2023年3月6日
独言居士の戯言(第283号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
来春卒業する大卒者の就職活動解禁へ、労働力稀少社会が到来か!?
3月1日から来春卒業する大学生たちの就職活動が解禁された。就職活動というよりも、企業側の求人活動といった方がよいのかもしれない。人手不足を解消しようとして、多くの就職希望者を集めようとする企業の動きが加速しているようだ。まさに、「労働力稀少社会」が到来し始めたかのようだが、多くの若者の声として、ワークライフバランスを重視した仕事を求めている発言が多いことに気が付く。また、これだけ一斉に新入社員を求める光景は、「ジョブ型雇用」へと移行しつつあるとは到底言えないわけだが、かといって「メンバーシップ型雇用」のままでよいともいえないわけで、労働力稀少社会の下で日本型の雇用構造がコロナ禍終焉に近づきどう変化し始めていくのか、注意深く見続けていく必要がありそうだ。
コロナ禍終焉に向かい、円安に群がる観光客の到来が齎す人手不足
世界的にもコロナ禍も一段落し始め、日本でもこれから感染症2類からインフルエンザ並みの5類へと変えようとし始めており、円安となった日本を目指した海外からの観光客がどっと押し寄せてくることが予想されている。コロナ禍になる前まで、私の住む札幌の狸小路商店街では爆買いする中国人観光客でごった返し、多くのホテルが彼らで満杯になっていたことを思い出させてくれる。今は台湾や韓国人が多くみられる。再び同じ光景が出現することが当然予測されるわけで、サービス業を中心にした人手不足は相当深刻なものとなるに違いない。DX化が進み始めたことにより、理数系の若者に対する需要も相当盛り上がっているようで、初任給の上昇は相当進んでいるようだ。ただ野口悠紀雄氏によれば、世界の潮流からみて日本の理数系教育レベルはかなり落ち込み、賃金水準も見劣りがするようだ。
「春闘」そっちのけの賃金アップ、どうなる「連合」の立ち位置
当然のことながら、初任給の上昇は未だ年功序列的要素を色濃く持っていて、賃金水準全体が上昇(ベースアップ)し始めるわけで、物価が上昇し始めた日本の労働者の実質賃金の行方について、日本経済が賃上げによる内需の拡大やその価格転嫁、更には生産性の向上への良き刺激となって進むのかどうか、当面の最大の関心事項になりつつあることは言うまでもない。賃上げと言えば「春闘」という事だったわけだが、今年の特徴として3月の時期に集中する労使の交渉で決まる前に、企業側が一方的に賃上げ額を表明したり、労使交渉も春闘前に早々と賃上げ額を決めたりしていて、産業別の統一闘争などがどこへ行ったのか、連合にとって鼎の軽重が問われる事態になりつつあるようだ。
2002年のトヨタ労使の賃上げゼロから始まった「賃上げよりも雇用だ」と賃金闘争が後退したことからの立ち直りが進んでおらず、労働組合の戦線をどう組み立て直していけるのか、今のままでは禍根を残しそうだ。とはいえ、春闘の山場は3月の中旬と言われており、これからの行方に注目していくことは言うまでもない。もう一つの闘いは最低賃金の底上げであり、春の戦いの成果がどう反映されていくのか、これまた行方に注目だ。
黒田日銀をどう継承し変更していくのか、植田日銀の行方や如何
そうした中で、日銀の総裁・副総裁に対する衆参の所信表明と各党の質疑が行われ、当面は金融緩和を継承していく考えを示し、植田総裁候補は2%の物価安定目標を「日銀の責務」と発言している。もちろん、今までの大規模な金融緩和が長期化することに伴う「副作用」にも言及しており、黒田日銀の政策を検証しつつ転換を進めていくことは確実であろう。とりわけ、YCCやETF大量購入等についての見直しは必至とみる向きが多い。問題は、市場との対話を取りつつ的確なタイミングの取り方なのかもしれない。
植田総裁候補はどんな経済理論に立脚しているのか、学者出身総裁としての矜持を示して欲しい
これまでアベノミクスの第一の矢となっていた金融緩和政策を推進してきた「リフレ派」は、岸田内閣になってリフレ派審議委員交代時に非リフレ派委員と後退したこと(安倍元総理が激怒したと言われている)にみられるように、日銀の金融政策の転換が進められるのではないかと期待される。ただ、今回の国会での質疑を通じて、植田和男氏の経済政策に対する理論的な考え方を問う場面が見られなかったことは残念である。学者出身の中央銀行総裁であり、フリードマンの貨幣数量説やその継承者であるルーカス教授の「合理的期待理論」など、リフレ派の背骨をなす非ケインズ派(ニューケインジャンも含まれる)の経済理論についてどのように考えおられるのか、基本的なことだけに聞いて欲しかったポイントであろう。
白川前総裁が黒田日銀10年間の総括を内外に提起、注目すべき
さて、これまでの総裁人事の流れからすれば、植田総裁や日比野、内田両副総裁への同意は確実であろう。いよいよ植田日銀のスタートが進むわけで、激変する経済社会環境の下でどのように舵取りを進めるべきなのか、過去10年、いや速水総裁時代から進んできた金融緩和政策についてのきちんとした総括を進めていくべき時であろう。そうした点から、白川前総裁が精力的に問題を提起されている。最近では、『週刊東洋経済』(1月23日号)に「特別寄稿」〈当事者が振り替える金融政策の転換点〉で「政府日銀『共同声明』10年後の総括」と題する10ページにも及ぶ長大論文を書かれているし、朝日新聞1月31日付のオピニオン欄に「異次元緩和 費やした10年」というインタビュー記事も掲載されている。
