2023年4月24日
独言居士の戯言(第290号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
G7広島サミット優先を貫く岸田政権、世界をどう見ているのか
最近の日本の政治を見ていると、5月19日から始まるG7広島サミットを頂点にして、どうそれを盛り上げていくのか、ということに焦点が当てられているように思えてならない。というのも、G7の外相会議や気候・エネルギー・環境相会合など分野別の会合なども日本各地で開催され、今年の場合はロシアのウクライナ侵攻問題が大きなテーマになることがあるからだろうか、林外務大臣の外相会談などが特に注目されてきた。広島サミットを主催する岸田総理は、インドを訪問した際に、秘密裏にウクライナへと飛び懸案であったゼレンスキー大統領との会談にようやくこぎ着けてサミット議長役としての対面を保つことと相成ったわけだ。さらに、今年のゴールデンウイークには、グローバルサウスのアフリカでの主要4カ国を訪問することにもなっており、手分けして林外務大臣も中南米4カ国を歴訪するとのことだ。報道によれば「中国の習近平外交」に負けないようにしたい、などと岸田総理はその意図を吐露しているようだ。サミット成功後に解散・総選挙を明確に意図しているのかもしれない。
グローバルサウス陣営、先進国クラブG7に距離を置き始めている
もちろんその背後にはアメリカを中心に、対ロシアだけでなく最大の経済・軍事大国となりつつある中国を含めて世界の覇権争いをどう有利に進めていくのか、岸田政権はその先兵となって広島サミットを成功させようと必死になっているようだ。こうした動きについて、日本の保守系メディアである『日本経済新聞』の4月20日付社説で「G7は広島サミットでも対中ロで結束を」と題して、G7の外相サミットで一致したとされる「法の支配に基づく国際秩序の維持をめざす」方針を引き続き5月の首脳会談でも結束を示していくべきだ、と主張している。その点、つい先日フランスのマクロン大統領が中国での台湾問題など独自の考え方を打ち出したことへの危惧が述べられ、岸田総理がどう結束を図れるのかが問われていると同時に、グローバルサウスとの関係についても連携を密にしていく必要性を強調している。
こうしたG7広島サミットについて、アメリカを中心にした主要先進国と中ロの対立が進み始めているわけだが、1973年にフランスのミッテラン大統領が提唱した先進国首脳会議が始められた時、盟主アメリカを中心に世界のGDPの過半数を超えていたわけだが、今日では大きく落ち込んで過半数を割りこみ、中国を中心にしたG20やグローバルサウスと呼ばれる新興国の経済発展の方が著しい。そのため、アメリカなどG7各国は中ロに対抗すべきG7としての結束を図りつつ、グローバルサウスへの働きかけに全力を挙げていく構図に持ち込もうとしているのだ。
アメリカやNATOは国連の合意なく戦争を開始した歴史がある
果たして世界の国々は、こうした先進国と言われてきたG7各国の動きをどのように捉えているのだろうか。一番端的な事実は、国連の場でのロシアのウクライナ侵攻に対する非難決議へ賛成をしなかった多くのグローバルサウスの国々の現実があり、かつてのNATOのコソボへの攻撃や、アメリカ同時多発テロの直後に大量破壊兵器を持っているという嘘の理由でイラク攻撃を仕掛けたことなど、もちろんロシアも大問題だが、アメリカやNATOだって国連の安保理決議なしで軍事攻撃をしたことを忘れてはいないのだ。今年に入ってバイデン政権が主催した民主主義サミットも、今一つ盛り上がりに欠け、アメリカの思い通りにはなりえていないようだ。
台頭する中国、経済発展が世界を牽引しG7では収まらないパワー
それ以上に、最近では中国が世界において世界一の貿易拡大や「一帯一路」、アジア開発銀行設立など経済的な存在感を大きく高めており、かつての米ソ冷戦時代のソ連経済とは明らかに質的に異なった競争相手とアメリカは対峙せざるを得ないのだ。
その中国は外交面で「国連中心主義」に立脚しつつ、国際法にのっとりながら責任をもって国際社会を運営していくことを明言している。先日は、中国の仲介でサウジアラビアとイランの国交回復が進められたことに、アメリカなどは驚愕したことであろう。もはや、アメリカを中心にしたG7だけで結束していくことで世界は動かなくなっていることを、われわれ日本人もしっかりと見つめる時に来ているのではないだろうか。広島サミットを直前に控え、野党側もそうしたグローパルな世界の構造変化が進んでいることに対して、きちんとした外交の在り方を問題提起できていないように見える。何を隠そう、外交問題などに弱い私自身も、今まではG7に所属しているアジアの唯一の代表なのだから、G7の中で先進国以外のグローバルサウスの国々の立場も踏まえた国際外交を展開すればよいではないか、と単純に思ってきたし、そうした安易な考えを書いたこともある。
