中小企業などへの支援を通じてイノベーションの重要性を指摘しているが、それで果たして本当に成長をもたらすほどのイノベーションが起きたのかどうか。自身が経産大臣の経験があるがゆえに国の政策的な支援に期待を述べておられるのかもしれないが、そうした補助政策なるものは、ほとんど問題にならないのではないかと思う。土台、成長を引き上げるだけのイノベーションは、人々のライフスタイルを一新させるぐらいのインパクトを持つもの、という権丈教授の指摘などを十分に考慮すべきだろう。

耐久消費財の飽和化した先進国、独創的イノベーションは大変な事

単なる模倣で先進国に追いつけた時代は成長率も高かったかもしれないが、耐久消費財などの需要が飽和し、創造性、独創性を発揮しなければならない時代に直面している日本では、イノベーションによる成長は容易なものではない。それは先進国共通したものであることは、トマ・ピケティ『21世紀の資本』に詳しい。

何故西欧の社会民主主義政党やリベラル政党が支持を失ったのか

さて、もう一つ大きな問題として指摘しておきたいのは、枝野氏がリベラルと評価してきた「1億総中流」社会や分厚い中産階級をもたらしてきた政治勢力であった社会民主主義政党が、日本だけでなく世界的に大きく後退しているという事実である。イギリス労働党やドイツ社会民主党、フランス社会党などヨーロッパの政権を担当してきた社会民主主義政党が軒並み支持率を落とし、国民の支持を大きく失ってしまっている事である。そこには、グローバリズムの進展の下で、資本の自由化をはじめとする規制の緩和が広がる中で、ハーバード大学教授ダニ・ロドリック氏が提起している「グローバリゼーションのパラドックス」という難問があり、それとどのように対応していくべきなのかという大きな問題があるように思われてならない。

ダニ・ロドリック教授の「世界経済のトリレンマ」から考える

ロドリック教授の言う「世界経済の政治的トリレンマ」とは以下の3つは同時に達成することができないという。

1.「グローバル化(国際経済統合)」
2.「国家主権(国家の自立)」
3.「民主主義(個人の自由)」

中国は「グローバル化と国家主権」を取ることで「民主主義」が成立せず、EUは「グローバル化と民主主義」を取ることで「国家主権」が成立しない。ロドリック教授自身は「国家主権」と「民主主義」をとり、グローバル化は全くの鎖国状態ということではなく、国家主権と民主主義にとって必要な限りでのグローバル化、それはかつてのブレトンウッズ体制時代のような緩やかなグローバル化に押しとどめるべきだと主張されている。

安易にグローバル化の流れを受け入れた社会民主党やリベラル派

そうした観点から見たとき、先ほど挙げた欧米の社会民主主義政党がこのグローバル化の流れが強まる下で、それを受け入れることによって社会民主主義政党を支持してきた労働者階級が大きな影響を受け、民主主義や国家主権が十分に機能しなくなってしまったことを考える必要があると思う。社会民主主義をアメリカではリベラルと言い換えてもよいだろう。こうした「社会民主主義政党」やリベラルな政党の影響力が大きく落ち込み始めている事へ、どう対応していくべきなのか、グローバリズムをどのようにコントロール可能なものへと抑え込むことが可能となるのか、これはなかなかの難問だろう。

バイデン政権の法人税引き下げ競争阻止の動き、流れを変えられるか、グローバルガバナンス改革に注目

バイデン政権が、今年に入ってグローバルな問題として法人税の最低税率の設定に動き始めているが、グローバル化による法人税の引き下げ競争が激化し、資本の自由な動きをグローバルな統治機構で制御できなかったわけだが、ようやく国際社会が結束して少しずつではあるがコントロールする動きが出始めたわけだ。われわれが直面している問題は、実はこのグローバリゼーションが齎している「モノ」だけでなく、「カネ」の自由化から「ヒト」の自由な移動の問題や「情報」の拡散にまで至る国民生活へのダメージが進んできており、ITやAIを駆使するGAFAと称される巨大企業の活動が、国民生活をコントロールする圧力となってますます強力に進展してきている。

それだけに、かつての高度成長はもとより、そのもとでの分厚い中間層をはぐくみ一億総中流と称された日本が、新自由主義によって矛盾を噴出させてきたことへの対応は、まさにこのグローバリゼーションとどう格闘していくのかにかかっていたのではないだろうか。

政権担当時の社会民主主義やリベラル政党は、高学歴・ホワイトカラーを重視した過去があるのでは

残念ながら、世界の社会民主主義政党やリベラル政党であるアメリカ民主党は、政権を担当した時にグローバリズムに対して民主主義や国家主権の一部を安易に犠牲にしてきたことがあったのではないか、と思えてならない。枝野氏自身、この著書の中で小泉政権が打ち出した民営化にやや迎合した時期があったことを正直に述べておられるが、世界の社会民主主義政党はそうした中で被害を受けてきた高学歴でない労働者の側に立つのではなく、どちらかと言えば高学歴のホワイトカラー層に目を向けてきたのではないだろうか。

「供給サイドから需要サイドへ」、経済の見方の根本的改革の時期

先ほどの経済政策において、需要サイドから経済をみる見方よりも、供給サイドから見る見方が広がっていたわけで、枝野氏が「需要サイド」から経済を見ていくことの意味は大変重要なものがある。願わくば、需要サイドの立場の経済学を、次のリベラル政党の立脚する経済の見方の中心に据え、政策的に揺るぎのない政権政党にしてほしいものだ。スローガンとしては「分配なくして成長なし」である。トリクルダウン理論に立脚した「成長無くして分配なし」を言い続けてきた自民党も、すでに軸足を「分配なくして成長なし」に移し始めているようである。そうした時代に、どのように対峙していくのか、しっかりと塾考すべきであろう。


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