2023年12月4日
独言居士の戯言(第320号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
黒田前日銀総裁の「私の履歴書」、少し早すぎた?日銀時代への言及
黒田前日銀総裁の日経新聞「私の履歴書」の連載が終わった。大蔵省入省後、いろいろな部署や地方自治体への出向、最後は財務官として国際金融の最前線での仕事ぶりが丁寧に淡々と記述されている。そして、アジア開発銀行の総裁となって、フィリピンのマニラで国際金融の責任者として変動相場制に揺さぶられるアジアの国々への支援措置を進めてきたことをかなり詳しく述べておられる。履歴書としてそれ等への言及は不可欠なのだろうが、いま一番注目されているのは日本銀行総裁時代の「異次元の金融緩和政策」であり、今どのように総括されているのか、アベノミクスの一番の柱として安倍政権とのかかわりなどについてどう考え進められてきたのか、など等だったと思う。
その点について、連載が終わった直後の私自身の読後感でいえば少し物足りなかったと言えないだろうか。ある友人は、そもそも「私の履歴書」を書くにしては少し早すぎるのではないか、という指摘を受けたことがあるが、そうなのかもしれない。総裁を辞めて半年、2期10年間の日銀総裁という激務を経て、ゆっくりと時間をかけて振り返るには時間不足だったのはやむを得ないのだろう。ただ私と同じ79歳、人生の残された時間との関係もあったわけで、何よりも29回の履歴内容の作成、先ずはご苦労様でしたとねぎらいの言葉を贈りたい。
安倍総理の日銀総裁人事発令、財務省出身の黒田氏は「何故?」
さて、日銀総裁就任要請が2013年2月21日とのこと、前任の白川総裁が任期を少し残しての辞任となったわけで、安倍総理から直接マニラに電話がかかってきたとのこと、あまり時間を置くことなく申し出を了承されたとのことだ。
安倍元総理は、「日銀総裁はアベノミクスにおける大胆な金融緩和の責任者であり、政府とも足並みをそろえる必要がある。そのポストに誰を起用するかは、極めて重要な問題でした。私は当初から国際金融に詳しい元財務官の黒田東彦さん(当時はアジア開発銀行総裁)を強く推していました。霞が関からは反対もありましたが、あの異次元緩和は、黒田さんでなければできない大仕事でした。」(『文芸春秋』2022年2月号安倍晋三「危機の指導者とは」158~159頁)とあり、これだけ重大な課題に対応する総裁人事としては、比較的簡単に決まったように思えるのだが、それが事実なのだろう。安倍氏が2期目に入るや官邸を経済産業省主導に転換させたことがあり、黒田氏が財務省という事に対する懸念は無かったのかどうか、どういう人脈が黒田氏を推薦していったのか、興味は尽きないがそれ以上のことは不明である。
安倍元総理からの特別な指示は無い、と述べておられるのだが
黒田氏がこの「私の履歴書」を通じて書いておられるのを読む限り、時の総理大臣(菅、岸田も含めて)との関係で特別な指示を受けたということは無かったと記載されている。ただ、総理と日銀総裁が同席する会議として「経済財政諮問会議」という場があり、時々議事録に乗せないためにあえて秘密にした時間帯もあったはずだし、会議の前後での二人きりで話す機会がなかったとは思えないわけで、そのあたりは当然のことなのだが何も触れられていない。
異次元の金融緩和政策、日銀のスタッフからのアイディアに言及
さて、異次元の金融緩和政策の導入であるが、総裁就任が3月20日、そして4月3~4日の金融政策決定会合でデフレ脱却に向けて「量的質的金融緩和政策」を打ち出して行くわけで、2月21日に打診され直ちに就任を承諾され、それから1か月余りでの作業が展開されたのだろう。黒田総裁の決意と考え方が全面展開されたと思うが、「マネタリーペースを2倍にして2年で2%を達成する」アイディアは雨宮正佳理事(18年からは副総裁)等のアイディアだったとのことだ。これが「忖度」なのか、本心からの提案なのか内部におられる方達の情報は出てきていない。白川総裁時代から、金融緩和政策を進めてきた日銀事務局の準備が進んでいたのかもしれない。
