2023年11月6日
独言居士の戯言(第317号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
書評、野口悠紀雄著『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』
円安問題について考えていた時、野口悠紀雄一橋大学名誉教授の書かれた最新の著書が発刊された。題して『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』、朝日新書として9月30日発刊とあり、まだ「湯気が出そうなホヤホヤの新刊」である。テーマがテーマだけに急いで読みたくなり、さっそく即時に手に入れられるキンドルで購入し読了した次第である。
最近の経済情報誌に書かれた時事論文の集大成、明快で読み易い
読み始めてみると野口教授が断っておられるように、この著書は「ダイヤモンドオンライン」「東洋経済オンライン」「現代ビジネス」「金融財政ビジネス」という経済関係の情報誌に投稿されたものを元にして書かれており、どこかで読んだことのある文章だったな、と思い出しながら読み始め、その分スピーディーに読めたのは野口教授の文章がいつもながら読みやすく解りやすいことだけではなかったと思う。日本経済がなぜ落ち込んでいくのか、そこからどうやって這い上がって行けば良いのか、是非とも一読をお勧めしたいと思った次第である。
なぜ日本は世界一の経済大国から衰退への道を辿り始めたのか
この本で野口教授が言いたかったことは、「はじめに 補助金や円安ではなく、人材の育成を」という冒頭に書かれていることに尽きるのだろう。かつて世界の先進国の中でもダントツの経済的ポジションを占めていた日本が、アベノミクスと大規模金融緩和が行われたこの10年間でどんどんと凋落し、今では目を覆いたくなるような惨状へと転落して行ったことを指摘する。1950年代から70年代にかけて日本は高度成長を遂げ、先進国にキャッチアップしたわけだが、80年代以降世界経済の構造が大きく変わり始めたことに、日本の経済・社会が対応できずに衰退への道をたどることになったのだ、と述べておられる。
模倣でできた高度成長、独創に失敗した日本、
補助金頼みではイノベーションを起こせる力は生まれない
高成長はアメリカという先進モデルを「模倣」するからできたわけで、いったん追いつくと「独創」が必要となるわけで、生活必需品の飽和化とともに新しい商品開発力こそが求められる時代へと転換していたわけだ。
では、この状況を変えるためには何が必要か、岸田文雄政権は様々な補助政策で対応しようとしているが、補助制度では社会の基本構造を変えることはできないと野口教授はキッパリと批判。補助で立ち直った産業の例は無く、かつての農業分野、そして最近では製造業を中心にした衰退産業へ対応しようとしているが、その前途は暗い。ちなみに、小生の住む北海道でも国(経産省)主導の半導体製造企業「ラピダス」の千歳市への進出が進められているが、国の補助金だけでも数千億円に達するとのことだ。ルネサスやエルピーダメモリ―などの先例が思い出される。
何よりも「円安」という補助と低賃金での途上国との競争に突入へ
そして、何よりも日本経済全体に対して「円安」という大きな補助が続けられていることに厳しく警鐘を乱打される。円安によって輸出関係産業は濡れ手に粟で同じドルで円換算利益が増加するが、日本経済は活性化することは無く企業が革新の意欲を失い次々に経済先進国の地位から落ち込み続け、今では台湾や韓国にまで一人当たりGDPの水準で追い越され始めている。とくに2022年から始まった急速な円安は、今日誰の目にもその惨状が明らかになったわけで、物価が上昇したのに賃金はそれに見合って上がらず実質賃金が低下し続けている。いまの日本の経済の現実からすれば、賃金上昇が好転していく条件が生まれておらず、今後好転することもできないだろうと野口教授の見方は悲観的だ。
何よりも、日銀の異次元の金融緩和政策により、円安と資産(株式)価格の上昇は進むが、海外からの輸入(資源)価格の高騰によりインフレが進行し、円安政策を継続し続ける限り日本の「安売り」は続き、国民生活を圧迫し続ける。野口教授は、一刻も早く日銀の異次元の金融緩和政策を終わらせることの必要性を一貫して主張されている。けだし、その通りだと思う。
これからの課題は「高度人材の確保」だ、
情報通信の高度化に成功したアメリカGAFAMにどう対抗できるのか
