2023年6月12日
独言居士の戯言(第297号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
私が愛読してきた『週刊エコノミスト』(毎日新聞社刊)が100周年を迎えている。大学生の時から、かれこれ60年近く読み続けてきた経済専門誌だけに、今でも経済の動きなどを知るための愛読誌である。先日『週刊朝日』が廃刊になっただけに、経済関係週刊誌として存続し続けて欲しいと思うばかりである。
細野祐二さんと黒木亮さんの対談、ロンドン市場の経験談を語る
6月13日付最新号に目を通していると、「複眼対談」なる記事が目に飛び込んできた。対談しているのは、議員時代にお付き合いのあった元公認会計士細野祐二さんと作家の黒木亮さんだった。細野さんについては『会計と犯罪』(日経BP社刊)を書評として取り上げたこともあり、いまでも粉飾決算を探り当てるソフト「ブロードシューター」を独自に作成され、その分析結果などを送っていただいている。北海道出身の黒木さんとは全く面識もなく、今回紹介されている『メイク・バンカブル!』(集英社刊)も、細野さんが粉飾の指導をしたとして逮捕され、最高裁まで一貫して無罪であると訴え闘ってこられた「キャッツ事件」を描いた『空売り屋、日本上陸』(講談社刊)も読んでいないので、対談の中身について十分に理解できたかどうかは怪しいとは思う。
日本の監査制度は企業の『寄生虫』に成り下がっている(細野)
とはいえ、4ページに及ぶ対談を読んでいて、細野さんが若い時にKPMGの公認会計士としてロンドン・シティで鍛えられた話など、さすがに監査制度の発祥地として「社会全体が監査をとても大切に思っている」ことが分かったとのこと。翻って日本の監査制度については、「キャッツ事件後、公認会計士は社会が期待する本来の監査業務をしていません。莫大な監査報酬だけもらって黙ってハンコを押す企業の『寄生虫』に成り下がっているように思います」と手厳しく批判されている。
それは細野さんからすれば当然の批判であり、自身が関与してきたキャッツという新興企業において、企業とともに汗をかいて上場企業に育て上げ、その経験を通じてさらに別の企業を育てていくというロンドン仕込みのダイナミズムを進めたつもりなのに、粉飾決算の指導をしたとの経営側と検察の口裏合わせに勝つことができず、最高裁まで戦って敗訴した悔しさがにじみ出ているように思う。今、再び裁判のやり直しを求めて東京地裁で再審請求を求めているわけで、何としても冤罪を晴らすべく頑張って欲しい。今の「人質司法」と呼ばれる司法制度の在り方についても、厳しく見直されるべきは言うまでもない。
イギリスの金融市場と共にイギリス民主政治を高く評価(黒木)
一方の黒木亮さんだが、早稲田時代に箱根駅伝にも出場した経験なども織り交ぜながら、細野さんと同様、30歳にはロンドン・シティで金融の最先端の仕事に従事され、粉飾決算の問題など自分の執筆された経済小説などに言及されている。11日付の北海道新聞の書評欄で『メイク・バンカブル!』について黒木さんは「僕の原点みたいな時期。若いビジネスマンの参考になると思って何時か書きたいと思っていた」とのこと、バブル時代の頂点の時期に猛烈に働いていた時代の作品だとのこと。一度是非とも読んでみなければ、と思うようになったが、ロンドン時代にイギリス政治の民主主義が実にしっかりしていることにも触れられている。政治家のリーダーシップも日本より格段に優れていると述べておられる。その民主主義を支えた経済において、ロンドン・シティ中心に金融市場を充実させてきたことがあることを見失ってはなるまい。
イギリスの名宰相グラッドストーンの1866年の財政演説に注目
昨今の日本の政治家の視野の狭さにうんざりしているだけに、イギリスの過去の出来事に思いを馳せてみた。それは、あの名宰相グラッドストーンが1866年に実施した財政演説の事だ。100年戦争の最後を飾るワーテルローの戦いで勝利したイギリスが覇権国家としての地位を不動のものにしたとき、積もり積もった戦費の赤字額が1820年には国民所得の3倍近くにまで膨れ上がった事に対して、今後予想される戦争や疫病などの重大なリスクに備えて財政の立て直しを進め、第一次世界大戦で台頭するドイツとの戦いに勝利することに導いていった事実が胸に迫ってくる。
日本の政治家には中長期の国家的リスクに対する備えが欠如
