2023年2月20日
独言居士の戯言(第281号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
植田日銀総裁候補らに対する国会での質疑、衆院で24日始まる
植田和男日銀総裁候補らが国会同意人事の前提となる衆議院での質疑が、24日議事運営委員会で開催される。参議院は、翌27日の月曜日になるとのことだが、戦後初めて学者が日銀総裁にノミネートされたわけで、どんな議論が展開されるのか、今後の金融政策の在り方を大きく左右するだけに興味がわいてくる。この国会での質疑は、これから始まる植田日銀の行方を占うためにも、その人の人柄だけでなくどんな経験をされてきたのか、過去の経歴をきちんと正確にとらえてその資質を確かめることを第一とすべきだろう。
植田和男教授は象牙の塔に籠っていた学者ではなく、行動の人
実は、植田和男氏が2011年に連載された日本経済新聞夕刊の『人間発見』というシリーズに5日間にわたって登場し、編集委員の清水功哉氏のインタビューに応じていろいろと語っておられる。今となっては大変貴重な記録であり、そのなかで気が付くのは、ただ単に大学の教授として象牙の塔の中で学者生活を送ってこられたわけではなく、実にいろいろな部署で活躍されていることがわかる。
東京大学卒業後アメリカへ留学、マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号を取得され、帰国後は大阪大学で助教授に就き、85年から旧大蔵省財政金融研究所主任研究官に転じて、竹中平蔵氏と机を並べ、榊原英輔氏や現日銀総裁である黒田東彦氏らとの出会いがあったという。
87年には再び阪大に戻られ、89年には東大の助教授、93年には教授となったものの金融政策への関心が強まり、1996年夏からサバティカルを利用して日銀の調査統計局の客員で仕事をされ、その後1998年に新設された日銀の審議委員になる道を歩まれている。
日銀審議委員に就任、「ゼロ金利」や「時間軸効果」など提言へ
7年間の審議委員時代に、99年ゼロ金利政策を導入し、「条件を満たすまで続ける」という時間軸効果の発想を提案するなど、デフレの下で苦悩する速水総裁や福井総裁を理論面で支えてこられたことは間違いない。もっとも、速水総裁時代の2000年にはゼロ金利政策から解除する方針に反対投票を投じるなど、理論家らしく筋を通されたことは良く知られている。審議委員を終えられ、再び東京大学に戻られたわけだが、2008年には日銀の金融研究所の特別顧問に就任され、同じ年に日本政策投資銀行の社外取締役にも就任されている。
さらに、年金積立金管理運用独立行政法人の運用委員会委員長にも就任されるなど、とても象牙の塔にこもり続けてきた学者ではないことは言うまでもない。大蔵省や日銀の事務方の方達とも一緒に仕事をされていたわけで、今回の日銀総裁に就任されることには、キャリアだけを見た時、理論だけでなく実務にも精通されているようで、うってつけの人材ではないかと思えてくる。
植田氏個人の株式投資など、資産運用の過去の実態を明確に
ただ、この「人間発見」を読んで気になった事がある。それは、植田氏が1983年ごろから自ら株式投資を始められたことを明らかにされている。「机上の研究だけでは飽き足らないのはいつものことで、勉強のために実体験してみたのです。もちろん当局に籍を置いていた時期は控えましたが。」と始めた理由を明記されている。また、87~88年頃にはワラント債関連商品を3000万円で買った経験も明らかにしている。こうした株や債券にバブルのさなかに投資されている際、「当局に籍を置いていた時期は控えました」とあるが、所有されていた株式はどうされていたのか明確になっていない。ちなみに大阪大学時代の植田氏は、1988年には日本がバブルに陥っていることを早くから指摘していたとのことだ。
福井総裁時代に「村上ファンド」への出資が大問題になった例
