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労福協 活動レポート

2024年8月5日独言居士の戯言

独言居士の戯言(第351号)

北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹

書評、濱口桂一郎著『賃金とは何か』(朝日新書2024年刊)を読む

待ち遠しかった1冊の本がようやく届き、何とか読み終えることができた。濱口桂一郎氏が書かれた『賃金とは何か』という朝日新書で、300頁に達する新書にしてはやや大きめの本だ。濱口桂一郎氏と言えば、労働政策研究・研修機構労働政策研究所長で、「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」という日本の雇用制度を理解するうえで不可欠な名づけ親であり、まさに労働問題研究の第一人者である。日頃から『はまちゃんブログEU労働法政策雑記』を精力的に書かれていて、労働界にまつわる問題や論文、書評など、さすがにこの道の第一人者だと感心することばかりである。その濱口所長がブログで「賃金とは何か」という新書を出版されると書き込まれて直ぐにアマゾンに注文し、出版直後に自宅に郵送となった次第である。

最初の就職先が鉄鋼労連、賃金闘争の中で「職務給」を学ぶ

何故この『賃金とは何か』という著書を待ち望んだのか、私自身のヒストリーとも関係してくる。一つは、私の生まれた広島県呉市という戦前の海軍工廠があり、私の家族も含めて『職工』さんの街でもあったわけで、労働者にとって生活の糧である賃金に子供の頃から関心を持っていたことは言うまでもない。家庭内で、ちゃぶ台を囲みながら晩酌をする父親から「毎年春の昇給期に査定の不公平さに愚痴をこぼす姿を見聞きしてきた」わけだ。

さらに、私自身が大学を卒業し初めて仕事に従事したのが鉄鋼労連であり、1969年から5年間だったが日本を代表する鉄鋼産業の労働組合で春闘をはじめとする労働運動に身を置くこととなった。しかも、賃金問題を担当する部署に配属され、「職務給」とは何なのか、濱口さんの今回の『賃金とは何か』の中で中心的なテーマとして扱われている問題を、初心者として勉強させられたのだ。この5年間、千葉利雄調査部長の下で宮田義二委員長が進める鉄鋼労連の第一期長期賃金政策の戦いの第一線に参加したわけだ。ちょっと余談になるが、この新書の中でもしばしば登場する金子美雄氏(労働省発足時の初代調査局長などを歴任)についても千葉利雄部長と一緒に懇談する機会があった。金子美雄氏が一番好感を持っておられた労働組合が、何と当時の「動労」(国鉄動力車労働組合の略称)だったという事など、今思うに身近で大変な権威のある方達から日本の労働問題の在り方についての貴重な話に触れることができ、光栄の至りであった。それにしても、今思うに鉄鋼労連の5年間は短すぎたように思う。

ジョブ型=職務給、メンバーシップ型=所属給(属人給)の相剋

少し話が横に逸れてしまったが、本書の内容に触れていきたい。

この本は、副題に「職務給の蹉跌と所属給の呪縛」とあるように、ジョブ型に対応した「職務給」とメンバーシップ型の「属人給」が、どのように日本資本主義の中で展開されてきたのかを明らかにしている。

「はじめに」のなかで、安倍政権の下で総理自身が経済団体のトップを呼んで直接賃上げ要請し、同一労働同一賃金で非正規労働者の処遇改善を打ち出すものの、「職務給」については全く触れていない。ところが岸田総理は、就任直後から「職務給」化を全面展開し、ニューヨークの証券取引所で講演した際にも日本の賃金の「職務給」化に言及。ちょうど60年前、池田総理時代に提唱した「職務給」をとりあげ、宏池会の後輩宰相として再びその導入に挑戦しようとしているのだが、その実現は結論づけてはおられないものの見通しは暗い。

「序章」では、雇用問題についての基礎(ジョブ型とメンバーシップ型)に触れ、対応する賃金の在り方に焦点を当てて論じている。第1部は「賃金の決め方」で、明治から今日にまでの150年間、賃金制度を概観し「職務給」の栄枯盛衰の歴史に触れている。第二部は「賃金の上げ方」であり、賃金水準を巡る労使交渉の歴史に言及、「ベースアップ」や「定昇」とは何かを明らかにする。第三部は「賃金の支え方」で、最低賃金制などを巡る有意転変の歴史が書かれている。最後の「終章」では、「なぜ日本の賃金は上がらないのか」について触れ、そこからの脱却の道を探っている。

本書の目的=賃金の歴史的視野に立脚した基礎知識を網羅した書、
背景にはジョブ型とメンバーシップ型雇用の違いの存在

この「はじめに」のなかで、この本を書かれた目的について、今日大きな政策課題となりつつある賃金の問題について「きちんと歴史的な視野に立って議論できるための基礎知識を詰め込んだ本」(9頁)にしたいと述べておられる。まさに、その目的に適ったものになっていると読み終えて感じた次第だ。

字数の関係で、章別に内容を触れることができないが、問題別に触れていきたい。

先ずは、職務給化と職能給の問題である。濱口氏の雇用に対する基礎的分類であるジョブ型とメンバーシップ型との関係で、ジョブ型=職務給で、メンバーシップ型=属人給(職能給)となるわけで、日本の正職員を中心にした大企業正規労働者は職務給ではなく職能給にならざるを得ないことは自明のことなのだ。戦後史だけを振り返ってみても、労働側が進めた「生活給(特に電産型賃金体系)」を敵視してきた日経連によって、一時は職務給こそが望ましいとされるものの、1960年代後半以降「能力主義管理」へ転換し、今日では「能力」から「成果」へと年功制を変えていくべきことを強調する。総評がスト権ストで敗北して以降、賃金決定における日経連(今は経団連と統合)のやりたい放題の世界が眼前に展開する。残念ながら、企業別労働組合という戦前の産業報国会を源流とする日本の労働組合には、90年代の金融危機以降今日に至るまで、経団連の攻撃を反撃していく力を欠いているからに他ならない。

