2024年11月18日
独言居士の戯言(第365号)
北海道労福協政策アドバイザー(元参議院議員) 峰崎 直樹
松島斉著『サステナビリティの経済哲学』(岩波新書2024年8月刊)を読んで
10月に入り、すっかり秋めいた晴れた日に、久しぶりに札幌市内の書店に出向き何気なく手に取った一冊だったが、いざ読んでみるとなかなか興味深い論点が豊富な一冊と思い、読んだ感想を書いてみた。
著者である松島斉氏は東京大学大学院経済学研究科教授であり、1980年に宇沢弘文教授のゼミ生時に「社会的共通資本」に着目、その後、留学され「ゲーム理論」や「情報の経済学」等を学ばれ、こうして「サステナビリティの経済哲学」として取りまとめおられる。ページをめくった時、「新しい資本主義」と「新しい社会主義」がそれぞれ一章として組み立てられており、今さら「社会主義」を取りあげ一体何を考えておられるのか、興味深く手に取ったわけだ。
とはいえ、「新しい社会主義」についてはなかなか難解であり、たやすく理解できたとは思えなかったことをあらかじめ断っておきたい。
この本は、サステナビリティ経済学の実践的哲学書、啓蒙書だ
まず、この本を書かれた目的は何なのか、「はじめに」のなかでは次のように書かれている。
「サステナビリティの経済学のための実践的な哲学書であり、新たな地平を開くための経済研究の批判的な啓蒙書である」(ⅳページ)
では、肝心の「サステナビリティ」とは、「経済、環境、社会を三位一体として総合的に考えて、現代の問題を解決しながら、未来世代に上手にバトンタッチしていくことが我々みんなに求められるのである。このアプローチこそがサステナビリティつまり持続可能性の神髄である」(ⅱページ)と述べ、特に地球環境問題を解決していくにはどうしたら良いのか、情報の経済学やゲーム理論などを交え問題提起されている。
アダム・スミスの自由放任では制御できないサステナビリティ、
私利私欲を超えた「大義」の推進こそ必要
先ずは経済学についての哲学的考察に進み、アダム・スミスの「見えざる手」に任せていては直面する社会問題のサステナブルな解決はできなくなっており、特に取り上げておられる環境問題などはその例であろう。市場経済の中で私利私欲を超えた「大義」を遂行する必要があり、サステナブルな社会を実現するためにも「企業がそのプラットフォームになりうる」ことを指摘する。そのためには国連の定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」を設定し実現させていく必要があり、その際ノーベル経済学賞を受賞されたオストロム氏の提唱する「8つの原則(後出の資料参照)」(24頁)にしたがうことでコミュニティが持つ「自己組織化」が可能になると考え、「コモンズの悲劇」の解消を目指すことになる。
「オストロム8原則」は地域レベルの「コモンズの悲劇」に適用、
国際的な課題への対応は新しいシステムへ
こうした地域コミュニティを解決できる「オストロムの原則」のレベルでは、グローバルなコモンズである地球温暖化問題は、国際システム自体がサステナブルになるよう更に構想を練る必要があることを指摘する。そのためには私利私欲の誘惑に負けない「新しい企業組織、新しいコミュニティのあり方、新しい国家像、新しい社会システム、そして新しい国際システムが問われてくる」わけで、「新しい資本主義」と「新しい社会主義」の必要性に到達する。
「新しい資本主義」では、営利企業、社会的企業、非営利組織等それぞれにおいてサステナビリティ(SDGs)へ貢献ができることを述べている。特に営利企業では別に財団法人を立ち上げ、それが社会的責任を拡大させ支援することなどが始まっている。社会的企業なるものは想像しにくいのだが、日本における「良品計画」といった営利と非営利の中間的な位置にいる企業を暗示されている。
「新しい資本主義」は理解できても、「新しい社会主義」は難解だ
次の「新しい社会主義」とは、国際社会レベルでの「コモンズの悲劇」を無くしていくためにグローバルな取り組みをどうしていくべきなのか、その構想として提起している。ここでは、国家には権力があるが、国際社会にはそれがないわけで、それを創り上げていくためにはそれぞれの国において自主性を基調とした「暗黙の協調」が芽生え、それがうまく機能し維持していくことに期待する以外にないとされる。これはなかなか難しいプロセスになりそうだ。
代表例として気候変動枠組条約(COP)をとりあげ、既に今年で29回目となる国際会合での取りまとめがいかに困難なものであるかを指摘する。そして、その解決方法として、「暗黙の協調」ではなく、ゲーム理論における「繰り返しゲーム」が使えないか検討する。COPにおける交渉手続きの考え方である国家主権を厳守する「プレッジ・レビュー・アプローチ」では、各国が計画を完全に実施しなかった場合の罰則が不十分で機能せず、経済学者であるノードハウスたちが提起した「気候クラブ」も罰則強化するだけで、とても無理と解決策としては評価されていない。そこで提起されるのが「新しい社会主義」であり、次のように定義される。
「新しい社会主義」の基本は、対立や競争ではなく国際協調が必要
「暗黙の協調を限定的に利用しながら、COPの交渉手続きを抜本的に改正して、世界の国々を、あるいは世界市民を、対立や競争ではなく、国際協調に駆り立てる方法であり、新しい社会主義の原案になる」(160~161ページ)