だが、世の中をより深く鋭い観察している専門家や識者はいるわけで、私自身にとって世界史の流れをどう捉えるのか、もう少し深く考えなければならないと反省することとなった次第について次に述べていきたい。
友人、松本収さんの論文『ウクライナ侵攻後の世界』を読んで
先週初め、私の半世紀近い前からの友人である松本収さんから、『ウクライナ侵攻後の世界』というA4版で80頁を超す長大な論文を書いて送ってくださった。文字数に換算して約10万字、未公表だが何人かの方達に送っておられるようで、文章の校正や省別編成などは未完成の部分があり、論文として完成されたものではないようだ。
リーマンショックの世界経済の落ち込みを救った中国の内需拡大
その中で、ロシアのウクライナ侵攻という世界史を揺るがすような出来事が展開されているが、松本氏はその前に世界を揺るがせたリーマンショック以降の世界史の流れに注目している。リーマンショックによってアメリカはもちろん、ヨーロッパや日本経済も経済成長がマイナスに落ち込むという中で、中国が巨額の財政支出を拡大させ、そのことによって需要を回復に結び付き、日本を含む先進国経済が回復していったという事実に注目する。松本論文では、次のように分析している。
「未曽有の金融危機と経済的混乱に立ち往生する米欧諸国を尻目に、初めて中国を筆頭とする新興国が世界経済の舵取りの舞台に躍り出た。そして、この危機からの脱出過程で、世界の経済外交の中心が主要8カ国・地域会議(G8)から、中国・インドなどの新興国を含む20カ国・地域会議(G20)へ移行することになった。
長い間続いた先進国主導の世界の政治経済の、その景色が一変した」
アメリカの国家情報機関も認めた一国主義の終焉と中国の台頭
この時以降、中国は世界最大の貿易大国へと成長し、アメリカはその後塵を拝するばかりか、2008年にはアメリカ政府の情報機関を統括する国家情報評議会(NIC)が、アメリカの政治的・経済的な力の衰退と多極化世界を予測する報告書『2025年グローバル潮流』を発表、その後の展開はほぼこの時の予測通り進んできており、2030年前後には中国が米国のGDPを上回り、世界一の経済大国になるとされている。その中国は、2009年にはBRICsを立ち上げ、2001年の上海協力機構(SCO)では憲章を定めて「世界の多様化」と「公正な国際政治、経済秩序」の実現を掲げ、「アメリカ一極主義を真っ向から退け、国連を中心とする多国間調整をより重視する路線を提示している。
バイデン政権は国連中心主義を放擲し、G7や有志連合回帰へ
アメリカではその中国に対する警戒も出始めているが、習近平政権は「一帯一路」構想や「アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設、環境やエネルギーの国際協力を積極化していくことを表明している。覇権国家アメリカへの対抗勢力としての中国に対してアメリカバイデン政権らは、中国の発展という「脅威」を排除すべく米国が描き始めたストーリーが「自らが、ある意味で、戦後圧倒的な平和への希求として誕生した国連中心の多国間調整システムの『放擲者』となりうるという道の選択であった」わけで、「G20からG7への回帰、国連中心主義から有志連合へのシフト」し始め、「日本もまたアジアの近隣諸国との共生・連携よりも欧米の一員としての道を繰り返そうとして、自ら戦後レジームの『放擲者』の一員として国内外で動き出しているかのごとくである」と分析している。
アメリカに追随する岸田政権、世界の潮流が読めているのだろうか
ここまで来て、今年がG7の議長国が日本であったことから、今進んでいるG7の様々な分野での会合では、中国やロシアをいかにして排除して世界でG7のリーダーシップを再度強化していけるのか、そういった動きが加速化しているのが目立ち始めている。岸田総理は、時にはNATOのアジア版を作りかねない発言をしたり、アメリカからの要請もあるのだろう、防衛「3文書」を改定して軍事費をGDP比1%から2%へと引き上げ、当面の5年間で43兆円の財政負担増を打ち出してきたのもそうした背景があるからにほかならない。何よりも欧米列強の一員として参列することを無思慮の内に選択してしまったのだ。日本には「万国公法の遺伝子を21世紀になっても引きづっている」との松本氏の指摘に注目させられたのだ。(「万国公法の遺伝子については、次の機会に触れていきたい)
はたして、これからの日本の行方はどう展開していくのだろうか。さらに、世界はロシアのウクライナ侵攻後にどう展開していくのか、今後、引き続き注目していくことにしたい。紹介した松本論文には、今後の世界史の動きがどうなっていくのか、いろいろと問題提起がされているわけで、引き続き引用させていただくことにしたい。
(注)、サミットは、当初「G8」と呼ばれた時期もあったが、ロシアが脱退し2014年以降G7に変更された。