さらに、直近では3月1日、国際通貨基金(IMF)の季刊誌に金融政策の新たな方向性に関する論文(英文)を寄稿され、問題提起をされている。(以下、その中身を報じた「毎日新聞」3月2日付の大久保渉記者の記事より)。
白川前総裁は、これまで日本からの情報発信が少なかったことを強く反省され、海外に向けての日本の経験などを発信する決意を述べておられ、それを実践されているのだろう。そこで、黒田日銀の10年間の金融政策について「壮大な金融実験」だったが、物価上昇や経済成長面でも「影響は控えめ」でしかなく、「必要な時に金融政策を簡単に元に戻せるとの幾分ナイーブな思い込みがあったのではないか」と指摘されているとのことだ。財務省官僚と政府から独立しているとはいえ日銀総裁の違いなど、配慮すべき点はあったのだろうが、そのもたらした弊害は誰の目にも明らかであり、かつて総裁時代に安倍総理との間で締結した「声明」と黒田総裁になって進めた政策を見た時、白川総裁の主張に分があったと大久保記者は要約している。けだしその通りだろう。
白川前総裁が問題視する高齢化や人口減少など構造的問題にメスを
私が白川前総裁の指摘されている点で一番重要だと思う点は、日本経済が低い物価や低成長になっている背景として「日本停滞の要因は急速な高齢化や人口減少など構造的な問題なのに、景気循環的な経済の弱さと誤解されていた」という指摘だろう。さらに、この論文では、日本の低インフレの原因となっている賃金上昇率の低さについて、「長期雇用など日本特有の労働慣行が影響している」と分析されている点である。こうした構造的な問題点を、これから植田日銀はどう解決していくのだろうか。注目し続けたい。
「高津多可思の金融経済を読む」最新号、今後インフレをどう読む
もう一つ、同じく日銀出身の神津多可思日本証券アナリスト協会専務理事の書かれた「今後のインフレを考える どういうインフレが問題なのか?」(3月3日「神津多可思の金融経済を読む」より)で指摘されている「インフレ」の問題である。つまり、アメリカでも進むインフレは「何%まで低下すれば先行きインフレが制御できるのか」という問題もあり、日本においては、物のインフレがサービスへのインフレに転化するのは今春闘の賃上げによっておこるわけで、4.2%にも達したインフレが果たして日銀の政策委員の来年度見通しの「2%インフレが実現しない」で収まるのかどうか、あるいは2%インフレが実現したとしてどういう良いことがおきるのだろうか、疑問を提起されている。
2%のインフレ目標に固執することへの警戒感、もっともな事だ
さらに高津氏はアメリカのインフレ率の推移を見た時、日本でも労働市場間状況がどうなるのかが重要になると指摘しておられ、インフレ率だけでなく自然失業率などをどう見るのか、という点などをしっかりと見るほうが大切ではないかと述べておられる。2%のインフレ目標に固執することに対する警戒感を持っておられるようだ。日銀出身のエコノミストは多士済々で、多くの分野で活躍されている。そうした人たちの声にも謙虚に傾けてきたのかどうか、黒田日銀の10年は厳しく総括されているのだと思う。
【松本零士さんが亡くなられたことに想う】番外編
私が「鉄道ファン」であったことは余り人様に明らかにすることもないと思っていたのだが、時々SLに関して書いたりしゃべったりしたため、”峰さんは鉄っちゃんなのか”と聞かれることも多くなってきた。大学時代に「鉄道同好会」に所属してはいたのだが…。
つい先日も、松本零士さんが亡くなり名画「銀河鉄道999」を見た時の話を近所の居酒屋でする時があった。その中で、戦後日本が世界に誇れる名蒸気機関車「C62-50号機」に牽引されながら宇宙空間を走る客車(このレトロな客車が実に懐かしい)の中で、メーテルが鉄郎に話しかけた一言がやけに心に残っている。メーテルは「永遠の命」を生き続けなければならないことに対して、正確な言葉ではないが「永遠に死ぬことのできない悲しさ、つらさ、寂しさ」を鉄郎に対して吐露する場面があり、「確かにそうだ、永遠に生き続けなくてはならないとしたら、どんなことになるのだろう、それは決して幸せであり続けることではない」と思ったことを酒の勢いでまくし立てたわけだ。
実は私の母親が102歳という長寿に恵まれたのだが、88歳の米寿を超えたあたりから、「自分は長く生き続け過ぎた。早く先だった親戚や仲間に会いに行きたい」と語るようになったことが思い出される。私自身はまだ80にすらなっていないわけだが、何時まで生き続けられるのだろうか、と最近考えることが多くなってきた。「永遠に生きられないし、生きたいと思わない」のだが、どういまを生き続けるのか、迷いながら生き続けているのが現実だ。この通信を書き続けることが今の生きがいなのかもしれない。
ちなみに、C62型蒸気機関車は狭軌で世界最速の世界記録を持ち49号機までしか作られていない。
50号機は松本さんの創作なのだ。ちなみに私が高校に呉から広島に通っていた時の「C62-1号機」が呉線で走っていたのだが、何故か京都の梅小路機関区にはC62-2号機が燕のマーク付きで大切に保管されている。燕とは、国鉄のシンボルで特急燕号牽引したのだろう、今はプロ野球の2連覇している覇者ヤクルトスワローズとなっているが、戦後できた時は「国鉄スワローズ」であり、私の応援している広島カープと最下位争いを何時も演じていたことが思い出される。その時のエースが金田正一で歴史上400勝した唯一のピッチャーだった。今投げたらどれくらいのスピードだったのだろうか。もしかすると二刀流で行ったかもしれない程打撃センスも高く、ホームランも歴代38本と投手として一番の記録を持っていて破られていない。
番外編でした。