2016年1月4日
独言居士の戯言(第15号)
元参議院議員 峰崎 直樹
謹賀新年。いよいよマイナンバーの時代へ、万全のセキュリティ対策充実を
いよいよ2016年が始まる。今年からマイナンバーが、税や社会保障を中心に導入され活用されることになる。昨年末までに、全ての住民に対してマイナンバーが簡易書留で配達されたのだが、いろいろな理由で配達できないで返却されたものが約10%近くあったという。予想通りなのか、それとも多すぎるのか判断しにくいのだが、国民の拒否反応は住基ネットの時よりもはるかに少ないように思われる。やはり、番号に対するアレルギーが少なくなっているし、約5000万件という消えた年金記録問題が明るみに出たせいか、番号による確りとした管理の必要性への認識が浸透したのだろう。それと同時に、民主党が政権についていた時に導入を決断したことが大きかったと思う。住基ネットの導入時の経験からすれば、野党時代にはどうしても否定的な捉え方が幅を利かせていて、当時納税者番号としての必要性をいくら指摘しても、なかなか理解してもらえなかったことを思いだす。問題はこれからであり、国民が安心してその利便性を活用できるためにも、しっかりとしたセキュリティを高めて欲しいものだ。税制や社会保障にとって、より正確な所得情報の把握は不可欠なのだ。
経済界は、密かに社会保険料負担増へ敵愾心を持ち始めたのか
年末年始の新聞に眼を通した際、気になった記事がある。日本経済新聞の1月3日付の記事で、「社会保険料などの福利費 大企業の負担最高 一人当たり月8万3500円」という見出しの記事が気になった。記事の出所は経団連で、この金額は企業に負担義務のある2014年度の法定福利費だという。調査対象は大企業を中心にした1630社中645社からの回答で、回収率は50%を大きく下回っているのだが、年金、医療、介護などのコスト増に対応する企業負担が増えたことを取り上げ、福利費全体が増え続ければベアをためらう企業が続出しかねないという経団連幹部の声を紹介している。日本経済新聞は経済界(主として大企業)の声を色濃く反映しているわけで、法人税の引き下げに対応するべく賃上げを安倍政権側から迫られ、榊原経団連会長はそれに応ずる姿勢を示しているものの、本音としてはベアよりも社会保険料が高まっていることへの苛立ちが出ていると見ていい。黒字になっている企業側にとって賃上げは良いとしても、赤字企業も含めた経済界全体としては、年金(2017年までは厚生年金保険料を18.3%まで引き上げることが法定されている)医療、介護などの社会保険料の引き上げの負担を、できれば税に振り替えて欲しいと要求し続けてきたのであり、おそらくこの要望は今後とも強まることはあっても弱まることはないものと見ていいだろう。
つまり社会保険料は賃金に対する外形課税となっているわけで、そのウエイトは高齢社会の下で年々高まりつつあり、今では国税収入よりも社会保険料収入の方がはるかに高くなっており、企業側は原則2分の1の負担を強いられている。法人税なら赤字企業は支払わなくてもいいのだが、社会保険料は赤字法人と言えども法人負担分から逃れられないわけで、企業にとって出来れば消費税に替えて欲しいと思い続けているのだ。経済界は、法定福利費を含めた人件費がコストとしてしか認識していないわけで、働く人たちのやる気をいかに引き出していくのか、人材への投資として考えて欲しいものだ。日本という高度に発達した社会で商売をする以上、そのコストは当然必要になるものだという位置づけが欲しい。
それにしてもなぜ消費税なのか、それは輸出の際にゼロ税率にすることができるわけで、国際競争力という点で輸出企業にとって負担が掛らない税だからだ。おそらく、これからもずっと要求し続けるに違いない。
だが、消費税によって価格が上昇することへの様々な対応が求められるわけで、その負担は一体誰に帰属するのか、実は本当のところは不確かなのだ。
日本企業の社会保険料負担は、ドイツやフランスよりも低いのだ