この本の中で、特にこれまでの落ち込みの原因の一つであり、今後早急に力を入れていかなければならない最重要課題として挙げておられるのが「高度人材の確保」である。かつての、高度成長時代は先進国のモデルを目標に、企業内での訓練(OJT)を通じて製造業の生産性拡大に全力を挙げて行けば良かったわけだが、1980年代以降、新しいビジネスモデルが求められていたにもかかわらず、高度成長時代の成功体験があった事により、追い上げてくる中国や途上国との競争に打ち勝つために「低賃金や円安政策」に頼ってしまったのだ。
この間、日本から追い上げられていたアメリカは、90年代以降、情報通信産業でのイノベーションを進め、今ではGAFAMと呼ばれるインターネットを活用したプラットフォーム型の企業モデルを作り上げ、世界の経済を大きく牽引し続けてきたのだ。その際、野口教授が大変重要な課題として指摘するのがこうした情報通信イノベーションをリードしていける高度人材の確保の問題である。
岸田内閣「新しい資本主義」の人材確保に向けて、「補助金」では無理、
教育・研究や給与・雇用構造の大転換が必要
岸田内閣も人づくりが「新しい資本主義」にとって重要だと指摘はしている。「デジタル田園都市構想」「230万人のデジタル人材養成」などを挙げ、そのためのリスキリングに2兆円の補助金を出すと宣言している。「補助を与えれば変革できる」と考えているかぎり無理だと指摘。給与体系や雇用体系の抜本的な改革の必要性に言及。給与一つとっても、アメリカの情報通信の専門家と日本のそれは10倍近い収入格差があり、年功序列型の賃金では到底支給できない高い処遇ができるのかどうか、問うている。また、アメリカはもちろん、追い上げてくる韓国や中国・台湾などの専門家の賃金にすら追いつけなくなっているわけで、今後の日本の情報通信や金融などの専門家の、海外への流出の危険性すら起こりうることを危険視しておられる。この人材育成においては、大学の教育レベルの引き上げや、雇用システムの「ジョブ型」雇用への転換を指摘されているが、教育にせよ雇用にせよ、一度出来上がった構造的な問題を一朝一夕に変革できるのかどうか、大問題として立ちふさがっているのが現実であろう。
雇用構造の転換に向けて、労働者の声をどう反映できるのか、産業民主主義の課題をどうする?
特に、ここで問題にしたいのが労働者の側からの権利や労働条件がどうなるのか、産業民主主義と言われる労使関係の在り方とも絡むだけに、政治の世界だけでなく労働組合も含めた大きな枠組みで、日本の抱える構造的な問題の解決策を考えていくべき時ではないだろうか。ジョブ型雇用なるものは、欧米においては長い間の労使関係の中で形成されたものであり、能力主義管理の手段として理解されてはなるまい。
人口減少社会における公的年金の在り方、「支給開始年齢」の引き上げについての疑問?
この本の中で気になった事がいろいろとあるが、人口減少の続く日本の社会保障、特に公的年金の問題について、今のままでは制度が存続できないのではないかと野口教授は問題を指摘されている。本来は、「支給開始年齢の引き上げ」が必要だと指摘されている。そもそも「支給開始年齢」という言葉だが、今は60歳からでも受給でき、75歳まで受給開始を伸ばすこともできることになっている。そのことによって、65歳で満額支給されるわけだが、70歳で繰り下げ受給開始すれば1.42倍、更に75歳まで繰り下げれば1.84倍の支給となるわけで、受給開始年齢は変動しうるので「支給開始年齢」という言葉は正確ではない。
今の年金制度の中で、改革すべき問題を先行させるべきでは
今や日本人の健康寿命は延長しており、75歳からが高齢者と考えるべきとの高齢学会の専門家は提言している。それだけに、現在の制度が前提としている所得代替率が5割を切らない限り、65歳の受給開始年齢を法律で70歳に繰り下げなくても、元気に働き続けていける限り働く期間の延長を提案すればよいのではないかと思う。それ以上に深刻なのは、雇用されていながら厚生年金に加入できない人たちをどう加入させていけるのか、更に国民(基礎)年金部分をどうやって年金保険料負担期間を40年間から45年間、更には50年間へと延長させていけるのか、という問題を解決する方が重要ではないかと思う。更に付け加えるとすればマクロ経済スライドの着実な実施であろう。保険料支払い期間の延長を実現する前に立ちはだかるのが、財務省の壁であり、基礎年金の2分の1は税財源なのであり、消費税の引き上げが不可欠なのだ。65歳の基準年を引き上げざるを得ないと判断すする時が来るのだろうが、それを実行する前にまだやるべきことがあると思う。
まだまだいろいろと興味深い問題が指摘されているが、是非ともその内容については本書を手に取って読んで見て欲しい。改めて日本の経済社会がどんな状態にあり、今何が求められているのか、明快に答えが出てきているように思う。だが、それを実現できるかどうかの展望については、今の政治家の状況を見ている限り、何ともできない今の日本社会の現実が迫ってくる。