そういう中長期には招来するリスクに対する備えを進めてきたイギリスでは、そういう政治家を生み育てた土壌があったことに対して、わが日本はどんな将来を政治家は考えているのだろうか。自分の20年近い参議院議員としての政治生活の中で、財政赤字が累積したことの責任を問題提起しても、圧倒的多数の政治家は中長期の問題などどこ吹く風とばかりに財政赤字を累積させてきたのだ。私が当選した直後の1992年8月、当時の宮沢総理がバブル崩壊後の金融機関に公的資金の投入を軽井沢で発言したものの撤回してしまったわけで、後の金融危機に際して巨額の財政赤字の投入を強いられたことが思い出される。
この間の財政赤字の累積がGDPの2倍近くまで拡大した背景には、バブル崩壊後の金融危機への財政支出、2008年のリーマンショックと東日本大震災後の財政支出、更にはコロナ禍に対する財政支出などが続いてきたわけで、それらをもたらした甚大な国家的リスクは再び必ず中期的には起きるとみておかなければなるまい。それだけに、財政の今後がどうあるべきなのか、今真剣に問われるべき課題だろう。
岸田政権「骨太方針原案」、財源問題のつけを総選挙後に先送り
話を今進みつつある岸田政権の動きに移そう。来年度の予算編成に向けた第1歩が「骨太の方針」として策定され始めている。先週の7日に原案が提起され、特に防衛費と少子化対策費の増加が大きく取り上げられている。防衛費増額4兆円弱の具体策については今年の年末にも一定の決着をつけるのだろうが、社会保障の新しい財源としての子ども子育て関係に対しても3兆5千億円にも達する巨額の支出が予定されている。その財源については、これもまた秋の予算編成に向けて与党内だけでなく関係各方面との折衝が行われるのだろうが、一時的なつなぎ国債発行に依存したとしても、兆円単位の国民負担を国債に依存し続けることはできないわけで、『増税=負担増』問題から逃れることはできなくなってくる。問題は『増税=国民の負担』であり、政治家にとっては選挙に向けて「禁句」とされるだけに、今年の年末までには解散・総選挙がありうるとみて、永田町では財源問題の総選挙後への先送りが当然視されているようだ。
朝日新聞8日付朝刊『増税 どう思う?』を読んで思う事
そうしたなかで、朝日新聞8日付朝刊の「経済総合欄」で『増税 どう思う?』と題して2人の自民党政治家と財政学の専門家のインタビュー記事を掲載している。防衛問題もあり稲田元防衛大臣、そしてMMT論者(?)として知られる西田昌司参議院議員、最後は財政社会学者である井手英策慶応大教授である。稲田朋美元防衛省は「防衛費は国民全体で支えるべきだ」と増税に理解を示しているし、井手英策教授も増税による社会保障の充実を訴えていて、わかりやすい。
私が注目したのは西田昌司参議院議員である。税理士として京都府選出参議院議員で父親も同じ参議院議員という2世議員であるが、当選して以来その言動には歯に衣を着せない迫力があり、今でも自説を党内外で展開し「京都学派」と揶揄されるように税財政についての論客との事だ。
MMT論者西田昌司参議院議員、国債発行=通貨発行で問題なし?!
西田議員はMTT論者なのだと思うのは、冒頭の次の言葉に表れている。
「国債は借金ではなく、通貨供給です。政府には通貨発行権があり、財政と家系は全く異なります。防衛も子育ても脱炭素も必要な予算の財源は国債で問題ありません」
ただし、税の必要性についてはインフレを阻止したり、再分配政策などでの必要性に言及。特に法人税の増税(一部大企業だけ対称)や金融所得増税(「1億円の壁」の解消)などを進めることで貧富の格差是正を進めていくべきことに言及する。果たしてそれで必要とされる財源を十分に満たしうるのかどうか、消費税の増税や社会保険料負担には反対されている。MMTなるものがケインズ経済学の流れを汲むものだという説があることから見ても、必ずしも増税を否定しない西田議員はその流れを歩んでいるのだろうか。
今後の中期的に起こる国家的危機に日本の財政が対応できるのか
だが、国債発行すれば問題ないとされているが、日銀に貯まった国債とそれの裏付けとなる当座預金について、それは問題ないと言えるのかどうか、中長期的にこれから起きるであろう自然災害やパンデミック、更には戦争や人口減少問題といった国家的クライシスに対応できるのかどうか、そこに掛かっているのではないだろうか。
これから年末にかけて解散総選挙が噂され始めている。そうした中で、これからの日本の行く末に向けて、ここまで増加し肥大化した国家財政の累積負債をどうしていくのか、与野党で是非とも論戦を戦わせてほしいものだ。