2022年5月9日
独言居士の戯言(第241号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
渡辺努教授の『物価とは何か』を中心に、最近の物価を考える
世界的に大幅なインフレが進むのに、日本の物価は「2%」を目指して日銀による異次元金融緩和政策を取り続けているにもかかわらず、今年3月までは0~1%台の低水準で推移していた。特に、世界的に進む石油や小麦といった原材料価格の上昇は、確実に日本にも押し寄せてきており、ガソリンや電気料金、パンや生鮮食料品価格などの値上げとなって国民の生活を圧迫し始めている。にもかかわらず、3月までの消費者物価指数をみる限り、1%にも満たない上昇でしかなく、一体どうなっているのか、国民の多くは政府の公表する消費者物価指数に対する不信感を抱き始めているに違いない。
「物価とは蚊柱だ」、携帯電話料金の値下げが意味するもの
こうした日本の物価がなぜ欧米の様なインフレになっていかないのか、日本経済の停滞の要因と共に、多くの専門家が1990年代のバブルの崩壊以降、さまざまな論議を繰り広げてきた。最近話題となった物価に関する著書、『物価とは何か』(講談社選書メチエ)という渡辺努東大教授の著作がある。今年1月に発売されたその中で、物価というものは「蚊柱」のようなものであるという説明をされ、なかなかうまい譬えになっていると感心させられた。
そこでは、日本で最近の物価が上がらない理由として、菅内閣の時代の昨年4月から携帯電話料金の大幅値下げが実現し、その値下げ分は消費者物価に換算して約1.5%にも達するとのことだ。その値下げ効果が消失する今年4月頃から、その分が跳ね返って消費者物価が1年前に比して2%近くに達するのではないかと多くの専門家やマスコミが予想している。
だが渡辺教授は、携帯電話料金によって消費者物価を1.5%も引き下げたことがそのまま全体の物価の値下げになるわけではなく、下がった分は他の消費支出の増加になっているかもしれないわけで、今年の4月頃から始まる携帯電話料金の値下げ効果が消失する分が、直ちにすべて値上げとなってくるかどうかはわからない、と予想されていた。
つまり、蚊柱は大きく上下左右に動く蚊の総体なのであり、1つの価格の動きだけで全体は判断できないというわけだ。確かに、それはそうだと思うし、1970年代の狂乱インフレの原因が、石油価格の大幅な値上げではなく、円売りドル買いなどによる市場への日銀の貨幣供給の増加にあったとの指摘をされている。
4月の東京都区部消費者物価は昨年4月比1.9%上昇へ、3月は0.8%
4月末に公表された4月(中旬)の東京都区部の消費者物価指数(生鮮食料品を除く総合)の1年前の4月(中旬)に比べた上昇率の速報値が発表され、1.9%と7年ぶりの水準に達したと報道された。3月は0.8%だったわけで、1.1%上昇は携帯電話料金の値上げ分約1.5%の約7割となっていて、携帯電話料金の値下げ効果消失がかなり効いているのではないかと思われるのだが、最近のウクライナ侵攻による資源高や円安による輸入物価の高騰などもあるわけで、1.1%の上昇の要因について、引き続きより正確に分析する必要があることは言うまでもない。もっとも、全国の数値は今月20日に公表されるわけで、東京都区部の物価の趨勢が全国でも確認されるかどうか、引き続き注目すべきである。もちろん、日本の物価が世界の先進国と比べてどうして上がらないのか、学者や実務家など専門家がいろいろと英知を傾けているものの、十分なコンセンサスが得られていないことは確かだろう。
インフレ退治はできても、デフレからの脱却にお手上げ状態の日銀
先ほどの渡辺教授も、今まででは考えられないような膨大なデータを様々な角度から物価というものに対して分析をされているが、金融政策を通じてインフレを抑制することは必ずできるが「人々のデフレ予想が一線を越えてしまうと、中央銀行はその予想を壊すすべを持たず、その結果、総裁の意向に反してデフレが生じてしまう…」(156ページ)とややお手上げ状態にあることを吐露されている。国民の中にしみ込んだ物価が上がらないものという「ノルム(規範)」は、日銀が引き続き今後も金融緩和をし続けますよ、と宣言し、現に大量のマネーを提供しつづけても、人々のインフレへの「期待」は一向に出てきていない。