そこで、国際秩序を「暗黙の協調」だけに任せるのではなく、①国際社会における約束の厳守②約束の強要の排除③約束の変更の自由という3つの条件を設定し、CO2排出規制という「量」ではなく、炭素「税」に変え、各国が自国の炭素税の上限値を出し合い一番低い値で共通の約束を創り上げる。もしそれをどこかの国が下げるとなれば、全世界のレベルを同時に下げる事になり、抑止効果が発揮されるインセンティブを持つことになると松島教授は提起 (末尾に、松島教授が2022年9月26日付日経紙「経済教室」に「温暖化国際交渉ルール」として図示されていたので、勝手に引用させていただいた)。
「新しい社会主義」の下では「能力に応じて働き、
必要に応じて受け取る」という社会主義の原理が必要に
松島教授は満場一致型から新しい約束ルールへの変更を提案する。それが、「新しい社会主義」の考え方へと連なることになり、国家だけでなく先に指摘した営利企業の役割や市民レベルでの社会的責任の重要性を指摘される。と同時に、国際社会での求められるイノベーションは技術の独占ではなく、CO2排除に向け世界的に削減する必要があるわけで、その国際システムの考え方は、マルクスが『ゴータ綱領批判』で示した「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」にすべきで、それこそ「新しい『社会主義』」と称されるにふさわしいものとなるとも見ておられる。ただ、「新しい社会主義」がどうなっていくのか、その展望を提示されているのだが、その道筋はなかなか困難な道になっていくことを覚悟せざるを得ないようだ。「新しい資本主義」に比べて「新しい社会主義」の方が理解しにくく、なかなかストンと腹に落ちにくかった事を白状しておきたい。
宇沢教授の「社会的共通資本」は、サステナブル経済学の先駆者だ
こうした新しい将来像を考えられた先駆者として、宇沢弘文東大名誉教授の「社会的共通資本」を取り上げ、宇沢教授こそがサステナビリティの経済学の先駆者であると評価、以下、その観点からサステナビリティ教育や人的資本の重要性、企業文化と日本経済、さらにはヴェブレン、マルクスなど経済学者のサステナビリティの観点からの評価など、多面的に論じておられ、「あとがき」では、自身が宇沢ゼミ以降、アカロフ氏やハーヴィッツ氏に学んでこられた「ゲーム理論」「情報の経済学」などにも触れられている。
最近日本経済新聞の全面広告の中で企業や経済団体が、SDGsに関する課題に着手していることを見る機会が増えてきた。松島教授のこの本を読み、改めて「新しい資本主義」に向けて企業人の方達が努力され始めていることを知ることができた。これまで企業という営利法人は、もっぱら私的利益ばかり追求するものだと思う出来事が多かったわけだが、見方を広げていく必要性を痛感させられたことは確かだろう。
地球温暖化による環境破壊の現実に直面する人類、
「新しい社会主義」に向けてどう結束できるのかが課題
ただ、「新しい社会主義」に関しては、理念的には理解しえても、そこに向けて到達することの困難性を思う時、なかなか理解しにくいものであることは確かである。
だが、今年も日本列島では線状降水帯が多発し、多くの地域での猛烈な集中豪雨や風速が70メートルを超す暴風に直面させられたことを考えただけでも、SDGsに着目し、地球温暖化をどう抑制していけるのか、「新しい社会主義」を創り上げていくことの必要性は、国民全体の深刻かつ重大な喫緊の課題と認識すべきだろう。それをどう世界レベルにまで広げていけるのか、世界が直面している難問として、この松島教授の提起された「サステナブルな経済哲学」が広く全世界で理解され、一刻も早く国際的結束に向けた実践に踏み出すことができることを期待したい。
トランプのアメリカが、再び国際社会の共通課題から目を背け、「自国第一」主義へと動き始める時だけに、困難な課題だと思うが、それだけに多くの地球市民が、より一層努力していく必要性が高まったというべきなのだろう。おりしも、COP29がアゼルバイジャンのバクーで開催され、グテーレス国連事務総長が地球温暖化に向けた提案をされたようだ。なんとかして、国際的な合意を勝ち取りたいと切実に思う今日この頃である。
【参考資料】この図表は、松島教授が2022年9月26日付日本経済新聞の「経済教室」に掲載されていたものを転載させていただいた。
【注1】 「オストロムの8原則」とは、ノーベル経済学賞を受賞された政治学者エリノア・オストロム氏が、コモンズの悲劇が起きなかった事例を調査され、それが起きないためには何が必要なのかを、次の8原則にまとめている。
1、明確な境界:コモンズと利用者の範囲を明確にして、誰が資源を利用できるのか、どの資源が管理の対象かをはっきりさせる。
2、管理の適応性:コモンズの管理ルールは、資源の特性、地域社会の文化的、社会的特性といった、地域の状況や環境の変化に適応している。
3、利用者の参加:共有資源の管理に関わる全てのステークホルダーが、管理ルールの変更に参加し、合意形成に影響を与えることができる。
4、監視:資源の利用は、利用者自身または彼らに説明責任を持つ者によって監視され、違反者は適切に認識される。
5、段階的な制裁:ルール違反者に対しては、違反の度合いに応じた段階的な制裁が適用される。
6、紛争解決:利害関係者(ステークホルダー)間の紛争は低コストでアクセス可能な地域の方法で迅速に解決される。
7、最小限度の認識権:政府などの上位の外部機関は、資源の管理に関するコミュニティの一定程度の権利を認め、干渉しない。
8、複数層の統治組織:共有資源の管理は、最も小さいコミュニティレベルから、より大きな統合された複数の組織レベルにわたって行われる。