なぜこんなことをここで述べているのかと言えば、福井総裁時代の2006年6月に、参議院の財政金融委員会で後に久留米市長なる大久保勉参議院議員が、福井総裁が村上ファンドに出資しているのではないか、という質問をしたところ、福井総裁が1000万円出資をしていたと答弁して大騒ぎになり、福井総裁の辞任問題にまで影響することになった事を記憶している。結果として福井総裁は辞任するに至らず任期を全うされたわけだが、日銀総裁としてこうした株式投資などについては疑念がもたれることの無いようにすべきことは言うまでもない。「当局に籍を置いていた時期」とは日銀なのか、大蔵(財務)省なのか、その際保有していた株はどうされたのか、すでに時効とはいえ明確にすべき点であろう。
「リフレ派」の「貨幣数量説」を批判され、日本の経験を欧米に正しく伝える必要性を強調、欧米からの輸入経済学から脱却の提言
少し本筋とは離れてしまったが、理論的な問題にも目を向けてみたい。この日経新聞の「人間発見」の中で、日銀が非伝統的政策に踏み込んだ時、マネーをたくさん出せばデフレが止まる、といった意見が多かった事に言及され「リフレ派」と称する人たちが依拠する「貨幣数量説」を批判されている。金利が低くなると「マネーを増やす→金利が下がる→支出を刺激する→デフレ防止効果が出る」という関係が成り立ちにくくなると述べておられる。高い金利(インフレ)を抑制することはできるが、低い金利(デフレ)を引き上げることの困難さを指摘されているわけだ。そこで採られたのが先ほど述べた時間軸政策なのだが、日本のこうした経験がアメリカやヨーロッパに正しく伝わっていないことを問題視されている。つまり、「日本の経済学は欧米の経済学の輸入で始まった不幸な歴史を持って」いることに触れておられる。
吉川洋教授「合理的期待理論」に対する厳しい「ルーカス批判」
この点について鋭く問題を提起されているのが吉川洋教授である。アメリカのミルトン・フリードマンやロバート・ルーカス教授たちがケインズ経済学を批判して打ち出した「合理的期待理論」に言及され、そのルーカス理論は仇花に終わったのだが、その影響はいまだに消えていないことを指摘されている。毎日新聞社発行の『週刊エコノミスト』(1月31日号)において「経済学を不毛な知的遊戯に変えた『ルーカス批判』を批判する」という論文の中で、次のように問題を指摘されている。
「バランスを欠いて『期待』の役割を強調する経済モデルの流行は今も続いている。その結果として『期待に働きかける金融政策』が、どれだけ政策運営を混乱させてきたかは言うまでもないだろう。マネーストックを増やせば、消費者は物価が上昇することを予想し、したがって現実の物価も上昇する。こうした理論に基づく論文が数多く書かれ、日本銀行をはじめ各国の中央銀行がそれに基づく政策運営をしてきた」(47頁)
結果は、見事にその非現実性を示しているわけで、アメリカの経済学に影響された間違った理論の影響をもろに実践してしまったことに対して、植田氏はどう受け止めておられるのだろうか。日本において海外の留学体験を積んだ多くの経済学者・専門家は、少なからずこの影響を受けてきたわけで、もう一度経済学の理論的な問題についての総括が必要になっているのではないだろうか。
白川前総裁も米国主流派の「合理的期待学派」の悪しき影響力を批判へ
同じような問題意識を白川前総裁も感じておられるようで、日本の経験に基づいた貨幣数量説による弊害を世界に向けて発信していくことの重要性を1月31日付朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」欄で『異次元緩和費やした10年』というインタビュー記事で指摘している。吉岡圭子インタビューアーが、白川総裁が直面した安倍政権との「共同声明」締結時の「時代の空気」という重圧がどこから来たのか、という質問に対して、
「無視できないのは米国からの影響でした。中央銀行が2%の物価目標を掲げれば人々の期待が変化して実際に2%になる、という理論を米国主流派経済学者主張しており、それが日本の学者、マスコミ、政治家の間に広がった。米国のソフトパワーをひしひしと感じました」
と述べておられ、吉川洋教授と同様の問題を痛感されている。
こうしたフリードマンやルーカスの提起した理論に対して、学者であった植田和男氏がどう考えておられるのか、国会での同意する前に明らかにして欲しいと思うのだが、肝心の与野党国会議員の中でこうした問題意識を持っている議員がいるのかどうか、残念ながら定かではない。