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労福協 活動レポート

2023年11月13日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第318号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

黒田前総裁の「私の履歴書」大平総理時代の「一般消費税・グリーンカード」導入の挫折の経緯について感じたこと

日本経済新聞連載中の黒田東彦前日銀総裁「私の履歴書」も12回目に入り、大蔵省時代の出来事に入っている。10回目は「大平政権 原油高で挫折 グリーンカードも拙速否めず」と題して1970年代末から80年にかけての「一般消費税」導入と「グリーンカード」問題についての記述に注目した。両者は税の問題の中心的なテーマであり、今日に至るまで日本の政治で大きな難問として立ちはだかっていることは周知のとおりである。一般消費税は今の消費税であり、大平内閣が初めて日本で提起したわけだが、おりしもイラン革命による第2次石油危機による不況期と重なり、大平総理は衆議院の解散を断行したものの、一般消費税は自民党が大敗することで葬られてしまう。黒田氏は触れていないが、選挙戦のさなかに形勢不利と見たのか、大平総理自身が「一般消費税導入を断念」したわけだが、国民の新税に対する反発は厳しく、さらに三木前総理の後、福田赳夫氏が総理になる際に大平氏と交わしたとされる「密約」問題も加わり、自民党内の分裂状況もあって大敗を喫したわけだ。

「一般消費税」という税の持つ財源確保の魔力と国民の痛税感、ヨーロッパの福祉国家財源として定着へ

消費税という税は、ヨーロッパでは付加価値税と称されているように、多段階に亘る付加価値(売上マイナス仕入れ原価)に課税され、最終的に消費者が負担するという仕組みとなっており、1%の税率でも約2.6兆円という巨大な財源が入ってくるわけで、財源問題の切り札として圧倒的存在感を有している。この税はどんな低所得層でも消費すれば税負担が伴うわけで、痛税感の極致を行く「大衆課税」だったわけだ。

ちなみに、ヨーロッパではユニバーサルな社会保障充実の財源が可能となったのは、この付加価値税が導入できたからだと言われており、税率も最高で25%という高さに至っている国もあるが、その税財源負担が自分たちの社会保障給付として再分配されるわけで、国民からの反発は少ないとのことだ。日本においては福祉国家を目指す社会民主主義政党が十分に成熟しておらず、当時の労働者を代表する政党であった日本社会党は、消費税に対して強く反対していた(おたかさんブームで参議選に大勝したという経験が残存)ことが思い出される。

黒田氏は食料品非課税で逆進性緩和と説明、パンフレット作成へ

なぜ自由民主党の総理大臣である大平総理がこうした一般消費税を導入しようとしたのだろうか。そのあたりについては、1978年に大蔵省主税局での仕事として黒田氏が携わる前の1977年、政府税制調査会の中期答申で新たな間接税としての「一般消費税の導入」を求めていたとのことだ。黒田氏は主税局調査課の課長補佐として消費税導入の経済効果を分析し、一番の難問である低所得者の負担が相対的に重くなる「逆進性」について、食料品を非課税にすれば緩和されるとの結論をもって「公平性」が担保できるというパンフレットを作成されたとのことだ。このパンフレットは大蔵省で初めて作られたとのこと、それだけ一般消費税にかける意気込みが強かったということなのだろう。

財政健全化に対する政治家としての矜持、責任ある政治家の存在

政府税制調査会としては、1965年不況からの脱出で大きな財政支出を余儀なくされ、赤字国債の発行に至ったわけで、以降の経済成長率が落ち込んだことによる税収減が歳入当局として頭を悩ませていたことが伺われる。大平総理は自らが財務大臣時代に赤字国債を発行したことの贖罪(大平総理はクリスチャンだった)意識が強かったと言われており、解散・総選挙で自民党としての公約として「一般消費税導入」が打ち出されたことに今では驚きを感ずるわけだが、それだけ当時の政治家はまじめに日本の財政健全化を考えていたことを知ることができる。これというのも、第二次世界大戦において、国債発行をGDPの2倍以上発行し続けたことにより、戦後のハイパーインフレーションという大変な負担を国民に強いたことへの深い反省があってのことだろう。今の日本の政治家には、残念ながらこうした問題意識は殆んど無くなっていることを痛感させられる。