2%のインフレ目標は未達成、消費税引き上げと賃上げ不足を指摘
それから約1年、物価は1%台半ば、成長率も1%台、失業率は3%台へ低下という比較的順調な滑り出しだったが、どうにも2%目標に到達ができない現実に直面。誤算としては賃金上昇率が停滞したことと、消費税の5%から8%への引き上げに伴う消費の低迷を指摘され、いずれも物価上昇率鈍化の要因になったとのことだ。ただ、黒田総裁は消費税の引き上げには賛成の立場を採られていたわけで、もしかすると消費税引き上げは延期(あるいは小刻みに引き上げる)すべきだったと今では思われているのかもしれないが、それ以上のことは触れておられない。また、賃上げが不十分だとの指摘は最近強調され始めたことで、黒田総裁1期目ではあまり指摘されていなかったと思う。
黒田新総裁の「戦力の逐次投入はしない」発言は「約束違反」へ
と同時に、これだけ大量のマネーを市場に投入してもその大半は日銀の当座預金となって還流するだけで、貨幣数量説に立脚したリフレ派の主張が間違いであったことに対する言及はない。さらに黒田総裁自身が、「戦力の逐次投入はしない」と明言していながら、14年10月にマネタリーベースを80兆円に増額したり購入国債の残存期間を7~10年に変えたりしているのも「約束違反」であったわけで、その後マイナス金利導入から短期金利だけでなく長期金利まで規制するYCC(イールドカーブコントロール)政策へと転換されたとはいえ、日銀総裁の発言に対する信頼感の低下があったことは否めない。
白川総裁時代の政策方向と大きな違いはあったのだろうか
それにしても、マイナス金利の導入や長期金利ゼロという金融緩和政策の転換がデフレからの脱却を実現させたのだと評価されているが、スケールの違いは別として、金融緩和政策としては白川総裁時代にも展開されていたわけで、白川時代には大胆さが欠けていたいう批判はありえたとしても、目指す方向としては大きな質的違いはなかったと言っていいと思うのだが、どうだろうか。
この間の政策は結果として資産保有の多い富裕層優遇に直結へ
この日銀総裁時代の履歴を読むとき、ゼロ金利政策によって円安と資産価格上昇(株高)によって経済が活況を呈したかのように見えても、多くの国民の賃金は上がらず、所得や資産格差の拡大が進展したことを見逃すわけにはいくまい。
ゼロ金利による円安の定着は、輸入価格の上昇によって3~4%近い物価上昇を引き起こし続けており、国民生活を圧迫していることの責任の一端から免れることはできまい。
ゼロ金利で財政規律の弛緩、資本主義の市場機能不全という弊害
さらに、ゼロ金利による財政規律の低下が進み、今では赤字国債を大量に発行することが当然視されているのが現実だ。そのツケは、将来世代を直撃していくことは間違いないわけで、デフレではない状態を作ったという評価はあるにしても大きな負の遺産を作った一つの要因と言えないだろうか。そして、何よりもゼロ金利、時にはマイナス金利という常識では考えられないような金融政策が蔓延したことにより、市場が正常に機能しなくなってしまったのではないか。黒田氏から植田新総裁へと引き継がれて半年経過するが、YCC政策の上限を0.5%から1.0%へと拡大しただけで、依然として黒田路線が継承され続けている。未だにETFの購入が続けられていることには違和感すら感ずる。
資本主義にとって市場が正常に機能しなくなることは致命的なことというべきだろう。一刻も早く、正常な金利機能が発揮されるよう求めたいものだ。黒田日銀の10年は、あまりにも異常な期間が長すぎたのではないだろうか。その「ノルムからの脱却」に時間がかかりそうだと思う今日この頃ではある。