2021年7月5日
独言居士の戯言(第200号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
中国共産党結党100周年記念、天安門広場での習近平総書記演説
7月1日、中国共産党結党100周年記念式典が北京の天安門広場を中心に開催され、習近平総書記の1時間以上に及ぶ演説が全世界的に注目されている。その演説の骨子を2日付の朝日新聞は次のように要約している。
・小康社会(ややゆとりのある社会)を築き上げ、絶対的貧困の問題を解決した
・軍の近代化を加速する
・覇権主義と強権政治に反対し、歴史を前進させる
・我々をいじめ、服従させる外国勢力を許さない
・一国二制度の下、香港とマカオの全面的な統治権を行使
・「一つの中国」の原則を堅持し、台湾の平和統一を進める
1921年7月23日、わずか20名足らずのメンバーで中国共産党が創設され、日中戦争を国民党と一緒に戦い抜き、その国民党との内戦に打ち勝って1949年に中華人民共和国を樹立した。革命を指導した共産党の毛沢東の指導で、大躍進政策や文化大革命といった幾多の筆舌に尽くせないほどの苦難を乗り越え、毛沢東死去直後の1978年、総書記に就任した鄧小平の下で改革開放政策による経済自由化へと大きく転換する。1989年の天安門事件に言及されることはなかった。
経済大国の自信と「韜光養晦」路線から「戦狼」外交への転換
経済政策の転換や日本をはじめとする世界の経済支援の下で高成長が続く中、2010年には日本を抜いてGDP総額で世界第2位へと躍進し、やがてアメリカをも凌駕するほどの経済大国としての地位を築き上げてきた。習近平は、鄧小平の進めてきた「韜光養晦」外交から「戦狼」外交へと大きくかじを切り変え、内政では共産党による一党支配体制をより前面に押し出してきたことを、天安門広場から全世界へと発信したわけだ。共産党指導部の中で、彼一人が中山服に身をまとっていたのは、毛沢東に自分を擬していたからだろうか。
もちろん、こうした兆候は習近平が2013年総書記に就任して以降進められてきたことであり、これからはアメリカを中心にした「民主主義的」資本主義に対抗し、中国式の権威主義的な経済大国との厳しい対立の構図が全面的展開されることを必然とみる見方が一般的だ。それだけに、こうした世界史の大きな転換期をどのようにとらえて行けば良いのか、あまり中国の歴史や現状に詳しくないのだが、自分なりに感じたことに触れてみたい。
最新の中国関係図書、柯隆著『「ネオ・チャイナリスク」研究』とブランコ・ミラノヴィッチ著『資本主義だけ残った』を読んで
実は、ここ最近中国をどのようにとらえたらよいのか、やや手当たり次第に専門書などに目を通し始めている。一読して興味深かったのが柯隆著『「ネオ・チャイナリスク」研究 ~ヘゲモニーなき世界の支配構造~』(2021年慶応義塾大学出版会刊)であり、もう一冊はブランコ・ミラノヴィッチ著『資本主義だけ残った~世界を制するシステムの未来~』(西川美樹訳2021年みすず書房刊)である。今回は、この2冊、特に元世銀の格差や貧困問題に精通したエコノミストで、「エレファントカーブ」で名高いミラノヴィッチ氏の提起された中国論(「政治的資本主義」の代表として)には興味深い指摘があり、是非ともこれからの米中関係を軸にした世界だけでなく、これからの世界の歴史をどう展望すべきなのかを考えていく素材として注目してみたいと思う。もっとも、自分なりに感じた思いを述べているだけなのだが・・・。
中国出身の柯隆氏、習近平政権7年間の総括、毛沢東への逆戻りか
最初の柯隆氏であるが、中国の南京市で1963年に生まれ、88年に日本に留学、いくつかのシンクタンクの研究員を歴任し、現在は東京財団主席研究員として中国の政治・経済問題についての専門家として活躍されている。何よりも中国出身者である柯氏が、今の中国をどのように捉えておられるのか注目した。さすがにネイティブな中国人で日本にも長く住んでおられるだけに、われわれ日本人に理解しやすく、コラム欄の豊富な事例もあり、今の中国を理解するにはうってつけの入門書であり専門書ではないかと思う。民主主義無くして経済の安定的な成長は期待できない、というしっかりとした観点から、中国政治経済社会に対する厳しい批判が展開されている。