労働組合の闘争力後退、果たして「官製春闘」でベアはできるか

そうした中で、労働組合である連合ではなく政府が前面に出てきて「同一労働同一賃金」や「職務給」といった問題を提起し、「官製春闘」が安倍政権から始まるという旧世代に属するものにとっては前代未聞の事態に驚かされる。既に、日本の主流をなす企業別労働組合は、労働組合としての本来の機能を発揮することができなくなってきたことを「官製春闘」を示しているのだ。濱口氏は、この2年間は「定昇」額よりも「ベア」の額の方が上回っているが、果たして日本の労働組合が闘争力を復活させ、賃金闘争が盛り上がり始めたのかと言えば否定的である。「穏健で労使協調的な企業別労働組合」には企業経営にとって無理なベアはそもそも困難ではないかと「官製春闘の限界」を指摘される。けだし、今の現状を素直に見ればその通りなのだろう。来春闘から日本の労働組合は賃金闘争をどう展開していけるのだろうか、まことにその道は険しいと思うのは濱口氏だけではあるまい。どうしたら日本の労働者の賃金を引き上げていけるのか、今となっては「難問」となって日本経済を脅かしつつある。

いつの間にか「定昇」が「賃上げ」と誤認される時代へ

「賃金の上げ方」について感じたことに触れていきたい。ベースアップ(略称「ベア」)という言葉は「賃上げ」という事と同義だと思っていたのだが、歴史的にみると「賃金を抑制する」言葉として登場している。これも、戦時中の賃金統制令から端を発して、戦後のインフレ時代に「1800円ベース」「2920円ベース」という抑制のためのベース賃金が出てくるわけだ。それは、生活給を基礎とした「電産型賃金体系」に対抗して取り上げたもので、それが企業別の労働組合の賃上げ要求に転化して「ベースアップ」という事となったという。

ベースアップ要求に対抗して経営側から出たのが「定期昇給」(略称「定昇」)であるが、それは賃金水準の総体としての引き上げにはならないわけで、一見すると定昇が2%前後になると賃上げと見まごうばかりのものとなり、90年代の後半以降2022年までは、定昇による引き上げ額の方がベースアップの引き上げ額よりも大きかったわけで、労働組合は完全に抑え込まれたことを象徴するのが「定昇」が賃上げと思われるようになったことだと言える。

「定昇」には「企業側の能力査定」が伴うことを忘れてはならない

しかも忘れてはならないことだが、この「定昇」には「企業側の能力評価=査定」が伴うわけで、機械的な一律「定昇額」ではないことに注意すべきだろう。バブル崩壊以降、日本経済が直面した金融危機において、日本の労働組合は雇用危機を経験する中で「雇用維持」が何よりも優先され、「定昇」があれば何とかやっていけるという事が今日に至っているわけだ。

自民党政権にとって、賃金が上がらないことが日本経済のデフレの原因として指摘され、賃上げを求めていくにもかかわらず上手く進められないことは、いまだに大きな問題となって政権を直撃する。連合を中心とした野党側は、なす術を持たないかの様であり、ヨーロッパの社会民主主義との違いは歴然としている。戦後の政治史の中で、ヨーロッパ流の社会民主主義理論に正しく立脚してきていたのが、何と民社党=同盟の流れであったことが指摘されるが、今となっては虚しく響いてしまう。ここは、これからの政治の中で労働組合に立脚した政治勢力がどう展開していくのか、大きな問題となって政党政治を直撃するのだろう。

労働組合は、「産業別最賃の取り組み」こそ追及すべき課題では

最後に述べておられる最低賃金の引き上げについて、何とか産業別最低賃金(特定最低賃金が法律上の名称)への道が残されてはいるが、今の連合を中心にした労働組合にはそうした賃金決定の主役としての役割を担えるだけの力は残されていないようだ。4ランクに分けられた地域別最低賃金の引き上げが、ここ2~3年、政府の力を入れた結果上昇しつつあるが(岸田政権は2030年代半ばまでに時給1500円を目標にしている)、本来の産業別の最低賃金の底上げに向けた組織労働者の戦いの道は何時になったら取り上げられていくのだろうか。かつての金子美雄氏が望みを託され、著者である濱口氏も同じ思いを持たれている産業別最賃をどう運動として実現していけるのか、賃金決定の一方の当事者である労働組合運動への郷愁を持ち続けてきた者にとって重い課題であるが、何とか花開かせて欲しいものである。

日本の賃金はなぜ上がらないのか、「1940年体制」の硬くて重い壁をどう改革できるのか

最後に、何故日本の賃金は上がらないのだろうか、終章で「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」という禅問答のような指摘がなされている。「定昇」という2%前後毎年上がっていくシステムが存在していることによって、労働者には賃金が上がっているように思えるが、労務費総体は増えないままである。世界はジョブ型であり、「定昇」等は存在していない。自分たちの賃金は自分たちが力で勝ち取っていく以外にないわけで、その力が失われている日本の賃金が欧米に比べて落ち込んでいくのは必然なのかもしれない。

本を読み終えて、まことに良く書かれた賃金の書ではあるが、どう日本の労働組合が「1940年体制」から脱却していけるのか、深くて構造的な弱点(ジョブ型ではなくメンバーシップ型雇用といった)の克服に向けてもがき続ける労働運動の姿が私には浮かんでこない。それが現実なのだろうが、次の世代に託す以外に道はないのだろう。


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