はたして日本の社会保険料の負担は重いのだろうか。社会保障を主として税だけで賄っているオーストラリアやニュージーランドのような国もあるだけになかなか国際的な比較が難しいのだが、社会保障について日本と同様保険制度を基本に据えている先進国であるフランスやドイツといった大陸諸国では、日本よりもはるかに社会保険料負担は大きく、国民所得比で2012年の実態はフランス26.3%ドイツ22.1%なのに対して、日本の負担は17.4%と両国に比較すればまだまだ低いのだ。とくに医療については、経団連を中心にした大企業の多くは健康保険組合を企業別に組織し、保険料をそれぞれの組合ごとに徴収しているのだが、5%を切るような低保険料負担の企業もあるなど、まだまだ負担のレベルで言えばそれほどの高負担になっていないのだ。年金については、厚生年金の負担は先述したように2年後には18.3%で上限が設定されており、企業側には半分の9.15%の負担で打ち止めになってくる。今後ともこうした保険料の負担の引き上げに対して、企業側の抵抗は続けてくることは必至であり、いかに国民の社会保障制度の根幹を守り続けていけるのか、今後の大きな課題と言えよう。
子ども手当はバラマキではなかった、井手英作慶応大学教授『経済の時代の終焉』(大仏次郎賞受賞、岩波書店刊)でも主張
もう一つの記事は、おなじく日本経済新聞の12月30日づけのヨーロッパに導入が検討されているベーシックインカムに関する記事に関しての囲み記事で、大林尚編集委員のコメントが気になった。大林氏はベーシックインカムについて「いわば働かざる者も食っていけるユートピアを目指す構想だ」として、日本で民主党政権時代に「子ども手当」を取り上げ「バラマキの典型だった」と批判している。
なぜこの問題を取り上げたのかといえば、この子ども手当については今でも高く評価される有識者がおられるのだ。昨年12月24日連合主催の税制フォーラムにおいて、慶應義塾大学の井手英策教授は、所得制限の無い子ども手当こそが今の日本にとって必要だったのではないか、と高く評価されていた。井手教授が高く評価されているのは、子供を育てるのは社会全体の責任であることは当然としても、なによりも所得制限を付けることによって受け取ることができない中・高所得層の方たちにとって、子ども手当は自分たちには関係の無いものとして分断され、人々の間に連帯に基礎を置く信頼関係が生まれにくくなってしまうという趣旨の発言をされていたことを指摘したい。もちろん、財源問題をきちんと手当しなければならないことは言うまでもない。
井手教授は、社会保障の中でも特に医療や介護、子育てなど現物サービスを充実させていく事によって、国民全体が支えあう社会を作る必要があることを強調されていたのが印象的であった。つまり、ある特定の階層の方たちだけに対象を絞った社会保障給付は出来るだけなくしていくべきだと強調され、それは「バラマキ」という批判をされることがあるが、決して間違ったものではないことを強調されていた。小生は、子ども手当のような現金給付に関しては、課税対象にして累進制の中で再々分配して行けば良いのではないか、と主張した次第である。ちなみに、井手教授の書かれた『経済の時代の終焉』(岩波書店刊)は、昨年の大仏次郎賞を受賞されており、その中でも同様の趣旨の内容が主張されている。この本も、なかなかの好著であり是非とも一読を勧めたい。
A・アトキンソン『21世紀の不平等』(東洋経済新報社刊)でも、所得制限なしの「子ども手当」の重要性、ただし所得税の課税ベースに
そうして中、昨年日本でもベストセラーになったトマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』に続いてアンソニー・アトキンソン氏の『21世紀の不平等』という新著を年末・年始で一応読み終えたのだが、アトキンソン氏もベーシックインカムに触れておられ、その文脈の中で全世帯に子ども手当を所得制限なく支給することを取り上げ、これこそが今必要な政策であることを強調されている。そして、子ども手当などの社会保障給付については、課税対象として所得税の累進制の中で再々分配することを提唱されていたことも指摘しておこう。アトキンソン氏はピケティ氏の師匠格に当たる人で、所得再分配問題の国際的な権威と言われており、この『21世紀の不平等』の冒頭にピケティ氏の「序文」(この序文は、昨年6月にアメリカで書評を発表された物を転載している)が付けられ、この著書を高く評価されていた。一応読了はしたものの、ピケティ氏の『21世紀の資本』よりはイギリスの社会保障についての理解が無ければ理解しにくい点もあり、なかなか十分な理解が出来たと言えないものの、大胆な提言が多く提起されており、今後日本でもアトキンソン氏の新著が広く読まれることを期待したいものだ。
それにしても、日本経済新聞の大林編集委員のコメントについては全くいただけないわけで、アトキンソン氏の『21世紀の不平等』をしっかりと読んで良く理解して欲しいものだ。
(この記事は、小生のブログである1月4日付の「チャランケ通信」第123号を転載したものである)
(続く)