その柯隆氏は習近平政権誕生後の7年間について、次のように総括しておられる(前掲書130ページより)。
①政治は、毛時代に逆戻りしている
②言論統制と報道規制がいっそう強化されている
③政府による資源配分が強化されている
④国有企業を重視する政策が徹底されている
⑤民営企業への介入と関与が強化されている
中国の「国家資本主義」の将来、自由と開かれた社会への転換無くして存続なし、とみている
習近平氏自身は、鄧小平よりも毛沢東の後継者として考えており、中国共産党の一党支配を強化するべく、アリババやテンセントといった民間主導の巨大化したベンチャー企業の台頭に対して、昨年秋以降その独占的な力を抑え込み始めている。柯氏は、こうした「国家資本主義」の将来は存続が不可能になるとみて、より自由で開かれた社会へと変わっていかなければならないが、共産党の支配を維持することを最優先に考えるため、自己矛盾を抱え続けて不安定な政権運営らならざるを得ない、と厳しく見ておられる。
これからの少子高齢化社会を迎える中国にとって、経済成長の鈍化が進めば格差社会の広がりや、完全な法治という仕組みを持たない構造的な問題が齎すリーダー層の汚職や腐敗の中で、中国国民の共産党政治への信頼が崩壊しかねないことを指摘される。この著書の中でリーダー層の汚職のレベルのすさまじさに、ただただ驚くばかりである。柯隆氏の本書のような捉え方は、経済学者として極めて一般的なものとみていいのだろう。
習近平氏には「政権の正統性」を持たない弱点を持ち続ける
特に柯氏は,習近平氏が文化大革命期に青春時代を迎えた世代であり、鄧小平ではなく毛沢東に近い考え方を取っていることに注目される。だが、習近平氏には毛沢東や鄧小平に匹敵する政権の「正当性」を持たないという弱点を持っており、「核心的存在」という位置づけとともに、一時的とはいえ反腐敗による幹部の粛清を強化し、中華民族の偉大な復興を呼びかけたのである。果たして習近平政権が、これからどう中国をうまく統治していけるのか、柯隆氏の展望は暗い。それにしても、こうした言動を繰り広げておられる柯隆氏にたいして、習近平の中国政府が厳しい対応をしてこなかったのか、これからも自由な発言が許されていくのか、やや心配になるところではある。
『朝日新聞(6/18)』紙上でのミラノヴィッチ氏との対談記事に注目
次に指摘したいのはブランコ・ミラノビッチ氏で、先ほど紹介した最新の著書『資本主義だけ残った』の中身について、その一部は朝日新聞6月18日付のインタビュー記事「二つの資本主義の行方」でも触れられている。まずは中国に関して青山直篤記者の質問と、ミラノヴィッチ氏の答弁を引用する。
――中国との対立を「民主主義国家と専制主義国家の闘い」と位置付けていることはどうですか。
「そのような価値観を巡る対立は本質ではない。旧ソ連が社会主義を普遍的思想として他国に押し付けようとした冷戦は、まさにイデオロギーを巡る闘争でした。しかし、中国は強国になりたいだけです。米中の本質的価値観は同じなのです。バイデン氏は大国の覇権争いを、民主と専制という価値観の対立に見せようとしている。ルーズベルトのみならず、冷戦を始めたトルーマン大統領にもなろうとしているようです」
中国は資本主義国家であり、共産主義は植民地・半植民地が資本主義に導くためのシステムという考えに驚き
このやり取りだけを見ても、先ほどの柯隆氏とは異なった見方をしていることがわかる。ミラノヴィッチ氏は、今の中国は利潤追求のため私有の生産手段を使っているわけで、法の支配が欠如しながらも効率的な官僚制を擁する資本主義国家とみている。つまり、共産主義(社会主義)とはマルクスの唯物史観による資本主義の次の段階ではなく、中国やベトナムのような半植民地や植民地だった国が、地主や外国の支配を打破して独自の資本主義に至るためのシステムだったのだ、と捉えているのだ。
この点について、私自身はミラノヴィッチ氏のとらえ方に軽いショックを受けたわけだが、この新著の中で「付録A グローバルな社会における共産主義の位置づけ」(261~266ページ)でその点に関してかなり詳しく述べておられる。
資本主義が社会民主主義を生み出したことを見抜けず、共産主義の役割の誤った認識を持ったマルクス