大平総理の提案から10年、竹下内閣の下で消費税3%の成立へ

この大平総理の「一般消費税」の提案の挫折は、次の中曽根内閣時代に「売上税」として構想されるものの提案されることなくお蔵入り、竹下総理の時代1988年にようやく「消費税」3%として法定化され、翌年4月から導入されるに至る。何と、大平総理の提案後10年経過したわけで、しかもこの竹下総理の消費税導入直後の1989年7月実施の参議院選挙で自民党(直前に宇野総理に交代)が大敗北し、以降日本の政治における自民党の長期一党支配が終焉を迎える。日本の政治における「消費税」の歴史は「マイナスイメージ」でもって語られることが多く、今の岸田政権においては消費税の引き上げはタブー視されて今日に至っている。

このことは、一義的には政治家に責任があることは間違いないが、国民の側においても自分たちの国をどのように作り上げていくべきなのか、今ではアメリカよりも国民負担率(税と社会保険料負担を国民所得で割った値)が低下してしまったことを重く受け止めるべき時ではないだろうか。日本は先進国で最も税金や社会保険料負担が少ない国になっているのだ。国債発行にだけ頼り切った財政の現実を見た時、今大平総理が生きていたらどんな反応を示すのだろうか、聞いてみたい気がする。

「グリーンカード」も挫折し金融所得の総合課税化の道が絶たれる

黒田氏は、「一般消費税」導入の挫折とともに、今でいえばマイナンバーに相当するグリーンカードの導入にも失敗したことについて、「当時に必要な税制改革だったと思う。だが、やや拙速で国民の納得が得られなかった」と述べておられるが、絶好のチャンスを逃してしまったように思えてならない。「一般消費税」については、10年後に竹下内閣がようやく「消費税3%」で成立させ、今日10%にまで高めているわけだが、一番残念なのが「グリーンカード」の挫折だろう。1980年度の税制改正で利子所得の総合課税と共に導入が決まっていたわけで、もしそのまま実現できていたら金融所得の総合課税化が可能となり、所得税における「1億円の壁」(申告所得をしている高額所得層の所得税の実効税率が、1億円までは税率が上昇していくが、1億円を超えるとむしろ実効税率が下がるという現実がある。それは金融所得が20%の分離課税となっているから称しており、これを称して「一億円の壁」という)は解消できていたはずである。

マイナンバーも30年遅れで成立、未だできない所得税の総合課税化

税に対する公平性の確立こそ今一番求められている課題であり、グリーンカードの挫折は、マイナンバー制度として2016年になってようやく実現するに至ったわけで、30年近く遅れたことの時間はあまりにも長すぎたと言えよう。しかも、金融所得の総合課税に向けて利子や配当などの金融所得との総合課税化はいまだに実現されていないのだ。そのため、「誰が、どこに貧困層と言われる人がいるのか正確に掴めない現実」が日本にあり、「地方税を収めていない」人たちを便宜的に低所得層としてとらえているわけで、本当の実態がつかめないために社会保障制度をしっかりと機能させることができない現実がある。本気になって所得税の総合課税化に向けた努力を進める政治勢力が出てこないのが現実だ。

黒田氏の主税局の課長時代の出来事だけに、有力政治家や各省庁幹部等との生々しいやり取りや泥臭い裏取引などは一切出てきていない。グリーンカード廃止を先頭に立って廃止にまでもっていったのが当時自民党内の実力者で郵政族のドンと呼ばれた金丸信氏であったことははっきりしており、つつけば埃の出る政治家だっただけに色々と知りたいところではある。


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