どうしたら実質値上げができるのか、多くのエネルギーを注ぐ企業
商品やサービス提供する企業側は、価格の引き上げがなかなかできず、商品の新陳代謝時に商品を小さく(軽く)して実質的な値上げを図るといった、とてもアニマルスピリットをもってリスクに挑戦するイノベーティブな企業努力とは言えない後ろ向きの分野に、多くの人材のエネルギーを注がざるを得なくなっているのが現状のようだ。日本経済についてマクロで見た時、技術革新をもたらす設備投資への企業支出が停滞している事の背景には、こうしたミクロでの生産的でない対応があるのかもしれない。
価格引き上げ先行企業が、ダメージを受ける「相互作用」の存在、
残された道は人件費のカット=総需要の低下でデフレの深化
さらに、コスト上昇分を価格引き上げで対応しようとしても、競合企業(寡占状態にあると想定)が値下げしないため、引き上げた企業が大きなダメージを受けてしまうという「共感」=「相互作用」が働いているとのことだ(焼き鳥チェーン店「鳥貴族」の値上げの失敗例を挙げておられる)。かくして、価格支配力を失った企業=供給側は、なかなか値上げをすることもできないのが今日の実態だとのこと。では、どうするのか、企業側は残された人件費のカット(賃下げだけでなく雇用の非正規化も)へと突き進む以外に生き残れなくなっているわけだ。
賃上げしないどころか、人件費カットが進めば、ただでさえ人口減少している日本の総需要をさらに減退させ、供給過多によるデフレ化に拍車をかけることとなるのは明らかであろう。本来であれば、労働組合が産業別に連帯して賃上げを経営側に迫り、その分は経営側も結束して必要なら価格に転嫁していかなければならないのだと思う。
働く者の賃上げこそデフレからの脱却の道、どうしたらよいのか
今や、日本の労働組合は企業側がグローバルに経営を展開してきており、とても賃上げなどを闘いとる産業別の連帯からは程遠いのが現実だ。働く人たち全体の賃上げをしなければ、デフレからの脱却はできないと誰しもが考え始めているのに、それこそ「共感」=「相互作用」が働いて、賃上げのリーダーシップを誰も取らなくなっているのが現実だろう。昨今の日本最強の国際的企業であるトヨタ労使の動きを見ている限り、展望は暗いと思わざるを得ない。どうしたらこうした閉塞状況から脱出できるのか、政労使学の英知を集めて「新しい資本主義」の在り方を考える時に来ていると思う。
岸田総理、ロンドンシティ講演より、G7議長国としての構想力を
岸田総理は、連休中に外遊に出向き、5日イギリスのロンドンシティで講演をしたと報道されている。そこで「新しい資本主義」について述べたとのことで、行政が民間の呼び水となって格差拡大や地球温暖化といった問題の解決を図るのが「新しい資本主義」だと説明し、権威主義国家に対抗するために日本の家計が持つ2000兆円にも喃々とする金融資産(主として預貯金)を、投資の分野に誘導していく「資産所得倍増プラン」を述べ、日本への投資「インベストメント・イン・キシダ」と呼び掛けたとのことだ。
この講演要旨の内容を日経紙で読んで、世界が今直面しているのはありきたりのDX(デジタル化)やGX(グリーン化)といったものではなく、ロシアのウクライナ侵攻によって機能しなくなった世界の政治・経済の仕組みをどうしていくのか、来年のG7議長国としての決意と構想力が求められているのではないだろうか。
アメリカFRB、0.5%の利上げとQT実施へ、円安再加速化への道
アメリカFRBは、4日FOMCによるFF金利の利上げ0.5%と量的緩和からの縮小へと舵を切る方針を明らかにした。公表当日は1000ドル近いニューヨーク・ダウの値上がりだったが、翌日は一転して一時1300ドルもの大暴落となるなど、経済の動きが波乱含みで展開し始めている。連休明けの日本の為替相場がどう展開していくのか、日本の金融市場から流出していく円がますます増え、「円」の暴落がますます進展していけば、日本経済に与える影響は単なる輸入価格の値上げだけでなく、日本経済力総体の落ち込みとなって一層の弱体化が進む。何時まで異次元の金融緩和政策を取り続けていくのか、通貨価値の安定・信認こそが求められる。日銀の政策転換の一刻も早いことを祈るばかりである。