その中で、ミラノヴィッチ氏はマルクスには2つの重要な点での深刻な欠点があり、一つは「資本主義が自ら変貌し、社会民主主義的な異型を生むことがありうる点を十分考慮していなかった」ことを挙げられる。
それと並んで、先ほどベトナムや中国の変化を指摘したように、共産主義(社会主義)の歴史的役割を完全に見誤っていたことを指摘する。すなわち、社会主義は、何度かの危機と戦争の後に資本主義に取って代わるのではなく、第三世界において資本主義の発展へと道を拓いたのだと述べている。どうしてそう言えるのか、それは西側世界の発展経路が世界にあまねく当てはまると思いこんだことにあると指摘し、その思い込みのせいでブルジョア革命が自国で生まれた地域と、植民地化されて副次的かつ付随的な資本主義制度を移植した地域との間に驚くほどの差があることに私たちが気付かなかったのだと述べている。
ロシア革命を導いたレーニンが「走資派」だったという指摘に仰天
さらに、驚くべきことを指摘しているのは、あのロシア革命を導いたとされるレーニンこそは「走資派」だった、というミラノヴィッチ氏の指摘である。その点は、やや専門的な領域に属すことでもあり、詳しくは先述した「付録A」を読んでいただきたい。ミラノヴィッチ氏は旧ユーゴスラビアの出身であるだけに、ソ連を中心にした社会主義世界とは一歩距離を置いた独特の見方を取られているのかもしれない。ただ、間違いないことは、資本主義の後にはいろいろな種類はあるとはいえ、資本主義以外にあり得ないとみておられることだろう。
中国の「政治的資本主義」は「リベラル資本主義」に対抗できるか
ちょっと横道にそれてしまったが、アメリカを中心にした「リベラル資本主義」と中国の「政治的資本主義」という違いに触れ、リベラル資本主義の有利な点として「民主主義というその政治システム」があり、国民からのチェックによる政策の是正作用を持つことを指摘する。他方、中国のような「政治的資本主義」では、高い有効な経済管理と高い成長率を約束する。つまり、「所得が上がるのなら、他の民主主義的な権利は放棄できる」ということで、政治的資本主義はその優越性を主張する。だが、この対比を見ても政治的民主主義には最初からハンディキャップがある。それは優越性を実感させ、証明して見せる必要があるからであり、それに加えてもう2つの問題があることも指摘する。
1.民主主義的な抑制が効かないことから、いったん間違った方向を選んだら進路の切り替えが困難なこと
2.法の支配が欠如していることから、腐敗に向かう特有の傾向があること
やがてリベラル資本主義に追いまくられる政治的資本主義の宿命か
他方のリベラル資本主義では、こうした問題はさほど問題にならないと指摘する。政治的資本主義は、「成功したいなら永久に気を抜けない」わけだが、これは欠点のように見えても、政権に絶えずプレッシャーをかけ続けることになれば、利点ともなるという見方も披歴している。でも、永久に成長の拡大をし続けられるかどうか、構造的な汚職の問題などを国民がチェックできないことの問題は大きいと言わざるを得ないだろう。
もっとも、今のリベラル資本主義においては、宗教と暗黙の社会契約という二つの抑制が存在しなくなっており、「道徳」なるものは外に追いやられてしまっている。そうなれば、法や規則の抜け穴を探そうとするわけで、金融の自由化と脱税は世界に広がって到底ガバナンス出来るものではなくなっているのだ。
資本主義間の競争・対立をどう克服できるのか、日欧の役割が重要
このように考えてくると、その違いは質的なものではなく、リベラル資本主義においても腐敗や堕落した資本主義になることは十分にありうることで、中国の政治的資本主義につきものの汚職や賄賂の横行する資本主義との違いはあまり無くなることも予想される。こう考えることによって、資本主義間の競争と捉えることで日本や世界の国々の立ち位置も明確になってくるのではないだろうか。日本は、米中の対立をどのように克服できるのか、外交の知恵が求められる時代なのかもしれない。
それにしても、このブランコ・ミラノヴィッチ氏の新著において、ベーシックインカムに対する考え方や移民の問題をどうとらえて解決していくべきなのか、さらにこれから進むであろう技術の進展によるギグワーカーなどの雇用問題や家庭生活の領域への影響など、興味深い論点が溢れている好著である。是非とも多くの人たちがこの著書に直接触れていただきたいものだ。